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 再び松村京谷らは満員電車さながらの屋台通りを歩くことになった。子ども用の青いビニールプールには、赤い金魚が数多く泳いでいた。数匹黒い金魚が泳いでいるのを見ると、ゲームに親しんできたせいか、直観的にとるのが難しいんだろうなと思った。


 その見つけた金魚すくいの屋台で脚を止めた。一回三百円。二人で六百円、屋台主のおじさんに小銭を手渡した。


「はいよ、二つな」おじさんはポイと呼ばれるものを二つ手渡した。すくい枠に和紙が張られた、手鏡のような形をしたものだ。それと、ステンレスの小さい器を手渡した。


「やばい、久しぶりすぎて」中村夢莉は緊張しているのか興奮しているのか、どっちとも似つかない感じだった。いざ、金魚を目の前にしてみると、確かに本当にこの金魚が和紙を破らずに(すく)えるのかと大いに疑問だった。普通に考えて濡れている、それも重さのある金魚がこの薄い和紙の上に乗っていられるだろうか。だから、素早く器に金魚を移す技術が試される、それが金魚すくいなのだろうが……。


 それにしてもそんなに素早く手を動かせるものだろうか。いざ、プールの淵に集まった赤い金魚の横にポイを添えてみるが、とてもじゃないが掬える気がしない。


「にいちゃん」店主の声が聴こえた。「そんなに真剣になんな。金魚すくいなんてお遊びだ。無駄に気い使う方が金魚にもばれて捕まんねーぞ」


 隣では中村夢莉が早速、ポイを水面に入れたようだ。ポイの枠の辺りに引っかかった金魚は、流れるようにステンレスの器へと吸い込まれた。


「おおう、ねえちゃん上手いね」

「やばーい、とれちゃった!」


 その横顔を眺めていると、先程までの彼女の思いつめた顔が記憶から消されたような気がした。これが本来の人間の表情。厳かなもの。そう思ってしまう自分さえも包んで、面映(おもは)ゆかった。


「あーやぶれちゃった」


 (はかな)い表情をもう一度見たくて、「これ使いな」と気づけば手渡していた。


「いいの?」

「おじさんの言う通り、俺が今からとってやるぞって気迫が金魚に伝わってるみたいで、寄り付かないんだよ」

「ああーわかるー。松村くんって近寄りがたい雰囲気あるもんね。金魚もそれに気づいたかー、正直だねえ」


 結果、松村京谷のポイで中村夢莉は金魚を二匹掬った。「ねえちゃんセンスあるよ。金魚に好かれてんだな」


 確かにそうかもしれない。捕まえられた金魚たちはこれから中村夢莉の元に行くのだ。人がついていきたいと思うのは信用できる人間だ。信用できる人間というのは、素朴で真面目で、他人を疑うことを知らない人間だ。松村京谷は物事を見透かそうとして疑ってばかりだ。自分よりは、彼女の元に行きたいと思うのが普通だろう。人間も金魚も生き物という面では変わりないはずだった。


 巾着のようなひも付きのポリ袋に金魚が三匹泳いでいる。指先に青い紐をひっかけ、中村夢莉は松村京谷の隣を歩いた。


 結局、病院祭と呼ばれる病院内での展示やイベントを見て回り、立体駐車場が休憩場所になっていたため、そこで休み、そこから見える病院の入り口付近で中学生の吹奏楽を聴いていると、時間は砂のように流れていた。西の空に大きな夕日があり、銀杏(いちょう)の紅葉のような、常夜灯のような、薄暗い橙色の明かりが辺りに落ちて来ていた。吹奏楽部員は、並んでいたパイプ椅子やら譜面台やらを片付けている。


 移ろう景色に、時間の過行く過程を見せてもらったような気がした。新幹線に乗ったとき、ふと目を離したすきに景色が変わってしまった。それは、新幹線という速いスピードで移動する乗り物の車窓から見える景色だからだ。でも、普通に暮らしていても景色はいつの間にか変わっている。それは、新幹線のスピードがもたらす物理的な景色の変化と同じような早さのように思えた。


 立体駐車場を出て、中央通りに出る。屋台の骨組みは外され、テントの立っている屋台はほとんど残っていなかった。屋台主たちは皆、テントを畳み、骨組みをロープのようなものでまとめ、(くく)っていた。


 にぎやかで満員電車に例えられるくらいの(うるさ)さは消えたようだ。夜になると狂暴化してしまうことを知っている狼の様に、彼らは一様に店仕舞いをしているようだった。


 閑散とした商店街の風情が戻りつつあるようで、元々のこの商店街が閑散としているかどうかは知らないというのに、日中の煩さ、にぎやかさ、満員電車さながらの(さか)りを見ていたせいか比較されてそんなことを思った。その閑散とし始めた商店街の風情を、「廃れ始めた」と訳すには、もったいない。やがて日が完全に落ち切り、軽トラックの荷台にテントや骨組みを乗せ、屋台を片付け終わった店主たちは姿を消した。暗くなった商店街を照らすのは、月明りと街灯だけになった。変わり果てた商店街の姿は、人間の心を表わしているようだった。


