第四話
ランヴィの家は住宅街の奥の方にある。
なぜ知っているかというと一度来た事があるからだ。
我ながらよく覚えていたなと感心する。
「……あの頃は」
お互い名家の跡取りであり、年も同じ事もあって仲が良かった時期もあった。
もう遠い昔の記憶故、夢なのではないかとさえ思うが。
「すみませーん」
重厚感のある木製の扉をノックし、呼びかける。
確かランヴィ以外にお世話係が何人か住んでいるはずだ。
最低でも彼らはいると思っていたのだが反応はない。
広い家なためタイミング次第では誰も気づかない事もあるだろうが。
「不在って事は……なさそうだな」
家の中から生命の気配を感じる。数は二。
一人は扉の近くにおり、もう一人は奥の部屋で鎮座しているようだ。
残念ながらランヴィ本人であるかは識別できない。
特殊な気配をしているのならわかるのだが、それ以外となると精々大雑把な大きさがわかるだけだ。
それも肉体的強さや精神的強さによって変動するため当てにはならないが。
……妙だな。
扉の近くにいる人物に動きがない。
突然の来訪者を警戒しているとしても、もう少し近づかなければ確認できないだろう。
侵入者を検知する魔法具でもあるのだろうかと警戒するが、空気中の魔力に変化は見られない。
「あのー、ランヴィ君いますかー?」
警戒を強めつつ、あえて軽い口調で呼びかけを続ける。
「おかしいなあ。家に来いって言っていたのに……。まさか、何かあったんじゃ!」
我ながら嘘くさい芝居だ。
だが、どんな意図であれ騒がれるのは困るだろう。
証拠に扉近くの人物が動き出す。
「お出迎えが遅くなってしまい、申し訳ありません」
扉が開かれ、中から執事服に身を包んだ若い男が出てきた。
右目にはモノクルをつけ、温和な笑みを浮かべている。
一見するとただの執事だが、相当に腕が立つ。
お偉いさんの子供だ。凄腕の人間がついているのはそう珍しい話ではないが……。
「坊ちゃんのお友達ですよね? お待ちしておりました。どうぞ」
体を半身にし、中へ入るよう促してくる。
ここで躊躇うのもおかしいので、ありがとうございますと軽く頭を下げて敷居をまたぐ。
次いで執事服の男が入ってき、扉を閉める。
「坊ちゃんは奥の部屋で待っておりますよ」
「奥ですね」
「ええーー」
執事服の男の口元が歪む。
足音をたてず、俺の後ろをとると人差し指と中指で点穴を素早くつく。
「ッ!?」
「悪いな。恨むなら己の運の悪さを恨んでくれ」
動きが封じた事を確信した執事服の男は本性を曝け出す。
獰猛な笑みは狼を想起させ、クックックッと意地悪く笑う。
「まさか、他にも仲間がいるとはな。流石に勘付かれたか? あの坊ちゃんでも少しは頭を使うんだな」
ブツブツと独り言を呟き、俺の顔を覗き込む。
右手にはいつの間にか小ぶりの刃物を持っていた。
それを、俺の首へとそえるとドスの効いた声で、
「さーて、死にたくないなら俺の質問に正直に答えろ」
目を見開き、恐怖に瞳を揺らす。
「そう怯えるな。……っと、口も動かなかったか」
執事服の男が首元の点穴を突く。
「こ、殺さないでくれ!」
「それはお前の態度次第だ」
男は廊下にある花瓶が置かれた机を乱暴に引き寄せ、代わりに座る。
花瓶が割れる音は気にしないのだろうか。
「まずは、お前の名前と坊ちゃんとの関係について教えてもらおうか」
言っておくが虚偽は死だと脅しを更にかけてくる。
「お、俺はミスト・クルタヴァ……ランヴィとは、魔法学園のクラスメイト、です」
「クルタヴァ? 聞いた事ないな」
「ず、随分前に没落、したので……」
「なるほど」
男は得心がいったとニヤつく。
「だからこそ、お前を選んだんだな。ククッ、想像の倍は賢いじゃないか」
「は、はははは」
楽しそうなので合わせて笑っておく。
「よし、次の質問だ。坊ちゃんには何て言って呼ばれた?」
「そ、それは……とにかく来いとしか」
「本当か?」
「ほ、本当です!」
ジッと俺の顔を観察しながら男はもう一度本当かと聞く。
「は、はい!」
「……信じてやろう」
じゃあ次が最後の質問だと言い、男はこちらに背を向ける。
「これを見た事はないか?」
振り返った男の手には紙があり、そこには師匠の瓢箪の形をした法具が描かれていた。
「こ、こんな形の物は見た事がありません」
その可能性は予期していたため、動揺する事なく素知らぬ顔で対応する。
