第五話
ランヴィはリビングのソファーに座っていた。
特に拘束をされている様子はない。
しかし、呼びかけてみるも反応は返ってこなかった。
回り込み、正面から顔を見据える。
虚な目で虚空を見つめていた。
おそらく、法具の場所を聞き出すために術をかけられたのだろう。
得意な術だったのか、先のやり合いで見せた技量では想像しなかった丁寧なやり口だ。
「ま、こっちの方がありがたいけどな」
攻撃とは違って乱暴に破る訳にはいかない。
意識が混濁している、そもそも仙術への抵抗を持たないランヴィを傷つけてしまう恐れがあるからだ。
流石に命の危機に晒す気はない。
そもそも、事の始まりは法具を盗まれたから……と考えられなくもない。
実際は、魔法至上主義の弊害だがランヴィが狙われたのは法具絡みだ。
「よし、気の流れは正常になったな。あとは……」
乱された気の流れは正常に戻ったが、その鼓動は平常時に比べて酷く弱い。
自白させるために衰弱させたかったのだろうが、これでは逆に言葉を出す事すらできなくなってしまう。
それとも、聞きたい事は聞けたから緩やかに死ぬようにしたのか?
仮にそうだとして、タイミング的に仲間に伝える暇はなかったと思うが……。
「……ここで考えてても仕方がないか」
ランヴィの心臓付近の点穴を正確につき、流れる気の量を強制的に増やす。
これはこれで体に負担がかかるが、外部から流し込むのはそれはそれでリスクがある。
「……あ……ら、ぐな?」
慎重にやった事もあり、一分程してランヴィが意識を取り戻す。
「大丈夫か?」
「……お、れ…………めん」
パクパクと口を動かすがほとんど言葉にならない。
ある種の麻痺状態にあるのだから当然か。
「今はとにかく休め」
促し、ソファーに横にさせる。
今の時期なら毛布はいらないか。
できれば誰かに任せて法具の行方を追いたいのだが……。
「誰もいないか」
ポツリと呟く。
一瞬、男に殺されたのかとも思ったが、人サイズの質量も感じないため、ランヴィ一人なのだろう。
取り巻きやお手伝いの人が皆殺しにされている可能性も考えたが、幸か不幸か被害者は一人だけらしい(ランヴィもか)。
「……逆だ。むしろ、なんであいつだけが」
しかも、死体は外に捨てられていた。
ランヴィの所在を調べるために一人だけ標的にされたのだろうか。
それとも、あいつらにとって意味のある人物だった?
……情報が少なすぎる。
確かなのはランヴィが法具の行方に関わっている事だけだ。
「ら……ぐな」
答えの出ない問題を考えていると、振り絞るかのような声でランヴィが俺の名を呼ぶ。
どうしたものかと近づくと、ランヴィは苦しそうな表情で言葉を紡ぐ。
「…………き……」
「き?」
「ひ……き……」
「ひ? き?」
何かを伝えたいらしい。
短さからして単語だろうか。
息も絶え絶えな様子ながらランヴィは必死に口を動かす。
「ひ…………き、ち」
「ッ! 秘密基地か!」
その言葉は俺とランヴィの数少ない思い出だった。
まだ仲が悪くなる前、裏通りの一角から地下に降りられる事を発見した俺達は、そこにオモチャなどを持ち込んで基地としたのだ。
今にして思えば暗いし、危ないし、そもそも臭いしと散々な場所だが、嫌な事を忘れられる二人だけの居場所だった。
「でも、あそこは……」
しかし、そんな秘密基地も俺達の仲が悪化してからは足が遠のき、そもそも八年前、ここを去る時には入れないようになっていたはず。
「は、い……れる」
「入れるのか? あ、迂回して行けば良いのか」
元々、下水を繋げる空間だっとか後で聞いた。
実際に水が流れてくる小さな口もあったし、別の場所から降りられる可能性は十分ある。
「ちが、う……」
「え?」
「あそこ、から……」
しかし、ランヴィはあの場所から行けるのだと言う。
意識が混濁している故の一時的な記憶障害だろうか。
いや、そう考えるには“ちがう”の意思表示がノイズになる。
「はやく……」
「ランヴィ……」
彼の荒い呼吸音しかしない部屋の中で悩む。
他に手掛かりもなし、行くつもりではいる。
しかし、ここにきて殊勝な態度を見せるランヴィの姿に動揺が隠せない。