 東京に帰るための終電の時間まで、まだ三時間近くあった。「飯でも食ってから帰る?」松村京谷はそう訊くのだが、中村夢莉は浮かない表情だった。いつの間にか祭りを楽しむことに夢中になっていたことで、橋部琢巳のこと、男性の落したケータイのことが頭からすっぽり抜けていた、それを今祭りが終わって思い出したかのように見えた。本当は目的が違ったというのに、自分は遊んでしまった。そのことについて悩んでいるのだろう。真面目で素朴な人間は、そういう過ぎてしまって取り戻しようのない時間について省みることが多々ある。


 そして、やはり、その中村夢莉の浮かない表情を見ても、松村京谷は気の利いたことなど言えなかった。「俺がそもそもこの祭りに来ようとしてたのはな、祭りに興味があったからじゃなくて屋上遊園地に興味があったからなんだよ」結局話題に困って、間が怖くなったときは、自分のことについて話すしかなかった。「ほら、昼間運営事務局行ったときに、おばさんが言ってたの覚えてる? 稲荷山って、あの、太陽の塔みたいなロケットのある山にさ、サンマルコってデパートが昔営業してたんだよ。中村もロケットに上ったとき見えただろ。滑り台の降りた先にあるでっかい建物」


 中村夢莉は「あったかも」と頷く。


「昔はあの屋上に遊園地があったんだ。中村もデパートの遊園地、一回は行ったことあるんじゃない? もう取り壊されてないんだけど、俺はその遊園地があった建物を一度でいいから眺めてみたかった。実際にそこに行って、自分の目で。稲荷山の稲荷、稲荷神……はキツネも意味していて、ほら、祭りのとき白いキツネの看板とかモニュメントみたいなのよく見かけただろ。稲荷と言ったら白狐、キツネの好物が油揚げで、だから稲荷ずしって呼ばれるようになったとか聞いた気もする。ああ、そんなことじゃなくて、俺がここに来たかった理由は、稲や農耕の神を祭った神社のある山に、コスモタワーって呼ばれる灯台みたいなでかい造形物があって、その(ふもと)に子どもたちの遊べる長いローラー滑り台があって、滑り降りた先に廃業したデパートがあって、今はないけど昔はそこに屋上遊園地があっただなんて、俺の興味を引き付ける万物すべてを凝縮したような山だと思ったんだ。俺の理想とするモサンミッシェルのような街の形をした廃遺跡とはまた別のカテゴリだったけど、すごく惹きつけられたんだ。だから、どっちかって言うと祭りの方はおまけなんだ。ちょうどこないだ中村が自分の宿題やってるのかって聞いただろ? それがこの祭りに来るきっかけだったんだよ」


 歩きながら話していた二人は、街灯だけとなった商店街の中央通りを抜け、突き当りにある稲荷神社への石段と赤い鳥居を目にしていた。昼間に見たマスコット白狐の看板はもうない。看板があったはずの裏には、石柱のようなものが一対にあった。その石柱の上にはまるで狛犬、ならぬ、(こま)(きつね)が鎮座しているような雰囲気だ。しかしそこに狛狐はいない。


 目には見えないのに、そこには何かが存在しているように見せるのはとても難しいことだった。だって目には見えないのだからそこには何もないと考えるのが普通だ。


 でも確かに、石柱の上には白狐がいるような気がした。それはおそらく、神社の入り口に一対にいる狛犬の光景を、松村京谷が何度も見ているからだろう。まちがいさがしのように記憶から呼び起こされた神社の光景と現実に見ている光景とを比較しているからだろう。しかし、神社に(うと)い人から見れば、そこにはただ石柱が一対に建っているだけにしか見えない。


 この祭りの意味。祭りの時期だけ街に姿を現す看板や造形の狐。


 なんとなく笑ってしまった。神様も自己顕示欲があるのかもしれない。「私はここに居る」と知らせるように、SNSで昨日見た意味深な投稿は、神様の投稿だったのかもしれない。


「滑り台乗って帰ろう。どうせこの時間だから誰もいないだろうし。そのあとで、デパート眺めてみたい」


 中村夢莉に異論はないようだった。「せっかく遠出したんだからね。最後まで堪能し尽くさなきゃだめだよね」男性のケータイはまだ彼女の鞄に入っているだろう。彼女の頭の片隅には、橋部琢巳のことがあるだろう。


 これが割り切るってことだ、と松村京谷は思う。割り切ることは生き方だ。常識っていうのは少し嘘をつくこと。中学の担任が離任式で言っていたことが胸の奥で囁かれる。「正直者を悲しませたりしたら私は許さないよ」弱者の味方の象徴、彼女自身も割り切らなければ弱者である、そんな彼女の声が聴こえ、「あんたはいつまで俺の担任なんだよ」と思わず呟いてしまう。


「え、なになに、なんて?」隣で中村夢莉が訊き返してきた。

「思い出せる限りは、人は生きてんだよ」

「誰か亡くなったの?」

「そういう意味じゃないよ」言葉をそのまま素直に受け取れてしまう中村夢莉には難しいだろう。中学の担任は、どこかで生きているかもしれないし、もう死んでいるかもしれない。わからないくらい音信不通で接点は中学卒業以来、何年もない。だから、生きているとか死んでいるとか、そういう意味じゃないんだ。


 記憶が魂だとするなら、狐の神も人の中で生きているのだろう。今日の祭りを皮切りに、石碑や墓石などで形作らなくとも。


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