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【花瓶に花言葉】

 切符を買う、という行為自体が久々で、列車内で切符を買う、ことも久々で、それに加えて手にした切符が通常の薄い切符とは違って厚紙だったことから、ガラガラの列車内のシートの上で小さな興奮を手にした。


 ガタゴトと鳴る列車の音は、普段乗っている列車での音とは違って聴こえた。森の中に敷かれたレールの上を走っているような感覚が、外の風景によって養われていく。両サイドの窓ガラスを覆うように茂る草木の距離が列車に近く、本当に森の中を列車が走っているかのような錯覚を抱いた。しかし、その錯覚も、ものの数分のことで、数分もしないうちに景色は開けた。窓ガラスの向こう側に広がるのは、(のど)かな田園風景だった。水を張った田、田舎さながらの一戸建ての建築物が点々とし、その家の前に停まる自転車、ベランダの洗濯物のそれぞれを目にして、錯覚から目覚める。


 たかが数分もない短い時間だったとはいえ、その錯覚は心地よいものだった。手元にある厚紙の切符を目にすると、千と千尋の神隠しで釜爺が千に手渡した切符を想起させた。その切符はもっと薄かった筈なのに、だ。列車内もどこか千やカオナシが乗った海原(うなばら)電鉄の列車の内装に似ている気がしてくる。長い年月を思わせる深紅(しんく)のシートに茶色いレトロな窓枠。窓ガラスが薄茶色くくくぐもっていて、それが夕日を通したときの色と重なった。


 しかし、海の上は走っていない。だから、森の中を列車が走る感覚は、猫バスに乗った感覚と似ているということにしよう。そんなことを考えているうちに、目的の駅にたどり着いた。


 下車し、入り口にいた駅員に切符を見せる。駅員は受け取ろうとしたが、「記念に持ち帰ってもいいですか?」と尋ねると、表情を変えずに承諾した。


 駅構内は、それほど広くはなかった。都会の駅と比べれば狭いが、ここに来る前に目当てで行った駅舎に比べれば断然こちらの方が大きい。土産物を揃えて並べている売店や、パンフレット等を多く置いているのを見ると、一応観光地ではあるのだろうと思った。


「喫煙所ないかな」と隣を歩く井出(いで)が訊いてくる。「お前はどこに行っても煙草を吸うことしか考えてねえな」と言ってやれば、「喫煙所どこ、って小林の口癖じゃなかったっけ?」と嫌味ったらしく覗き込んでくるので、「同類」としおらしく小林は呟いた。


 駅舎を出てすぐ左手に、売店があった。暑かったせいもあり、売っていたフローズンジュースを二人は買う。小銭を払い、受け取ると、売店の脇にあった白いガーデンチェアに腰を下ろした。腰を下ろしてすぐに、井出が「喫煙所!」というので視線の先に振り向くと、売店の裏に隠れるように円柱型の灰皿が立っていた。フローズンジュースを白テーブルの上に残し、すぐに立ち上がった。


 ポケットから煙草とライターを取り出し、火をつけて吐き出すまでの一連の動作が流れるようにスムーズだったのは小林で、井出は背負っていたリュックから煙草を取り出すのに手間取っていた。パンパンに膨らんだリュックには何がそんなに入っているのか不思議だった。ショルダーを右肩だけ外し、左の脇腹辺りに来たリュックの口に、手を突っ込んで探している仕草は、幾分見慣れた光景だった。「ポケットにでも入れときゃいいじゃん」と訊いたが、井出はリュックの底から煙草とジッポを探すことで夢中だった。首を傾け、左手を突っ込み、未だにガサゴソしている。


 そのうち見つけたのか取り出し、やっとありつけた、と溜息をつくように煙草に火をつけた。メビウスの細い紙巻から煙が立ち上り、煙を吐いた。


「毎回毎回リュックに手突っ込んでるから、もはや煙草をリュックの底から探すのを楽しんでるようにしか見えないんだけど。ポケットにでも入れときゃいいじゃん」


 井出はパンパン、と太腿を叩いた。ああ、と思い至る。


「デニムだからケースが潰れるってことね」


 井出は口は開かず、右手の親指を立てた。


「なら、ワイドパンツとか緩いやつ履けばいいじゃん」井出は神妙な面持ちで首を横に二回振った。「今、夏なんだからハーフパンツでもいいし」また首を横に振る。「じゃあ、鞄のでかいところに入れるんじゃなくて、小物とか入れるとこに入れればいいじゃん。それならあんなにガサゴソしなくていいじゃん」


 井出は、また首を振った。


 しばらく黙って吸っていた。小林は、売店の裏に雑に乗り捨てられていた子どもの乗り物を眺めていた。数百円投入すると、前後左右に揺れ、効果音が鳴る――小さい頃はデパートでよく目にしたあれだ。種類はパトカーにバスにロボット、一番よくわからないのは、ヘルメットを被った野球少年を模造した人形が、助手席のフロントに上半身だけ埋め込まれている乗り物だ。乗り物の外装はバスっぽく、ナンバープレートの位置に右からグローブ、ボール、バッド、ヘルメットが、それがナンバーだとでもいうように雑に並び、描かれている。タイヤのホイールは野球ボールで、赤い縫い目が特徴的だった。


