第四章 生きるか死ぬか。①
「渡り廊下んとこ、こっちに向かって走って来とる」
「ほんとだ。南だ」
同じ階なので、ライフルを使わずとも、南の姿を確認することができた。
髪を振り乱して、必死にこちらに向かって走って来ている。
良かった。
生きてた。
僕は、ほっと胸をなで下ろした。
いや、良くない。
南の遥か後方に男子生徒がいるのを確認すると、僕は心臓が凍り付くような思いがした。
男子生徒は銃を手に持ち、南に向けている。
「まずい」
僕は鍵を外して中庭側の窓を開けた。
ライフルを覗き込む柚葉を見る。
「ああ、わかってるって、わかってる」
柚葉は額に汗を浮かべてスコープを覗き込んだまま応えた。
引き金にかけたその手がかすかに震えている。
「柚葉、かわろうか?」
「そんな時間ないやろ。まかせとき。こんな銃、ゲームでしか使たことないけどな。でも、うちかて、やればできるんやで」
男子生徒が引き金を引くのが見えた。
パン。
遠くで音がして、南が倒れ込む。
「ああ! 南!」
ドォン。
それとほぼ同時に、僕の隣から、空中を切り裂く音がした。
柚葉だった。
「あかん! 外してもた!」
南が撃たれたので動揺して発砲したのだろう。
柚葉は素早く、次の弾を装填する。
僕は、倒れた南を見た。
大丈夫。微かに動いてる。
南は立ちあがり、また走り出した。
よかった。
胸を撫で下ろしたのも束の間、再び、男子生徒が南に向かって銃口を向けた。
「あんた、いい加減にしいや」
柚葉が低く唸り、再び鈍い音が轟いた。
ドォン。
今度は、男子生徒の頭に正確にヒットした。
頭から血を噴き出し、男子生徒が倒れるのが見える。
「ふう」
僕は安心して、窓を閉め、机で作ったバリケードを抜けて音楽室のドアを少し開けた。
南が走って来たのを確認すると、大きくドアを開け放つ。
「こっちだよ!」
「うんっ」
恐怖におののいた顔で、髪を振り乱し、足をもつれさせながら一心不乱に南が音楽室に走り込んで来た。
南が入るのを確認すると、すぐにドアを閉め、鍵をかけた。
「はあっ。はあっ。はあっ」
倒れ込み、苦しそうに肩で息をしている南の横にかがみ込み、僕はそっと背中をさすった。
「大丈夫? 怪我はない?」
南は、応える代わりに微かに頷いた。
「しんどいだろうけど、早くこのバリケードの内側に行かなきゃ、安心できないんだ」
頷いた南の右肩の下に僕の肩を入れ、抱えるようにして、机で出来たバリケードを二人でよじ上った。
顔が近い。
南の吐く息が熱い。
「がんばって。もう、ちょっとだから」
バリケードを越えると、南は床に倒れ込んだ。
音楽室の床は、音が響かないようにカーペットが敷いてある。
「はあっ。はあ……」
南は安心したようで、少しずつその息が穏やかになっていく。
「南さん、無事で良かったね」
泣きそうな顔で僕の肩に寄りかかって来たねねの頭を、僕はそっと撫でた。
きっと、誰よりも責任を感じていたに違いない。
「ああ、ほんとうによかったね。ねね」
「みなみ生きてた!」
「みなみ無事だった!」
南の生還を、みんなで喜び合った。
死が支配する世界で、初めて希望を見た気がした。
「あかん。うち、人殺しになってもたわ」
柚葉だけが、呆然とその場に立ち尽くしていた。
苦しい。
苦しいっっ。
吐きそうだ。
男子トイレから意を決して走り出した南は、運悪く階段を上って来た男子生徒に見つかってしまった。
男子生徒は南の姿を認めた途端、腰から拳銃を引き抜き、発砲した。
弾は南の直ぐ横のガラスを粉々にして飛んでいく。
殺される。
南は生まれて初めて、自分に向けられた殺意を感じ取った。
逃げなきゃ。
本能的にそう感じ、南は全速力で音楽室に向けて走り出した。
音楽室に裕也たちがいる保証はまったくない。
しかし、信じるしか無かった。
恐怖でガタガタと足が震えてうまく走れない。
でも、今はそんなことを言ってられない。
南は前だけを向いて必死に足を動かした。
いつもなら歩いて数分の道のりが、今では何キロも続いているように感じた。
「はあっ。はあっ」
冷や汗が頬をつたう。
パン!
