第1話 大きな本屋で本を選ぶ
月に1度、毎月第三日曜日が、だいたいシュウのお稽古日だ。
お稽古とは、言わずと知れた「太陽月光流」の剣術稽古の事だ。
どうせ習いに行くなら、月に2度、隔週が適当だろうかと思ったが、いかんせん、『はるぶすと』のオーナーは絶大な力を持っている上に気まぐれだ。いつ何時、「今度はここへ行きましょうよ!」と、その権力を持ち出してくるか想像がつかない。
日曜日は貴重な定休日だが、オーナーの気まぐれに付き合うためには、予定はなるべく空けて置いた方が無難だろう。
と言うわけで、泣く泣く? シュウは稽古を月に1度と決めたのだった。
「それじゃあ、行ってくるよ」
シュウは稽古の時、着替えも木刀もその都度道場で借り受けることにしている。さすがは高層ビルに道場を構えるだけあって、そのあたりは最新式のシステムが整っている。身軽に気軽に稽古に通ってもらえるようオーナーが取り入れたという話だ。
もちろん、自分で揃えて持って来るのもありだ。その辺は1人1人の考えや趣味の違いと言うことだろう。
シュウはなるべく荷物を持たずに通いたかったので、道場のレンタルを利用しているため、今日も鞄ひとつの身軽な格好でリビングへやってきた。
「いってらっしゃーい」
冬里はいつものごとくソファから軽く手を振って見送っているが、夏樹はそうではなかった。
「シュウさん、今日もいつもの時間に終わるんすか?」
と、当たり前の事を聞いてくるので、
「ああ、お昼過ぎには終わるよ」
と、こちらも当たり前に答えたのだが。
「じゃあ、終わったら富國屋の前で待ちあわせしてもらってもいいっすか? ちょっと一緒に選んでもらいたい本があるんすけど」
富國屋と言うのは、×市駅前に広大なワンフロアで展開している老舗の書店のことだ。書店前の天井から巨大な本のモチーフが飾られており、よく目立つその下が、昔から待ち合わせの場所として使われている。
同じく、駅から少し離れたところには、万寿堂という比較的新しい書店が、ビルの6階までを使ったエンターテイメント色の濃い本屋をオープンしている。
★市駅前にもそれなりの書店はあるが、やはり都会の×市にあるこのふたつの本屋は、品揃えも多く、何より見て回るだけでも楽しく、飽きないのだ。
シュウは月に1度の稽古日には、だいたいいつもどちらかの本屋へ寄って帰るのが常になっていた。
「ああ、いいよ。じゃあ1時でいいかな」
「はい、ありがとうございます」
「へえ、自分で選べない本って、なーに?」
話を聞いていた冬里が、興味津々で聞いてくる。
「料理の本に決まってるじゃないっすか。最終的にふたつに絞ったんすけど、どうしてもどっちが良いか選べなくて」
「そんなに悩むんなら、2冊とも買えば?」
冬里が珍しく常識的な意見を述べる。
「それが、内容がものすごーく似通ってるんで、2冊もいらないと思うんすよね。で、実物を見比べるのが絶対良いんですけど、それでもきっと迷うだろうなって思って」
「それでシュウに選ばせるの? わあ、シュウの責任重大だあ」
いたずらっぽく微笑む冬里に、う、と詰まった夏樹だが、そこは切り替えの早い夏樹のことだ。パンと顔の前で手を合わせて拝むようにシュウの方を向く。
「責任とか押しつけませんから大丈夫っす! そのかわり昼飯は俺がおごりますんで」
「そんなこと思っていないしお昼もおごらなくていいよ。それに、私で役に立つなら大歓迎だよ。冬里もその辺で」
いつものごとく冬里をたしなめたシュウは、腕時計を2人に示しながら言った。
「本当にそろそろ出かけないと。それと夏樹、稽古が終わったら連絡を入れるから」
「了解っす!」
