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7.答え

 ゲームをする時間は以前よりは減った。一日のプレイ時間は、全盛期は十時間、ゲーマーとしての最前線をやめてからは八時間ほどだったのも、今では四時間程度しかやっていない。代わりに、バラエティ番組やドラマ、アニメをテレビで見るようになり、パソコンは小説を書くこととテキストサイトを読むのに使うことが多くなった。


 なんというか、よくわからない。

 充実しているのかが、わからない。


 なにかに夢中になっているとき、おれは人間として生きていると思う。


 いまのおれは、生きているのか生きていないのか、わからない。


 あれだけ夢中になっていた、競技としてのゲーム、それを失った瞬間に、おれは心にぽっかりと穴が空いたように感じている。


 それは、転生してからじゃない。世界大会で八位を取って終わった、あの瞬間からだ。

 この世界にきてから、約一ヶ月。家事や美咲と距離をおくこと、そしてゲームから離れることで、気づいたことがある。


 おれが、ハッピーエンドを記すことに疑問を感じていたのは、人間として生きるなにか、つまり、目標を失ったからだ。


 美咲との結婚、やがては子供を作り、幸せな生活を送る。それが、世界一になるという夢を挫折した後の、次なる目標にはならなかったわけだ。

 理由は、それが目標にするまでもない、半自動的な、当たり前のことだったから。


 結局、おれは八方塞がりだ。人生の目標を失い、そしてそれを手に入れることを、自分が許そうとしていない。嫁を尻目に、第二の世界で幸せになろうと、目標を見つけて人間らしく生きようとするのを、許さないおれは、この世界でどう生きればいいのか。


 わからない。

 充実しているのかが、わからない。

 けれど、もっとわからないのは。


 心の底から、おれは元の世界に戻りたいと思っているのかどうか。


 *


「おはよう」


 母さんへぼんやりとあいさつをして、冷蔵庫を開ける。なかからオレンジジュースを取り出し、コップに注ぐ。

 寝る前のマイナスな思考はきれいサッパリ、とは言わないが、だいたいは消えた。


「母さんってさ、なんか学生の頃に夢とかあった?」

「おはよう。別になかったけど? しいていうなら部活やってたから、バレーを上手くなりたかったとか」


 夢、目標。そんなもん、決まってないやつのほうが大勢だ。そして、気づけば大人へ、年寄りへ……叶えるのに現実的な年齢を過ぎた辺りで、夢や目標を見つけるけれど、後悔しながら、人間はそのまま死にゆく。

 大半は、身の回りにある娯楽に触れていれば、表面上の幸せをつかむことで満足できる。おれだってそうだ、だからいまだって、楽しいものに触れている。テレビ、ゲーム、インターネット、ちょっとぐらいなら勉強だって。


 ただ、なにかが足りない。言いようのない不安が、先行きの見えない不安が、そこにはある。それはなにか、この世界にきて、わかった。


 おれは、幸せが欲しいわけじゃない。他人から認められることでもない。

 あるべき自分になりたい。それが、いまの欲求だ。


 そういや、高校の授業で、いや中学だったか、保健かなにかの授業で、似たようなことを学んだ覚えがある。そう思うと、いてもたってもいられなかった。


「母さん、朝飯はちゃんと食うからおいといて、ちょっと調べ物がある」


 おれは階段を登って、自室に入ると、すぐさまパソコンをつけた。

 この時代のパソコンはまだ起動が遅い。それが少し腹立たしい。


 検索するワードを考える、欲求、欲、三大欲求。どう調べるのか悩み、最終的に検索エンジンに叩き込んだのは、”人間の欲求 種類”だった。


 おれの知りたいことは、現れた。


 マズローの自己実現理論。人間には欲求の段階が、五段ある。


 まず第一に、生理的欲求。食欲、睡眠欲、性欲。次に、安全的欲求。自分の身が安全であること、生活水準の一定化と、向上。

「これだ」

 三番目に、社会的欲求。集団に所属していると、必要とされているという欲求。また、愛されることも含む。

 四番目、承認的欲求。他人に認められたい、あなたの能力は高いと、優秀であると認められたいという欲求。


 そして、最後。

 これが、おれのいまの段階だ。


 最終、自己実現的欲求。簡単に言えば、四番目の、他人ではなく自分に認められたいバーションな欲求だ。


 おれの疑念が、そこで氷解した。


 自分の出した結果に納得がいっていないから、引っかかっていた。

 

 あれから四年、おれはまだ、”言い表せないなにか”から逃げていた。

 その正体は、自分自身だ。


 背後から追いかける、自分の思う、おれという理想像から逃げていたんだ。


 ため息を吐き、深呼吸を繰り返す。


 前の世界で、思い悩んでいた原因がわかった。

 自分自身の理想像と、現実の自分との差。そして、その差を埋めようとしない自分の甘えを、自分が許していなかったこと。それが、放出できないダムのような感覚になっていたんだ。


 じゃあ、どうすればおれは本当の意味で、自分の人生という小説に満足できる最後を書ききれる?


