第五話 『おしまい』
エンディングです
震える手でなんとか署名をした。
その書類を確認した化狐の子供は、ふむ。とひとつうなずいた。
「まあ、いいだろう。殺すのは許してやろう」
化狐の子供の言葉が理解できた途端、ブワワワワーッと涙が溢れた。
助かった。助かった!!
「あ…! ありがとうございます! ありがとうございます!!」
あちこちで同じように叫びながら額を畳にすりつける。
「あくまで『殺すのは』だ。
お前達の行いを許すことはない」
その言葉に、再び震え上がる。
美しく微笑みかける姿は、恐怖でしかなかった。
「全ての家において、分家は取り潰し。
本家一家のみとする。
シテ方五家の守護陣は破棄。
あとは好きにしろ」
ということは。
能楽は、守られた!
よかった。よかった!!
「あ…! ありがとうございます! ありがとうございます!!」
再びあちこちで涙ながらにぺこぺこと頭を下げる。
「細かいことはこのオミと打ち合わせろ。
結果報告もオミへ。
――あ、そうそう」
子供はテキパキと指示をだしていく。
が、我々は助かった喜びで半分くらい聞いていない。
そんな我々に、化狐の子供は微笑んだ。
「虚偽報告や、甘い処断、誓約と異なる行いをした場合は…………わかっているだろうな?」
にっこりと、それはそれは美しい微笑みだった。
おどされるよりも、恫喝されるよりも、おそろしかった。
それからどうやって家に帰ったのかわからない。
帰るまでに何枚かの書類に署名をしたらしい。
手元にはその控えがあるから間違いなく署名したのだろう。
これによりあの子供は我が家とは無関係になった。
化狐の父がやってきて、あの子供の荷物を全て持って行った。
あの子供がどこにいるのか、どうなるのか、我々が知ることは許されていない。
稽古場の壁が直る頃には、我が家はこの家を離れることが決まった。
妻とは離婚した。
息子は能楽師を辞め、京都を出ることになった。
他の子供達は保護施設に入ることになった。
あの子供への虐待で起訴されたからだ。
かくいう私も逮捕起訴された。
留置所の檻の中で、ここならば化狐に殺されることはないと安心した。
京都の能楽は守られたが、分家は全て廃された。
当然我が家も取り潰しになった。
私は拘置されているので、様々な事務処理は息子が行い、署名だけをしていった。
署名をするたびにあの恐怖がよみがえる。
能楽という文化を、我々百人近い人間を、簡単に殺そうとしたあの化狐の父子。
時間が経った今では、あれは我らに反省させつつ有利に事を進めるための演技だったのだと言う者もいるらしい。
だが、私はそうは思わない。
あれは本気だった。
本当に我らを殺す気だった。
現に、毎日毎晩悪夢にうなされる。
「お前の舞は大したことがない」と。
「所詮ハリボテの舞だ」と。
「どうやっても『神楽人』になれない」と、化狐の父子が私をあざ笑う。
あの子供にしていた仕打ちを体験させられる。
酷いときには化物にバリバリと喰われる。
そのうちに、どこまでが夢で、どこまでが現実かわからなくなっていった。
私が『神楽人』を目指したのが悪かったのか。
私があの子供を引き取ったのが間違いだったのか。
あの子供を化狐に渡さなかったのがいけなかったのか。
化狐を化狐と気付かなかったのが愚かだったのか。
わからない。
わからない。
ただひとつわかるのは。
私は一人みすぼらしく死んでいくしかできないということだけだ。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「主座様。こちら今回の能楽師関連の報告書です」
晴臣に渡された書類をパラパラとめくり確認していくハル。
自分の指示どおり実行されているか確認するまでがハルの仕事だ。
『禍』が浄化され、二日ほど休みをとったあと。
ハルと晴臣は怒涛の後始末に奔走していた。
そのうちのひとつを確認していく。
能の家は全て本家の一家のみ残し、分家は全て取り潰し。
分家の能楽師や財産の行方も報告されているので、おかしなところがないか確認する。
あの場にいた人間の現状も報告書にあった。
ほとんどは品行方正に過ごしているという。
少しはお灸を据えることができたようだ。
守護陣は、あの翌日、ハル自ら破棄した。
霊力の多い人間が少ないからか、予想どおり陣は役目を果たしていなかった。
経年劣化もあるかもしれない。
あっさりと破棄した。
いくつかの項目を確認し、ハルは顔をあげる。
「ま、いいだろう」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ、晴臣が承認印の押された書類を片付ける。
「それとこちらがなっちゃん関連」
続いて渡された書類には、ナツに関することが書いてあった。
今回ナツへの虐待で、ナツのいた家の人間が何人か逮捕起訴された。
そこに至るまでの経緯、誰にどんな話を聞いたか、ナツの関係者の足取りと現状など。
戸籍登録のこと。
転校手続きのこと。
全て問題なしと確認し、承認印を押す。
「それにしても」
