第2章 非日常
鳴り響く銃の音。
あちこちで上がる悲鳴。
天井から落ちてくる武器の轟音。
僕は、その場で固まったまま動けなかった。
「誰か! 誰か助けて!」
隣のクラスの女子が、血だらけの友達を背負って叫んでいる。
「お前ら! どけ!」
三年生の男子生徒が、狂ったように叫びながら、次々に生徒を突き飛ばして走っている。
「なにするんだ! やめろ!」
震える手で拳銃を握り、他のクラスの生徒に突きつけている生徒がいる。
体育館の中には、阿鼻叫喚がこだまする、おぞましい光景が広がっていた。
「裕也……」
「裕也、怖いよう……」
双子の声で我に返った。
ねねの方を向くと、ねねは、放心状態で突っ立っていた。
目の焦点が合っていない。
息が荒い。
肩で息をしている。
「ねね、あんた、大丈夫なんか?」
柚葉の問いかけにも答えず、肩で息をする。
過呼吸だ。
「ねね、深く息を吸うんだ! さあ!」
すかさず僕はねねを抱きしめた。
胸の中で、少しづつ落ち着きを取り戻すのを感じる。
「裕也……。ありがとう。もう大丈夫だから」
「ひとまず逃げよう。体育館の生徒は正気を失ってる。まともじゃない」
「それには賛成や。でも、武器も拾っとかなあかん」
いつのまにか柚葉はライフルと拳銃を手にしていた。
僕も側に落ちていた大きなショットガンを拾う。
重い。
初めて持つ、武器の重さだ。
ねねも恐る恐る拳銃を手にする。
「よし、姿勢を低くして、教室まで走るんだ。ついてきて!」
「わかった」
「わかったわ! しんがりはまかせ!」
「らら、走る!」
「ももも!」
僕は女の子たちを引き連れて、教室に向けて走り出した。
願わくば、教室まで誰も怪我をしませんように。
死にませんように。
僕には、祈ることしかできなかった。
天井から降ってきた大量の武器。
ライフルやボウガンなど、様々な種類がある。
これだけ種類があれば……。
逃げ惑う生徒たちの間に降り注ぐ武器に目を凝らし、凛はついにお目当てのそれを探し当てた。
「あった」
素早くまっしぐらに、姿勢を低くして日本刀を手にとると、勢いそのままに、凛のクラスメイトに向けられている男子生徒の拳銃を両断した。
久しぶりに手にする真剣はやはり、少し重い。
「やめろ!」
長い髪が揺れる。
男子生徒は、恐怖にひきつった顔をして一目散に逃げていった。
「凛、ありがとう」
涙目で礼を言う女子生徒を助け起こすと、凛は再び走って、他クラスの生徒の武器を次々に破壊する。
「お前たち! 何でもいいから近くに落ちてる武器を拾え!」
クラスメイトに向けられるたくさんの拳銃を全て日本刀で両断しながら凛は叫んだ。
クラスメイトは怯えながら、言われるままに、回りに落ちている銃火機を拾った。
「よし、このまま教室まで引くぞ」
他クラスの生徒を峰打ちしながらクラスメイトに顔を向けた。
「そこをどけ!」
髪を振り乱し、入り口を塞ぐ沢山の生徒たちに迫力満点に叫ぶ。
「お前たち! 先に行くんだ!」
クラスメイトを先に行かすると、凛はしんがりを走って二階にある三年生の教室まで駆け抜けた。
幸い体育館以外では銃声は聞こえなかった。
ただただ、誰もが恐怖し、走って、あるいは力なくとぼとぼと教室へと向かっていた。あるものは廊下に座って頭を抱え、あるものは泣き崩れて他の生徒に支えられながら。
教室につくと、凛は直ぐにドアとカーテンと全て閉めて、窓から外の様子をうかがった。
その耳には、クラスメイトの恐怖に怯える声が聞こえてくる。
「私たち、これからどうなるんだろう」
「帰りたいよう」
そんな声を聞きながら、凛は静かに拳を握り締めた。
許せない。
私の学校でこんなことをするなんて。絶対に、許せない。
凛は振り返ると、黙って教卓まで歩き、教室を見回した。
クラスメイトは落ち着き無く、怯えきった様子で震えている。
「静かに」
凛の一言で、ざわざわとしていた教室がしんと静まり返った。
「みんな。落ち着いて。席に座って。いい? ね? 慌てても仕方ない」
体育館とはうってかわって、語りかけるように静かに呼びかけると、クラスメイトは、大人しくその命令に従ってそれぞれの席についた。
