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【短編】焦がれた麻痺の限界値

作者: 彩川いちか
掲載日:2023/05/06

 むせかえるような夏の空気がゆらゆらと立ち込める中、真っ青な空から降り注いでいた日差しは茜色を帯び、次第に地平線へと落ちて溶けていく。


「あちぃ」

「そりゃ夏ですもの」


 うんざりするような声色で一言を吐き捨てた瞬哉(しゅんや)に対し、未来(みく)は「なにを当たり前のことを」と呆れたように言葉を返す。


 関東圏のあちこちで花火大会が催される季節となり、二人は本部の司令により会場の警備に就いていた。アルコールを添えてたこ焼きやお好み焼きなどを売りさばくテキ屋がここに並ぶということは、細々とした諍いやいざこざが発生することと同意義(イコール)だ。

 大勢の人並みでごった返すなか、二人は揃いの柄の浴衣を身にまとい、テキ屋を見回りながら()()()カップルを装って警備にあたる。コンビで動く以上、こちらの方が周囲の一般人(ミュート)に不信感を抱かれないからだ。

 彼らが所属する組織――通称「特務機関・ノア」は、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚といった五感が異常に特出した能力者(センチネル)と、能力者のチカラをコントロールする制御者(ガイド)を擁している。どちらも生物的に非常に発達した能力を宿し生まれてきているため、外交や国防等、あらゆる分野で目ざましい活躍をみせていた。

 しかし、センチネル能力を持つ人間はそのチカラを使いすぎてしまい暴走(ゾーニング)させてしまうことが多い。それを防ぐにはガイド能力を持つ人間をそばに付けておく必要がある。特務機関・ノアは彼らの能力を活かし治安を守る手助けを行っていると同時に、センチネル/ガイドの能力訓練やマッチングを行う機関でもあるのだ。

 瞬哉は高校1年の秋に、未来は高校へ進学するタイミングで覚醒(プレゼニング)した。センチネル・ガイドともに、プレゼニングした後は能力の使い方を指南し彼らの手助けをする機関であるノアへ所属することが一般的だ。二人もそれに違わず、青年期に生家を出てノアの訓練施設へと入所した。そしてセンチネルとガイドには相性があり、入所したばかりの未来の能力は、先んじてプレゼニングし入所していた二歳年上の瞬哉と相性が抜群と認定された。それ故に、二人はコンビを組む運びとなった――の、だが。


「相変わらずてめぇは癪に障る言い方するなぁ、おい」

「当たり前の事実を当たり前にお伝えしているだけですが?」

「……あーあー、わーってるよ。仕事中に愚痴んなってことだろ、くそが」


 瞬哉の隣を寄り添うように歩く未来は、その行動とは裏腹に彼の愚痴すら受け付ける気は微塵も無いようだ。つんとした未来の言い草に瞬哉は投げやりに言葉を放ち、視線を広場へ戻した。

 コンビを組んでから十年が過ぎたことや、瞬哉のチカラが暴走しかかるたびに未来がガイド能力を使い瞬哉の深層意識まで声をかけるガイディングを幾度も行ってきたことも相まって、互いに深い信頼関係を築いてはいる。

 彼らの能力の相性は抜群でも、性格の相性は全くよろしくなかった。しかしながら、単に「よろしくなかった」という一言には語弊がある。なぜなら――


(くっそ。どうやって俺を意識させたらいーんだよ……)


 入所したばかりの未来と相性テストをした時、瞬哉は何も思わなかった。ノアに入所した直後の瞬哉は数名のガイドとコンビを組み、訓練を重ねていた。しかしながらどの人物とも相性が悪く、訓練後に昂った精神を落ち着かせるために施されるガイディングが苦痛でしかなかった。

 能力者は世界人口の十%に満たない。その内訳はセンチネル六:ガイド四という割合。相性のよいガイドに巡り合える可能性は低く、未来のことも新たな仕事相手としか思っていなかった。

