何だかお助けマンが現れました
山なし谷なし落ちなし意味なし第3弾。
筆者は乙女ゲームを知りませんすみません(以下略。
死んで生まれ変わったら、魔法だの魔術だの幻獣だのが存在する摩訶不思議な、私にとっての『常識』が通用しない全くの別世界、なんて。パニクるなと言うほうが無理だと思う。生まれ変わりなんて信じていなければ、尚更。
それでも優しい両親に愛されて、次第に、せっかく生まれ変わったのだからこの人生を楽しもう、と前向きに生き始め、学園なんてものに通ってやり直しの青春なんてものを自分なりにそこそこ楽しみ始めた。
そんな私に再び変化がやって来たのはやはり突然だった。
◇
「あなた、チェルシー・オルドリッジよね?」
突然声をかけられて反射的に声のほうに顔を上げると、そこに1羽の鳥がいた。はて、私を呼んだ人間はどこにいるのか。人影は見当たらない。まさか、とは思うが。
「……あなたが呼んだの?」
「そうよ! あなた、チェルシー・オルドリッジで間違いないわよね?」
間違いなかった。それにしても、これは……幻獣? 幻獣、だよね? と言うことは……。いやいやそんなまさか。幻獣は人の言葉を話せない。話せないどころか鳴き声さえ人間には聞こえない。聞こえたら非常にまずい事態になる。と、分かってはいるけどどうにも見た目は幻獣。この世界のヒエラルキーのトップに君臨する、人間より高位の存在、幻獣。それに見える。と言うことはやっぱり、もしかして今まで確認されなかっただけで、中には話せる幻獣もいるのか? だとしたら、かなり貴重な幻獣だ。幻獣を崇める教会で祀られていそう。その上研究の為に厳重に隠されていそう。聞いたことも学んだこともないから、国家機密レベルで。もしそうなら、下手に関わったら面倒なことになるよなあ。
「ねえ、ちょっと。聞いてる? もしかして人違い?」
……ちょっと。目と鼻の先で羽搏たかないでよ、鬱陶しいでしょ。
「ねえってば。違うのならそう言ってよ」
せっかく庭園の端の人目につかない静かな四阿で1人ランチをのんびり楽しんでいたのに、静かがぶち壊しである。はああ、仕方ない、このままじゃ消えてくれそうにもないし。それじゃお昼ご飯も食べられないし。
「……いいえ、合ってますわ。確かに私はオルドリッジ子爵の娘のチェルシーですわ」
「良かった! 違って面倒なことになったらどうしようかと思ったわ!」
「あなたは何方の幻獣さんかしら?」
「誰にもついてないわ」
「え? 『自由』?」
てことは、まだ誰にも認知されていない世にも珍しい幻獣ってことか。他にも話せる幻獣っているのかな……。授業では教わってないけど。やばい、ちょっと興味が──。
「やっぱりあなた、転生者なのね!」
思考をばっさり邪魔された。しかも何だ?
「……てんせーしゃ?」
てんせーしゃとは何ぞや。
「あれ? え? 違うの? でも『フリー』ってこの世界にはない言葉よね……?」
……何かちょっと人の話を聞かないタイプかもしれない、この、うーん、幻獣……とはっきりしたわけじゃないから……幻獣擬き。とりあえず。
で。
「……えーと、ちょっと話を整理してみても良いかしら?」
「……うん」
顎に指を当てて少々わざとらしく小首を傾げてみせたら、意外にも素直に了承し、羽搏くのを止めて小さなテーブルの上に降りた。有り難い、上を向き続けたら首が痛くなりそうだ。
「まず、あなたは幻獣さんで合ってる?」
「ううん、幻獣じゃない。似せた姿をしてるだけ。元々は……うーん、ただの光みたいな姿っていうか……」
……何だ、希少種の幻獣というわけじゃないのか。残念。それなら今現在、この生物、というのか、存在の本来の姿はどうでもいい。
とりあえず1つ頷いてみせ、先を続ける。
「てんせーしゃ、というのは何かしら?」
「えーっとね、前世の記憶を持ってるってこと」
「前世の記憶……」
前世の記憶。てんせーしゃ。前世の記憶……。前世と簡単に言うがこの世界には輪廻転生の概念はない……え、あ、そういうこと? 輪廻転生からきてる? じゃあ漢字は転生者? となると……。
「なるほど。あなたはその『転生者』なの?」
正確に言うなら人じゃないから輪廻転生者となるのだろうが、この際細かいことは気にしないことにする。
「まあそんなとこ」
こっくりと頷く鳥形の幻獣擬き。……長いな、鳥形の幻獣擬きって呼び方。
「あなたは違うのよね?」
「あ、私も『転生者』」
「え!? うっそ、マ、んぐっ!?」