それだけこのクラスで凛が信頼されている証である。
成績優秀、容姿端麗、生徒会長を務める凛は、それだけで全校の注目の的だった。
しかし、凛の魅力はそれだけではない。
凛は、日本最大の門下生を持つ真剣流のご令嬢にして、門下生筆頭の腕前をもつ跡取りでもある。自分より弱い者はとことん守る性格で、これまでもいじめられっ子や悪い先生などからクラスメイトを守って来ていたのだ。
今朝の校門で男子生徒の山を築いたのも彼女。
「私の学校で暴れるんじゃない!」
と、あっというまに男子生徒たちをのしてしまった。
そんな凛に、誰もが全幅の信頼を置いていた。
「みんな、大丈夫? 揃ってる? いない人はいる? 怪我人はいない?」
凛の声が教室に響く。
「凛。大丈夫。けが人はいない。四十人みんないるよ」
柔道部主将、武藤香奈がすぐさま答えた。
柔道部は全国大会の常連であり、主将をつとめる香奈は、他校にも名の知られた猛者だ。そんな香奈も、凛を尊敬し、凛に全幅の信頼をおいていた。
「誰か。今の状況を正確に把握しているものはいるか? 今体育館はどんな状態だ? そもそも、すでに誰か死んだのか? 銃声だけは響いていたが……。誰か、人が死ぬのを見たか……?」
「凛!」
香奈が凛の言葉を制した。
「凛。少し休んだ方がいい。疲れている」
香奈の言葉に、凛は自分が焦っていることに気付いた。
それは、これまでに感じたことのない責任感だった。
それまで、次期当主として感じていた責任感とは全く違うもの。
自分の両肩に、クラスメイト全員の命がのしかかっていた。
「ああ、ありがとう。大丈夫。大丈夫だ」
そう。大丈夫。
私はいつでも気丈でいなければならない。
このクラスを導くこと。
それが、私が今しなければならないことだ。
「くそっ。。。」
冷静さを取り戻すと、この殺し合いの主催者に怒りが沸き上がってきた。
このクラスは他のどのクラスよりも女子生徒が多い。
体の弱い生徒も沢山いる。
凛や香奈がいるにしろ、総力では完全に他のクラスに負けていることだろう。
「私のクラスは、どのクラスよりも不利だ」
嘆くように言うと、香奈が力強く、凛の肩を叩いた。
「そう。でも、このクラスには、凛がいる」
香奈の言葉に、凛は笑いだした。
そうだ。私は、誰よりも強い。
誰よりも。
誰よりも強くなければならない。
私はそう生まれて来た。
「ああ。そうだな」
凛は、深くうなずいた。
「作戦会議をしようか」
「おい! 隼人がいないぞ!」
「くるみちゃんもいない。体育館を出るまでは確かに一緒にいたのに……」
「誰か! 楓を知らないか! 誰か!」
体育館からどうやって教室まで戻ったか、あまりよく覚えていない。
必死だったせいもあるが、それよりも、恐怖と、校内から響く銃声が体の芯を戦慄させた。
幸いにも、僕やねねたちは、無事に教室まで戻ることが出来た。
しかし、行方不明のクラスメイトもいるようだった。
ねねたちは教室の隅で、女友達と無事を喜び会っている。
クラスに命からがら帰るなり、みんながそれぞれに喋り出し、教室はパニック状態に陥っていた。
このクラスには、強力なリーダシップを持った生徒も、みんなから信頼されている生徒もいない。導いてくれるはずの先生も、さっき殺されてしまった。
殺されて……。
そういえば僕は、人が殺されるところを、はじめて目の当たりにした。そう考えると、再び恐怖が体を突き抜けた。
僕も、あと何時間か後に、あんな風に地面に倒れるのだろうか。
ああ、嫌だ。
生きるためには、他の生徒を、殺さなければならないのか。
それも、それも、嫌だ。
どうしようもなく、とてつもない二者択一。
ねねだけは、ねねだけは守らなきゃ。
でも、どうやって。
「どうしよう……」
思わず、心の声が口に出た。
このままでは、一時間なんてすぐになくなってしまう。
そうなれば、まとまりのない僕のクラスはすぐに全滅するだろう。
誰もが平常心を失っていた。
こんなときでも、南は自分の席で何事もなかったように静かに座っている。目の端で南の姿を確認すると、何故だか少し、ほっとした。
「裕也。体育館では、ありがとう」
いつのまにか僕の横にねねが立っていた。目には涙を溜めている。