 だからこそ瞬哉は驚いた。未来と初めて訓練をともにしたとき、瞬哉はこれまで組んだガイドたちと違う感触を得たことに。自分の精神に触れさせる瞬間の温かく柔らかな手触りは、どうせまた苦痛なガイディングなのだろうとささくれ立っていた瞬哉の心を解きほぐしていった。

 料理を食べることや街を歩くこと。普通の人間であれば簡単なことだ。けれど五感の全てが異常発達したセンチネルである瞬哉にとっては、些細な日常生活を送ることさえひどく難しいことだった。そこら中に売ってある食品は通常の味付けでも濃く感じてしまう。雑踏を歩けば大勢の人間の体臭と衣服についた洗剤の香りや香水の匂い、そして人々の話し声の全てが瞬哉に波となって押し寄せる。鋭敏な嗅覚や味覚に合った専用の食品や、高い聴力を補正する機器なども開発されているが、瞬哉のそばに未来が寄り添ってくれさえすれば、瞬哉はそれらに頼らずとも全ての感覚が自然と和らいだ。

 コンビを組んだセンチネルとガイドはその性質上、仕事もプライベートもそばで過ごす時間が増える。覚醒したセンチネルはガイドがそばにいない生活を送るということは、能力を暴走させてしまう危険性が高まることを意味するからだ。

 瞬哉と未来は、訓練上ではなにかにつけ心地よいほど息が合った。それはこうして国民の安全を守る警視庁や自治体からの要請で任務を請け負う、ノアの正規所員となってからも同じだ。

 瞬哉は長らく焦っていた。彼は未来が自分に向ける態度で、彼女は自分のことを異性として認識していないと考えていたためだ。ガイドがいなければ生きていけないセンチネル。対して、センチネルがいなくても生きていけるガイド。ビジネスライクな関係を望んでいるガイドは圧倒的に多い。

 瞬哉が未来へ向ける感情の正体。それを瞬哉自身が理解したのは、コンビを組んでしばらくが経ってからのこと――未来が十八歳を迎え、ノアの正規メンバーとして正式に任務に就くことが出来る年齢を迎えた、彼女の誕生日のことだった。


 ◆


「お前、そりゃ『恋』だわ」

「……あ゛?」


 龍騎(りゅうき)(れん)コンビが住まう部屋。そこのリビングテーブルを挟み、龍騎は飲み終えたビールの缶をカラカラと揺らした。そんな彼は端正な顔付きに似つかわしくない、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ瞬哉の訝し気な表情を見遣っている。


「ミクに『恋してる』んだわ、シュンはさ」

「……なんでそーゆー結論になんだよ」


 未来が正式にノアのメンバーとして認められた日。辞令交付式のため、瞬哉と未来は二人揃って本部へと呼び出された。未来に辞令とバッジが本部長から手渡された瞬間――嬉しそうに微笑む彼女の横顔から、瞬哉は目が離せなかった。

 コンビを組むこととなって早三年。瞬哉(センチネル)未来(ガイド)が付き添っていなければ日常生活を送ることもままならない。故に、ノアでは希望すればコンビを組む同士で生活をともにすることも可能だった。瞬哉と未来も生家を出た者同士、ルームシェア感覚で書類にサインをした。

 普段から寡黙で、何を考えているのかわからない未来が一瞬だけ見せた、柔らかな表情。辞令交付式のあの瞬間、瞬哉は人生で初めて、胸の奥が締め付けられる感覚に襲われたのだ。


「同じ部屋にいたらよ、気が付けばミクに目が行くんだろ?」

「……」

「今日みてぇにミクが受付所のシフトに入ってっとき、ふとした瞬間にアイツどうしてんだろって気持ちになる。違うか?」

「……」


 瞬哉は龍騎の問いかけに言葉を返せなかった。否定できる要素がひとつもなかったからだ。

 ノアのメンバーは、治安を守るという任務だけが仕事ではない。ノアへ依頼された任務を適任なコンビに斡旋し、任務が終わればその報告書を受理し上層部へ上げる受付所の業務も仕事のひとつ。これはノアに所属するメンバー全員で順繰りに回していくことになっており、未来が不在の時の瞬哉は手持ち無沙汰となるため、以前己のガイドを務めてくれていた龍騎の部屋に入り浸っていた。