うん、声でかい。悪目立ちしたくないので嘴を指で摘まんで黙らせた。
「ちょっと静かにしようか。あんまり大声出すと注目されちゃうから。いくら端っこで人気が少ないとは言え、誰もいないわけじゃないからね」
返事を求めて指を嘴から離すと、鳥形幻獣擬きちゃんはこくこくと頷いた。よしよし、良い子だ。
「……で、あの、本当に転生者?」
「うん。『前世』は『地球』という星の『日本』という国に生きていました」
「え、マジ!? じゃあここが『乙女ゲーム』の世界って気づいてたのね!?」
「……おとめ……『ゲーム』?」
とは何ぞや。いや、ゲームは分かるけれども。乙女が対象のゲーム? さっぱり想像がつかない。
「えっ?……『乙女ゲー』知らない?」
「……残念ながら」
「恋愛『シミュレーションゲーム』だったら分かる?」
「残念だけど」
乙女ゲーだか恋愛シミュレーションゲームだかとやらがどんなものか知らないとか以前に、そもそも私はゲームというものの造詣が深くない。やったことのあるゲームなんてクロスワードか数独くらいだ。RPGなら少しだけ知っているけれど、私が死ぬ時点で主流になっていたチャットをしながらのRPGとかいうものは全く食指が動かなかった。ゲームくらい1人で黙々と楽しみたいタイプである。コミュ障な自覚はある。
「簡単に言うとね、『乙女ゲーム』っていうのは、プレイヤーが『ヒロイン』になりきって、『イケメン』攻略対象達と恋愛する『ゲーム』のことで、ここはそんな『ゲーム』の世界なの。あなたはその『ゲーム』の登場人物の1人。あなたの婚約者のスチュワート・マクネアーもそうよ」
「……」
……大丈夫かなこの鳥形幻獣擬きちゃん。ここがゲームの世界って。
「……私は自分の意思で動いていると思っているんだけど」
「うん、それは勿論。だって『リアル』だから」
「……」
うん、話が噛み合ってない気がする。
私の胡乱な視線に気づいたらしい幻獣擬きちゃんは、言葉を足す。が、残念ながらそれは私に伝わらなかった。
「要するに、ここは『ゲーム』の登場人物と同じ名前で同じ容姿の人達が生きてて『ゲーム』通りに話が進んでる現実世界ってこと」
「……ごめん、理解不能」
この世界は良く分からないけどゲームの世界って? それこそ小説とか映画の中の話じゃないの。そんな小説、昔読んだことあったな。そんな映画もあったよなあ。クローゼットの中は異世界でしたってね。ああ、でもそれはちょっと違うか。あれは生まれ変わったわけじゃないもんな。でも似たようなもんでしょ。──それはともかく。輪廻転生ってそんな形が有り得るの? 何でも有りだな。世界ってスゴイワー。遠い目になっちゃうよ、私は。
「……まあ、理解できなくてもいいわ。それより大事な話があるのよ!」
理解しなくて良いのか。割りと大事な気もするけど。主に信用という点において。
「あなた、婚約破棄されるわよ!」
「……はい?」
……何か今、物凄い爆弾を投下された気がする。
「あなたの婚約者が今ある女に夢中になってるのは知ってる?」
「え? そうなの?」
「……あなたね……」
噂に疎い自覚はある。貴族令嬢としては頂けないのも。しかし前世から持ち越しの、安定の疎さなのだ。他人の噂話とか興味ない。仕方ないじゃないか。
「あなたと同じ学年の、幻獣付きの子、知ってる?」
知ってるも何も、魔法の講義を一緒に受けてますが。
幻獣って前の世界で言うところの神サマとか天使サマとか精霊サマとか、うーん、よく分からないけどまあそんな感じの存在で。世界中何処にでもいるけど、視認することはできないんだよね。但し、例外がある。それが幻獣付き。まんま、幻獣が人につくこと。守護霊? 的な感じ? そもそも前世からその手のものを信じていなかったからよく分からないけど。とにかく、幻獣がついた人間には幻獣が見えるようになる。自分についているのは勿論、他の人についているのも、その辺に漂っているのも。
で。この世界の人間は大なり小なり魔術が使える。使えない人もいるにはいるけど滅多にいない。これが幻獣付きと呼ばれる人間になると、更に魔法が使えるようになる。魔術と魔法は別物らしい。が、今のところよく分からない。勉強を始めたばかりだから仕方ない。
そんでもって、件のご令嬢も幻獣付きで、私も幻獣付きだから、魔法の特別授業を一緒に受けているというわけなのだが。だがしかし。
「……えーと、ハート子爵家のご令嬢の……」
名前、何だっけ?
