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「小説のことはよく知らねえけど、傑作一本書いてから死ねって太宰って奴が言ってたらしいじゃねえか。俺はもう悔いはねえよ」


 そうメディアに言い残してパトカーに乗り込んだ橋部琢巳。殺人を起こしておいてなんだその態度は――と、社会や国民からの非難を誘う原因となった。


 彼が捕まったのは、稲荷山の廃デパートの中で見つかったスマートフォンが原因だった。当初、そのスマートフォンは水槽の中に沈められていたのだが、どうやら防水だったようで事なきを得ていた。そこに書かれた短い物語のような文章に登場する人物で、生きているのは橋部琢巳だけだった。死人を殺人罪に問えるのか。すでに死んだ人間が生きている人間を殺すことができるのか。それを司法で裁けるのか。


 警察は、殺人、器物損壊の罪を彼一人にかけた。


 警察官が廃アパートの屋上で手錠をかけようとしたとき、橋部琢巳はしゃがんだ。警察官は逃げようとしているのかと思い焦るが、違った。橋部琢巳はしゃがみ込み、その場に落ちていた光るものを手にする。


「give to two aoi.蒼井碧」


 指輪の内側にはそう彫られていた。何のことかよくわからなかった。だからその場に置きなおした。


 立ち上がると警察官が話し出した。「逃げる気なんて起こさない方がいいからな」橋部琢巳は何をとぼけたことを言っているのだろうと思った。自分に逃げる気など一切なく、逃げたい気持ちすら毛頭なかった。だから、犯罪者の心理を読み切っていると自負している警察官に呆れた。しゃがんだまま警察官を見上げる。


(いまし)めてるんだよ。罪人ってのは馬鹿ばっかりじゃねえんだぜ?」


 逃げ出せる状況にあっても黙って座っている。昔、ハンター×ハンターのキルアに憧れて、密かに拷問を受けたり、格闘技の技を磨いていた。鋭い長い付け爪をしたこともあったくらいだ。爪を伸ばしっぱなしにしても、丸まるだけだと気づいたからだった。次第に成果が表れ、静電気ぐらいではビビらなくなり、ビリビリペンを押し続けても、刺激を感じなくなるようになった。故意に腕の関節を外すこともできるようになっていた。


 いつでも抜け出せるが、わざと抜け出さなかった。究極的な話、この警察官一人ぐらいなら、飛びついて脚を絡ませ、首を捻りまわして頸椎を折り、殺すことも容易かった。が、殺すことも逃げ出すこともしなかった。いや、殺そうとも抜け出そうとも思えなかったのだ。


 それが強者の余裕、ならぬ、罪人の気質だ。


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