「シュンの話を総合すれば、ミクの一挙手一投足が気になる。辞令の時のミクの表情が忘れられない。そういうことだろ? 意外と可愛いところもあるな、シュン」


 コトリと小さな音を立て、つまみをテーブルに差し出した蓮がへらりと笑った。彼は瞬哉と同じくセンチネル。瞬哉の鋭敏な味覚に合った薄味のつまみを差し出した蓮の表情に、瞬哉はふたたび顔を顰めた。

 先日の辞令交付の時に感じた感覚が、もしかしたらセンチネル特有の何かの病かもしれないと不安を感じて信頼できる先輩コンビに相談に来たというのに、弾き出された結論が『ミクに恋している』というなんとも間抜けな結果に瞬哉は目眩を覚えた。


「……俺はセンチネルで、ミクはガイドだ。センチネルはガイドがいないと生きていけねぇ。だから俺はミクに依存してるだけで」

「じゃぁこうしよう。シュンはリュウとそこまで相性が悪いわけじゃぁない。相性がいいミクが現れたからリュウがお前のガイドとしてお役御免になっただけだろ。なら……俺がリュウとコンビ解消してミクと組みたいつったら、シュンは受け入れられるか?」

「ッ!」


 テーブルを挟んだ向こう側。龍騎の隣に座る蓮の言葉に、瞬哉は息を止める。龍騎の席に、蓮のそばに未来がいたとしたら。そこであの日のようにやわらかく微笑む未来がいたとしたら――その光景を想像するだけで、黒くざらりとした感覚が落ちてきた。瞬哉はもう、自覚するしかなかったのだ。


 ◆


 瞬哉と未来はなまじ三年もシェアメイトをしてきた。たかが三年、されど三年。自分の恋心を自覚したところで、不器用な瞬哉は未来に対し、つっけんどんな態度を加速させるしかできなかった。

 瞬哉と同じく年齢を重ね、二十七歳となった未来。彼女もいつかは好意を向けるオトコが出来るだろう。だからこそ、花火大会の任務に就いた瞬哉はひどく焦っていたのだ。

 普段はざっくりと後頭部でひとまとめにされている未来の黒髪は、彼女が左耳につけているインカムを覆い隠すような形で綺麗にセットアップしてあった。恋人同士を装うならとノアのメンバーが施してくれたらしい。細く白いうなじに散らしてある、ゆるやかな後れ毛。紫色の生地に白い絞りが水面を模し、そこに青い小花が散っているその浴衣。『大人の女性』を全面に出し、美しく成長した未来をよく引き立てている。

 先ほどからちらちらと自分たちに――いや、正確には未来に向けられている視線。その視線を、センチネルである瞬哉が感じ取れないはずはなかった。五感の全てが発達しているのだ。視力もさることながら、物理的な視野の広さも通常の人間(ミュート)の比ではない。未来に向けられた視線は間を置いて未来の隣を歩く瞬哉に移され、嫉妬とも恨みとも諦めともつかない視線へと変わる。

 未来がここまで他人の目を引く人間だと、瞬哉は思ってもみなかった。このまま手をこまねいていては、未来を誰かに奪われてしまうかもしれない。瞬哉が抱いていた長年の焦りは、一瞬にして危機感へと変貌を遂げた。


「もうすぐ花火大会の時間ですね」

「……だな」


 未来が広場の中央の時計にちらりと視線を向け、ぽつりと言葉を落とした。すると次の瞬間、未来が左耳につけていたインカムがブツリと音を立てる。


『ミク。広場に観客が集まりゃテキ屋の方に客が薄くなる。それを狙うスリもいるかもしれねぇし、お前らはそっちを回ってくれ。広場は俺とレンで見る』

「了解」


 同じ警備の任務に当たっている龍騎からの指示。周囲の観客に気取られぬよう、未来は浴衣の下に隠した胸元のマイクをそっと起動させ小さく返答した。そのまま未来は胸元に手をあて、小さく深呼吸をこぼす。

