第四話 『化狐の父子』
さあ!
ざまぁクライマックスです!
「さて。お前達の芸は芸能としても一般教養レベルにしかないとわかったわけだが。
まだ何か意見があるか?」
うなだれたまま、誰も何も言わない。
当然だ。あの舞を見せられて、あれを『一般教養レベル』と断じられては、何も言えない。
「舞を…。舞をがんばってきたのに…。
『神楽人』になりたかったのに…」
悔しさに涙をこらえる。
歯を食いしばった口から思わず心の声が漏れる。
それを子供が聞き止めた。
「舞以前に、お前はどうやっても『神楽人』になれないだろうがな」
意味がわからない。
子供に目を向けると、子供はあっさりと言った。
「お前は『霊力なし』だ」
『霊力なし』とは、何だ?
「霊力が全くないから、神仏を感じることができない。神域に入ることができない。当然『神楽人』になれない」
それでは、私にその霊力があれば『神楽人』になれたのか?!
そんな私のかすかな希望をも、子供は叩き折ってきた。
「そこを曲げて『神楽人』にしてくれと頼んだんだが。『そもそも舞が嫌』と言われては、それ以上どうにもできない」
文字通り、叩きのめされ、畳に沈む。
何で。何で。何で!
「私は神々の世界に行ったんだ!
曽祖父が『神楽人』だったんだ!
共に舞ったんだ!!
なのに、何故! 何故!?」
「それ、子供の頃の話だろう」
またもあっさりと子供が言う。
「七歳くらいまでの子供は『神様の子』だからな。たいてい神域に行けるだけの霊力がある。
が、成長するにつれて、霊力を失っていく者がほとんどだ。
お前もその一人だろう。
『霊力なし』レベルにまでなくなるのは珍しいけどな」
それでは、本当に私は『神楽人』になれないのか。
こんなに努力してきたのに。
すべては無駄だったのか。
呆然と畳に伏していると、子供はさらに言った。
「そういう勘違いを防ぐために『神楽人』のことは俗世で言ってはならぬと申し伝えておいたのに。
お前の曽祖父に罪があるな」
そう言うと、子供は自分の父親に命じた。
「では、シテ方五家、分家含めて全て取り潰しで」
「承知しました」
「お待ちください」
声を上げたのは、囃子方の一人だった。
私と同年代の、大したことのない男だ。
囃子方の男は子供の正面に移動すると、正座をして拝礼した。
「『神楽人』のひとりとして、お願い申し上げます」
――今、何と言った?
この男が、『神楽人』?
この、大したことのない男が?!
「何だ? ワキ方も一緒に潰すか?」
後ろのワキ方から声にならない悲鳴があがる。
「できるか?」「無論」と話す父子に、話しかけた囃子方があわてて「違います」と答える。
「我ら『神楽人』が『神楽人』足り得るのは、日々の修行のたまものでございます。
その修行の場を潰すのは、言い換えると『神楽人』を殺すも同じ。
ここは神々の御為にも、取り潰しはどうぞお考え直しくださいませ」
黙る子供に向かい、さらに囃子方が言い募る。
「我ら囃子方とて、シテ方あればこそ活きるというものです。
どうか、我らを助けるとおぼしめし、どうか…」
「私はお前達にも腹を立てているのだが?」
「は?」
思いもよらない言葉だったのだろう。
囃子方がぽかんとした。
「同じ『神楽人』として、神域でのナツの舞を見る機会はあっただろう。
同じ能関係者として、ナツの窮状を知っていただろう。
知っていながら、お前達は何もしなかった。
行政に訴えることも、この老人を諌めることも、ナツに声ひとつかけることもなかった」
何人もがみるみる青くなる。
「私が何も知らないとでも思っていたか?」
子供が美しい笑顔を見せる。
だがその顔は、死神にしか見えなかった。
関係ないと思っていたのが矢面に立たされていると気付いた面々が真っ青になっていく。
「とりあえず今はシテ方五家。
急に全部潰すと面倒だからな。
次はワキ方。その次は狂言方。
最後に、お前達囃子方だ」
ガクガクと震える大人達をぐるりと見回し、子供がそれはそれはいい笑顔で言った。
「ナツを守らなかった京都の能の家は、全て潰す」
「か…、『神楽人』の勤めは!
『神楽人』がいなくなれば、この京都を護ることができなくなります!」
苦し紛れとしか言いようのない言葉を囃子方が叫ぶ。
が、子供はにっこりと笑った。
「安心しろ。
この間神々にヒップホップやバレエ、ロックなど見ていただいてみた。
なかなかの好感触だったぞ」
開いた口が塞がらない者が何人もできた。
ヒップホップ? ロック?!