男は尚も紙を眼前へと押し付け、思い出せと詰め寄ってくるが狼狽するように目を泳がしていると、やがてため息を吐き、紙を懐へとしまった。
「やれやれ、面倒な事になった」
「……あ、あの、それを探しているんですか?」
そう問うた瞬間、いきなり首を掴まれる。
「ぐあっ……」
「誰が口を開いて良いと言った?」
冷めた目。殺しに慣れた奴のモノだった。
これはランヴィもあれかもな。死んでるかも。
「それとも死にたいのか? 他のお友達みたいに」
囁くようにして脅してくる。
血の匂いはしないが、命を摘み取る方法などいくらでもある。
それこそ、今朝の腐敗した死体のように。
「そう様子じゃ死体の事は知っているみたいだな」
「ま、まさかあれは……!」
「ああ、俺がやった」
「ど、どうやって……!?」
男は髪を掴まれ、吐き捨てるように言う。
「お前らにはわからないだろうよ? 魔法至上主義のおまえらにはな?」
憎悪の宿る目。怨嗟の声。
色々とあったのだろうと同情できないもないが、だからといって何をした良いわけではない。
……ここまでか。
男の殺気が強くなる。
当然、生かして帰す気など最初からなかったのだろう。
点穴を突き、身動きができないと思っている俺を嘲笑う。
「じゃあ、そろそろ解放してやるか」
男は虚空をなぞり、陰の気を集める。
そして、それを心臓付近の点穴へと突き刺す。
「この世からよ」
己の所業に酔っているところ申し訳ないが、気の集め方も、使い方も、あまりに未熟だ。
所詮は独学かと落胆する。
使い方の発想こそ面白かったが性格が悪いだけだな、これは。
「ッ!?」
遅まきながら異変に男が気づく。
気を感知する能力も低いとなると、この男が首謀者とは思えなくなってきた。
「お前、何者だ!」
男は素早く飛び退き、距離を開けて叫ぶ。
動揺、焦り、混乱……負の感情が蠢き、気の扱いが疎かになる。
「何って盗まれた物を取り返しに来ただけの、ただの被害者さ」
「まさか……! 緑心真力の……!?」
「一番弟子、名はラグナ・アーヴァン、よろしくな」
「ア、アーヴァン、だと!? てめ、ふざけるな!」
魔法への強い恨み、当然アーヴァン家の名は知っているだろう。
己がアイデンティティをよりにもよってアーヴァンの者が持っているなど、彼からすれば許してはおけないだろう。
男の中から逃走の選択肢が消える。
この様子だと狙い通り全て曝け出してくれるだろう。
「死にやがれ!」
仕込んでおいたのだろう。
床に描かれた陣に血を垂らし、術を発動する。
四方八方から影が伸びてき、俺の影を掴もうとする。
影縫いの術を改変したものだろうか。
しかし、悲しいかな力不足だった。
「くっ……! 重い……!」
「お前が軽いんだよ」
「ちっ!」
影縫いの術を諦め、懐から取り出した札を四枚こちらへと投げつけてくる。
一つ一つに気が込められており、男が力を込めると一斉に爆発する……はずだった。
「な、何故……」
「馬鹿かお前。爆発とか誰かが様子を見に来たらどうするんだ」
俺の態度に男は再びキレる。
術の争いは不利とみたか、距離を詰めてきて格闘戦に持ち込む。
巨体に似合わぬ素早い動きだが、やはりこれも独学なのだろう。無駄が多い。
懐に入り込み、点穴を突く。
「ぐっ……!」
「やめておけ。お前程度の気を逆流させても苦しいだけだ」
点穴による行動不能は体内の気のコントロールで解除できる。
だが、男の気の強さや扱う技量では俺の術は破れない。
「ぐふっ」
証拠に口から血が滴る。
やり過ぎると内臓が破裂してしまう。
「強情だなあ。……これはもらっておくぞ」
尚も諦めない様子に呆れながら懐の紙を奪って燃やす。
他は……術に使う札や暗器ぐらいか。
「……おい、魔法師。お前の目的はなんだ」
内臓が傷ついたのだろう。男は苦しそうに尋ねる。
「さっきも言ったろ? 法具を取り戻しに来たんだよ。これでも一番弟子だからな」
「ふっ、信じられないな」
「信じるも信じないもお前さんの自由だよ」
「魔法師の言う事など……! 緑心真力も何を考えているんだ! 不倶戴天の敵に自然の神秘足る仙術を教えるなど……気でも狂ったか!?」
俺の釣れない態度に腹を立てたのか、師の罵倒を始める。
……いや、本心からの言葉のようだ。
こいつのような未熟者であれば、嘘をついているなら気が濁る。