「そう、そいつ! そいつに誑かされて、貴女の婚約者、明日には婚約破棄してくるわよ」
「え、婚約破棄? 明日?」
「そう、明日。あなたのことを責めて、あなたのせいにして婚約破棄するの。あなたがあの女に酷いことをした、そんな女とは結婚できない! ってね。そこであなたが受け入れずに暴れたら問答無用の正当防衛で切り捨てられておしまい。婚約破棄の非礼も侮辱も有耶無耶になってお咎め無し」
……何とも物騒な。とは思えどそれが通用してしまうのがこの世界。理不尽だ。
「……暴れたりはしないけど……」
反論くらいはするだろうなあ。物理攻撃しなければ正当防衛は成り立たないし。何より、酷いことした、て。何だそれ。何にもしてないし。
「そうよね、あなたは暴れたりしなそう。そもそも何もしてこなかったし。それも転生者だと思った理由の1つなんだけど。私の知ってるチェルシー・オルドリッジと全然違うから」
幻獣擬きちゃんが詳しく話してくれた内容を私なりに整理してみると。
ここは地球という星の日本で作られた乙女ゲームなるゲームの世界。私や私の婚約者はそのゲームの登場人物。ゲームの主人公は女の子。ゲームの内容はヒロインが攻略対象というイケメンな男の子達との恋愛を楽しむ、というもの。
確かに幻獣擬きちゃんが出した名前は何となく聞き覚えがあった。どの殿方もこの学園では有名人だ。高位貴族家の令息や資産家な貴族の令息や美男子と名高い貴族令息など。錚々たるメンバーだ。
とは言えその情報は、人の目には見えなくても何処にでもいることのできる幻獣なら知っていても可笑しくはない情報。だがしかし。この子は幻獣ではない。となるとどうやって知り得たのか不明。とすると信憑性は半々。うん、駄目だ、どうしても半信半疑が限界だわ。全面的に信じるには足りない。だって情報の出所がゲームときた日には、ねえ。
ただ、納得できてしまう部分もあるにはある。魔術だの魔法だの幻獣だのとファンタジーな世界なのに時間やらグレゴリオ歴やら、矢鱈と前世と同じものがあるとか、魔術だの魔法だの幻獣だのを抜きにすればどう見ても貴賤の別がある中近世ヨーロッパ風なのに学園だのがあるとか、おまけにヨーロッパ辺りとはまるで違う、4月開始だったり学年の分け方が4月2日から4月1日だったりとか物凄く日本的であるとか。日本のゲームが基の世界と言われれば、なるほどだからか、と思える。思えるけれども。だから信じられるかと言われればそれはまた別の話、でしょ。
しかしながら幻獣擬きちゃんの話は婚約破棄とこの世界では重大事。傷物扱いは私の今後に関わる一大事だ。……貴族って本当に面倒で厄介だよなあ。何でそんなものに生まれ変わったかな、はああ……。
「……えーと、それじゃあ、私はその『ゲーム』の登場人物で、悪役なのね?」
「そういうこと。悪役令嬢……えーっと、『ヒロイン』──主人公の女の子の『ライバル』──敵役があなた」
……悪役……令嬢? ねえ……。何と言うか……悪役、と言われて良い気はしない、当然。それを信じろと言うのはますます難しいと思うんだけど。
「……ちなみにあなたは? その物語にはどんな役柄で登場するの?」
「私は『サポートキャラ』」
「……」
……サポートキャラって。つまりヒロインの陣営の人──もとい生物、てことだよね。
「ということは、あなたは……えーと、あの噂の子爵令嬢の味方じゃないの?」
そんな君の話を信じろと言うのは最早完全に無理ではなかろうか。むしろこれも何かの罠だと考えるのが普通では?
