第三話 『主座様』
いよいよざまぁの幕開けですよー
その日の夕方には、警察が来た。
あの子供を探すのに、防犯カメラの映像を提供しろという。
近所の防犯カメラの映像も分析すると警察が話す。
息子と事務員に対応させる。
一晩で帰ってくると思ったあの子供は、まだ戻ってこない。
憎らしい。
何もかもが、おかしくなっている気がする。
あの子供が姿を消して三日目。
本家から当主が来た。
当主といっても、息子と同年代の若造だ。
数年前先代が亡くなったために当主になれているだけの、大したことのない男だ。
本家当主だけでなく、本家の他の人間も、分家の人間もいた。
皆、能関係者だ。
「この度は申し訳ありません」
息子が頭を下げるが、何故当家が頭を下げねばならぬ?
「何度も説明したじゃないですか!
ウチが安倍弁護士を怒らせたから、仕事全部キャンセルになって!
そのしわ寄せが全部他の皆さんのところにいくって!」
確かに息子はずっとそう話していた。
だが、そんなことあるものか。
あの男にそこまでの力があるとはとても思えない。
「それだけじゃない!
『ウチが安倍家と敵対した』という話が『ウチの一門が安倍家と敵対した』となって、本家分家関係なくみんな『安倍家の敵対者』として仕事干されるんだよ!」
何でわからないんだと怒鳴るが、お前こそ何故わからない?
あれは一族で『役立たず』と言われている男だぞ?
「ナツのこともそうです!
安倍弁護士は、ずっとナツを返せと言っていた。
なのに貴方が手放さなかった。
それだけでなく虐待して」
「虐待ではない。稽古だ」
「あれは十分虐待です!!」
前から言ってただろうと息子がついに泣き出した。
「休むことなく何時間も舞わせて。
食事もろくに与えない。
知ってるんでしょう? ナツが他の子供達にいじめられていたことを。
嫌がらせを受けて、用意された食事を取り上げられていたことを!」
「おまけに、気に入らないことがあると殴る。蹴る。
ナツだけじゃない。僕の息子や、他の子供達にも非道いことをして!
それを全部、安倍弁護士は知っているんですよ!」
「あんな男、黙らせればいいじゃないか。
今までだって黙ったじゃないか」
「黙っていたわけじゃないですよ!」
息子の言うことがわからない。
そんな私に息子がさらに言う。
「あの人は、ナツが何も言わないから動かなかっただけです。
代理人だから、依頼者から依頼がないと動けないんです。
僕は何度もそう言われていました。
あなたにもそう説明しました!
でも、今ナツはいません。
依頼者が行方不明になったから、依頼者のために、あの人は動けるようになったんです」
「動けるようになったと言ったって、何ができるというものか」
フン、と言うと、周りが全員葬式のように暗い顔で頭を落とした。
「あなたは、『彼』を知らないんですか?」
本家の当主がにらみつけてくる。
若造が、生意気な。
が、その目を見ていると、昨日も弁護士に似たようなことを言われたのを思い出した。
「『安倍の黒狐』ににらまれた。
もう、おしまいです」
本家の当主は、絞り出すように可能性を上げていく。
「一番穏便で、こちらの家のみ取り潰し。
可能性として、この一門全ての取り潰し。
最悪は、京都のシテ方五家全て、いえ、能に関わる家全て潰されます」
「そんなことできるものか」
今度こそ鼻で笑った。
物知らずはこれだから。
「我らシテ方五家は、この京都を守っているんだぞ?