広くも寂しい室内、幼き日の彼は自分は見限られたのだと切なげに笑った。
その笑顔に自分と被るものがあると感じたのだ。
「いいから行けっ!」
「ッ!?」
突然の大声に目を白黒させる。
慌ててランヴィの様子を確認すると、気を失ったのか、小さな寝息を立てていた。
事切れる直前に最後の力を振り絞ったのだろう。
「行けば良いんだろ! 行けば!」
半ば叫ぶようにしてランヴィ邸を飛び出す。
「……ちっ」
門のところで立ち止まり、扉の前まで戻る。
そして、懐から取り出した札を貼り付け、“牢”の陣を展開する。所謂結界だ。
俺がいない間に男の仲間がやってくる可能性は十分ある。
簡易的な措置なため強度はそこそこだが、異常があれば術者である俺が感知できる。
……あいつは重要な参考人だからな。
守る気はさらさらない。
「あくまで、任務のためだ」
頭の中に街の地図を浮かべながら言い訳を呟く。
当時の裏通りのは区画整理のため、すっかりとその面影を消していた。
けれど、目印となるお店や街灯はそのままなのでおおよその場所は絞れる。
「ここら辺か」
人通りはまばら、見たところ業務店が多いため観光客が通らないのだろう。
カチンカチンと金属を叩く音が聞こえる。見ると鍛冶屋の看板が掲げてあった。
へえ、こっちにもできたのか。
八年前は鍛冶屋は王宮へと繋がる大通りにしかなかった。
そもそも、主力部隊が魔法師団なため剣や槍の需要が低いからだが。
加えて街付近の魔獣は大人しい種類ばかりで武器を必要とするのは、傭兵業をこなす者か、少しでも経費を抑えたい商人ぐらいだ。
「おっといけね」
今は秘密基地に繋がる入り口を探しているのだ。
鍛冶屋に興味を惹かれている場合ではない。
「……どこだよ」
全くもって見つからないので次第に嘘なのではないかと思えてきた。
いや、嘘はない。嘘なら気の流れでわかるはずだ。
なら、やはり意識が混濁していた影響で……。
「くそ、だから探知は苦手なんだよ……!」
つくづく探知の重要性を実感させられる。
近くに法具があるのなら、その気配は探れるだろうと思っていたのに。
もしかしたら、既に敵の手に渡ったのでは……との考えは今は一旦考えないでおく。
雑念が増えれば余計に探索がし辛くなるからだ。
「あの……」
「あん!?」
「ご、ごめんなさい!」
いきり立っていたため、つい口調が悪くなってしまった。
慌てて謝罪する。
「悪い。ちょっと、イライラしててさ」
必死に笑顔を作ってはいるものの、目の前の少年は怯えたままなため、上手くできていないのだろう。
どうしたものかと左手首を振る。
すると、少年は表情を明るくした。
「あなたがラグナさんですね!」
「はい?」
子羊のようにビクビクしていた少年の口から、自身の名前が飛び出すとは思っていなかったので、間の抜けた声がでてしまう。
「……ち、違うんですか?」
「いや、俺はラグナって名前だけど……どこかで会った事でも?」
尋ねると少年は全力で首を横に振る。
あまりに強いので心配していると、案の定、足元がぐらつく。
なんとか踏ん張りながら少年は口を開く。
「お兄ちゃんが……あ、お兄ちゃんというのは実際のお兄ちゃんではないんですけど、お兄ちゃんみたいな人って事です」
「そ、そっか。……そのお兄ちゃんが俺の事を?」
「はい! 高い位置のポニーテールをした黒髪のお兄さんが頭を抱えていたら声をかけろと!」
随分とまあピンポイントなこって。
「……お兄ちゃんってのはランヴィの事か?」
「はい!」
少年は眩いばかりの笑顔で頷く。
彼とランヴィの関係について聞きたい気持ちはあるが、今はそれよりやる事がある。
ポニーテールは、仙術を学んでから始めた髪型だ。
となると、ランヴィが指示したのは俺と再開してから。
法具が俺の(正確には師匠の)だと気づいていたって事なのか?
再開してからのランヴィは全て虚像だったのかもしれない。
そう思う程度に、彼のやっている事が理解できなかった。
「教えてくれ。ランヴィは何て?」
仙術を身につけても世界がわからない事だらけなのは変わりなかった。