よっぽど怖かったんだろう。僕の裾をギュッと、強く握りしめた。
「泣くなよ」
言いながら、ぽんぽんとねねの頭を軽く叩いた。
こんな時に、こんな事しか言えない自分に嫌気がさす。
でも、他の言葉は、僕には見つからなかったんだ。
「現実、なのかな?」
ねねがぽつりとつぶやいた。
「ねね?」
怪訝そうにねねの顔を見ると、ねねはパニックになっているクラスメイトを強い眼差しで見つめていた。
「なら、なんとかしなくちゃ。このままじゃ、このクラスはまっさきにやられる。そうでしょ? ね?」
すがるように僕の顔を見る。
僕の袖をひく手に力がこもった。
そうだ、ねねはこういう奴だった。
ねねが今からしようとしていることを理解した僕は、顔だけで頷いた。
「そうだよね。誰かがやらなきゃ」
泣きそうな顔でそう言ったねねは、唇をぎゅっとしばって教卓へと歩み出た。
「みんな!」
一言では、ざわざわは静まらなかった。
かまわずねねは続けた。
「みんな落ち着こうよ! ね? 騒いでても仕方ないよ! 一時間しかないんだよ!?こんなことしてるなんて時間の無駄だよ! 話し合おうよ。これからどうするか、皆で話し合おうよ!」
「話し合って何になるんだよ!」
男子生徒が叫んだ。
「意味なんかないじゃないか! 俺たちは、殺されるんだ!」
「意味がなくなんてない!」
ねねは叫び返した。
こんなに自分をさらけ出したねねを見たのはいつ以来だろう。
高校に入ってからねねは、他の女の子の顔を気にするようになった。
流行の服を着て、雑誌を読んで、趣味も、無理してほかの子に合わせているような気がした。
中学で何かあったのだろうかと僕が心配する程に。
こんなときで何だけど、自分の意思で行動しているねねは、とても魅力的だ。
「私たちがいがみあったって、なんにもならないよ! みんなで助け合おうよ! 力を合わせて、さあ!」
「綺麗事言うんじゃねえ!」
「黙ってろ!」
ねねに次々に浴びせられる罵声に我慢できなくなって、僕は思わず声を荒げた。
「お前たちの方こそ黙れ!!!」
普段は静かで目立たない僕の突然の大声に、クラスが静まり返った。
「ねねは、みんなのために行動しているんだ。怖くて仕方ないのに、勇気を出して。感情だけで動いているお前たちに、とやかく言われるようなことは何もしていない!」
もっと上手にねねを援護してあげたかった。でも、僕には言葉が出てこなかった。声も少し上ずっているし、恰好悪い。
でもねねは、とても嬉しそうな顔で僕を見てくれた。
あんな眼で僕を見たのは、初めてだ。
少し頬が赤らんでいるのは、涙を我慢しているからだろうか。
「裕也の言う通りやで」
沈黙を破ったのは、柚葉だった。
「あんたら、いい加減にしいや」
そう言って、教室の中を睨み回す。
「情けないわ。うろたえよって」
ずんずんと教卓まで歩いて行くと、クラスメイトを見下ろして叫んだ。
「ねねを侮辱する奴はうちが許さん!」
言うなり、ねねの後ろに回り込み、ねねの胸に両手をあてた。
「はあー。やっぱ落ち着くわ。ねねの乳」
「なっ! なにをするの! やめて!」
突然のことに恥じらうねね。
僕はと言えば、赤くなった顔をねねに見られないように顔を背けた。
「さて。あんたら、席につきや。副委員長の命令や!」
ねねの背中に抱きついたまま、柚葉は指示した。
クラスメイトはあっけにとられ、静かに従った。
「あんた。南。委員長やろ? 前に出てきぃ」
柚葉は南を指差して命令した。指名された南は、驚いたようにびくっと体を動かすと、無言で席を立ち、おどおどしながら黒板の前に立った。
「あんたは書記な」
柚葉が南に有無を言わせずにチョークを渡した。
「さあ。みんな。ねねの話を聞こうやないか」
ねねを教卓の前に押し出し、自身はその横で腕を組む柚葉。
「どうして、お前が仕切ってるんだよ!」
反発したのは、野球部の一樹だった。
一樹に続いて他の生徒も反論の声を上げる。
「お前なんなんだよ!」
「名ばかりの委員長に何が出来るっていうんだ!」
「ねねは委員長でもないぞ!」
「いつも授業サボってばっかのくせして!」
最後のは明らかに柚葉に向けてのものだった。