「師匠は恨みとか憎しみとか、そういう感情は持ち合わせていないからなあ」
仙術を極めた先の存在ーー仙人と評される師匠は、人でありながら植物のような側面を持っている。
恨み辛みなどに振り回されるのは未熟者だからかもしれない。
そういう意味では俺もこいつと変わらない。一生、未熟者だろう。
「生憎だが俺は魔法が使えなくてね」
「ッ!?」
共感するところがあったからだろうか。言わなくてもいい事実を口にする。
男は信じられないと言わんばかりに目を見開く。
「馬鹿な! アーヴァンといえばこの国でも有数の魔法師の一族だぞ!」
「そんな家に生まれたのが魔力を一切持たない俺ってわけだ。苦労話ならそこそこエピソード持っているぜ?」
目に見えて男は動揺する。
目の前の人物が敵なのかどうか判断に困っているようだ。
「ま、その代わりといっちゃなんだが仙術の才能はピカイチなんだけどな」
仙術の才能を表す指標として霊根がある。
木、火、土、金、水、己が持っている霊根の術のみ操る事ができるのだ。
そして、俺は五行全ての霊根を持っている。
魔力の才がなかっただけで天に恵まれてはいたのだ。
恥ずかしい話、それだけで過去のトラウマはほとんど解消された。
「ならば……ならば! 何故俺達の邪魔をする!」
俺“達”、ね。
やはり、仲間がいるか。
どれほどの規模なのか、首謀者の力量は、法具を使って何をするつもりなのか……出来る限りこの男から情報を引き出したいが。
「邪魔をするつもりはない。そう見えるのなら盗んだ物を大人しく返す事だな」
「ぐっ……つまり、法具を返せば手出しはしないと」
「何をするつもりか知らないが、少なくともこの国で好きにする分は止めはしないぜ」
男はニヤッと笑う。
「では、手を結ぶのはどうだ……! お前も苦しんだのだろ? 復讐してやりたいと思っただろう!?」
目が血走ってやがる。
現在進行形で復讐に囚われた奴の意気込みは熱い物があるな。
「全くないといえば嘘になる。……けど、今更復讐して悦に浸る気にもならないんだよな」
ランヴィにもエルドールにも恨みはあった。
だが、実際に会っても……確実に勝てるとわかっても地面を舐めさせてやろうという気にはならなかった。
「別にお前らの復讐を否定するつもりはないけどな。お前らが何をされたか知らないしな」
俺は所詮虐められた程度だ。
尊厳を踏み躙られても俺の心が折れる事はなかった。
「悪いな」
「……いや、その言葉が聞けただけで俺はーー」
そこで男は言葉を飲み込む。
しばらくして苦悶の表情をし、吐き出す。
「交渉は決裂か」
「は?」
面食らってしまう。
「法具を返してくれたら良いって言っただろ? ……あ、紛失した事か? 話の流れでわかってるって」
それにランヴィが絡んでいる事もだ。
酒場での暴れ具合からして、あちらこちらに因縁をつけていたのがわかる。
その流れで法具を奪われてしまった……そんな感じだろう。
「…………違うんだ」
男は力なく呟く。
「俺達は所詮アリだ。大国というゾウを相手にするには、法具は欠かせない」
「……気持ちはわかるが、法具の能力だってろくに知らないんだろ? あれは、そんな便利な道具ではないんだって」
なんて言いながら詳しい事は俺も知らない。
何故なら師匠自身が忘れてしまったからだ。
齢1000を数える化け物だが、記憶力だけは理解の範疇にいる。
『物騒な物だから封印しとったんだが……ふーむ、詳しい事は忘れてしもーた』
でも危ないから探してきてね。そんな感じで捜索を命じられた。
ただ、師匠が使った物なのだから一癖も二癖もありつつ、危険な物なのは間違いない。
それこそ、目的を達する代わりに全てを失うぐらい余裕でありうる。
「ふっ、そんな事はとうに承知している」
「…………」
「俺だけではない。皆が同じ思いだ」
命を惜しまない復讐集団。
この国の闇はそんな連中を生み出していたのか。
「でもな、気持ちだけあっても技量は覆らない。お前ら如きでは法具は使えない。……犬死にだ」
「お前は知らないだけだ。我らの首領は必ず目的を成し遂げる」
気合いでどうにかなるものではない。
けれど、男の目はその首領とやらを信じ切っている事を証明していた。
「無理だな。法具を使うのなら俺が必ず止める」
「ふっ、やってみろ」
言い終わると同時に男は持てる全ての気を流し込み、内臓を破裂させて自死するのだった。