第一話
八年ぶりの故郷は酷く狭く見えた。
体が大きくなったからか、大人になったからか。
……どちらもか。
苦笑し、足を進める。
北の大国のお膝元だけあって人通りは相変わらず多い。
活気があると言えばそうなのだが、人が多すぎて辟易する。
加えて自然が少なすぎる。もっと緑を増やすべきだ。
人も自然の一部なのにとブツブツ呟いていると目的地が見えてきた。
「いらっしゃい!」
扉を開けると快活な声が飛んでくる。
店内は昼間だというのに酒に酔った若者の声が響いていた。
酒場なのだから当然といえば当然か。
特にうるさい集団から距離を取るようにしてカウンターに座る。
「何にする?」
「あー、適当に入れてくれ」
酒が目的ではないので店主に任せる事にする。
珍しい事ではないのか、店主はあいよと返事し、奥に引っ込む。
程なくして木のジョッキを持って戻ってきた。
「うち名物のグレゴリー酒だ。結構来るぜ?」
飲む前から濃厚な酒の匂いが漂ってくる。
ニヤニヤしている様子からして新参に飲ませるのを恒例としているのだろう。
空気からして悪意はない。
イタズラ半分、自信半分といったところか。
どうやら、味に自信があるからこそ飲ませたいらしい。
ある意味、酒場の店主としては満点な心持ちに頬が緩む。
「全部飲めたらタダにしてやるよ。だからって無理はするなよ?」
髭を蓄えた大柄の男性のウィンクは、それはそれは破壊力があった。
「へえ、そりゃ良い話を聞いた」
「お、おいーー」
軽口を叩き、ジョッキを傾けて金色の液体を一気に体内へと入れ込む。
そして、ジョッキをドンとカウンターに置く。
「美味い! いや、舐めてたよ!」
苦味から始まったと思えば、すぐに甘味が来て終わり間際には辛味まであった。
一見すると噛み合わない要素が絶妙な温度加減や喉越しと絡み合い、濃厚なのに爽やかといった感覚を残す。
師匠にも飲ませてやりたいな。
遠い地にいる酒好きの師匠はそれはそれは歓喜するだろう。
「土産にしたんだけど売ってもらえるか?」
「あ、ああ……それは構わないが、お若いの相当強いんだな。てっきり、ひっくり返るかと思ったぜ」
店主曰く、そうなった調子乗りは何人もいたとの事。
「ちゃんと自分の許容範囲ぐらい理解してるさ」
「それが出来てない奴が多いんだよ。……ほら、あそこの奴らとかな」
店主が指しているのはあのうるさい集団だろう。
音量は更に上がり、近くの客は席を立ち始めている。
「追い出さないのか?」
「出来ないんだよ。……って、お客さんは知らないか。あいつらの胸の紋章を見てみろ。あれは、王国魔法師団の物なんだ。まあ、所謂レッドウルフって奴だな。聞いた事ぐらいあるだろ?」
俺の荷物を見て旅行客と判断したのか、店主は小声で説明してくれる。
「まあ」
短く答える。
子供の頃の話とはいえ、苦々しい思い出しかなかった。
「大陸最強の魔法師団は、この国の防衛の要だ。末端とは言え、そこに所属している奴を無碍にはできんよ。国のために体を張ってくれているんだからな」
そう言って笑ってみせる。
彼らの態度からして初めての来店ではないだろう。
そもそも、彼ら以外のメンバーが同じ事をしているかもしれない。
この酒の味を考えれば多くが通っていても不思議ではない。
度量の大きい男だと尊敬の念を覚える。
「おい店主! 酒がねーぞ!」
一際声の大きい青年が叫ぶ。
ジョッキを持った手を振り回し、逆の手で机を強く叩いている。まるで駄々をこねる子供だ。
周りも注意しないのかと見るが、皆一様にゲラゲラと笑っている。
酔っているからか、それとも性根がこれなのか。
「はいよ。ちょっと待ってくれ」
「早くしろよな! あんまり遅いとうっかり焼いちまうかもな!」
「ギャハハハ! こんなボロ店一瞬に炭にしちまうって!」
「ランヴィさんの魔法は一級品だもんな!」
ランヴィ?