『主座様』という、昔の偉い術者の方が任命してくださったと、お前も知っているだろう」
「その『主座様』は、安倍家の当主です」
本家の当主の言葉の意味がわからない。
『主座様』は昔の人だろう。
「安倍の当主の中でも、初代様が転生されているのが『主座様』です」
『転生者』。聞いたことがある。
が、あんなもの、その人間か勝手にそう言っているだけだろう。
真に受けるなど、愚かな。
それに『主座様』が安倍家の当主などと。
今の当主に会ったこともあるが、そんなことは一言も言っていなかった。
「安倍家が『不要』と判じたら、五家全て取り潰しです」
青い顔の本家の当主だが、そんなことできるものか。
「いくら安倍家の当主でも『主座様』がお決めになったことを撤回できるものか」
そういう私に、息子も含めたその場の全員が哀れみの目を向けてくる。
そして本家の当主が口を開く。
「今申しましたでしょう?
『初代様が転生されている』のが『主座様』だと」
だからどうした。
そんな私に、若造は言った。
「現在の安倍家には『主座様』がいらっしゃるそうです」
それからも何が起きているのかわからない日々が続いた。
警察がくる。
役所がくる。
報道関係者もくる。
皆私が子供を虐待しているという。
仕事がなくなった。
資金繰りができなくなった。
銀行だけでなく、今まで目をかけてやっていた全ての人間が、逃げるように去っていった。
近所からも孤立した。
誰もが我が家を、私を見放した。
あの子供は帰ってこない。
何故こんなことになっているのか、わからない。
そんな折、本家の当主から大事な話があると呼び出された。
成人している能関係者は全て出席するようにと言われる。
全員正装の指定付きだ。
言われたとおりに指定された場所へ向かう。
指定されたのは、とある料亭の広間だった。
普段は襖で仕切っている部屋を、襖を取り払い広い一部屋にしていた。
そこに、京都の能関係者が全て集められていた。
シテ方五家だけではない。
ワキ方、狂言方、囃子方、全ての家の人間がいる。
一門全員出席しているのは我が家だけのようだ。
あとは本家分家それぞれの当主が出席している。
それだけでも相当の人数だ。百人近くいる。
これだけの人数が集まれる広間をよくおさえられたものだと感心する。
料亭の人間から「こちらに」と案内され、並べられた座布団のひとつに座る。
どうやら座席順は決められているらしい。
上座に向かって、シテ方五家の本家の当主が五人並ぶ。
その後ろの列に我ら一門が並ぶ。
我らの後ろにワキ方、狂言方、囃子方の本家当主。
そのさらに後ろが分家の人間だ。
私が部屋に入ると、その場の人間が一斉に私をにらみつけてきた。
憎悪のこもった視線に、一瞬ひるむ。
が、何もしていない私に後ろめたいところはない。
堂々と、指定された場所に座った。
一体何が起こるのかと思うが、誰もが通夜のように暗い顔で一言も喋らない。
息子はこの数日でぐっと老けた。
十は歳をとったように見える。
全員揃って、じっと待つ。
一体誰を待っているのかわからない。
上座には座布団が二つ。
正面にひとつ、控えた場所にひとつ。
おそらくはあの男と、切れ者と評判の安倍家顧問弁護士だろう。
弁護士風情が何を話すのかは知らないが、とりあえず待つしかない。
「お見えになりました」
料亭の人間の先触れに、全員が背筋をのばし手を付き、出迎える姿勢になる。
現れたのは、あの男だった。
安倍 晴臣。
この状況を作り出した、憎き元凶。
男は入口でぺこりと一礼すると、その場に片膝をついた。
貴人に対する態度に、誰が来たのかと伺い見る。
現れたのは、あの男の息子だった。
あの子供を返せとよく文句を言いにきていた、黒髪のほうの子供だ。
何でこの場に子供を連れてくるのかと不快になった。
我らは皆紋付袴の正装だが、男と子供は黒いスーツだ。
仕立ても生地もよく、高級な品だということはわかる。
が、こちらは皆和装なのだから合わせるべきではないのかと腹が立つ。
男は自分の子供を上座に座らせ、自分は少し後ろに控えて座った。
周りは疑問が顔に、態度に出ている。
何だこの子供は。誰だと訝しんでいる。
が、子供が座りこちらを見た、次の瞬間。
五家の当主をはじめ、並ぶ者の半分以上がザッと一斉に子供に頭を下げた。
手を付き、最上位の拝礼だ。
心なしか震えている。
礼をとっていない私を含めた数人は意味がわからず呆然としている。
が、次第に呆然としていた者も頭を下げた。
起き上がっているのは私一人だ。
隣で息子が「父さん! 頭を下げて!」と言ってくるが、意味がわからない。
「――安倍晴明である」
子供はニヤリと笑い、えらそうに名乗った。
途端、最敬礼で頭を下げていた一同が、さらに頭を下げた。
額を畳にすりつけている。
「主座様の御前です。頭が高いですよ」
男が偉そうに私に向かって言う。
途端に息子と反対隣の若造に引っ張られ、頭を下げさせられた。
あの男の子供が、主座様?
