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 数日後、何事もなかったかのように橋部琢巳はひょっこり学部の史書室に入ってきた。入って来て早々、「いやーやっぱり屋上遊園地の色気と、ムンクの叫びの忌々しさは絶対に融合すべきだわー」といつもなら松村京谷が言うであろうセリフを口にした。「どこ行ってたのよ!」と半ば切れ気味の中村夢莉の反応は当然のことだった。なんせ、二週間ほど音沙汰もなかった人間が突然やってきて、「屋上遊園地の色気と、ムンクの叫びの忌々しさは絶対に融合すべきだ」なんて訳の分からない素っ頓狂なことを言っているからだ。そりゃ怒るやつは怒る。


 しかし、松村京谷は橋部琢巳が帰ってくることを知っていたかのように振る舞っていた。「それでムンクの叫びに屋上遊園地の色気は融合できたのか?」と問いかける。


「おう、当然よ。俺史上最強の規模と最強の絵を描いてやった。シャガールが生き返ったら真っ先に俺の弟子になるだろうな。逆に俺がシャガールの時代に生きてたら、ナスカの地上絵は俺が書いたことになってるかもしれん」

「シャガールとナスカの地上絵って、時代が違うだろ」

「そういう例えだよ例え。ユーモアってやつ」


 突然現れた橋部琢巳の姿に身じろぎもせず、淡々と会話を進める二人に中村夢莉は「え、なになに、意味がわかんない」と状況を把握できていないようだった。


「宿題だよ、宿題。な?」と橋部琢巳は松村京谷に視線を送る。その視線を無視し、「お前の学部は?」と問う。「美術学部ー」とおどけて橋部琢巳は言う。


「あんたたちほんとに暇だったの?」中村夢莉は未だ困惑した表情だ。


「ああ暇だった」

「おう俺も。二週間前まではな」


 更に意味が分からないといった表情をする中村夢莉に、二人は言った。


「宿題ってのはさ、やりたいときにやるのが一番なんだよ」




「そう言えば、松村さ、中学のとき同じ名前の同級生いた? こないだ池袋で、屋上に馬鹿でかい絵を描いてくれって頼んできた依頼主がさ、そんなようなこと言ってたんだよ」


「……ああ。いたよ……あいつは京谷じゃなくて、京、だけどな。割と仲良かった。というか、屋上って……」言い淀むと中村夢莉が「もしかしてあの猫のサーファーのとこの?」と松村京谷と同じことを思ったみたいだった。


「そうそう。俺は波と熱帯魚の方がいいって言ってやったんだけどな。熱帯魚じゃここ水族館かよ、って話になって、それじゃまるっきしっそのままでつまらんとか、それに熱帯魚は日本語しゃべれねーなーとか言い始めて、猫もしゃべれねーだろーって言い返して……って、というか、なんでお前らそれ知ってんの?」


 松村京谷と中村夢莉は顔を見合わせた。


「松村くんの宿題やってくれたの、ほんとに橋部くんだったんだ」


 偶然の巡り合わせ。必然。非日常。ありきたりな毎日の鬱憤(うっぷん)(ないがし)ろにされていた自分の心。松村京谷は「なんかすっきりした」と炭酸飲料を飲んだ後に吐く溜息、温かい緑茶を飲んだ後に吐く月賦(げっぷ)のように、口から零した。


 すっきりしたけれども、本当にこれでよかったのかと省みてしまう。溜息と月賦が逆だったな、炭酸飲料よりもコーラの方がよかったかな、緑茶よりもハーブティーの方が味わいがある。文章を手直しするように、もっとこうすれば面白かったと脳内反省。起きてしまった記憶を改ざんして、またありきたりな明日がやってくる。


 そのどこかに、溜まっていた水が一斉に流れ出るような()け口があるのだろう。


「なあ、明日、もう一回あそこに行かねーか?」


 しけた面で、橋部琢巳は二人を誘った。




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