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階段一段一段に赤い社が続き、その間隔は三十センチ程度。鳥居の柱にはどこかの人の名前や事業主名。供養や奉納の先には何か見返りがあるのだろうか。現実的且つ、物質的な見返りはない。それでも何かを信仰し、その信仰心の先には無数の軌跡や奇跡の景色が広がっている。
「ねえ、やっぱり先に行ってよ」松村京谷が中村夢莉の背中を押そうとする。「ケツつけると痛いから注意しろ」その忠告を素直に受け取り、中村夢莉はローラーの上に足の裏を乗せてしゃがんでいる。
からから、と入り口付近のローラーの回る音がする。中村夢莉の背中を松村京谷が押しているのだが、彼女が踏ん切りがつかずに滑り台を滑っていかないからだ。「そういうところは素直じゃないんだからー」と松村京谷は揶揄する。「だってこんな大きい滑り台初めてだから」そんなに可愛く言われても困る。
「いいからいけ」
とん、と背中を押すと、彼女は滑っていった。回転するローラーの音が激しい音を立てていった。中村夢莉は何か叫んでいるようだったが、聴こえない。あーー、とか、うおーーとか、ひいーーーといったような擬音だからだろう。聞き取れない。
そのあとに続いて、松村京谷も滑り台の上を滑った。勢いをつけた松村京谷に比べ、中村夢莉は滑る速度が遅かった。彼と彼女の距離が狭まっていき、後ろから抱き着くような形で二人の間隔を失くした。
「おそーい。滑り台は勢いが大事なんだよ、勢いが」
「うるさい……」
踊り場に出ると、左側にあるローラーの上を滑る。櫓になった階段を上り、最後は長い普通の滑り台だった。ケツをつけて滑り始めた中村夢莉が「いたい!」と叫んだ。松村京谷はそれを聞いて、しめしめと思いながらローラー滑り台を滑るときと同じような、しゃがんだ状態で滑ろうとしたのだが、ローラーのようにうまく滑っていかず、きゅっきゅっとつんのめりながら、最終的に、滑り台の上を半ば走る形で出口の砂場へと降り立った。
「意外と面白いな。なあ……」中村夢莉に同意を求めようと名前を呼ぼうとした。
彼女は立っていた。
彼女は見上げていた。
そこにある建物は、廃屋。大きなデパートだった建物。
「なんか、電気ついてない?」つられて見ると、確かに明かりがあった。公園内にはいくつもの街灯があるので明かりがあるのは不思議ではないのだが、彼女の言う明かりは、デパートの入り口付近から漏れているものだった。
中村夢莉が近づこうと歩いていくのを見て、松村京谷もその後ろを追った。風除のドアの前に立つと、透明な薄汚れたドアの向こうにネオンの電飾が見えた。それを見た瞬間、「かわいいー」と言ったのは中村夢莉だった。いやどこが可愛いんだ? どう見ても不釣りあいだった。波を模した造形の上に乗っているのは、サーファーでもなければ入鹿でもオッドセイでもセイウチでもペンギンでも鮪でさえない。
「猫ぉーー?」
猫はサーフボードの上に乗っていた。不釣りあいだと思った理由は、猫が水とはかけ離れた生き物だと印象づいていたからだった。猫がカナヅチではなく泳げるには泳げることは知っていたが、それにしても斬新な模造の人形だ。思わず笑いそうになる。
「ねえ、中は入っていいのかな?」
訊かれて、「一応所有者とか管理者に確認してからじゃないと不法侵入に……」
「でもそこに書いてあるよ」中村夢莉は、波の上に仁王立ちする猫を指差した。人間で言う腰のあたりに両の前脚を起用にくっつけ、三角形を作っているその手首。クーラーボックスのようなものを両手首にぶら下げていた。「猫なら、タモとかスカリだろ」と思わず言いたくなる。人間染みた猫。偉そうな猫。滑稽な猫。よくよく見ると、猫の狸みたいな白い腹に何か書いてある。
「アイス……あります?」
はあ? と思わずにはいられない。「当店は無人のデパートでございます。ご自由にお入りください。お金はちゃんと置いていきましょう。あ、ごめんなさい、カツオの間違いでした。刺身にしていただけると、アイスもう一本サービスです。あ、ごめんなさい、嘘つきました。カツオ嫌いなので鮪で」
とんだ注意書きだ。なんだこれ。罠か? と松村京谷が思ったのは、咄嗟に、宮沢賢治の注文の多い料理店を思い出したからだ。
「あ、あいてる」中村夢莉は重い風除のドアをゆっくりと開けはじめた。