などど考えていた私の目の前で、幻獣擬きちゃんが巨大な溜息。特大の幸せが逃げるよ。
「そうだったんだけどさ……何て言うか……私はさ、頑張っている子を応援して助けることが、役目なのよね。だけどさ、あの女……何て言うか、物凄く……うーん……微妙って言うか……。だから止めようと思って」
「はあ」
微妙な頑張り? 熱量が? 方向が? よく分からないから生返事しかできないよ。
「あの女さあ、恋愛はしたいみたいなんだよね。それは良いのよ。レベルの高い男を狙うのも構わないわ。その為に……一応頑張っているっていうのも、まあ……かなり必死な顔って言うか、鬼気迫る形相って言うか……そんな表情をしてたから……うん……。だけどさ、その為の手段を選ばないってのはね……」
ははあ、なるほど。
「恋愛は戦いだって思う人もいるからねえ。戦争と恋愛だけはどんな手段を使っても許されるって言葉を聞いたことがあるし。個人的には賛成しかねるけど」
「……そういう考えがあるのは知ってるわ……。でもそれじゃ駄目なのよ。……でもまあ、100歩譲ってそれは良いとするわ。だけどね……」
何だ、それ以外で駄目なものとは。
「あの女、人として最っ低最悪! なのよ!」
「ひっ!」
急に大声出すの反対! 心臓止まる! おまけに目立ったらどうするんだ!
……しかし残念なことに私の悲痛な心の叫びは幻獣擬きちゃんには届かなかった模様。
「人の話を全く聞かずに好き放題して! その後始末、誰ががすると思っているのよ! 私よ!? おまけにそれに気づいたら「アレお願い」「コレお願い」って、何でもかんでも押しつけてきやがって! 私は便利屋じゃないっての! そもそも学園入学前から色々やらかしてたのよねあのクソ『ビッチ』! 誰がそんな女のサポート続けるかっての! 巫山戯んなクソ『ビッチ』!! 2度と助けるか!! ついてくれてる幻獣にも嫌われてざまあみろってのよ!!」
……余程不満が溜まっていたようである。クソビッチって2回も言った。おまけに大絶叫。誰かに気づかれたんじゃないかと不安になって庭園の中心方面に視線を巡らすと、案の定こちらを見ている生徒の姿がちらほら。……聞こえてないよね……。と言うか、聞こえてたら私が叫んでいたと思われるよね、ああ……何て迷惑な……。
しかし幻獣擬きちゃんのほうは叫んですっきりしたのか、ぜえはあと荒い息を吐きつつ再びテーブルに降り立った。
「……すっきりした?」
「少しは」
「落ち着いた?」
「うん」
それは良かった……。もう爆発しないで欲しいものだ。私が頭のおかしな人になるから。
「じゃあ、ちょっと話を整理させてね。えーと、あなたは子爵令嬢がクソビ……えーと……そう、嫌な女性だから彼女につくのを止めて、私に話をしに来てくれた。合ってる?」
「うん。人使いが荒いわ、傲慢だわ、最悪なんだもん!」
確かになあ。「アレお願い」「コレお願い」ってこっちの都合も聞かずに頼むとか……前世の先輩思い出すわ。あの手の人間って最悪だよなあ。
「あんなヤツ、痛い目みればいいのよ!」
「痛い目に遭わせる為に私のところに来たの?」
「それもあるけど……あなたの婚約が壊れるのは私のせいでもあるから、助けられたらと思って」
あらら、しゅんとしちゃって。項垂れてる姿はちょっと可愛いかも。しかも話は胡散臭いけどまともな神経を持っている模様。
「だからね、婚約破棄には応じて。そうすれば確実に殺されないで済むから」
……そう言えば殺されるんだっけ、最悪のパターンは。幻獣擬き──面倒臭いな、カナリアに似てるからカナリアちゃんでいいや──の話は眉唾物だが、死ぬのは自分の為は勿論、今の家族の為にも断然お断りしたい。婚約破棄の縺れで殺されるとか、醜聞以外の何物でもない。醜聞を避ける為には欠片と言えども危険の芽は摘まなければならぬ。噂が真実になりかねないのが貴族社会、げに恐ろしい。
「……分かった。明日、私は婚約破棄を承諾すれば良いのね?」
「うん。それがあなたの為よ」
「……そう、分かったわ」