敬礼のまねごとなどしながら、夏樹は元気よく返事を返した。
冬里が一緒に来ているかと思ったが、待ち合わせ場所にいたのは夏樹1人だった。
「シュウさん!」
相変わらず大きめの声で爽やかにシュウを呼ぶ夏樹に、まわりにいた女子がいっせいにこちらを見る。
そのあと、なあんだと言うような表情になって、だいたいはこちらの事など気にもとめなくなる。きっと、どんな女性が彼のハートを射止めたのだろうと、少なからず興味があったのだろう。シュウは少し苦笑いをしながら夏樹に手を上げる。
「悪い、待たせたかな」
「いえ、俺も今来たばかりです」
デートの待ち合わせに使うような常套句を述べる夏樹に、シュウはまた苦笑いになってこれからの予定を聞いてみる。
「先に本を選ぶ? それともお昼にしようか」
「えっと、先に本を選んでもいいっすか? 昼飯を食べようと思ってた店は、ここからだとちょっと離れてるんで」
「わかったよ」
うなずいたシュウにニイッと笑いかけて、夏樹は先導するように本屋の入り口へと向かうのだった。
「あ、これ」
と、夏樹は1冊目を見つけたようだ。そして、くるりと辺りを見回していたかと思うと、あ、と声を上げる。
「これっす。ああ良かった、どっちも揃ってて。さすがは富国屋っすね」
嬉しそうに言う夏樹が、シュウの所へ来て本を見せる。
「見て下さいよ。表紙もなんか似通ってるし、けど、どっちも中身は充実してるんすよね、たぶん」
「たぶんって、……ああ、ネットでは詳細に中身まで見比べられないからね」
そのあと2人は一冊ずつ手に持って本を見比べる。夏樹はかなり真剣だ。
シュウは、どちらかと言えばこちらかな、というほどのかすかな好みはあったが、それは口に出さずにいた。実際どちらも甲乙つけがたいのだ。あとは人それぞれの、色調や文面の微妙な好みだけと言うしかない。
「うーん、やっぱこっちがいいな。よし、決めた!」
そしてなんと、夏樹が選んだのはシュウとは違う方だった。
「これにします、って、あ! シュウさんに選んでもらうはずが、結局自分で決めちまった。えっと、シュウさんはどっちがいいっすか、……え?」
返事をせずにレジへ向かうシュウに、夏樹が慌てて後を追う。
「お願いします」
シュウがレジカウンターに置いたのはもちろん夏樹が選んだ方。
「これは私がプレゼントするよ」
なぜか嬉しそうに言うシュウに、夏樹はまた「え?」と疑問符しか出てこない。
「え? なんでっすか? シュウさんに決めてもらうつもりだっただけで、買ってもらうつもりなんて、これっぽっちもなかったっすよお」
レジ前なので小声で言いつのる夏樹を押さえ込んで、シュウは支払いを済ませてしまった。
書店を出たところでくるりと後ろを振り返ると、シュウは本の入った袋を夏樹に渡す。
「はい、どうぞ」
「……」
無言で不服そうな夏樹。
そんな夏樹に微笑みかけるシュウ。
「本はプレゼントするから、昼食はおごってもらおうかな」
「……はい」
まだ不服そうに唇をとがらせて言う夏樹。
なかなか機嫌が直らない夏樹に、今度は苦笑したシュウが少し表情を引き締めて言う。
「それと、私からの贈り物であるからには、この本は充分に活用すること。私も読ませてもらって夏樹がきちんと使いこなしているか、時々確認するからね」
シュウの言葉を聞いていくうちに、とがっていた唇がぽかんと開き、それがゆるゆると緩められて両端が綺麗に持ち上がる。
「はい! 絶対無駄にはしません!」
上機嫌になった夏樹は、ニンマリ笑うと駅と反対方向を指さしながら言う。
「腹減ったっすね。昼飯を食べようと思ってた店はこっちです」
心持ちはずむ足取りで歩き出しながら言った。
「もちろん俺のおごりです!」