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【慎ましい博学多才】

 屋上遊園地の色気と、ムンクの叫びの忌々(いまいま)しさは絶対に融合すべきだ、と学部の史書室で豪語していたのは松村(まつむら)京谷(きょうや)だった。「お前の所属する学部は?」と橋部琢巳(はしぶたくみ)が問うと、「うるせー」と松村京谷が投げやりに言い放つ。「いいから言ってみろ」と言われ「経済学部……」とぼそぼそと答える、といったネタはすでに何十回は二人が交わしたやり取りだった。


「そういうのが好きなら、美術系の学部とか歴史系の学部に行けばよかったじゃんか」と橋部琢巳が笑いを堪えた。「落ちたんだよ! なんか文句あるか!」そのやり取りまでを含めてが二人の内輪ネタだった。


 いや、三人か。


 史書室に中村夢莉(なかむらゆうり)が入ってくる。史書室とはいえ学部の史書室なので、それほど広くはない。畳十畳もない小さな部屋だ。入り口のドアはガラス張りになっていて、誰かが廊下を通ればその姿が見えるようになっていた。中村夢莉が史書室のドアの取っ手を握ったときも、ドアのガラスには彼女の姿が映っていた。彼女の目にも、史書室内が見えていた。


「あんたたちほんと暇ねー。今週末締め切りのレポートでみんな忙しいってのに、こんなところで油売ってるのあんたたちぐらいよ。それでレポート終わったの?」

「『終わってませーん』」

「聞かなくても知ってたよ。その言葉が返ってくることぐらい」と、中村夢莉が腕を組みながら呆れて溜息を漏らす。ここまでが、一連の三人の内輪ネタだ。


 松村京谷は呆れて腕を組む中村夢莉の全身を一瞥(いちべつ)した。「相変わらず色気のねー服装だな。スカート履いて男を誘惑する芸当もできねーのかお前は」

「だ、だれが!」と以前までは恥ずかしがっていた中村夢莉も、さすがに学習したようだ。()しくは呆れ果てて、本当に果ててしまったのか、「はいはい、わたしは色気がありませんよー。美脚でもないし、デニムの上から太腿のムチムチ感も表現できませんしね」我に返って認めているようにも思える。


「おお、よくわかってんじゃん。それと……」

「それと、腕を組んだときに強調されるほど胸に脂肪はありませんしねえ。すみませんねえ、こんな色気のない女で」

「お、おう……」負のオーラに松村京谷と橋部琢巳は身を引いた。


 松村京谷の言わんとしていることをすべて熟知してしまった中村夢莉は、まるで自虐ネタの様に淡々とした口調で先読みした。「はあ」と大きな溜息をつくたびに史書室の空気が淀んでいく。十畳にも満たない小さな史書室だ。それは露骨に空気が汚れていくのがわかった。


 中村夢莉がソファに腰を掛けた。「レポート終わってないのに何なのよその余裕は」といつもの口調に戻ったので、口を閉じていた男二人は少し気が緩んだ。


「終わってないからやるんじゃないんだよ。そういうのはやりたいときにやるんだ」

「そうそう。やりたくもないのにやらされるなんて小学生と同じだ。これからの時代は自分で宿題を探さなきゃいけない時代なんだよ」

「じゃあ、あんたたち自分でやってる宿題でもあるの?」男二人は意を突かれた。「い、いやあ」と松村京谷が頭を掻く。「あ、いやでも、あ、ほら」と橋部琢巳は口が回らない。


「ほら、さっき京谷、なんか言ってたじゃん。ムンクの叫びが屋上遊園地がって……」


 それを聞いた中村夢莉はまたも呆れたように溜息を吐いた。更に史書室内の空気が淀んで、汚れた空気の密度が増す。


「それ、私たちが仲良くなり始めた初期頃からずっと言ってるけど、本当にやる気あるの?」女の言葉には妙な威圧があると松村京谷は思った。常々思っていた。正論で反撃しても叶わない威圧があるのだ。何も言えずに、「はい、おっしゃる通りです」と言うしかなかった。


「で、聞かせてよ、そのムンクの叫びと屋上遊園地の話」何度もした話のはずだが、中村夢莉は話を振った。淀んだ空気にのまれ、表情までも淀んでいた松村京谷の顔が、ぱあっと明るくなる。「おお、話してやる話してやる。俺の夢だからな」とソファから立ち上がった。


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