「おいおい、いいのか? 大丈夫なのか?」訊く耳を持たず、彼女はデパートの中へと入った。それを追うように松村京谷も入る。
電気は当然ついていない。
ついているのは、電飾。ネオンサインだった。
足元がおぼつかないくらい暗いが、ところどころにネオンサインが壁にでも貼り付けられているのだろう。しかし、この暗い空間では、そのネオンサインが浮き上がっているように見えた。まるで空中を浮いているように見えるのだ。しかし、すぐその種はわかった。天井から見えないくらい細い糸が吊る下がっているのだ。暗い空間ではその細い糸は目を細めなければ存在に気づけず、浮かんで見えるという仕掛けだ。
それにしても、種がわかっているとはいえ、これを仕掛けた人はすごいと思った。真っ暗、という恐怖心を殺さずに、ネオンの光の美しさを表現している。ラスベガス、香港、シンガポール。その街並みを意識させつつも、華やかすぎない儚さ。その眺める景色はまるで星の輝きが目と鼻の先に見える、現実感を帯びたプラネタリウム。いや、もはやそういう次元ではなかった。現実の夜空を見上げているように感じるのに、それは決して自然には存在しない人為的な景色なのだ。でもやっぱり自然にできた景色のように見える。矛盾しているが、その美しさは見たものしか受け取れないということが肌を通して感じられる。
ネオンサインは、絵のようなものと、漢字の二種類があった。幾何学な模様、人間の手などのネオンサインがぽつぽつと右半分の方角に。「同調」「歪」「婚期」「量産型」「既読」「カルト」「いいね」「欺瞞」「トロフィーワイフ」「自分らしさ」「就職」「ミスコン」「ルサンチマン」などの文字は規則性が感じられない。それらのネオンサインは左半分に。
首から上だけののっぺらぼうの少女が大きな口を開けて吐き出した幾何学な螺旋は、旋風に巻き込まれた木の葉や砂のように、「自主性」「過保護」「JK語」「距離感」「恋愛」「友達」「セックス」の文字を吸い込むように、文字を歪ませながら天井へと伸びていた。螺旋の先には大樹があり、螺旋は大樹に根付いているようだった。「喪失損失」「フィロソフィー」「道徳」の文字が肥料のように根元に横たわっている。大樹の容貌は、まるで街灯一本に照らされ、夜風に揺れる駐車場の隅、監視カメラの役割を果たす真夜中の街路樹。現実に樹が揺れているように見えるのはどうしてだ。光を交互に点滅させているからか? じゃあ今自分が見ているのは、どこかの大掛かりなイルミネーションとでもいうのか? プロジェクションマッピングのように精巧なその枝葉の揺れ。風が本当に拭いているかのように肌を舐めていくそれ。
俺は今何を見ている。現実だ。それは自然物か? それとも人為な自然か? わからない、わからない。なのにわからないという感情を凌駕して訴えてくる。美しい、を超え、絶句、を超え、誰かと共有したいを凌ぎ、誰かに見せびらかしたい教えたいを跳び越える、
自分だけのものにしたいという独占欲を。
今だけでいいから自分だけのものにしておきたい、いつか自分が死んだらどこかのだれかに渡る。それを思ったうえで、金に頓着を置かない収集癖を持ったコレクターの相貌。誰にでも手元に置いて置きたいものがある。お前にもあるだろう? そう聴こえた気がした。
「悪意」「誹謗中傷」「匿名」左大臣、太政大臣、右大臣、のように三角に並ぶ。膝をつき、手をつき、頭を下げ、三大臣を崇めているのが家来の存在。それは紫陽花だった。酸性かアルカリ性か、土の性質で花の色を変える。青からピンク色までを上手くグラデーションを使って左から右に表現している。紫陽花だけがネオンでできていないようだった。三大臣の文字を囲うのは寺のような仏閣だった。石畳の通路が続き、その両脇を紫陽花が彩る階調。紫陽花寺のように見えたのは、梅雨の鎌倉に一度行ったことがあったからだろう。
神社、寺、世界遺産、そう言った場所に行けば、自然と「綺麗だ」とか「美しい」という言葉が漏れるだろうが、そんなことはなかった。現に中村夢莉が呟いたのだ。「これ、昔からこんなだったのかな」と。一世代前、まだネオンサインが普及していない頃、このデパートは盛りを見せていて、すでにネオンサインを使っていた。その名残が今見ているこれ。誰かが昨日造ったようにも見えるのに、一世大前から使われていたようにも見える。それは、ネオンサインの性質なのだろう。ペンライトアート。あれと同じだ。静止画か動画のどちらかしか選べない時代に、空中にペンライトで文字を描き、その光文字を静止画に反映させるという、いわば動きも静止画で表現できるといった両方の性質を兼ね備えたものだ。最近では花火を使った花火文字と呼ばれるものもあるぐらいだ。
