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8.人として

 玄関から出ると、庭の木から葉っぱが舞い、おれの足元に落ちる。

 風がそよぎ、まだほのかな暖かさを感じる。家の鍵を閉めて、自転車のもとまで歩く。財布から鍵を取り出し、手のひらで軽くもてあそぶと、ロックを外し、かしゃんと心地よい音が響く。

 ハンドルを握り、サドルへまたがる。今日も、一日がはじまる。


 坂道を下り、スピードへのる。より早く、早く。平らな道にたどり着くと、加速しきった状態のまま電車の踏切をこえて、道なりに曲がっていく。橋へ到着するまで、周囲の背景は目に映らなかった。考えごとをしているとき、すごく視野が狭くなるのは、おれだけだろうか。


 これからのこと、ずっと考えてきたけれど、学校生活を、ちゃんと楽しんでみたい。

 おれの思う、きっと普通の人が送るだろう楽しい学校生活を、味わってみたい。


 それでいい。おれは完璧主義者としていきたい。

 学校にたどり着く頃になると、ようやくおれの視界は広がった。自転車置き場へと行き、駐輪を終える。


 さて、なにからはじめればいいんだ。

 学校生活ってなんだ、部活でも入ってみるか。

 普通ってなんだろうな。

 おれにとっての普通は、ゲームをすることだったからな。


「一樹」


 校舎へ向かう途中、美咲から声をかけられた。


「おいす」

 