 この任務が始まってからの未来は、胸の鼓動をおさえることに必死だった。瞬哉はセンチネルで、聴力すらも鋭い。普段と違う鼓動、呼吸の速度。それに勘づかれまいと、未来は必死に平静を装っていた。

 瞬哉に出会った瞬間――未来は、彼に一目惚れしたのだ。彼女はもう、十年近く瞬哉に恋慕を抱いている。


 ◇


「ハルカーー! ミク、確保~!!」

「やだっ、先輩離してっ……!」

「あ、センリ! ナイスナイス~~! こっちこっち!」


 未来が夫婦コンビである遥香(はるか)千里(せんり)に捕獲され、ズルズルと彼らの部屋に引きずられて来たのは、この任務のつい半日前の今朝の話だ。じたばたと腕の中でもがく未来を後ろ手に難なく拘束する千里は未来と同じくガイドなのだが、二十二歳を迎えるまで覚醒(プレゼニング)することが出来ずにいた未覚醒者(レイタント)と呼ばれる区分の男性だった。プレゼニングの時期は個人差があるが、大抵は思春期にそれを迎えることが多い。しかし、千里は何故か適正な時期に覚醒できず、八年前のとある事件をきっかけに覚醒した。その後、ノアに保護され遥香というセンチネルに出会いコンビを組み、仕事の枠を越え戸籍上でも遥香と婚姻関係を結んだ未来の先輩コンビでもある。


「あのな、本当にじれったいんだよミクは。お前の気持ちに気付いてないの、ノアではシュンだけだから」

「ちがッ、絶対違いますっ! 先輩は私の訓練に付き合ってくれてたからわかっただけでしょうっ!? ハルカさんだって先輩から聞いたから知ってるだけでっ」


 ガイドはガイド同士、センチネルが暴走した(万が一の)時のため、相手の深層意識まで声をかける訓練を行っている。千里は未来の訓練にたびたび付き合っており、その過程で未来が瞬哉へ向ける慕情の確信を掴んだのだ。


「何言ってるの? 去年の訓練でセンリが視てくれるより前から私は気付いてたわよ? っていうか、ミクがあんなに視線でシュンを追ってるくせにシュンが一切気付いてないのがムカツクのよ。あの唐変木、一発殴ってやりたい」


 千里の指摘に焦ったように弁明する未来だったが、遥香が憮然として未来の主張を一蹴したことで未来は初めて己の言動を自覚した。自分はそんなに、瞬哉を見ていただろうか。普段の自分の態度を思い返し、己の恋心を取り繕えていなかった事実にずんと落ち込んだ。

 瞬哉は両親に名付けられた名前の通り瞬間的な判断力に長けており、高難易度の任務を請け負うことが多い。難しい任務も難なくこなし、時には身体を張って同じ任務に携わる他のコンビの危機を救うこともある。芸能人かと見紛うほどの精悍な顔立ちにスラリとした立ち姿。モテないはずがない。

 特務機関・ノアは国家が運営する組織であり、任務を遂行する能力者たちの他に、業務を円滑に回すための庶務などを担う国家公務員で構成されている。ノアに配属された女性職員は、みな一様に瞬哉に恋に落ちてしまう確率が高い。かく言う未来も瞬哉に一目惚れした側の人間だ。だから、瞬哉に想いを寄せている女性たちの気持ちは痛いほどわかる。

 端正な風貌をしているくせに、普段の口調はめっぽう悪く、辛辣ともいえる。だというのに、妙に情に厚く自分自身の負傷を差し置いて仲間の安否をもっとも気遣う。瞬哉のそばにいる時間が長い未来は、官公庁からノアへと派遣されてきた職員らがこぞって瞬哉に想いを告げけんもほろろな態度を向けられる姿を頻繁に目にしている。未来も瞬哉からつっけんどんな応対をされているとはいえ、コンビで仕事に取り組んでいる以上、この関係が壊れてしまったらと思うと行動に移せなくなってしまった。