「授業サボってんのは今関係ないやろ!」
すかさず柚葉が言い返す。
「だいたいあんたやかて、いつも授業中寝てるやんけ!」
喧嘩腰になる柚葉を、ねねがそっと手で制した。
「待って。みんな、聞いて」
しんとなる教室。
ねねには、不思議な力があるみたいだ。
「私思ったんだけど、話し合えないかな? みんなで!」
「今話し合ってるだろ!」
「違うの! クラスメイトだけじゃなくって、他のクラスの生徒と話し合うの。だって、おかしいよ。絶対にこんなのおかしい。殺しあうなんて……。他のクラスにも友達いるでしょ? 仲いい子……、そうじゃなくったって、他人を殺して良いはずないよ」
「やらなきゃ僕らが殺されるんだぞ?」
「だからって、こんなの間違ってるよ。皆で手を合わせばきっと……」
「奴らはすでに先生を殺した。なんの躊躇もなく」
「そう。だけど、だけどみんなでなら乗り切れるよ! やろうよ。みんなだって、いやでしょ? 人を殺すのって。嫌……でしょ? 好きな人なんているわけない。そうでしょ?」
ねねの言葉に、誰もが押し黙った。
「だから、皆で戦うの。学校のみんなで、力を合わせて、テロリストを追い出すの」
ねねの言葉だけが、教室に響いた。
「俺はずっと、こうなる日を望んでたんだ」
荒木譲は教卓の上で、クラスメイトに淡々と告げた。
「人の顔色をうかがって生きる、上辺だけの世界なんてうんざりだった」
にやっと不敵な笑みを浮かべる。
借り上げた頭に、それほど身長が高い訳ではないが、がっしりとした体の荒木は、普段はごく普通の、サッカー部に所属する男子高校生だった。しかし、サッカー部の同級生や、クラスメイトの多くは、荒木が怒ると手が付けられない荒くれ者だと知っていた。部活や、学校で、たびたびかっとなった荒木が生徒を殴るトラブルがあったからだ。一度など、他校の生徒を気絶させるまで殴り飛ばして、停学処分になったこともある。
言葉通り、これは、荒木の世界だ。
暴力と恐怖が支配する、荒木が君臨する世界。
なんてことだ……。
荒木は、これまで見たことも無いほど生き生きとした表情をクラスメイトに見せていた。
「俺はこの世界を望んでいた。だから俺は、絶対に生き残ってみせる。何をしてでも。いいね?」
このクラスで生き残っている生徒は、既に十人程だった。
教室のところどころに血の跡がある。
「ああ、わかってるよ委員長。あんたに従う」
クラスメイトの一人が、おそるおそる荒木に声をかける。
「そうとも、この二年四組の委員長はこの俺だ。君たちが選んだんだから、俺の行動は皆の総意だ」
教室のドアを開けて男子生徒が二人入ってきた。
「お帰り。彼らはどうなった?」
明るい声で、荒木は二人に声をかけた。
「言われたとおりにしたよ。殺して、中庭に捨てた」
声をかけられた方は、恐怖に震える声でそれだけやっと答える。
「そうかい。ありがとう」
そのうちの一人が、俯いたまま呟くように言った。
「やっぱり、こんなの間違ってるよ」
「え? 何だって? 間違ってる?」
荒木は一転、顔を歪めて、攻め立てるように質問した。
「そうだよ。間違ってる」
生徒は、顔を上げて、荒木に抗議した。
「何もしてない人を殺すなんて。しかも、クラスメイトだ」
「君は俺の命令に従えないと?」
荒木は冷ややかに口を動かす。
生徒は、再び下を向いて、言葉を振り絞った。
「違うよ。違うけど。もっと他に方法があったんじゃないかって……」
「他の方法って? 彼らは人を殺す事を拒んだ。つまりそれは、同じクラスの俺らを危険にさらすってことだろ? 危険な生徒を生かしておけるかい? 彼らはこの世界のルールを破ったんだ」
「だからって、話し合いもせずに殺すなんて……」
男子生徒は最後まで言葉を続けることが出来なかった。
荒木が頭を拳銃で吹き飛ばしたからだ。
肉の塊と化した体が、どさっと崩れ落ちる。
「君も彼と同じ意見かい?」
銃口をもう一人の男子生徒に向けながら荒木は尋ねる。
質問された生徒は、目を見張って今まで友達だったものを見ながら、無言で首を振った。
「いいや……。俺は、俺は、荒木に従う」
「そうかい。じゃあ、そいつを捨ててきてくれ」
「ああ……」
