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久しぶりにメンソールが吸いたいような気がして、コンビニに駆け込んだ。メンソールなど、初めて吸ったときに吐き気を覚えたことから、それ以来ほとんど吸ったことがない故に、どの煙草を買えばいいのかわからなかった。仕方なく、煙草を吸い始めた初期頃に吸っていた銘柄にしようと思いつく。レジ裏のアメリカンスピリットの棚に目を泳がせる。横一列に並ぶアメスピのパッケージは、他の銘柄のパッケージに比べて鮮やかなものだった。紫に黄色にオレンジ、黄緑に緑に黒に青。メンソールは確か黄緑と緑の二つだっただろうか、よく覚えていない。店員に番号を伝えると、手元に緑のパッケージをした煙草が置かれる。「これ、メンソールですよね?」と確認すると、若い女性店員は、ん? ん? と首を傾げていた。無理もないだろう。銘柄の違いなんて吸っている自分でも把握しきれないのだ。非喫煙者だろう店員が悪いのではなく、種類が多すぎるのが悪いのだ。
「ごめんなさい、アメスピのことよくわからなくて」
「ああ、そっち?」
店員はきょとんとしていた。「メビウスとかケントならわかるんですけど」と言ってくるあたり、彼女も喫煙者なのだろうか。年齢は二十代前半で、大学生の様だった。髪は茶髪でポニーテール気味に一つに結ばれている。化粧は薄く、美人は化粧しない方が美人だ、と誰かが言っていたのを思い出す。その風貌と喫煙とがうまく結びつかなかった。単に、店員をしていて銘柄を覚えているというだけなのかもしれないが、よくわからない。
小銭を手渡し、レジ作業をしながら「私、創作してるんですよ」と店員は呟いた。それの意味がよくわからず、「創作すると煙草を吸うんですか?」と咄嗟に問い返した。
「お風呂と同じです。あと、寝そうで寝切ってないまどろみとか」彼女はにっこりと笑ってお釣りを手渡した。今度はこちらがきょとんとしてしまった。思わず言ってしまう。
「同感です」
コンビニを出た。あんな若い美人が自分の隣で煙草に付き合ってくれる、という妄想を浮かばせていた。しかし、針が刺される。肩を叩かれた。振り返ると中村夢莉が膝に手をついて肩を上下に沈ませていた。どうやら走って追ってきたようだった。息が上がっていて言葉が出ないのか、単に何を言えばいいのかわからないと言ったところか、どちらにせよ彼女は話し出そうとしなかった。
「そこの店員」と松村京谷は今しがた出てきたコンビニの店員を、ガラス越しに指差した。「煙草吸うんだって」返事はなかった。「東口の喫煙所行こう」続けてそう言うと、彼女はついてはくる様だった。
喫煙所に着くまでの間、煙草のことを考えていた。メーンソールって他に何があったっけ、と思い浮かべると、そうだマルメンがあった、と思い出す。アイスブラストもあったな、クールもあったと次々に思い浮かんだ。
喫煙所に着くと、囲いの中に入って煙草のフィルムを剥がす。ポケットにしまい、一本取り出して火をつけた。中村夢莉は松村京谷の隣に来た。
喫煙所内はスーツ姿のサラリーマンや、男女の若いカップルといったような風情だった。見受けられる若い女性のほとんどが白と黒のメリハリのある服装をしている。華やかなワンピースといった服装の女性はほとんど見当たらなかった。先程の店員はどちらかというと、華やかなワンピースが似合うような女性だった気がした。彼女がこの喫煙所に居たら面白いな、と再び妄想を働かせる。
「あのさ」と中村夢莉は口を開いた。「何?」といつも通りに聞き返したつもりだったが、彼女は口を噤んでしまった。単に話すのを躊躇うような内容のことを言おうとしていたのか、それとも「何?」という二文字に威圧を感じたのかわからない。とにかく一寸置いてから、彼女は話し出した。
「ケータイ、落とし物」と単語だけを言われても松村京谷には何のことかさっぱりだった。「落とし物のケータイでも拾ったの?」と訊けば、彼女は頷いた。
「さっき、大学出て駅に入るところで男の人とぶつかったの。そのときに落としたみたいなんだけど、見当たらなくって」
「その男の人が? それともケータイが?」
「男の人!」俯いていた中村夢莉は顔を上げて言い放った。そのとき二人は目が合い、松村京谷が少し微笑んでやると、彼女は照れたように顔を背けた。
しかし、それ以降は二人の間にあった話難いとする雰囲気も消え去ったようで、普段大学の史書室で話しているときのような雰囲気に戻ったようだった。正確に言えば、話難い、気まずい、と思っていたのは二人ではなく彼女だけだが。
「やっぱり交番に届けた方がいいのかな」
「それが無難だろうな。落していくやつが悪いんだし、こっちが届けるところまでしてやる義理はねーよ」
「でも、私がぶつかったせいでその人はケータイ落して行っちゃったんだよ? なんか申し訳ないし……」
中村夢莉は鞄からそのケータイを取り出した。そして、手元にあるケータイを眺めていた。どれどれ、と松村京谷はそれを手にした。電源を入れるとロック画面が表示された。鍵がかかっていないということはないようだった。開ければ、中の電話番号やら何やらで彼の居場所をたどることもできたが、それは無理なようだ。
「なんか書いてある」
松村京谷の手にしてたケータイを覗き込むようにして中村夢莉は呟いた。画面上に表示されたデジタル時計の数字の下に、何やら文字が書かれている。忘れないようにとメモ書き代わりにしていたのだろう。
そこに書かれていた文章に、松村京谷は見入った。
「小満祭……サンマルコ、稲荷……これどういう意味だろう?」
「長野県の東信地区で行われる祭りだ。それが行われるところの近くに稲荷山って神社みたいな山があって、サンマルコっていう廃業したショッピングセンターの跡地がある」
「なんで知ってるの?」
「その祭りが明日だからだ」
「いやなんで、そんな田舎っぽいところの祭りのことなんか知ってるのかって……」
「俺が明日行こうとしてた祭りだからだ」