パン!
銃声が南を追いかけてくる。
だめっ!
腰に鈍い痛みを感じ、南は前のめりに倒れ込んだ。
撃たれたの? 私。
南は状況を理解できずに混乱した。
死んだの?
大丈夫。
足も腕も、まだ動く。
どこを負傷したのか確認するのは後だ。
南は必死に立ち上がり、再び走り出した。
今度こそ殺されるかもしれない。
それでも、今は、信じて逃げるしかない。
渡り廊下を走りきると、右に曲がり、音楽室を目指す。
誰かが音楽室から私を呼んでる。
裕也君だ。
良かった。生きてた。
南は最後の力を振り絞り、音楽室へ飛び込んだ。
疲れ切り、体に全く力の入らない南を、裕也は支え、安全なバリケードの後ろ側まで運んでくれた。
裕也君。どうしてそこまで優しくしてくれるの?
裕也の横顔を見ながら、南は自分の顔が赤らむのを感じた。
恐怖のせいではない。
生まれて初めて感じる暖かい感情だった。
バリケードを越えると、たまらずカーペットに倒れ込んだ。
裕也とねねが、仲睦まじげに並んで南を見下ろすのがみえた。
そっか。
そうだよね。
南は、助かった安堵とともに、胸にもやもやとした感情が巻き起こるのを感じた。
「南さん、大丈夫?」
「ええ。ありがとう」
ねねの優しい声に、微かに笑ってかえすのが精一杯だった。
呼吸は落ち着いたが、足の震えが止まらない。
手もがたがたと震えて落ち着いてくれそうにない。
そういえば、私、拳銃を持ってた。
南は、今更ながら、手に持った銃のことを思い出した。
使えなかった。
もし、あのとき、私ひとりじゃなくて、誰か仲間がいたとしたら、私はこれで、守れただろうか。
守れるのだろうか。
南は周囲を見渡した。
音楽室には、見知ったクラスメイト数名がいるのみだった。
「他のみんなは?」
聞くと、みな一様に暗い顔をした。
「わからないんだ。でもきっと、もう、多くは生きてないと思う」
裕也がねねを気遣いながらそう応えた。
「そう」
南は短く応え、下を向いた。
私が委員長なのに、何も出来なかった。
私が、みんなを守らないといけなかったのに。
自責の念が、南を襲う。
「そうだ!」
南は、自分を追いかけて来た男子生徒のことを思い出した。
自分のせいで、みんなを危険に晒してしまうかもしれない。
「私、襲われて、追いかけられてるの。きっと、他の学年の生徒だと思う。もしかしたら、音楽室まで追いかけてきてるかも。私、そしたら、みんなを危険な目に……」
私のせいで、みんなを殺してしまうかもしれない。
「大丈夫だよ」
裕也が頷いて、柚葉を顎で示した。
「柚葉が、やっつけてくれた」
柚葉は、ライフルを手に、ガタガタと震えて、今にも崩れ落ちそうだった。
「よかった。南、生きてて、ほんま、良かったわ」
消え入りそうな声でそう言う柚葉の姿に、南は全てを悟った。
「ありがとう!」
南は気がつくと、柚葉に抱きついていた。
南がこんな大胆なことをするなんて。
周囲よりも、南本人が、一番驚いていた。
しかし、そうせずにはいられなかった。
友風さんは、私のために、人を殺した。
それがどんな意味をするのか。
正常な人間であれは、きっと耐えられない。
「ありがとう! 友風さん! ありがとう!」
南は心から、感謝の言葉を柚葉に言った。
「柚葉でええで」
柚葉は小さくそう応えた。
その目の端には、涙が滲んでいる。
南が柚葉から離れると、柚葉は決意したようにライフルを構え直した。
「私はもう、迷わんで。この銃で、あんたらを守ったるわ」
「柚葉。ありがとう。頼りにしてるよ」
ねねは、心から、柚葉にお礼を言った。
ドッカーン!
とてつもない轟音が、南棟から聞こえて来た。
音楽室中が戦慄する。
「爆弾か?」
僕は中庭側のカーテンを少し開けて、南棟を見た。