何をわからないことを言っているんだ。
「――さて。今日皆に集まってもらった理由だが。
――わかっているだろうな?」
周りが皆青くなって震えている。
男の息子は、たしかあの子供と同い年だったはずだ。
たかが中学生相手に、何を震えることがあるのだろうか。
「――よくも、我が友ナツを、これまで虐げてくれたな」
ギロリ、とまっすぐに私をにらみつけてくる子供。
こんなに迫力があっただろうか。
子供相手に、思わず冷や汗が流れる。
「お前は今までに何度も私が直々に意見を申し立てても、聞こうとすらしなかった。
これまではナツに配慮していたが、ナツがいない今、私の好きにさせてもらう」
「申し訳ありません!!」
息子が土下座で震えながら叫んだ。
「ナツの件、当家の咎です!
他家には一切関係ございません!
どうか、取り潰しは当家のみで!
どうか、どうか!! お願い致します!」
「暴走する老人を止めなかった一門全てに咎がある」
子供は冷たい声であっさりと言い放った。
五家の当主が震えているのが後ろからでもわかる。
子供はひとつ息ををつくと、面倒そうに言った。
「昔は『神楽人』も多数排出し、霊力のある舞人が多かったから、護りのひとつになればと五家を任命したが」
『神楽人』。
その言葉に、思わず顔を上げた。
そんな私を、子供は見下した目で見てくる。
「今は霊力のある者は年々減っている。
霊力のある者を一人でも確保するために分家を次々と増やしたようだが、意味を成しているとはとても思えない。
『霊力なし』ばかりが増えて、その老人のように勘違いする者もいる。
いっそ、守護陣は破棄しようと思う」
守護陣の破棄。
意味がわからない私をよそに、五家の当主ががっくりと肩を落とした。
「オミ」
「はい。主座様」
「シテ方五家。潰せ」
「かしこまり――」
「お待ちください!!」
本家の当主が叫んだ。
ず、と一歩分にじり寄り、必死に子供に訴える。
「能は、我らの芸能は、伝統芸能です!
一度途切れたらもう消えてしまいます!
どうか、五家すべての取り潰しは、お許しください!!
取り潰しは、当家のみで!
どうか、どうか!! お願い致します!!」
「伝統芸能、ねぇ…」
小馬鹿にしたように子供が言う。
そうだ。
我らの芸は伝統なのだ。
脈々と受け継がれてきた、素晴らしいものなのだ!
「最初はそんなたいそうなこと、言っていなかったがな?」
最初、とは、何だ?