 思いつく案のひとつが、また世界一をめざして、Not Aloneをやること。

 でも、それはきっとできない。努力をしたくないから。負けたときの、理想像と現実の差を受け入れたくないから。

 負けるのが怖いんだ。

 だから、やりたくないと思っている。ただの、臆病者だ。

 他人に認められないからじゃない、自分が、自分の負けた姿を認めたくないから、逃げているんだ。


「一樹! ご飯冷める!」

「うーす」


 階下から放たれた怒声を聞いて、おれは椅子から離れる。


 なんにせよ、なにも進展していない。


 四年間、貼り付いていた言いようのない気持ち悪さは、説明がつく気持ち悪さに昇華した。けど、そんなこと分かったって、意味はない。

 本当に必要なのは帰るための方法と、幸せになる方法だ。



 ……効率主義者な考えが、自分でも気に食わないな。

 おれの脳内に出てきたのは、”帰る方法が見つかることはないから、この世界で幸せになる方法を探せばいい”ってもんだ。


 正論だ、なにも間違いじゃない。

 気に入らないのは、美咲のためならなんだってやってみせると思っていた、結婚したばかりの自分との差だ。


 そう、これも自己実現的欲求だ。

 おれの求めるかっこいい主人公像が、正論を許さない。


 答えのない問題は嫌いだ。

 男がうじうじしているだけの物語なんてだれが読みたいと思う? 動くしかないだろ、おれ。


 この世界の美咲と世界大会で優勝か、もしくは、自慢できるような学校生活に、安泰な将来と自慢の嫁か。


 おれはどっちを取る?


 最愛の嫁のためなら、おそらく前者。自分のためなら、後者だ。

 マジで、ほんとろくでもない異世界転生だ。




 あー、家に帰って、美咲とゲームしたいな。

 はは……なんか、ポッと出たなぁ。これが答えだろ、なに無駄に一ヶ月も過ごしてんだよ。

 おれの家は、世界はここじゃない。

 帰らなきゃ、嫁が待ってる。

 戻る方法が世界での優勝じゃなけりゃ、いち小説家として意見を述べさせていただきたいね。


 *


 さあ、早速e-sports部に入ろう。とは思わなかった。まずおれのブランクを取り戻すのが先になる。


 自慢するのもなんだが、おれはまあまあ頭がいい。物事の先読みをした結果、実力が落ちている状態で部活に入っても、最初のインパクトがどうしても減るわけだ。


 期待の新人がやってきたぞ! と周りから騒がれるぐらいには、圧倒的な差をつけなければならない。

 そうすれば、まず部活の大会出場メンバーに入れてもらえる。次に名前が売れて、有名プレイヤーに話を聞いてもらえる。やがては、おれと美咲、そして上位層のプレイヤーを三人集めて、チームの完成。めざすは世界。


 道筋はこれしかない。正直、いまのおれはただの高校一年生で、有名プレイヤーからすると、どれだけ強いことを認識させられたとしても、チームに入れるかどうかは確定じゃない。それに、私的には美咲の育成も必要になる。この時代の美咲じゃ、悪いがお荷物だ。


 世界へのルートが決まれば、まずは第一歩として練習だ。部活内で圧倒的名声を勝ち得なければならない。


 とりあえずNot Aloneに一日で最低六時間、最大で十時間は触る。地道にやっていた勉強の時間はすべて消し飛ぶだろう。それでも構わない。そうしなければ、世界は取れない。


 どちらにせよ、ゲームもせずに元の世界に帰らないなら、仮りそめの幸せを満喫しているのなら、前の世界と同様――死んでいるも同然だ。



 なにかに夢中になっているとき、おれは人間として生きていると思う。



 あのときまでのおれは、死んでいた。目標などなくてもいい。ただ、自分の時間を費やしたいと考えるなにかがあれば。だが、あのときまでのおれは、美咲との結婚生活を楽しんでいただけ。

 それじゃだめだ。

 なぜか、おれは自己実現的欲求がある人間だからだ。

 幸せなだけが、人生じゃない。

 人として生きたい。


 おれが、おれらしいと思う自分になりたいんだ。


 それにはきっと、美咲とゲームが関係する。

 愛した人と、自分の夢を叶える。それが、おれの人生のテーマなんだと、いまようやくわかった。


 うぬぼれと完璧主義者、そして効率を求めるわりに、感覚派。これがおれの自己分析、おれらしいおれだ。

 そんな自分が求める夢は、結構むずかしい。

 

 学校生活も勉強も楽しんで、世界で優勝する。


 琴音や美咲のような完璧人間になれってか。いや、むしろ、あいつらのようになりたかったのかもしれないなあ。

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