銃口で死体を示すと、生徒はそれを引きずって廊下に出ていった。
「さて」
何事もなかったかのように、荒木は再び生徒たちに向き直った。
「もうすぐ一時間が終わるね。じゃあ、俺のプランを聞いてくれ」
「プラン?」
「そう。俺らのクラスの勝利のプランだ」
にやりと笑う荒木に、クラスメイトたちは首を縦に振るしかなかった。
もうすぐ一時間が過ぎようとしているのに、まだクラスの意見はまとまらなかった。
ねねの意見に賛成するものもいるが、大半は反対し、しかしそれに対する変わりの意見がでることもなかった。
きっとまだ、誰もが完全にこの事態を受け入れられていないのだろう。
かくいう僕も。
時間だけが無情に過ぎていく。
「ねえみんな! 聞いてよ」
ねねの呼びかけも空しく、クラス内では、それぞれが自由に意見を交換し合っていた。
「あんたら、ちゃんと聞いたりぃや」
「何度も言うように、俺たちがお前たちの意見に従う必要はない」
ねねや柚葉の声に、一樹は、再び従えないとかぶりを振った。
「従えなんていってないよ。ただ私は……」
ねねはぐっと言葉を詰まらせる。
それもそうだ。ねねは、ここまで本気で、他人と議論などしたことがないだろうから。
僕だってそうだ。
お互いに命をかけた話し合いに、やすやすと口などはさめるはずもない。
「じゃあなんなんだよ」
ねねを問いつめる一樹に、柚葉が助け舟を出す。
「一樹。あんた、いい加減にだまったらどうや?」
「ああ、もう、鬱陶しいな!」
一樹は机から立ち上がり、掌で机を叩いた。
「こうしよう! それぞれが自分の考えに従って自由に動く。それでいいだろ?」
「一樹君……」
言葉のないねねに対して、柚葉は固く腕を組んで、そんな一樹を睨みつけた。
「あんた。今までは適当にクラスの決めごとに参加して、適当にその場の意見にしたがってたやんか! 今回はなんやねん!」
「そうだよ。今まではクラスの決め事しかしてこなかった。体育祭の出し物や、音楽会での合唱曲の選択なんて、適当に流してたよ! だって、その決まりで、俺自身の人生には何ら影響もないからな! 出し物をダンスにしようが喜劇にしようが、俺の生活には、まったく、何の影響も無い! でも今回は違う。判断一つで、死を招く。そんな決断を他人にされるのはごめんだ。俺の運命は、俺が決める。俺は自分の意思で動く。ねねに従う奴は従ったらいい。俺についてくるのも自由だ。俺らは一時間が終わる前に教室から出ていくつもりだ。先手必勝だぜ」
一樹は、持っていたショットガンを構え直して、仲の良い男子生徒と頷き合った。そんな光景を、柚葉が信じられないという顔で見る。
「あんた……。人を……、殺すつもりなんか?」
「そうだよ。」
一樹は、少し言葉につまりながら頷いた。
「それがここでは、生きるってことだろ? 話し合いは終わりだ。俺たちは出て行く。いいな、ねね」
「そんな……。待って……」
ねねは最後まで一樹を止めようと、小さく手を出した。そんなねねを、一樹は力強い言葉で制した。
「終わりだ、ねね! これ以上は時間の無駄だ。丸腰の人間なんて、この世界じゃただのカモだ。俺は、ただ死ぬなんてできない」
ねねは、諦めたように、力なく頷いた。
これ以上、彼らの心を動かす事は出来ないだろう。
去っていく一樹と、数名の生徒を、僕らは無言で見送った。
「じゃあな。お前ら。死ぬなよ」
最後に一樹はそう言い残し、教室のドアを閉めた。
「どうしよう、柚葉」
涙声で、ねねは柚葉の袖を掴んだ。
「まあ、しゃあないやん。あいつらが決めたことや。私らに、止める権利なんて無いわ」
柚葉は、そんなねねの肩を優しく叩くと、双子のもとへ歩み寄り、無言で双子に拳銃を渡した。
「柚……」
「嫌だよ」
「もっとき。自分を守るためや」
拳銃を拒む双子を、柚葉は、静かに抱きしめた。
「あんたたちは、私が守る」
「柚……」
「うん……」
ねねも壇上から降りて、僕の側で悲痛な顔を覗かせた。
「裕也……。私、間違ってたかな?」
泣きそうな顔で、僕にすがりついてくる。そんなねねの肩を叩きながら、僕はできるだけ明るく振る舞った。
「そんなことないよ。ねね。ねねは正しいことをしたと僕は信じてる」