取り巻きの言葉に懐かしい名前を見つける。
改めて騒がしい男の顔をじっくり見る。
性格の悪さが出ている目つきの悪さ、コンプレックスらしい厚い唇、特有の太い眉……記憶にあるランヴィ・ヘルスタンその人だった。
なるほど、通りで耳障りに感じる訳だ。
「はあ、まーた暴れ始めたよ」
近くの客達が愚痴を言い始める。
「聞いたかよ。ケインさんの店、あいつに半壊させられたんだって」
「あー、娘を差し出せって言われて断ったからだろ? 胸糞悪いよなあ」
「あいつ自身は大した事ないんだろ? 誰か首根っこ掴んでくれないものかね」
「レイヴンとか真面目な奴もいるけど、そういう奴らは身を粉にして働いてるからなあ。あいつらの愚行とか目にする機会がないんだよ」
「なるほどな。報告ぐらいならヘルスタン家で止められるか」
「んだんだ、下手に逆らって罪状をでっち上げられたらたまったもんじゃないぜ」
お世辞にも褒められた性格ではなかったが、ここまで落ちるとはな。
先程まで胸にあった不快感が溶けていく。
好きの反対は無関心とはよくいったものだ。
雑音は遠のき、店内の喧騒はBGMとなり、ゆったりとした時間を過ごす。
店主に聞きたい事があるのだが、あいつらの相手がひと段落するまで話を聞けそうにもないしな。
店員に頼み、定番の酒をツマミと共に楽しんでいた時だった。
「おいこら」
怒気のこもった声に反射的に振り返る。
見るとランヴィが店主を睨みつけていた。
「なんだこの酒は……こんなちゃちい酒をこの俺様に飲めって言ってんのか?」
どうやら出された酒の度数が低い事に文句をつけているようだった。
「俺も出来れば強い酒を振る舞ってやりたいがよ。流石に飲み過ぎだ。これ以上は危ない。今日はこれでしまいにしときな」
確かにランヴィ達一味の顔は真っ赤だった。
呂律も怪しく、目も座っている。
店主の言葉はもっともだったが、ランヴィはこめかみに青筋を浮かべる。
「この俺様が酒如きに負けるわけないだろうが! 馬鹿にしているのか!?」
「馬鹿になんかしていない。ただ、体を労ってほしいだけだ」
店主の真っ直ぐな目はランヴィへは届かない。
「ふ、ふふふっ、そういって体良く追い出したいだけだろ……! やっぱりそうだ! お前も俺を馬鹿にしているんだな!」
虚な目をしたランヴィは机に片手を預けながらヨロヨロと立ち上がる。
店主は肩をかそうと手を差し出すが、
「触るな! 魔法を使えない穢らわしい人もどきが!」
ラインを越えた暴言だった。
ランヴィの取り巻きすら咄嗟に反応できず、息を呑む。
あれだけ騒がしかった店内が静まり返る。
当然の結果だが今のランヴィには火をつけるマッチにしかならない。
「お望み通り全部燃やしてやるよ!」
「や、やめろ!」
泥酔していても魔力があり、意識があれば発動してしまうのが魔法の欠点だ。
何なら制御する気がない分、火力だけみたら通常時より高い。
左手に現れた火の玉を見て店主が叫ぶがランヴィは止まらない。
他の客達が異常事態に半腰のまま硬直する。
手首を軽く捻る、それだけで火の手は一斉に広がろうだろう。
だからこそーー。
「やめとけ」
「ぐっ!?」
手首を取り、火の玉を霧散させて取り押さえる。
酔っている体では大した抵抗はできないのだろう。あっさりと組み伏せられる。
「お、お前さんは……」
酔った相手とはいえ仮にもレッドウルフの一員を素早く制圧した手口に店主は驚いた様子だ。
とはいえ、本当に末端も末端なので自慢できる話ではないが。
「お、お前、こんな事してタダで済むと思うなよ!」
「お前こそ店が燃えたらどうするつもりだったんだ」
「悪いのはそこのクソ野郎だろうが!」
ダメだ。会話にならない。
話していても頭痛がするだけだ。
手早く両手を後ろ手で縛り、取り巻き達へ突き飛ばす。
「何を黙って見てるんだ! あいつを殺せ!」
無茶苦茶な命令に取り巻き達は顔を見合わせ、困惑している。
この様子ではヘルスタン家の威光で籍だけ手に入れたのだろう。
まともに魔法を使えるかすら怪しい。
「別に良いが、俺の本気はもっと速いぞ」
暗に先の動きが見えていなかったのなら諦めろと告げる。
すると、取り巻き達は我先に逃げ出した。
その背中姿を苦々しく睨んでいたランヴィは這いつくばった姿勢のまま、こちらを睨んでくる。
「お前の顔、覚えたぞ! 絶対に殺して……殺して……」
面倒臭い事になったと舌打ちする。
激昂にかられていたランヴィは目を見開いた後、ニヤニヤとそれはもう楽しそうに下卑た笑みを浮かべる。
「おいおい、マジかよ。生きていたんだな。やー、嬉しいぜ」
親友としてよと心にもない事を口走り、ランヴィは吐き捨てる。
「また遊んでほしいのか? ラグナ君よ」
とりあえず、尻を踏んでおいた。