 それでも、今の状況で瞬哉に最も近しい人間が自分なのだ、と思うと、未来はそれだけで良いとさえ思っていた。この関係を壊したくないという想いから、同じ部屋で過ごしているときも――瞬哉が風呂上がり等の時は特に――顔が赤くならないように、あからさまな態度を取らないよう努めて冷静な態度を心がけてきた。……だというのに。


「……ほかに、気付いていらっしゃるかた……」

「だから、さっきセンリが言ったでしょ? シュン以外のほぼ全員がミクの気持ちに気付いてるって」


 千里の腕の中でさぁっと顔を青くした未来の様子を見遣った遥香は、呆れたように眉を顰めた。

 瞬哉が自身のガイドである未来を想い、反対に未来も瞬哉に想いを寄せているということはノアに所属する能力者たちの間ではもう何年も前から有名な話。それらに気が付いていないのは当人同士だけなのだ。互いに相手が自分を異性と思ってないと考えており、その結果二人とも『相手に自分の感情(恋慕)を気取られてはいけない』という結論に達し、棘のある態度を向けあっていることは明白だった。


「こういうお祭りで相手に異性(オンナ)として認識してもらう、なんてのは恋愛駆け引きの常套手段でしょう? せっかくの機会なんだから、任務にかこつけてシュンにアピールしてくればいいのよ」


 むすっと顔を顰めたまま、遥香は手に持ったふたつの浴衣を未来の肩に当て、どちらの方が未来に似合うかを見比べながら淡々と言葉を紡ぐ。

 端から見てだだもれな感情を土台に一進一退の関係を何年も見せられている周囲はじれったくてたまったものではない。この機会(任務)を足掛かりに二人を正式にくっつけたい、という同僚たちの総意のもと、龍騎・蓮コンビは瞬哉を、千里・遥香コンビは未来を今日の任務前に確保した……という運びだ。

 思ってもいなかった事実を知った未来はただただ途方に暮れる。未来自身も愛想のない態度を瞬哉へ向けているからか、任務以外のプライベートな時間でもほとんど会話らしい会話も出来ずにいる。それなのに、急に自分を異性として意識させるような装いをして、自分は平静でいられるだろうか。

 ――果たして、その考えはふたつの意味で的中したのである。


 ◇


 普段とは違う自らの大人びた装いに猛烈な羞恥心を感じながらも、未来は隣を歩く瞬哉の研ぎ澄まされた抜き身の刃とも表現出来るような二枚目な姿に動揺を隠しきれずにいた。


(……かっこ、いい)


 瞬哉は黒地に薄墨で描かれた無数の大きな金魚が目を引く浴衣をさらりと着こなしている。動きやすいから、と、ラフなスエットを好んで身に纏っている普段とは全く違う、モダンでハイカラな装いの瞬哉の姿。瞬哉の涼し気で切れ長な目元が周辺を警戒するように向けられ、それでも時折みせる無防備な姿には強烈な色気が纏わりついている。必死におさえてはいるが、それでも未来の心臓はこの任務の開始直後から全力疾走を続けていた。


(ううん……集中、しなきゃ)


 この任務は龍騎・蓮コンビと、瞬哉・未来コンビの4人チームで請け負っており、龍騎がチームリーダーだ。彼から飛ばされた指示に従い、瞬哉と未来は花火会場である広場を離れ先ほど通り過ぎたテキ屋の並びへと足を向けた。龍騎が口にした通り、数十分前よりも人出が捌けているように思える。


「……りんごあめ、買っていいですか」

「あ?」


 未来の小さな問いかけに、瞬哉は一瞬不愉快そうに眉を顰めた。そんな彼の様子に、未来は自分には一欠けらの可能性すらないのだと実感し心がずきんと収縮するのを感じたが、それらも悟られないよう何気ない所作で手に下げた小ぶりな巾着から小銭入れを取り出した。


「お祭りを楽しんでいる、という雰囲気を出さないと、逆に不審に思われますよ」


 未来は瞬哉と違い、視覚や聴力が良いわけではない。それでも、ノアの一員として自分でも出来る範囲でスリや痴漢といった良からぬことを働く輩がいないか、自らもテキ屋で買い物をしたりすることで周囲に目を光らせようとしていた。

