第3話 エンターテインメントな本屋
夏樹に急いで帰らなくても良いと念を押してから、洋食屋をあとにする。
夏樹はいつでも夕飯の準備を気にするからだ。
「今日は心ゆくまで親父さんに伝授してもらいなよ」
「はい!」
「夕飯もどこかで済ませるかもしれないしね」
「は、はい」
シュウの言葉には、夏樹はどうにも納得していないようだ。由利香曰く、「夏樹は料理命!」なので仕方がないかと思いつつ、冬里と2人で元来た道を駅へと向かう。
「で、シュウはこのあとどうするの?」
聞いてきた冬里に少し考えてから答える。
「せっかくだから、もう一つの本屋にも行ってみようかな」
「万寿堂?」
「ああ」
「ふうん」
そのあとはたわいのない話をしながら、本屋が見えるあたりまでやってきた。
冬里はどうするのかなと思いつつ、駅へ続く道なので2人は自然と本屋の入り口前にたどり着く。
「あ」
出入り口の前に掲げられた、「本日の催し・フェア」を見た冬里が言う。
「なに?」
「ハロウィン・ホラー特集だって。へえ、面白そうだから眺めて帰ろうかな」
指さしている看板には、ホラーと言うにはあまりにもかわいらしいジャックオーランタンが描かれている。
「そうだね。あとは……」
と言うシュウが他の催しに目をやると、さすがに日曜日だけあって、子ども向けの催しが多い。子どもが苦手な冬里は絶対に避けて通るものばかりだ。
「お子様向けが多いね。だったら私もとりあえず、ホラー特集を見に行ってみようかな」
シュウはホラーはあまり好みではないが、フェアが最上階の6階で行われているようなので、興味がなければスルーして順に降りてくれば良いかと、2人はエレベーターで一気に6階まで上がった。
ホラーと言っても内容は千差万別。
薄気味悪い描写のホラーもあれば、謎解きと恐怖を絡めたミステリーホラー、心理的な恐怖を描いたサイコホラーなどもある。フェアと言うだけあって、なかなか力の入ったレイアウトだったが、やはりシュウが目を引かれる作品はないようだ。
ただ、冬里が興味深そうに足を緩めていたので、声をかけた。
「私は違うコーナーへ行くよ」
「やっぱり怖~いのは、だめ?」
冬里が面白そうに聞いてくるので、苦笑して言う。
「そう言う訳じゃないけど。冬里は気に入ったようだね」
「うん、ちょっと眺めて帰るよ。じゃあ僕たちもここでお別れ、かな」
いたずらっぽくそんな風に言う冬里に、また苦笑いを返してシュウはその場をあとにした。
5階へ降りてみると、そこと4階は専門書の階らしい。特に何を見るわけでもないが、たまたま見つけた武道書のコーナーには興味を引かれて、長いことそこにとどまっていた。
4階は専門書と言っても、美術や音楽に関するものが多い。今日は、エスカレーターを降りて少し向こうに広がる広場のようなところで演奏会があるらしい。ステージとおぼしきところに置かれているのはピアノが1台と楽譜立てがいくつか。
そろそろ始まるのか、パイプ椅子はもう満席で、立ち見もかなり盛況だ。
たまにはこういうのも良いかと、立ち見の目立たない場所へと移動した。するとスタッフだろうか、「どうぞ」と、プログラムが載っているパンフレットを渡してくれた。
どうやらピアノ、バイオリン、フルートの共演らしい。
映画音楽やアニメ音楽のメドレーを何曲か演奏するようだ。
しばらくすると、後ろの通路から3人のレディが登場して、定位置へとスタンバイした。会場が拍手に包まれて、それがやむと少しの静寂。
やがて、現代人なら誰でも1度は聞いたことのあるメロディが、アンサンブルで美しく演奏されていった。
最後の曲が演奏されたあと、軽いアンコール曲があって演奏会は終了した。
生演奏など久しく聞いていなかったが、やはりライブは良いものだと思いながら下りのエスカレーターへと向かう。
3階は児童書、2階が文庫と新書。
児童書はさすがにスルーしようかと思ったが、エスカレーターからあたりを見ると、自分と同い年〈30代前後に見える〉の男性が結構いるのだ。
不思議に思っていると、「パパ!」と、後ろから声がして、どしんと足にぶつかられる。
振り向くと3歳前後の子どもがシュウの顔を見上げて首をかしげている。
「あれ? パパじゃない」
「パパはこっち! すみません」
慌てて父親とおぼしき男性がやってきて、謝りつつ子どもを抱っこして連れて行く。
なるほど。
シュウの見た目はどうやら幼児の父親の年齢らしい。
納得しつつ、苦笑しつつ、やはりここはスルーしようと2階へ降りていった。
チラリと見えたこの階の催しは、バルーンアートのようだった。
2階へ降りていくと、6階とはまた違うフェアが開催されているようだ。
横長の棚が設置され、それが3つにカテゴリーされている。
1つめはSF・ミステリーがディスプレイされた棚。
2つめは日本らしく、江戸時代あたりの時代小説が置かれた棚。
最後はファンタジー小説やライトノベルと呼ばれる小説。
それだけかと思いきや。
後ろへ回ると、明治大正の文豪から現代に至るまでの純文学が見やすく綺麗に並べられている。
さてどうしようかと迷って、時代小説の棚に移動する。
いくつかあらすじを眺めてみて、小料理屋を舞台にした時代ミステリーと言うのが気になった。舞台が小料理屋というのがどうにも職業病のようで、夏樹のことを言えないなと思っていると、後ろからひょいと本を持って行かれる。
「ふうん、時代小説ねえ。江戸後期って、リアルで知ってるのにわざわざ小説? ご苦労なことです」
冬里がそこにいた。シュウから取り上げた小説を見て、感想を述べてくれる。
「ファンタジーだと思って読めば良いのでは? どちらにしても小説というものはリアルには存在しないことを書くのだからね」
「そうかな? でも、小料理屋が舞台って、シュウもやっぱりそこから離れられないね」
「申し訳ありません。夏樹のことを言えないなと思ったばかりだよ」
「まあ、時代考証がどこまで本物に近いか、比べながら読むのも一興、だよね」
面白そうに言う冬里に、反対に質問してみる。
「ところで冬里は何か良い本はあったの」
すると、万寿堂のブックカバーが掛けられたハードカバーサイズの本を出して見せてくれる。
「ホラーにおける心理学を書いた本。小説より面白そうだったからね。人は何故恐怖に震え上がるのか、とか」
そんな説明をする冬里に、シュウはなんとも言えない表情で言う。
「冬里はホラーについてそれ以上勉強しなくても良いと思うけど」
「ん? なんで?」
やはり本人は全然自覚がないようだ。
「いや、なんでもないよ。とりあえず、支払いに行ってくるよ」
と、シュウはレジへと向かうのだった。
1階は雑誌や話題の本が置かれている。
ここも軽く見て回ると、2人は本屋をあとにした。
「さあーて、いっぱい歩き回ったから喉が渇いたんだけど。シュウはどう?」
ニッコリ微笑んで聞いてくる冬里に提案する。
「そうだね。……だったらあまり期待はしないで、あの店へ行ってみようと思うんだけど」
「ああ、あの店?」
そう言いながら、クルクルと人差し指を回していた冬里が、ぴたりと指を止めて言う。
「いいねえ、運試し」
「冬里が一緒だから、確率が高いと思ってね」
「なにそれ? 僕は悪運が強いって?」
それには答えず、苦笑しながら「行こうか」と冬里を促すシュウだった。