しかしただで婚約破棄を受け入れたら、結局醜聞にはなる。こちらに何の非もなかろうとも、何か欠陥があるのでは、瑕疵があるのでは、と噂になる。結婚できないのは別に良いとしても──そりゃできれば結婚したいけど──醜聞は駄目、パス、回避希望。となると、向こうの有責での婚約破棄に持っていかねばならない、何としてでも。
向こうの有責は間違いない。だって私という婚約者がありながら、それを解消する前に別の女に──んん、別の女性に入れ上げるとか、それは手順を外れている。しかしそれだけでは弱い。爵位も向こうの家のほうが格上。となると向こうが有責という決定的な動かぬ証拠が欲しい。
「……大丈夫? やっぱり傷ついたよね……?」
「……え?」
「ごめんね、巻き込んじゃって……」
「え、急にどうしたの?」
「傷つけちゃって申しわけないなって……」
「いや、全然傷ついてないよ?」
カナリアちゃんの言う「傷つけた」が何のことかいまいち分からないけど、とりあえず私は元気です。
「……じゃあどうして暗い顔してたの?」
「ああ……」
なるほど。考え込んでた顔が傷ついているみたいに見えたのか。この顔、嫌いじゃないんだけど、無表情だと怒ってるか嘆いているかに見えるらしいのが難点なんだよね。まあ、今それは置いておくとして。
「……向こうの有責で婚約破棄に持ち込みたいなと思って、どうしたら良いか考えていただけ。それには決定的な証拠が必要だけど……私、お相手のご令嬢の顔さえまともに知らないし……どうしたものかと思って……」
「顔が分かれば良いの?」
「いえ、もっと決定的な……不貞に当たる証拠……例えば、『デート』の現場を見たとか、贈り物をしていた証拠……証言とか……」
「証言?」
「そう。お店の店員さんの証言とか。できれば請求書があればかなり強い証拠になると思う」
「それなら、贈り物を買った店の人に聞けば良いじゃん」
「そのお店が分からないことには」
「私、分かるわよ」
「え? 本当?」
「あの『ビッチ』に引き摺り回されてたからね……!」
おっと、有力な情報を得られたのは良いけれど、怒りが再燃するのは困る。大声を上げられたらさっきの二の舞。
「それは……気の毒に。でも私には幸いだわ。そのお店を教えてくれる?」
「勿論よ!」
人間であればぎりぎりと歯軋りをしていそうな雰囲気だったカナリアちゃんは、私の言葉に怒りが逸れたようで、すらすらとお店とその買い物を教えてくれた。
「……どれも最高級品を扱うお店だねえ……」
贈り物の内容も言わずもがな。我が婚約者殿の家は、伯爵家と爵位はそこそこだけれども、財政は芳しくない。と言うか火の車。現在もちょこちょこ我が家に借金の申し込みがある位には火がぼうぼうである。対して我が家は子爵家と爵位は下のほうだが資産家である。そこで私との婚約なわけだ。私との婚姻を前提にした資金援助。完全なる政略結婚。要するに、である。我が婚約者殿の家は高級品を買えるお金なんかないわけで、となると我が婚約者殿が噂の子爵令嬢にした贈り物のお金の出所は最早何をか況んや。前払いされた私の持参金やら我が父からの祝い金しかない。我が婚約者殿は、私との婚約の意味を忘れているらしい。これが事実なら何とも馬鹿にされたものである。ふふふふふ。
「行動するのは放課後ね。午後の授業が始まるから行かなくちゃ」
「じゃあ私はクソ『ビッチ』を見張ってるわ。また放課後にね!」
そう言うと、カナリアちゃんはふっと消えた。本当に幻獣に良く似た生態のようだ。
「シーサー、行きましょうか」
私がカナリアちゃんと話している間、ずっと大人しく待っていてくれた、私についている本物の幻獣に呼びかけると、校舎に向かう。
嵐のようだった。信用はまだできない。けれど備えあれば憂いなしと言うし。
「……お父様に連絡しなくちゃ」
◇
その日の放課後、私はカナリアちゃんとシーサーと共に城下の町に出て、リストのお店を回って請求書を手に入れ、更にデートした際に婚約者殿達が訪れた店なども巡って話を聞き出し、我が婚約者殿が不貞を働いた証拠を集めて回った。門限ぎりぎりまで。かなり大変だった……。
私が通う学園は全寮制。寮に戻ってからはカナリアちゃんに婚約者殿達の行動を聞き出し内容を紙に纏めて、日付順にリストにした。婚約破棄の為の書類も作成した。夜中までかかった。明日の授業が心配である。居眠りしそうで。