 瞬哉は納得したような、納得しきれないような表情を浮かべ、口元をへの字に曲げた。そのまま、りんごあめを売るテキ屋に並ぶ未来の隣に仏頂面で立つ。やがて未来がりんごあめを購入する順番となった――その、刹那。


「お前」


 瞬哉が、未来の後ろを通り過ぎようとしたひとりの男性の腕を掴んだ。


「スリだな」


 瞬哉は斬りつけるようなドスの効いた声色で直球の言葉を投げつけ、すい、と捕らえた男との距離を詰める。瞬哉に腕を掴まれたままの男はどこにでもいそうな風貌の、いたって普通の男性。グレー地の小粋な浴衣を身に纏い、周辺の人たち同様にお祭りを楽しんでいるように見える。……しかし、瞬哉から向けられた言葉に明らかに狼狽えたような表情を浮かべていた。


「なに言ってやがる、そんなこと俺はやってねぇ!」

「センチネルの耳を誤魔化せると思うなよ。お前の袂から尋常じゃねぇ量の小銭の音がする。スッた財布をそこに入れてんだろ」

「おまっ……ノアの!? くっ、そ!」


 放たれた言葉を理解し、一瞬にして青ざめた男に向かって瞬哉は不敵に笑みを浮かべた。センチネルである瞬哉は五感の全てが一般人(ミュート)よりも優れているのだ。小銭が擦れる僅かな音さえ聞き逃さない。いくらテキ屋で飲食をするための小銭が重宝される時節であったとて、その音に瞬哉は違和感を抱かずにはいられなかった。

 ギリギリと音がするほどに瞬哉は掴んだ男の腕を握り締めている。男が上げた怒声に周辺を行き交う人々が騒ぎに気付きはじめたのか、瞬哉と男の周りを取り囲むような人の山がそう時を経ることなく完成した。緊急事態にざぁっと顔色を変えた未来はその場からそろりと一歩下がり、瞬哉が捕らえている男に気が付かれぬよう胸元を押えマイクを起動させる。


「スリ確保中。Eブロック付近。援護願います」


 騒めく人ごみの中で未来が小声で発した要請に、彼女がつけた左耳のインカムからは担当警察官の応答が飛んだ。このインカムはノアのチームだけでなく、雑踏警備に当たっている警察官らとも繋がっている。ノアに託された任務は犯罪の芽を見つけ、逮捕権・捜査権を持つ警察組織への橋渡しをすることだ。

 瞬哉は何気なく男の腕を掴んでいるようにみえるが、いつの間にやら相手の身体を引き込み男の体勢を崩し、手首の腱や靭帯を痛め脱臼を起こさせる『小手回し』の態勢を整えていた。ノアに所属する能力者たちは、能力を制御するための訓練時に、こうした一朝有事の際に活用できる体術等も問答無用で叩きこまれる。このため、今朝がたの千里は浴衣を着せられまいと逃げ惑う未来を捕獲出来たと言っても過言ではない。

 男を捕らえている間に出来た野次馬の人だかり。りんごあめを買おうとしていた未来の後ろには、幼い子ども連れの家族が並んでいた。案の定、怯えたように母親に縋る子どもの姿を視界に捉え、未来は彼らにも気付かれぬよう背中に庇った。


「クッソ、このやろ離せっ」

「ッ、大人しく捕まっとけっつんだ、バカ!」


 関節の動きを封じられ、それでもなおも瞬哉の腕を振り払おうと暴れる男。顔を顰めた瞬哉は乱雑に足払いをかけ、男を引き倒した。足元に敷き詰められた砂利がざらりと激しい音を立て、技をかけた際に瞬哉の足先から飛んで行った下駄が重力に従いカランと乾いた音を響かせた。


「てめぇっ……往生際がわりぃっ、んだよっ……!」


 瞬哉は地面に押し倒した男の背中に膝を当てのしかかる。そのまま男の腕を後ろ手に捻りあげた。体術を会得している人間とそうでない人間。その結果は言うまでもない。這いつくばらされた男の頬に砂利が刺さる。男は、上半身に感じる重みと砂利が刺さる鋭利な痛みに苦悶の表情を浮かべ「ぐっ」と短くうめき声を上げた。