書類を片付けながら、晴臣がいたずらっぽい目でハルを見る。
「あのときのハル、すっごく楽しそうだったね」
にこにこと言う父の、自分への呼びかけが変わっていることに気付くハル。
仕事はもう終わりらしい。
「そういうオミこそ」
あのとき。
能楽師を一同に集めて、恐怖に叩き落とした。
ヒロがナツの異界で見聞きしたことをまとめてくれた報告書のおかげで、自分達の知らなかった事実を知った。
ナツがどんな境遇にあったのかを。
最初報告書を読んだときには、腹が立ちすぎて霊力が乱れるかと思った。
自分達はナツをフォローしていたつもりだったが、まったく足りていなかったことを突きつけられ、悔しかった。
ナツの第一は、亡くなった母だ。
だから自分に関してはかなり投げやりだとは知ってはいたが、これほどとは思わなかった。
「本気で京都から能をなくそうと思ってたのか?」
「当然だろう」
しれっと言う息子に、晴臣は苦笑する。
「オミだって止めないくせに」
「まあね」
こちらもしれっと言う。
「あの程度で『ざまぁ』になったかはわからないけど。
まあ落とし所としてはあんなもんかな?」
「ま、そうだね」
この一件はもちろんヒロにも話をしている。
ヒロはイイ笑顔で褒めてくれたあと「ぼくも見たかった!」と残念がった。
「ホントに全員殺してもよかったんだけどな」
「あとが色々うるさいよー」
「だよな」
ナツには話していない。
ナツに「仕返ししたいか?」と聞いたが「どうでもいい」と無関心だったからだ。
ナツはもう関係のない話だ。
聞かせなくてもいいだろうと判断した。
「ナツはあの家から開放されたし。
前向きに元気になったし。
一応は仕返ししたし。
結果的には満点かな?」
「『禍福は糾える縄の如し』だね」
本当にそうだ。ハルもうなずく。
『禍』が現れたときにはどうなることかと思った。
転がるように悪い方向へ進んでいた。
ヒロも、ハル自身も死を覚悟した。
他の四人も生き残れるとは思えなかった。
京都中の人間が息絶えることも覚悟した。
だが、結果はどうだ。
ヒロの『先見』はくつがえされ、死相が消えた。
ナツはどうやっても逃げられなかった家から逃れ、母のことも吹っ切れ、明るくなった。
自分は『要』にならずに済み、霊玉守護者五人と共に楽しい休日を過ごした。
晴臣の言うとおりだ。
悪いことのあとにはいいことが起こる。
「ナツはどうしてるかな?」
ふとつぶやく。
今までは同じクラスでずっと一緒にいたのに、新学期からナツはいなくなってしまった。
ヒロと二人、少しさみしく感じている。
「トモくんと一緒に楽しくやってるらしいよ」
そんなハルに、晴臣が笑いながら教えてくれた。
「昨日西村のサト先生と話したんだけど、サト先生にトモくんと二人で一から家事を教わってるんだって」
あの女性は『先見』の能力がある。
きっと自分の余命も見えている。
そのための準備だと、聞かなくてもわかった。
ナツが自立するために。
トモが一人になっても生活できるようにするために。
そういう意味でもナツがトモのところに行ってよかったと、ホッと息をつく。
そんなハルの内心を知らず、晴臣は話を続ける。
「なっちゃん、料理のセンスがあるらしいよ」
「へー。じゃあ今度なにか作ってもらおう」
ナツが料理。
ヒロが聞いたら驚くだろうと笑っていると、突然晴臣が叫んだ。
「いいこと思いついた!!」
そして、目をキラキラとさせてハルにせまる。
「キャンプとかどうかな!?
みんなでテント張って、カレー作ったりバーベキューしたりするのは!」
「キャンプかぁ。行ったことないなぁ」
本やテレビで見る限りは楽しそうだ。
あの連中と一緒なら、なお楽しいだろうと思えて、知らず笑顔が浮かぶ。
「ハルは働きすぎだよ。
ヒロのこともなっちゃんのことも解決したし、今までできなかった子供らしい遊びしていこうよ」
晴臣の言葉に「ふむ」とうなずく。
「霊玉守護者のみんなとさ。
みんなだって、これまで修行修行でロクに遊んでないっていうし。
僕とタカが引率するから、遠出でもお泊りでも、行こうよ」
うきうきと話す晴臣が一番楽しそうだが、それは黙っておく。
この父はすぐに息子を楽しませようとするのだ。
暴走するのを止めるのは大変だが、普通の子供扱いされるのはこそばゆくもうれしい。
「――悪くないな」
自分の返事に、パアッと喜色を浮かべる晴臣。
「よし! 決定!
ヒロに言って、みんなの予定確認するな!
まずはキャンプだな!
どこに行こうかなー。近場がいいか、遠くがいいか」
タカと相談しようと言いながらうきうきと予定を確認する父親に苦笑するハル。
そこには化狐とおそれられる姿はなかった。
これにてこのお話は完結です。
いかがでしたでしょうか。
『霊力守護者顛末奇譚』では晃主体の視点で話を進めたので、裏話が入れられなかったため、別のお話として独立させました。
ちょっとは『ざまぁ』になっていますかね?
明日からは同じく『霊力守護者顛末奇譚』の裏側話でありこのお話の晴臣視点のお話を投稿していきます。
よかったらまたお付き合いくださいませ。