しかし苦労の甲斐あって、準備は万端。不備はない。ふふふ、明日が楽しみだ。
◇
翌日の放課後。カナリアちゃんの予言? 通り、私達の苦労が報われる時がついに訪れた。
「チェルシー、話がある」
我が婚約者殿が苦々しい表情で私に声をかけてきたのは、1日の最後の授業が終わった後だった。
「何でしょう?」
帰り支度の終わった鞄の鍵をかちんと閉めてから小首を傾げてみせると、婚約者殿は苦々しい顔をますます歪める。
「……ここでは騒がしい。ついてこい」
そう言うと踵を返した我が婚約者殿。場所を変えたいらしい。上から目線の命令形がむかつくわあ。
しかしどうやら公衆の面前で婚約破棄を言い渡すという愚挙を犯すつもりはないようだ。そのくらいの判断はまだできるらしい。私としても進んで晒し者になりたいわけではないので、腹は立つが鞄を手に黙ってついていく。
婚約者殿が向かった先は、空き教室だった。婚約者殿について中に入ると、そこには既に先客がいた。小柄で華奢なご令嬢が1人でぽつんと佇んでいた。
我が婚約者殿はすたすたと佇むご令嬢に歩みより、隣に並んでそのご令嬢の腰を抱き寄せた。──予測通り、と言うかカナリアちゃんの言っていた通り、お相手はハート子爵令嬢。彼女のことは知っていたけれど、なるほどこうして改めて観察してみると、確かに男の庇護欲をそそる儚げな雰囲気の可憐な容貌のご令嬢だ。男ってえのは何でこういう女に弱いかな。騎士を気取りたい男のなんと多いことか。──あ、いかんいかん。胡乱な目をしたら不味い。
「……あの……?」
これから何が起こるのかはカナリアちゃんから聞いているが、素知らぬ振りで戸惑ったように婚約者殿に視線を向けて小首を傾げる。……上手くできてるといいけど。何しろ演技なんて、前世を含めてもしたことがないのだ。頑張れ私。
「チェルシー。君はこちらのメロディ・ハート子爵令嬢に嫌がらせをしているらしいな」
「……え?」
何のことか分からない、という風に、今度は反対側に首を傾げ直す。……困惑しているように見えてますように。
「惚けるつもりか? メロディから話は聞いているんだ」
……何と言うか、話は聞いていたけど、実際目の当たりにすると、と言うか、やられると腹立つな。何で人って言うのは片方の話だけを聞いて信じ込む輩が多いのか。──はっ、いかん、台詞!
「……お言葉ですが、仰っている意味が分かりませんわ」
悪役らしく、ちょっと怒っている風に威圧感を出して、声は低く。いや実際腹立ってるけど。
どうやら何とか上手くいっているらしい。婚約者殿は私を睨みつけ、ハート子爵令嬢は怯えるようにびくりと震えて我が婚約者殿に擦り寄った。──えーと、その男は一応まだ私の婚約者なんだけど。
「あれだけ酷いことをしておいてしらばっくれるとは、全く呆れる。やはり君のような女を妻になどできない。婚約は破棄させてもらう」
来た! 来ました、婚約破棄! さあ成敗だ! 気分は水戸◯門! 印籠はないけど!
1度深く呼吸をして昂る気持ちを落ち着け……られない。うわ、楽しい。
「婚約を破棄……ですか……」
1拍間を空けて、恨めしげな上目遣い。……うん、やり慣れないことは難しい。私は女優だったことはない、前世でも今世でも。
「……そのことについてお話しする前に、はっきりさせたいことがございます。私がしたハート様への嫌がらせとは、一体何のことですの?」
そう、これ大事。私の名誉、引いては我が家の沽券に関わる。これをはっきりさせることは譲れない、その他の面でも。
私の言葉に我が婚約者殿が、はっ、と鼻で嗤う。──うわムカつく。
「白々しい。散々嫌がらせをしておいて惚けるとは」
「惚けるも何も、具体的に仰って頂かないことには分かりかねますわ」
「──なるほど、お前らしい。嫌がらせの自覚がないとはな」
くっそむかつく! そんな台詞吐けるほど、お前、私のこと知らないだろうが! 婚約してから顔を合わせたのは5回だけ。それも毎回僅か5分程度で大した会話もしてないだろうが……!──いけない、冷静さを失ったらこちらの負けになる……!
再び深く呼吸する。
「……では、今後の為にも自覚させてくださいませ……!」
う、腹立たしさが滲み出てしまった……!