 どの乗り物も、「故障中! 乗車禁止!!」というラミネートされた張り紙が張られていた。ハンドルはすすけ、座席には枯れ枝が被っていて、故障以前にとても動きそうにはなかった。


「なんかこれいいなあ。ねえ、井出」井出が口を開かないだろうとわかってはいたが、一応訊いてみる。「退廃的って言うのかな。心霊スポットとか呼ばれそうな退廃的とはちょっと違うと思うんだけど、廃園になった遊園地みたいな雰囲気がある」言った後で気づいたが、たった四台の子どもの乗り物が遊園地のような雰囲気があるとは、またずいぶんと飛躍した想像力だなあと(かえり)みる。


「一つしかないんだよ」井出が突然喋(しゃべ)った。「え?」と反射的に小林は訊き返す。


「リュック。一つしかないんだよ、入れるところ」井出は煙草の煙を吐きながら言った。なんだ、そっちの話か、とてっきり子どもの乗り物の話かと思っていただけに拍子抜けする。小林は、「そこにファスナーついてるじゃん」と井出のリュックを指差した。井出はリュックの表面にあるファスナーをつまむ。横に引こうとした。


「開かないんだよ。ただ縫い付けられてるだけのファスナー。飾り物、ダミー」

「なんだ。そういう仕掛けかあ」

「これ、昔乗ったなあ」井出がしゃがんで模造の野球少年の頭を撫でた。話が行ったり来たりするなあ、と思った。

「よくデパートとかにあったよね。ジャスコのゲームセンターとか。サンマルコは屋上が遊園地みたくなってたっけ」

「さっき中央線乗ってるときに読んでた小説でさ、奈良の廃遊園地の描写が出てきたんだけど、ちょうど行ってみたいと思ってたんだよね」井出は灰皿に吸い殻を落とした。

「井出は廃墟とか神社みたいなところ好きだねえ」

「うん、なんか()かれるんだよね。よくわかんないけど雰囲気とか。荒れる前はそこに誰かがいて、何かしていたはずで、そういうのを想像するのが好きなんだよな。前に、富山だか岐阜だかの無人の温泉に行ったんだけどさ、あ、野沢温泉みたいなちっちゃいやつじゃなくて、ちゃんとした旅館の温泉ね。経営破綻だかで旅館の運営はできなくなったけど、温泉だけは湧くからって、支配人の計らいで無人になったらしいんだけどさ、そこを何処の誰だか知らない奴が心霊スポットと勘違いして土足であがってるんだよ。山奥の秘境染みたところにあるんだけど、旅館の縁側みたいに長い廊下を通って温泉に行くんだわ。その廊下が足跡だらけで正直覚めたよ。ゴム見つけたときはそのまま引き返して帰ろうかと思ったくらいだ。温泉に入りに来たわけじゃなかったのに、温泉入って帰ったよ。マジでたまげた」


 井出はしきりに「廃墟と心霊スポットは別物だ」「退廃的なエモさをぶち壊すな」「サンと山犬に喰われろ」「乙事主様がキれて祟り神になるぞ」「人間はこれだから……」「何か起きてから思い出したように慌てふためく。当然だろうって」などと豪語していた。


「そういえば、さっき、駅舎に行ったときも言ってたけど、そのエモいって何なの? どういう意味?」

「さあ?」と(てのひら)で空気を持ち上げた。井出は白いテーブルの前に戻ろうとしていた。小林は、フィルター付近まで短くなった煙草を一口吸い、捨てようとしたが、また口元に煙草を持っていき、結局二口吸って灰皿に捨てた。灰皿から顔を上げると同時に「あ!」と井出の声が聴こえる。喫煙所を見つけたときと同じような声だったので、どうせたいしたことではないだろうと思いながら近寄った。


「あらま、こりゃただのジュースだ」


 太陽がじわじわと背中に汗をかかせる。「まあ暑いしな」「フローズンじゃなくなったから頭痛はしなくなるんじゃない?」「おっ、珍しく興味のある話題だね」


 溶けたフローズンジュースは、飲まずにその場に置いていくことにした。「口をつけてないジュースが机の上に二つあるのを見た誰かがさ、そこに透明人間が座ってるかと勘違いするかもしれないだろう?」井出は嬉しそうに笑った。無礼者をもののけ姫たちに殺させる妄想と怒りは何処へ行ったのだ。言いたいときに言いたいことを言う。前から思っていたが、改めて自由奔放な印象を持った。


「特にここ。物質的に(すた)れてはいないけど、雰囲気が廃れてる感じ、なんかエモいじゃん」


 だからそのエモいとは何なのだ。口には出さずに問いかける。どちらにせよ、退廃的な面影を求めて訪れたさっきの駅舎とは違って、この駅はまだ退廃さを残していたということなのだろう。


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