わけがわからない我らをよそに、男は楽しそうに笑っている。
「主座様。
続いたから『伝統』なのです。
『最初』を持ち出しては、気の毒ですよ」
「それもそうか」
ふむ、とひとつうなずき、子供がニヤリと笑った。
「では、舞ってみせよ」
五家の当主が息を飲んだ。
「これでも私は長生きでな。
色々な舞手を見てきた。
彼らに匹敵すると認めれば、存続も考えないでもない」
五家の当主をひとりひとりじっと見つめる子供。
が、どの当主も、震えるばかりで動かない。
やがて子供は私に視線を合わせてきた。
やってやろうではないか。
生意気な小僧の鼻を折ってやる。
すっくと立ち上がり、五家の当主と子供の間に立つ。
「囃子」
子供が一言告げると、囃子方がすぐさま飛んできた。
演目を述べ、囃子に、謡に合わせて舞う。
我ながら見事に舞えた。
どうだ! と子供を見ると。
子供は、つまらなそうにしていた。
子供だから舞の良さがわからなかったらしい。
子供はひとつ息をつくと、ぼそりと言った。
「神々のおっしゃっていた意味がわかった」
神々? 何のことだ?
戸惑う私を意地の悪そうな目で観て、子供はつまらなそうに言った。
「お前、『神楽人』になりたいんだろう?」
何故それを!?
『神楽人』のことは話してはならないと曽祖父から聞いていたが、ちがうのか?!
動揺する私に、子供がさらに言ってくる。
「自分が『神楽人』になるために、子供を利用しようとした。ナツを確保した。違うか?」
そのとおりだ。
何故それをこの子供が知っているのか。
子供は馬鹿にするように口元に薄っすらと笑みを浮かべている。
そして、話を続けた。
「お前が『神楽人』になればナツは開放されるとにらんで、神々に頼みに行ったことかある。
『面倒だから、どこか引き取ってもらえないでしょうか?』てな」
な…なんだと?!
「この京都には何千もの神社仏閣がある。
そのそれぞれに『神楽人』や『愛し児』がいる。
だから一社でも引き取ってくれないかと、わざわざ神々が一同に集まる出雲の『神議』にまで出向いて頼みに行ったんだがな」
神々に『神楽人』になれるよう頼んだだと?!
そんなことができるのか?!
私は『神楽人』になれるのか!?
「断られた」
――何と、言った?
断られた?
ショックで固まってしまった私に、子供がさらに言う。
「『ひとりよがりで我が強くて美しくない』『押し付けがましい』『見ているとうるさくて疲れる』って。
ただの一柱も引き受けてはくださらなかった」
それは、私の舞の話か?
私の舞は、そのような評価だというのか?
「ナツの神々もだいぶ頼んでくれたけどな。
駄目だった」
つまり。つまり。
「お前の舞は、その程度だということだ」
全身の力が一気に抜けた。
膝からガックリと崩れ落ち、床に手をついた。
「外見ばかり整えて、中身が空っぽ。
メッキですらない。ハリボテだな」
うなだれる私に子供の声だけが聞こえる。
そんな。そんな。
私の舞が、ハリボテ。
これまで必死に鍛錬してきたのに。
ずっと『神楽人』目指して精進してきたのに。
うなだれる私をどう見たのか、子供は簡単そうに言った。
「ま、確かにな。お前程度の舞ならば、素人の私でも舞える」
そう言って、子供が立ち上がる。
「扇」
差し出された手に、あわてて五家の当主の一人が扇を差し出す。
「囃子」
うながされ、囃子が始まる。
それに合わせて子供が舞いはじめた。
愕然とした。
これが、素人?
私よりも上、亡き祖父や曽祖父と同じくらいに素晴らしい舞に、声も出ない。
「ま、私など一般教養レベルだがな」
けろりと言い扇を返す子供。
あれを『一般教養レベル』と断じられ、誰もが肩を落し頭を抱えている。泣いているのもいる。
私も畳にめり込みそうだった。
そのころのナツ。
自分の異界から出て仲間と合流し、修行中。
能の家のことは全く頭にない。
それどころじゃない。
ハルは主座様モードのとき、一人称が「私」になります。
過去の人生ではずっと「私」でした。
今生に生まれるときに「子供で自分を『私』と呼ぶのは女の子だけだよ」と晴臣に指摘され、晴臣と同じ「僕」を一人称とすることにしました。
今では「僕」と「私」を上手く使い分けています。