 おれは昔ながらのあいさつをしたが、この世界でのなじみはまだない。


「考えごと」


 彼女の直感はするどく、当てられてしまう。


「心を読むな」


 二人で歩調を合わせ、早朝の風と、澄んだ空気を味わう。


 昔と今、おれたちの雰囲気に、違いはあまり感じない。いっしょにいることが当たり前で、いっしょにいることが幸せで、いっしょにいることが――。

 あいつは、どうしているのかな。


「美咲は、ゲームでどこまで行きたい?」

「どこまで……。それは、優勝とか、そういう意味」

「そう。e-sports部でどこまで行きたいの」


 時間はたっぷりあると言えばある。2013年からはNot Aloneの時代は終わり、新世代のゲームである、Not Alone:bestが登場する。


 だから、この六年で世界を優勝するのが、おれの目標。

 いや、目標じゃない。最低条件だ。


 あいつが待っている。だとしたら、一秒でも早く、帰らなきゃいけない。


「あんまり、考えたことないわ。でも、うちの部では高校生選手権の優勝をめざしてがんばってるから、たぶん私もそう、だと思う」

「なあ美咲、お前がよければ、日本一をめざさないか」


 彼女は、おれの方を向くことなく、言葉を返す。


「高校生選手権は日本一じゃないの」


 たしかに。


「いや、本当の意味で日本一になりたいなって。社会人とか含めた、ようするにFNLかJEL――ないしはWCGの日本予選で優勝って意味」

「……よく、わからないけれど、一樹がなりたいってこと」

「そうだよ」


 美咲の技術が、才能が、世界で勝つなら必要だ。

 まるで道具みたいに扱ってるな、この世界の美咲に申し訳ない。


「NA、やってるの」

「やってるよ」


 彼女は、ここでおれの方を向いた。


「部活に入らなかった理由は、変わったの」

「ガチでやりたくないってやつだろ。まあ、本当にやりたいことが見つかったって感じかなあ」


 軽く首を持ち上げ、視線を上げる。

 そろそろ校舎までたどり着く


「そう。日本一は……よくわからない。正直、あまり興味はないわ。まずは部活が優先かしら」


 想像もしていない言葉だった。美咲のことだから、日本一の話には快諾すると思っていたからだ。


 前の世界では彼女の夢であったことからも、この世界の違いは、想像以上に大きいものなのか。いや、快諾の予測が間違いか。


 そういえば、美咲の夢が日本一になったのは、こんな早い段階ではなかった。あいつの最初の夢はお嫁さんだった。

 いつからだったかな。


「ああ。おれ、部活に入るから。e-sports部ね。いつ入るのかはまだ決めてないけど、一年のうちには入る」


 下駄箱につくと、二人で靴を履きかえて、おれたちは階段を登る。


「うれしい」


 つぶやくように、彼女はそう言った。

 階段が長い、三階までの道のりが長すぎる。二階から三階へ向かう途中で、美咲の質問が飛んできた。


「でも、なんでいまじゃないの」

「んー、そうだな。最近はNot Aloneをやってなかったから、リハビリ中なんだ」

「入ってからでもいいのに。いっしょにやりたい」


 まあそう急くな。とおれは伝え、教室へおれから先に入った。

 おれの席は左上の、窓際だ。出席番号の順どおりの場所にある。美咲の方を、なんとなしに一瞥すると、めずらしく琴音が席についていた。


「琴音、おはよう」

「うん? 一条か」


 彼女は頬杖をつきながら首だけをゆっくりと、教室の出口側へ動かす。目が合い、琴音は左腕は立てつつも、手首から先は力を抜いてぷらぷらとさせて、よっ。とあいさつするようにおれへ向けた。


「……鈴森さん。おはよう」

「あ? あー。えーっと鳴宮さんだっけ」

「うん」


 椅子に座る琴音は、両手を後頭部にのせて、のけぞった。それとに同期して、きれいな橙色のボブカットがふわりとゆれる。

 こいつとも仲良くなりたいな。人生のテーマとか関係なしに、きっと楽しい。


 おれは自分の席に行くと、かばんをおろして、窓際から風景を見る。東京らしい、田舎と街の境目が、そこには写っている。一歩でも路地へ行けば、すぐにでも住宅街に入る。商店街や、サビまみれの線路や踏切だって、都心から少しでも離れれば、おそらく都外の人が思う想像とは異なるだろう。


 それが、ここ荒川区だ。


 このどっちつかずな、中途半端な感じが、好きだ。



 おれは、自分のことを完璧主義者――だと思っている。実際には、中途半端な完璧主義者だが。

 理想は高くはないし、普通ぐらいのことを目標にしている。けれど、それすら実現できないこともある。それがたまらなく不快なんだ。


 自分の理解、意識の高そうなやつらが喜びそうなことだが、おれにとっちゃ嬉しいものではなかった。


 むしろ、やらなきゃいけないことが増えたと思っている。

 まあ、花恵さんにも近いことを言ったけど、夢中になれるものがないよか、いいことなんだけどさ。


 なんだろう。

 いままでより世界がはっきり、くっきりしている気がする。

 これが、目標ある人間の視野か……。


 自堕落、といっても、怠け者だったわけではないが、あの無気力だったころのおれとは比べ物にならない。なにか、充実した感じを覚える。


「座れー未熟者共ー」


 やなぎ先生は教室へ入るやいなや、声を高らかにそう言った。

 他の席に遊びに行っていた生徒たちや、本を読んでいたりガラケーをいじっていた生徒たちは、それに反応してささっと自席に座りはじめる。

 黒板横に貼られている時間割を確認して、一限目の教科書を取り出し、机に並べる。筆箱もあわせて。

 学校の成績と、ゲームの両立はかなりつらい。というか厳しい。ゲームで世界一を取るための練習、そして進学校での学校の平均点というのは、あまり現実味がない話だ。

 まあ、人生二週目に近い状態ではあるから、不可能というほどでもない。ただ、それなりに時間効率を考えて動く必要がある。


 この時代の深夜のアニメはおもしろいのばかりと記憶していたから、そういうのを見たり、あまり触れてこなかったドラマや映画、音楽を楽しんでみたいとも、最初は思っていた。

 娯楽の時間が余ればいいが、ないなら仕方がないさ。


 おれはそういう道に進むわけだ。

 大嫌いだったあの頃に戻るんだ。

 仮に、おれの欲を満たす期間だったとしても、それは幸せとは程遠いかもしれない。

 充実した毎日と、幸せな毎日は、似て非なるものだ。

 おれは……。まだ後戻りができる。おもしろいものだけをむさぼる日々、食うに困らない収入、好きな人との結婚、このままなんとなしに人生を歩むだけで、きっと幸せで楽な人生が待っている。


 それでもだ。


 もとの世界に帰りたい。人として生きたい。夢を叶えたい。


 あのときの、世界大会で負けたあの日の、円陣を組んだ掛け声が、脳内で再生される。消えたはずの情熱が、ふっと心に表れる。

 

 GO……勝つぞッッ! MyGeneration!

 どのチームよりも、大きかったおれたちの声が懐かしい。


 火の消えたロウソクへ、再びあかりを灯すように。心の準備が整う。

 異世界転生生活のはじまりだ。

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