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 遺跡を発見、発掘する行為に憧れたことがあった。きっかけは些細なことに過ぎない。小学校の頃に理科の授業で地層のことを習ったときのことだった。示準化石、示相化石と赤いチョークで黒板に書き、黄色いチョークでその単語を丸く囲う。…、と続いた先には単語の意味が書かれた。当時の環境がわかる化石、地層が堆積した時代がわかる化石、と黒板に担任は書き込んだ。クラスメイトの多くがノートに書き写す中、松村少年は理科の教科書に載っている写真に夢中だった。中生代、古生代、サンゴが温かくて浅い海、などと口にしている担任の声を片耳で聞いて、そのままもう片方の耳へと筒抜け、受け流す。上の空。のちに友人から聞いた話によると、「これは中学で習う単語だけど、一緒に覚えてね」と担任が言っていたようだった。小学校なのに、無駄に勉学について意識の高い担任を指差し、「出しゃばってる」と友人は笑っていた。


 教科書には戸隠(とがくし)の年代地層の写真が載っていた。地層の断面が露出した写真だ。その隣に、拡大したアンモナイトの化石の写真があった。


 松村少年はそれらの写真を見入っていた。なぜ()かれるのかわからないにもかかわらず、なぜか「おもしろい」という感情が沸き上がった。「美しい」とか「綺麗」だとか「侘び寂びが」なんて思わず、言葉も知らなかった。これまでに教科書の写真をこんなにもじっくり眺めたことがあっただろうか。写真どころか、文字ですらじっくりと目を通すことはほとんどなかった。


 そのとき、自覚したのだ。今までは教科書などじっくり見たこともなかったのに、今はじっくりと眺められている。要するに、地層、化石、そういったことに自分は興味があるのだと。


 翌週の理科の授業で、小学校の裏山にある地層の断面を見学しに行くことになった。緑と黄色の観察板を手に、紅白帽を被った十数人の小学生が列を連ね、裏山へと向かった。「あれが今から行くところだよ」と担任が指を差す。


 遠くから眺めるとただの岩壁にしか見えなかったものが、間近に着て見上げるとそれは迫力のある代物だった。岩壁に手で触れ、細かい砂のざらつき、突起の感触、目で見ると細長い横線がいくつも積み重なっていて、色の違いが視認できた。カラフルな横断歩道やシマウマだなあと思った記憶がある。果たしてその例えと感性が正しかったかどうかは疑問だが、植物の働きの単元でホウセンカの写真や実物をいくら見ても、何かに例えることはなかった。


 中学、高校、に進むにつれて「地層」「化石」と興味のあった事柄は派生していき、考古学、歴史、滅びの美学、白虎隊、三島由紀夫、デュルケームの自殺論など、哲学方面にも興味を抱くようになった。その中には廃墟の趣も含まれる。趣のある光景を探すことに明け暮れるようになったが、いつしかそれにも飽きてしまっていた。探し当てた光景は確かに美しいと言えた。しかし完全ではない。もっと幾何学(きかがく)的なのに昔からそこにあったような景色ならいいのに、と何度ぼやいたことか。


 閃いたのは、唐突だった。オーパーツのことについて調べていたときに、「こんな昔に作っちゃえるんだ」と今後オーパーツと呼ばれることを知らない人々が作った背景について、当時の松村少年は想像を巡らせていた。


 ふと思いついたのは、「自分も作ってみたい」ということだった。それは、数千年後に「この時代ではありえない」と言われるようなものを作りたいのではない。確かにそれはそれで魅力があったが、オーパーツの纏った独特な美しさと滲み出る憐れみを、自ら生み出したいと思ったのだ。


 初めてそう思った高1の頃から時を経て、松村京谷は現在大学三年。ずっと「こうだったらいいな」と漠然と思い描いていた理想の設計図は、六年近くかかって再び光が当たることとなった。


 事が起きてからでないとその重大さに気づけないのが人間だ。反して、事が起きる前に様々な憶測を立てて(さいな)まれるのが臆病者だ。


 松村京谷はその後者だと自負していた。臆病者、という言い方は(あざけ)られているようでいい気分はしない。しかし、臆病者にだって利点はある。それは臆病者になった者にしか知り得ない。それを知るのと知らないのとでは、経済の流れを知っているか知っていないかの差と、同じくらいの差がある。好き好んで臆病者になるものはいないだろう。もし仮に、誰かが狙って臆病者になろうとしたら、その人は臆病者ではなく、臆病者の利点だけを身につけたいということなのだろう。


 臆病者の松村京谷は六年もかかってやっとその設計図を開いた。人間、やりたいときにやりたいことをするのが一番いいのだ。


「悪い。レポートやってる暇ねえわ」橋部琢巳にメッセージを送信する。数分もしないうちに返信が返ってくる。「断るなんて珍しいな。もしかして、こないだの中村が言ってたこと真に受けてんのか?」「大気圏で素っ裸で踊ってられるのと同じくらいあり得ないことだな。綺麗事は論外」「じゃあなんだよ。理由を教えろ」

「理由は言えない。出来たら見せてやる。この世のものとは思えないようで、この世が創造された当初からそこにあったような侘しさと寂しさ。見たこともないようでどこかで見たことのあるような既視感。気づき、興奮、物悲しさ。誰もが懐かしさを感じられる普遍的な自然性。それを見せてやる」


 長文を打ち終え送信した松村京谷は、四畳半の端に壁に沿って敷かれている敷布団の上へと、スマートフォンを放った。早く早く、と結末ばかりを待ち望んで急かす心をどうにか鎮める。結末だけじゃ物語にならないんだよ。廃遊園地、廃村、廃墟。廃、になる前は確かにそこにあったはずだ。これから作るのは退廃芸術の一種だ。ただ廃れた芸術を作っていては、贋物(がんぶつ)だ。そこに長い年月と歴史を見てきたという系譜を背負わせなければならない。芸術の中に物語の道筋を作らなければならない。


 早く結末へ、と急かす心が再び現れる。今は我慢だ、我慢だ、と何度も唱える。きっとこの作品が出来終わったときの心地は、並みのものではないだろう。


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