「神々だって、いつまでも同じでは飽きてしまわれる。
能だって最初は珍しい舞のひとつだった。
現在、新しい芸能をお好みになられても、何ら不思議ではない」
「そ…そんな…」
「それに奉納舞やらは大阪か東京の能楽師が来れば問題ない。
今は新幹線も飛行機もある。
十分日帰りできる。」
本気だ。
本気でここにいる者の家、全てを潰す気だ。
京都から能楽という文化が消えてもいいと、本気で考えている。
初めて、目の前の二人をこわいと感じた。
得体の知れない存在。
黒い化狐の父子がそこにいる。
子供が進言した囃子方に視線を向ける。
ニタリと、恐ろしい笑みを浮かべて。
「神楽人が仲立すれば、私が矛を収めるとでも思ったか?」
「も…、」
囃子方が息を飲み、ガバリと畳に頭をすりつけた。
「申し訳ありません!!
私が浅はかでこざいました!
申し訳ありません! 申し訳ありません!!
何卒、何卒お許しください!!」
先程の余裕をかなぐり捨て、囃子方が土下座で叫ぶ。
そんな様子を見ても、化狐の父子は微笑を浮かべて平然としている。
「オミ」
「はい」
「どのくらいかかる?」
「シテ方五家の本家と分家、合わせて二十三。
二週間見ていただけたら十分かと」
「一週間で潰せ」
「かしこまりました」
――消える。
このままでは、京都から能楽という文化が消える。
何故そんなことになった?
何故?
何故?
「ワキ方はいつからかかる?」
「シテ方を全て潰したら自ずと潰れるかとは思いますが、念の為手を打ちまして、シテ方の後、一週間いただければ」
「まあ、いいだろう。
では、一月あれば全ての家は潰せるか?」
「御意」
私のせいで?
私がこの男を怒らせたから?
私があの子供を手放さなかったから?
私が『神楽人』になろうとしたから?
私、の、せいで?
「ああ。シテ方五家の家に仕込んである守護陣を破棄しに行かねばな」
「そちらは家を潰してからでもよろしいのでは?」
「いや。舞う人間がいなくなると、陣がどうなるかわからない。
明日にでも破棄しに行こう」
「かしこまりました」
男と子供はどんどんと話を進めていく。
誰も何も口をはさめない。
ただうなだれて話を聞いていることしかできない。
泣いている者もいる。
ただ呆然とどこかを見ている者もいる。
もう、おしまいだ。
私のせいで、たくさんの家が潰れる。
私のせいで京都の能楽が死ぬ。
六百年伝え守ってきた伝統が。文化が。
私の、せいで。
「――も、申し訳ありませんでしたーッ!!」
ガバリと頭を下げ、声を限りに叫んだ。
「申し訳ありません! 申し訳ありません!
私が全て悪いです!
ですから、どうか、どうか能楽を殺すのはお許しください!
家を潰すのは、お許しください!!」
涙も鼻水も流しながら、つばを飛ばしながら叫ぶ。
額を畳にすりつけ、平身低頭謝る。
それなのに、化狐の父子はただ一言。
「「――はァ?」」
あきれたように、そう言うだけだった。
必死の願いも聞き入れてもらえない。
呆然と化狐の父子を見る。
同じような微笑を浮かべている。
それなのに、どちらも目だけは笑っていない。
「聞こえていなかったのかな?
ナツを守らなかった京都の能の家は、全て潰す」
「主座様の決定です。
異を唱えることは許しません」
ゾゾゾゾゾッ!
全身を怖気がはしる。
やる。この化狐はやる。
京都の能楽が殺される!
「お許しください! お許しください!!
この命で償えるのであれば、差し出します!
ですからどうか、どうかお許しください!!
家を、能楽を潰すのは、お許しください!!」
「お前の命なんぞいらん」
冷たく一言で切り捨てた。
化狐の子はそれはそれは美しく微笑んだ。
「私が大切にしているものは、友人だ。ナツだ。
そのナツを虐げていたお前も。
手を伸ばせたのに何もしなかった他の者も」
ぐるりと全員を目に入れる。
一人残らず祟るとでもいうように。
「許さない」
ガクガクと震えがとまらない。
汗が、涙が、鼻水が、ありとあらゆる液体が体から出る。
「ナツが望まないから我らも神々も大人しくしていただけだ。
神々などはいつ祟ってやろうかと、手ぐすねひいてお待ちだ。
このあと『ナツに非道いことした連中を祟ってください』と、ちゃんとお願いにあがっておく。
きっと張り切って祟ってくださるぞ」
うれしそうに、楽しそうにそんなことを言う。
が、はたと何かに気付いたようだ。
「祟る――。そうか。
何も家を潰さなくても――」
化狐の子は、さもいいことを思いついたというように、言った。
「この連中を私の術で悪夢に突き落として、殺せばいいのか」
――今、何と言った?
動揺する一同を気にもとめず、化狐の父子は話を進める。
「全員死ねば、能の担い手がいなくなる。
必然的に、京都の能楽はなくなる。
――ふむ、どうだ? オミ」
「悪くない考えではあるかと思いますが」
殺すと言ったか?
誰を?
この場の、全員を?