インスタのストーリーには、居酒屋での乾杯写真と「フリーメイソーン!!」というゴシック体の文字が書かれている。もう一方のインスタのストーリーは、若い女性が、光文字で輪郭だけ描かれた男性と、夜の河川敷でキスをしている。光文字で、「去年死んだ旦那」と隅に書かれている。
その後者の性質を持った景色が、今、松村京谷らが目前としている景色だった。
「二階があるみたい」
中村夢莉が言った。上や左右のネオンサイン、奥で口を開ける少女と、壁画のような紫陽花寺に目を取られていたせいか、足元にもネオンがあるのに気づかなかった。矢印のように線が続き、「二階へ」という文字がエスカレーターの前にあった。当然エスカレーターは動いていないので、二人は上った。自然と手すりに手を置いてしまい、咄嗟に手を離した。手に埃なのか煤なのか、どちらにせよ付き、ざらざらとした感触を持った。しかし、そのざらざらとした埃や煤の感覚が、ここは何年も誰にも立ち入られていないということを教えてくれていた。
いや、しかし、と思う。このネオンの電気代はどこから来ているのだ。街灯と同じ程度の電気代では済まないだろう。
罰が当たったのかもしれない。それとも、俺を見ろ、と囁かれたのかもしれない。そんな電気代とか現実的なこと考えてんじゃねえ、目の前に迫る魅力的な存在に目を向けろ。デパートが生きていて、この建物全体にそう言われている気がした。二階に上った先。そこにあったのは、いつか松村京谷が大学の史書室で自分のスマートフォンで見ていた景色と釣り合いがあった。中央にはレールがあり、その上を青い汽車の乗り物が走るのだろう。その周りには揺れるだけの子どもの乗り物、奥には小さな観覧車が天井を突き破っていた。そのかんらんしゃのってみたいよ、と思った。頂点に達したときだけ、屋上からの景色が眺められるのだ。
言い方を変えれば、ゲームセンターと呼べなくもない。しかし、松村京谷は「これだ……俺が欲しかったのは……」そう呟かざるを得なかった。一階は独創的なネオンの自然、二階は屋上ではないが、ゲームセンターの良い雰囲気だけを残した廃遊園地、これにあと退廃芸術が絡んでくれば完璧なんだけどな――松村京谷はこの部屋の景色を眺めていた。一番奥に、天井を突き破った普通の観覧車に比べれば小型の観覧車がある。突き破られた天井。その向こうに青黒い夜の空の海を見た。星が見えた気がした。
松村京谷は歩き出した。中村夢莉もついてくる様だった。彼は、観覧車に乗りたかった。お台場や海浜公園や富士急にある観覧車ではない。このちっぽけな全長高さ五、六メートルほどしかない観覧車に乗りたかった。
その観覧車に近づくと、確かに中には乗れるようだったが、子ども用なので成人女性が一人乗れるくらいだった。松村京谷には少しきついが、乗り込めないことはなかった。しかし、それに乗れたからと言って、この観覧車が動かなければ意味がない。動くかどうかもなにも、動かし方を知らなかった。
気づけばサルになっていた。見ざる、言わざる、聞かざる。何も見なかったことにし、黙ったまま、「ねえ、危ないよ」という中村夢莉の声は聞かないことにした。そうして観覧車を木登りするサルのように上り、昔お遊びで学校の校舎の側面を上ったことがあったなと思い出す。ボルダリングの選手が少しの突起さえあればどこでも登れるというのをテレビで見たからだった。その日から、「一緒にやろう」と約束した友達と二人で、指と背筋を鍛えまくった。1か月後、放課後の校舎の側面を上った。赤い屋根に足をつけたのは、鳶以外では初のことだっただろう。あちこちの田んぼから蛙の声が鳴りやまない中、その屋根から二人は夜空を見上げた。寝そべっていると、屋根のトタンの匂いがする。鈴虫が草むらで泣いている。助けてあげなくちゃ。そう思って学校の屋根から降りようと思ったが、降りるときのことは考えていなかった、とそのとき二人は顔を見合わせて笑い合った。結局、屋根のでっぱりがあると下りずらいということから、西側の屋根がない部分を二人は降りた。