「裕也。ありがとう」
ねねは僕に顔を見せないようにそう言った。
泣いているのだろうか。耳が赤い。
しかし……。
僕は、教卓の上の時計を見た。
もうすぐ一時間が経つ。
何とかしなければ。
でも、どうすればいい?
「教室を出よう」
僕は、クラスに残ったみんなに提案した。
「教室を、出る?」
「どこに行くの?」
矢継ぎ早に質問してくるクラスメイトたちに、僕は少し、自信を失って返答した。
「わからない。でも、ここにいるよりは安全だと思う」
「どうしてや?」
柚葉の質問に、僕は思ったことを口にしてみることにした。
「多分……、ほとんどのクラスは、意見がまとまらずに一時間を迎える。そうなれば、一樹みたいに先手を打っている生徒にしたら、クラスに残っている生徒は、恰好の標的になる。襲われる」
「裕也……」
まじまじと僕の顔を見るねねの意見が知りたくて、少し不安になって、ねねに訊いてみる。
「ねね。君はどう思う?」
「うん。私も、そう思う。行こう裕也」
「そうと決まったら早速行動やな」
柚葉はクラスに残った生徒に聞いた。
「あんたらはどうすんねや?」
「私たちはクラスに残るわ。やっぱり、外に出るのは怖い」
「僕は、時間がきたら隣のクラスの彼女のとこに行くよ」
結局、数名の生徒は教室に残ることになった。
自分の生き方は、自分で決める。
小さい頃から言われている、そんなお念仏のような言葉を、しかしこれまでは実行したことのない言葉を、ここでは、当たり前のように行わなければならない。
生きるも、死ぬのも、自分次第。
僕らは、教室から出ることを選んだ。
「元気でね」
教室に残ると言ったクラスメイトに別れを告げて、教室を出る。
教室から出た僕らは、姿勢を低くして、一列になって、隣の校舎へ続く渡り廊下を目指した。
幸い、廊下には誰もいなかった。
通過する各クラスから、話声が聞こえる。どのクラスも、窓とカーテンを固く閉め、中の様子が見えないようにしていた。
一体どんな話し合いが行われているんだろうか。
「いいかい? 教室の外は無法地帯だ。できるだけ姿勢を低くして。はぐれないようにね」
「大丈夫やって。素人が発砲したかて、鉄砲の弾なんかそうそう当たらんわ」
柚葉が笑顔で答える。
ねねが怪訝そうな顔で聞く。
「なんでそんなこと知ってるの?」
「アクション映画や」
にっこり柚葉は笑った。
「柚葉てきとーー」
「柚葉いいかげん」
すかさず双子が茶化す。
「やかましいわ」
こんなときなのに、彼女たちを見ていると、僕の心は和む。
「ね? ねね。大丈夫だよ。僕たちは大丈夫」
ねねににっこりと笑うと、ねねも笑顔を返してくれた。
「うん」
「あー。裕也がまたセクハラしてる」
「裕也が変態だ」
「だから違うってば!」
「ははは。裕也。もう、変態ってことにしとけばええやん」
「なんでだよ!」
和やかな空気が流れる。
ねねが笑いながら僕に言う。
「裕也。そうだね。私たちはきっと大丈夫」
「ああ、そうだね」
ねねが大丈夫というと、そんな気持ちになるから不思議だ。
パーン。
突然、乾いた音が廊下に響いた。
一瞬にして緊張が走る。
「裕也」
「裕也!」
「大丈夫やから」
おびえる双子を柚葉がなだめる。
「何……」
ねねがあたりを見回して様子を窺う。
誰もいない。
僕は先を急ぐように、ねねを促した。
「多分。違う階からだよ。廊下には誰もいないし。音も遠かった」
「せやな。急ごう」
「裕也、どこに行くの?」
「音楽室」
ねねの質問に、僕は、即答した。
僕らの学校は、四階建ての二つの棟からなっている。その真ん中には中庭があり、それぞれの階には渡り廊下がかけられ、上から見ると、ちょうど「口」の形をしている。教室が固まっているのが南棟。特別教室があるのが北棟で、体育館へは、北棟二階から伸びる渡り廊下から行くことが出来る。
音楽室があるのは、北棟の四階だ。
「四階にある教室の方が辺りの様子を窺い易いし、音楽室は中庭を挟んで僕らの教室の真向かいにある。教室に残った子たちの様子も見えるだろう」
「うん。そうだね」
ねねが頷く。
それに音楽室には防音壁がある。
ねねを早くこの現実から遠ざけてあげたかった。
パーン!