「主座様のお手をわずらわせるのは、いかがなものかと」
「なに。
ナツを虐げていた連中も、助けなかった連中も、ずっと殺してやりたかったんだ。
気晴らし程度にはなるよ」
本気だ。
この子供は、本気でこの場の全員を殺す気だ。
「それなら一日、正確には一晩で済む」
「なるほど」
ふむ。と男も平然と聞いている。
息子が人を殺すと宣言しているのに、止める気配すらない。
「悪くないかもしれませんね」
提案が肯定されたことに、その場の全員が声にならない悲鳴をあげた。
こちらの恐怖を気にも止めず、化狐の父子は話を進める。
「しかし、何故一晩もかかるのですか?
主座様でしたらものの数秒で全員殺せますでしょうに」
「すぐに殺したら、つまらないじゃないか」
ニヤリと笑う子供。
狐が悪だくみをしている。
我らを殺そうとしている!
「ナツが受けた苦しみを、一晩じっくり味わわせるんだ。
それから殺す」
「素晴らしい」
パチパチと拍手で讃える男に、子供がにっこりと笑顔を返している。
見た目だけは仲の良い父子の会話だが、内容が殺伐としている。
この男は息子が人間を殺しても平気なのだ。
止めることはないのだ!
家を潰す潰さないの話ではない。
自分の命の話になってしまった!
「そちらの案ですと、確かに即刻処理が叶いますね。
同じ日に一斉に大量死ともなればしばらくはワイドショーを騒がすでしょうが、安倍家に敵対していると認識している京都の人間であれば、さもありなんと納得してくれるでしょう」
家を潰すだけならば、まだ命はあった。
それが何故、殺すなどという話になった?!
「安倍家を敵にまわすとどうなるか、非常にわかりやすい例となるでしょう。
今後を考えましても、良い案かと」
「だろう?」
殺される。
殺される。
殺される!!
「私の術だから、いくら警察が調べても何も出てこない。
心筋梗塞やら脳卒中やら、適当な病名がつくだけだ。
我が安倍家は痛くも痒くもない。
むしろ箔がつく。
オミの仕事も増えない。
いいことづくめだ」
「御意」
にっこりと、男が了承した。
その途端。
プツリと、ナニカが切れた。
「ギャァァァァァ!!」
「うわああああぁぁ!!」
「ヒイィィィ!!」
あちこちで叫びがあがる。
私も叫んだ。
殺される!
殺される!
頭を抱え、涙を流し、髪をかきむしる。
広間の全ての人間が狂乱状態になった。
そんな人間を、化狐の父子はにこにこと見ている。
よくわかった。
こいつらは人間じゃない。
化物だ。
私は、化物を敵にまわしてしまった!!
「許してください! 許してください!!」
「殺さないで!! 殺さないで!!」
「すみません!! すみませんでした!!」
「私が悪かったです! ごめんなさい! ごめんなさい!!」
大の大人が泣き叫ぶ。懇願する。
顔をぐしゃぐしゃにして、髪を振り乱して。
そんな集団に土下座されても、化狐の父子はにこにことしている。
「――ナツの親権を、放棄するか?」
「致します!!」
細い細い蜘蛛の糸のような提案に、一も二もなく飛びつく。
「ナツへの虐待を認めるか?」
「認めます!!」
「今後一切、ナツとは無関係とするか?」
「致します!!」
私に問いを発していた化狐の子は、今度は全員を見回して問うた。
「能楽界とナツとは今後一切無関係とするか?」
「致します!!」
全員から即座に声があがった。
「全員、警察やマスコミから問われたことに、何一つ隠し立てすることなく、真実を語るか?」
「はい!!」
泣きながら、震えながら、全員が額を畳にこすりつけた土下座のまま答える。
化狐の子は「ふむ」とひとつうなずいた。
「オミ」
「はい」
そして化狐が一匹、私に近づいてくる。
私の目の前で座った化狐は、ぺらりと一枚の紙を出してきた。
「今のお約束を書面に致しました。
ご確認の上、間違いなければここに署名をお願いします」
「……………は?」
書面?
署名?
「正式な書類はまた後日お持ちします。
ただ、後で『言った』『言わない』になると面倒ですので、今この場でご確認の上サインを」
……………は?
「ご列席の皆様にも、証人として後ほどご署名いただきます。
あと先程のお約束の誓約書類にもご署名くださいませ。
書類はすぐに作ります。
お帰りになるまでにはご用意致しますので、しばしお時間をいただければと存じます」
……………は?
そのころのナツ
必死で修行中
「ホラホラ。動きながら霊力使わないと。
立ち止まって土壁起動してたんじゃ遅いわよ」
「待って緋炎様! 待っ……ぎゃあああぁ!!」
「お昼ごはんなのに、ハルはどうしたんだ?」
「あー。今ちょっと別件で出かけてる。
オミさんが一緒だからちゃんとごはん食べてるよ。大丈夫」
「そっか」
「結界の確認も行かなくちゃだし、封印石も今から陣組まなきゃだし、ハルも忙しいんだよ」
「そっか」
「ハルの心配はいいから。ナツもしっかり食べな。
緋炎様が全部食べちゃうよ」
「え? あ! いつの間に!!」