そんなあの日の記憶が蘇る。あの日一緒に校舎の屋根に上った馬鹿な友人。友人と呼べるほどだろうか。高校を卒業し、自然と関係性が薄れると、それに伴って自然と離れて行った。彼は今何しているだろうか。いや、彼女とでも呼ぼうか。俺だけが知っていた秘密。そして俺だけがその秘密を知ることができた理由。隣にいる意中の人間が、自分を見てくれていないと知っていることほど苦しいものはない。なのに、松村京谷はその苦しいをとった。一緒にいられればいい、関係性が薄まれば自然と距離ができてしまう、疎遠になりいつか好きだったことすら忘れる、それが一番悲しい結末で、それを知っていたからだった。一緒に時間を共にし、いつかあわよくばキミが俺の方を振り向いてくれれば――そんな余念を期待できるほど相手の心は柔らかいものではなかった。固かった。この人以外ありえない。そういう理由で男装までする女だ。素朴で、素直で、愚直で生真面目。純白純粋純真。中村夢莉を嫌いになれない理由は、それが彼女に少なくとも当てはまるからだった。
観覧車には突起がたくさんあった。建物の壁面と違って、足や手をかけられる場所が多いので、するするっと登れた。穴の開いた天井を手で掴む。ぬるっとして一瞬離しそうになった。どうやら苔のようだ。この観覧車が錆びているのも風雨のせいだろう。
そのとき、松村京谷はナスカの地上絵を見た。正確には見た気がした。観覧車同様、小さくなってしまったその絵は、屋上一帯すべて使って書かれていた。
針のように降り刺す雨。
時によじれ。
それはアンビリーバーズの狼が、爪で描くネオンのように見えた。
その麓に、二人のくるみ割り人形の男がいた。右のくるみ割り人形の男は、自分を抱きしめるように胸の前で交差した手で肩を握る。首を傾げ、目を閉じ、口を開け、口角に血の筋を流し、何か考えているような様子だった。左のくるみ割り人形。こっちの男はケルベロスのように上半身が三つに分かれていた。ケルベロスというよりはどちらかというと千手観音に近い気がする。男の背中から二人の男の上半身が、ペガサスの翼のように左右に顔を出している。左は憎々しい薄気味悪い笑み、右は手に入らないことへの哀しみの涙、といった表情だ。
そして、真ん中にいる男が両手で抱えていたのは猫だ。入口の風除室にいた猫の額に、ユニコーンのような角が生えた猫。右のくるみ割り人形の男の開いた口に向かって、その猫の角は刺さっていた。
きっとセスナか何かに乗りながら、上空から見たらもっと詳細に見えるんだろうな。というのも、月明りだけではその彩りの美しさをすべて把握できなかったのだ。退廃芸術といえば白と黒。しかしここに描かれた絵は、深紅や深緑、濃い色を多く使っていた。その味わいは、見た目の華やかさではなく、人間の心の中の暗さを表現しているように思えた。焚火の火が針の雨によって鎮火し、ちょうど火が消えたところで立ち上る煙のような魂は、しばらくすると浮遊するのをやめ、重力を持ったのか、操作性、浮遊力を失ったのかは知らない。とにかく地面に落ちた。土に還り、芽が出て、幼稚園生が書いたような簡素な秋桜を咲かせる。色はピンク――乙女の真心、謙虚、調和、純真。その横にもう一つの魂が落ち、土に還り芽が出て、花を咲かせた。咲いたのはダチュラだった。地面に向かってトランペットの様に花を開くオレンジのダチュラ――愛嬌、偽りの魅力。
何とも皮肉な花たちだ。先程紫陽花を見たときも思ったが、紫陽花の花言葉は冷酷、高慢、無情などだった気がする。
秋桜とダチュラ。この組み合わせは風刺画の様か。花言葉で真逆の感情を抱かせながらも、見た目は美しい花に変わりない。容貌は人間で同じだけど、実は昨日すれ違った人が明日殺人を起こそうと企てていた、そういうことに気が付けない、人間の心を模した絵。
左のケルベロスのようなくるみ割り人形。なぜかそれが自分と重なり、「この想いは自分だけではなかったんだ」と勝手に解釈して安心する。
観覧車をゆっくりと降りた。降りると中村夢莉が「何かあったの?」と訊いた。
「俺の宿題、誰かがやってくれたみたい」
「もしかして橋部くん?」中村夢莉はそう言ったが、松村京谷にはそこでなぜ橋部の名前が出てくるのかわからなかった。
「今までレポートやってあげてたお返しだとしたら、逆に俺があいつに金払わなきゃな」
松村京谷のモノの価値を量る目が、「今までもらった十万返してやれ。金が欲しくてレポートやってやってたわけじゃないんだろう? そこまで金に頓着あったか? お前は」と言っている。
ああ確かに。そう納得してしまうくらい魅力的なアート――いや、自然物を目にしたのだった。