「警察です、道を開けてください!」


 喧噪の奥から凛とした声が響く。人の山を掻き分けてくる水色の開襟シャツの人物を認識し、瞬哉はほぅと息を吐いた。桜の代紋がテキ屋の照明を反射し、きらりと光を放つ。

 駆け付けた警察官によって身体検査をされた男は、なんと自分で縫い繕った『袂落とし』を首からひっさげて犯行に及んでいたらしい。袂落としとは、忘れ物防止やスリの被害から逃れるために外出の際に襦袢の中に仕込んでおくもの。袂に直接モノを入れると袖が膨らみ不自然な格好となるが、袂落としを使うことで手ぶらでスマートに行動できる。それを逆手に取った犯行だったようだ。見た目にはわかりづらい犯行、瞬哉のセンチネル能力がなければ見破れなかった可能性が高い。

 瞬哉は今回の功績を労う警察官とぽつぽつと言葉を交わす。詳しい顛末は任務後の報告書にてと告げた瞬哉はそのまま後処理を警察に引継ぎ、引き続き任務を続行するためその場から離れる。その様子を一歩下がった場所から見つめていた未来は、乱闘の拍子に飛んでいった瞬哉の下駄をそっと拾い上げ、一仕事終えたと言わんばかりに首を鳴らす瞬哉へと差し出した。


「お疲れさまでした」

「……おう」


 仏頂面のままそれを受け取った瞬哉は、未来から手渡された下駄を砂利の上に落として荒っぽく履いた。そして、行き場をなくした未来の手をぱしりと握り、強引にその場から歩き出す。急に引っ張られた未来は、つんのめるようにして瞬哉の背中を追った。


「……あの、」

「気が立ってる」

「…………はい」


 強引に繋がれた右手。戸惑うように投げかけた未来の言葉を、瞬哉は能力と体力を使った後だから昂っているのだ、と、一言で切り捨てた。ガイドである未来がそばにいれさえすればおさまるのだから、黙ってついてこい。そんな言葉しか吐けない自分を呪いながら瞬哉はまたひとつため息を落とす。


「……お前。もっと自覚を持て」

「はい?」


 瞬哉から投げかけられた全く脈絡のない言葉に、未来は困惑しながら斜め前を歩く瞬哉を見上げた。その視線を感じた瞬哉は返答に詰まり、呼吸を一瞬止める。

 未来(ガイド)がいなければ生きていけない瞬哉(センチネル)。任務に出るたび、瞬哉はもし未来が誰かに傷つけられてしまったらと思わない瞬間はない。先ほどの男を捕らえ、抵抗された時もそうだった。

 あの男には未来と寄り添っている場面を確実に見られていた。もし瞬哉があの犯人を確保し損ねた場合、あの男の矛先が未来に向かっていた可能性も捨てきれない。

 センチネルにとってはガイドの存在は砦だ。彼女がいなければ、瞬哉は能力を制御できない。もし能力を暴走させてしまったなら、そしてその時に彼女がそばにいなかったなら。瞬哉はひたひたと迫る死の感覚に怯えながら、孤独に永遠の闇間へと身を委ねるしかない。――それ以前に。


(マジで気付いてねぇのか、コイツ……)


 喉元まで出かかった「冗談はその色っぽい恰好だけにしてくれ」という言葉を瞬哉は必死に飲み込んだ。瞬哉が未来の手を引きながら背後をちらりと見遣れば、恨めしそうにこちらを睨めつける二人組の男と視線がかち合った。駆け付けた警察官へ申し送りをする瞬哉を待っていた未来を、騒ぎに紛れナンパしようとしていた不届きな輩だ。対する未来は、自分がナンパされる寸前だったことに全く気が付いていないようだ。申し送りまでが瞬哉の仕事とはいえ、浴衣姿で鮮烈な色気を放つ未来を一瞬でもひとりにすべきでなかった。瞬哉は胸に去来する後悔にふたたび小さく舌打ちを零す。