しかしどうやらそれが功を奏したらしい。我が馬鹿婚約者殿は、私を馬鹿にしたように見下したように──まあ身長はあちらのほうが高いのでそれは必然なのだけれど──私を上から下まで眺め回して肩を竦めた。……いちいち腹立つな!
「良いだろう。今後2度とメロディに同じことをしないように、教えてやろう。彼女に嫌味を言ったろう。それから彼女の教科書やノートを破った。果ては彼女の寮の部屋を荒らし、ドレスや装飾品を滅茶苦茶にした。どうだ、覚えがあるだろう!」
ないわボケ!──という言葉は飲み込んで……!
「……それは、具体的にいつ頃のことですの? 場所は?」
「はっ、まだ惚けるか。場所だと? 嫌味などどこでも言えるだろう! 教科書やノートを破いたのは教室に決まっている! ドレスや装飾品を壊したのは彼女の寮の部屋以外ないだろうが。そんなことも分からないとは、どこまで頭が悪いのか。メロディとは大違いだな!」
貴様の脳味噌のほうが屑だろうが!──という言葉は飲み込んで! 飲み込んで……!
「……証拠はございますの?」
「証拠だと? メロディのことを疑うというのか!」
あ、やっぱり屑だわ。脳味噌おが屑。いや、おが屑に悪いわ、むしろ。うん、お蔭で大分冷静になれたわ。
さて、反撃しますか。
「……では、ハート様のお言葉だけで、具体的な証拠はないのですね?」
「貴様──」
「残念ですけれどそれはとても証拠とは言えませんわ。せめてどなたか第3者の証言でもなければ。私の行動ならば、最近の放課後に関しては殆ど毎日図書棟におりましたから、どうぞ司書の方々にお伺いになってください。入棟記録も退棟記録もございますわ。休み時間ならば大抵教室におりましたからクラスの方が、お昼休みでも、私は大抵庭園の四阿におりましたからどなたかが証言してくださるでしょう」
カナリアちゃんの話によれば、嫌味の嫌がらせは授業の合間の休憩時間や昼休憩に、その他は放課後に行われる筈だったらしい。幸いなことにその時間のアリバイはばっちりある。なかったら危なかった。
あら、言葉を遮られた屈辱か、反論できない悔しさか、我が馬鹿婚約者が顔を真っ赤にして震えている。
「酷い……! 誰も見ていない場所で嫌がらせされて、本当に私……! 怖くて……!」
おや、ハート嬢、初発言。鈴のなるような声はご健在のようだ。涙を浮かべた表情も私に怯えているように見えて素晴らしい。演技上手いなあ。役者になれるかもね。見目も良いし。アドリブもできてる。そう、アドリブ。どうやら公衆の面前で、という設定は崩すらしい。素晴らしいアドリブ力。しかしそれは裏を返せば、ハート嬢自身の証言以外に嫌がらせの実態を示すものが何もないと言うこと。
「具体的に場所と日付と時間を仰ってくださいますか?」
「……っ! それはっ、……裏庭、とか……! 訓練場の人気のない場合とか……!」
怯えたように肩を跳ね上げながらも訴えられる辺り、本当に怯えてはいないんだろうと推察できる。本当に怯える人間はそんな風に告発できないよ、個人的経験から言って。それでも端から見ればかなり怯えつつ勇気を振り絞っているように見えるんだから、凄い演技力だと思う。前世は女優だったのだろうか。──まあ、そんなことはどうでもよくて。
「──日付は? 時間はいつですの?」
「っ、放課後、よ……!」
「日付は?」
「──覚えてないわっ!……そんなの、覚えてられないもの……!」
うわ、泣き出した、面倒臭いなあ。この手の泣きってこっちが悪くなくても悪くみせる効果抜群なんだよね、頭痛い。
「貴様、メロディを泣かせるとは──」
「私は事実をはっきりさせようとしただけですわ。最初にそう申し上げましたでしょ? 何にせよ、具体的な証拠もないのでは私が嫌がらせをしたとは言えませんわね、違いまして?」
「くっ……!」
くっ、て。初めて見たわ、拳握り締めてくって呻く人。前世も含めて初めてだ。いるんだ本当に。まあ、今更青褪めたって遅い、ふふふ。
「このことは訴えさせて頂きますから、そのおつもりでいらしてくださいね」
「なっ!?」
「はっ!?」
おお、見事にハモってる。息ぴったりだね。でもそんなものに免じたりなんかしない。ふふふふふ。
「当然でしょう? 身に覚えのないことで、しかも多勢に無勢で責められましたのよ?」
「そんなことできるわけない……!」
「あら、できますわ」
「できるものか……! そうだ、証拠だ! 証拠がない!」
さっきまで被害者の証言のみで責め立てていた人間の言葉じゃないよね、それ。ああ、呆れ顔はしちゃいかん。表情を引き締めなくては。──よし。
「──ありますわ。ここには3人もの人間がおりましてよ? 3人の証言が合致すれば、立派な証拠になりますわ」
「はっ!」
おや勝ち誇った顔。こういうのをドヤ顔っていうのか?