パンパンパン!
立て続けに拳銃の発砲音が聞こえた。
さっきよりも音が近い。
急がないと、ここも危ないかもしれない。
僕は危険を承知で、小さく叫んだ。
「走ろう!」
そのとき、すぐ後ろから、「ギャッ」と声がしたように思った。
振り向くと、僕の顔に血しぶきが降りかかった。
え?
何が起きたのか理解できなかった。
この赤いものは何だろう。
真っ赤な血で頭が真っ白になった僕の腕を、柚葉が引っ張って駆け出した。
「走れ!」
僕らは全速力で音楽室を目指して走った。
後ろから発砲音が追いかけてくる。
誰かが悲鳴を上げている。
誰かが倒れる音がする。
走りながら僕は、正気を取り戻していった。
渡り廊下を全速力でつっきる。
一年生の教室は四階にあるため、渡り廊下を渡り、廊下を曲がるとすぐに音楽室の看板が見えた。
「そこだ!」
音楽室を見つけた僕は叫んだ。
皆で音楽室に飛び込んでいく。
最後に入った僕は、行き良い良くドアを閉め、鍵をかけた。その後すぐに、走って後ろのドアも鍵をかけ、廊下側のカーテンを全て閉めた。
ねねが中庭側のカーテンを閉めると、教室は昼間ながら薄暗くなった。
僕はドアに貼りつき、窓から廊下の様子を窺った。
良かった。
誰もいないようだ。
脈打つ鼓動を感じながら、荒く息をする。
良かった。僕らはまだ生きてる。
「裕也。大丈夫?」
ねねがハンカチで僕の顔についた血を拭いてくれた。
「怪我してるの?」
「違うよ。これは僕の血じゃない」
心配そうに聞くねねに、僕は小さくかぶりを振った。
「大丈夫。ありがとう」
「裕也。何があったの?」
「確認したわけじゃないけど、僕の直ぐ後ろを歩いてた早川さんが撃たれたんだ。誰に撃たれたかは見てない」
「川根君もおらへん。撃たれたんやろう」
柚葉が付けたした。
「他には? みんはいる?」
ねねが恐る恐る訪ねた。
「ららはいるよ」
「もももいる」
「うん。他は皆いるよ」
誰かが暗闇の中から答えた。
どうやら、撃たれたのは二人だけらしい。
「一体誰が撃ったんだ? ねね、見たか?」
「ううん。音が聞こえて、とっさに走ったからわからない」
「多分。他の学年の誰かや。階段のとこで誰かが走って逃げるのを見た気がする」
「そうか……」
他の学年では、すでに殺し合いが始まっているのか……?
ブッと、校内放送の電源が入った音がした。
「諸君。時間だ。一時間が経った。さあ、始めてくれ」
それだけ言うと、またブツッと音がして、放送は切れた。
「始めてくれって……。一体どうしたらいいの……」
女子生徒が泣き出した。
いつの間にか、一時間が経過していた。
セーフゾーンが取り払われ、僕らはいよいよ、サバイバルの最中に身を置くことになった。