 だが、十年という歳月をともに過ごした未来に、どう言葉をかけて良いのかも瞬哉はわからずにいた。恋心を抱いていたとて、突き放したような応対を重ねてきた。否、それ以外の接し方を、瞬哉は知らない。


「やっぱ浴衣は動きづれぇわ。次にまたこーゆー任務があるときは洋服な」

「……わかりました」


 それでも未来にとっては、今この瞬間、ときめきを感じざるを得ない状況だった。人差し指から小指までを纏めて瞬哉に握られているだけで、恋人繋ぎ、とはほど遠い。瞬哉のチカラが暴走しかかるたびに未来がガイド能力を使い瞬哉の深層意識まで声をかけるガイディングは、こうして彼の身体に未来が触れることで行うもの。ガイディング以外のタイミングで瞬哉に触れる機会などほぼない。その上、カップルを装うためにお互いに浴衣を着ており、今朝がた千里や遥香から暴露された件もある。いつも以上に瞬哉を意識しないわけがない。

 未来は何とも言えない未練がましさを抱えながら瞬哉の横顔をちらりと盗み見た。テキ屋の丸い明かりに照らされたその横顔からは、何を考えているのか未来に読み取ることは出来なかった。


 この日は結局、スリや迷子、痴漢・かどわかし未遂、テキ屋同士のトラブル等で瞬哉と未来は会場内を東奔西走した。任務終了を迎えるころには二人ともへとへとの状態。重い身体を引きずりながらノアに戻り報告書を書き上げ、敷地内の別棟にある二人の部屋へと引き上げた。


 リビングに入った未来がエアコンのリモコンを操作し冷房を入れる。その後ろでどっかりとソファに座り込んだ瞬哉がテレビの電源を点けた。


「ミク。風呂、先行け」

「えっ……いいんですか?」


 瞬哉からかけられた思いもよらない一言に、未来は目を瞠った。瞬哉は嗅覚も鋭いため、未来が先に風呂に入ることを好まない。未来が使用したシャンプーや化粧水の香りが浴室内や洗面所に残り、具合を悪くすることがあるからだ。そのため、普段は瞬哉が先に入浴することが多い。どうしたのだろうと未来は小首を傾げる。


「いいから先に行け」


 テレビから視線を外さず、瞬哉は冷淡な態度を取り続けた。その様子に、瞬哉は見たい番組があるから自分に先に行けといったのだろうと未来は解釈した。


「ではお先に」


 未来は小さく言葉を残しそっとリビングから抜け出していく。視界から紫色が完全に消えたことを確認した瞬哉は肺が丸ごと出ていきそうなほどのため息を吐きだし、蓮に軽くワックスをつけられゆるくセットされた黒髪を大きく掻きむしった。


(くっそ……なんだありゃ。ヤバすぎる)


 浴衣は動きが制限される。和装ならではのしなやかな未来の所作、そして時折無防備に晒される白い肌。任務後半は特に、汗ばんだ髪がうなじや顔の輪郭に貼りつき、未来の艶やかさに拍車をかけていた。


「は~~~~……」


 そのまま瞬哉は天を仰いだ。未来のあんな姿を今後も任務の際に見せられては仕事にならない。それ故に、動き辛いから和装は止めだと思ってもみないことを口にした。いつも通り自分が先に風呂に入り上がってきた時にも浴衣姿の未来が目の前にあってはたまったものではない。

 能力者(センチネル)であるとはいえ、瞬哉も一介の健康な男子。好いた女と一つ屋根の下で過ごす日々に劣情が募らないはずもない。だからこそ、彼女を先に浴室へと送り込んだのだ。


「…………何やってンだろな、俺」


 齢三十になろうかという男が、たった一人の女に十年も想いを拗らせている。麻痺した感情の限界値がそこにあるようだ。

 未来に向かっては悪態しかつけない自分。こみ上げてくる虚しさとともに、瞬哉はそっと瞳を閉じた。

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