「俺達が証言するとでも思ってるのか!」
副音声で「馬鹿め!」って聞こえた気がする。そっくりそのまま返すわ。ブーメランを味わえ!
「……それなら仕方ありませんわね……。先生、申しわけないことでございますが、こちらにいらして頂いても宜しいですか?」
「……先生?」
あ、馬鹿の間抜け面。思ったより面白くなかったな、残念。
馬鹿の疑問に答えるように、からり、と引き戸が開く音がする。そして姿を現したのは。
「……そんな……」
馬鹿が呆然とする相手。この学園の魔法と魔術の教師である、お爺ちゃん先生。
正直、先生をこれに巻き込むのは気が引けた。しかし、もう1人の協力者のアドバイスを受けて、協力を仰ぐことにしたのだ。そのもう1人の協力者も先生の後ろからこの空き教室に入ってくる。
ざまあみろふふん、とは思えど、できれば先生に登場してもらうのは避けたかった。だから素直に非を認めてくれたら、先生方には黙っていて貰おうと思っていたのに。これじゃあ、最悪退学処分も有り得るかな……残念過ぎる。
「先生、御手数をおかけして申しわけないことでございます」
「いやいや、良いんじゃよ」
カーテシーをしてお詫びすると、お爺ちゃん先生は好々爺然とした笑顔で答えてくださった。そして少し悲しげな表情で馬鹿達……おほん、婚約者殿達に向き直られた。
「マクネアー君、ハート嬢。誠に残念じゃ」
たった一言。それでも流石に分かったのだろう。2人の顔色は真っ青になっていた。勝負あり、である。ふふふふふ。権力の乱用? 虎の威を借る狐? 何とでも言って。その通り、先刻承知だ。自覚してるから何の痛痒も感じないわ。うふふふふふ、あーっはっはっはっはっはっ! 何て気持ち良いんだ! 最高! あの間抜け面! 傑作! 何かって言うと父親の爵位を振り翳しやがってクソ男が! ざまあみろってんだ!
◇
後日、私と婚約者殿の婚約は、向こうの有責で破棄となった。残念ながら退学はなかった。初犯だからと厳重注意のみ。残念。物凄く残念。
「まあでも、無事に婚約破棄できたし」
「そうね。あなたのお蔭ね」
「お礼はいいわ、原因は私にもあるんだし。それに私も気分良かったから。クソ『ビッチ』のあの青褪めた顔ったら!」
カナリアちゃんは随分ご機嫌だ。この婚約破棄騒動はお気に召したようである。良かった良かった、随分お怒りだったからねえ。
「それで『乙女ゲーム』とやらはこれで終わり?」
「ううん、『エンディング』はまだ先なの。だからそれまではあいつの動向を見張るわ。もうあなたには何もない筈だけど、『シナリオ』から少し外れたからね。あの『ビッチ』も『ゲーム』の知識があるから、これからどう動くか気になるし」
アフターサービスが良いのはいいが、終わりじゃないのか。面倒事はもうご免だなあ。まあ私は今生こそのんびりマイペースに生きると決めている。関わり合いは勘弁。
「と言うわけで、暫くよろしくね」
「……ええー……」
心底嫌だと表情で表したのに、なぜかカナリアちゃんは楽しそうに笑い声を上げた。解せぬ。だけどまあ良いか。そんな気にさせる明るい笑い声だ。思わずつられて笑ってしまった。
◇
後日元婚約者との復縁騒動が持ち上がりその回避に走り回ることになるとは、この時は思いもよらなかった。せっかく平和だったのに。誠に遺憾である。溜息ものである。
短く纏める練習なのに1万字超えちゃったら駄目でしょ……orz
どうして短く纏められないのか(泣)
読んでくださった方に心からの感謝を。
2020.08.19
メロディ・ハート伯爵令嬢→メロディ・ハート子爵令嬢
上記を訂正しました。
誤字報告くださった方、ありがとうございました。