68.追想
業後、みんなが教室を出ていくさなか、一樹と楓はバッドマナーについて喋っていた。私たちも帰宅の準備を整えてから彼らの近くへ寄っていく。
二人の意見は近しいようで、視点が大きく異なるのは会話の仕方から察せた。
楓「あんたたちはどう思う?」
私はバッドマナーについて批判的だ。例えば死体撃ちや、殺した敵の上でしゃがみキーを連打してスクワットのような動きをすることなど、いわゆる煽り行為は好きじゃない。対して、楓はむしろ好ましいという。
楓「だって、格闘技なんか見てご覧なさいよ。互いが互いを煽り合ってんでしょ、それとおんなじよ。ゲームを楽しむためのスパイス」
エレナ「いやー、どうなんですかね。その辺は……。私はあんまり興味ないですね、やろうとも思いませんし、やられても気になりません」
エレナのような立ち位置はネットゲームに慣れている人物だからこそだろうか。美咲も同じだった。
初心者や中級者は煽り行為が好きじゃない人が多いだろうと思っている。人がやられて嫌がる可能性が少しでもあるならやらないに越したことはない。それが私の考え方だ。
彩子「一樹はどうなんだ。さっきまで二人の話を小耳に挟んだ感じでは、楓と似た考えのようだったが」
楓「いや、結構ちがうわよ」
んー、と一樹は頬杖をついて窓の方を見ながら唸った。
それから、一度ゆっくりと唇を舐めると、話し始めた。
一樹「あぁ、なんだろな。まあ人口が減らなきゃ何でもいいと思ってる。増えるならむしろやればいいと思う。そんな感じだ」
美咲「……人口って」
一樹「行為の善悪はもはやどうでもいいんだよ、興味ない。それよりも自分たちの好きなゲームから人が消えるならダメだし、増えるなら望ましい、それだけ」
彼が立ち上がり、鞄を持つと廊下の方へ向かっていった。私たちもその背中を追う。
教室の出口にたどり着いた辺りで、続きが話された。
一樹「プロゲーマー同士がプロレスみたいな煽り行為をするとしよう。それを望む人が百人いて、望まない人が三十人、色々細かいことを鑑みて人口が増えるならそれはいいことだ。ゲーム人口が増えればそれだけ競技シーンのレベルは上がり、ゲームの認知度もあがる。運営に対して支払われる金が増えて、ゲームの質や運営もよくなっていく。いいことばかりだ」
私たちのような考え方じゃない。
やはり、それはどこか大人びたような……。
こちらがまだ子供なんだ、と気付かされるような話し方なんだ。
一樹「初心者に煽って、意味あるとかないとか、面白いとかどうとかはどうでもいいんだ。その初心者が嫌がって人口が減るなら、それはダメだ。さっき話したことの逆が起きてしまうから。逆に、おそらくは上級者だろう相手に対して煽るのは別にいい、というより興味がない。そんなのでイラついて引退するようなやつが上級者にまで登りつめられるわけがないし、好きにすりゃいい」
コミュニティ全体を最優先して話をできるやつが、この世界に何%いるんだろうか。
心の底から愛したゲームだからこそ、この俯瞰した視点に、境地に至れるんだろうか。
楓「……ふーん、なるほどね」
エレナ「個人の好き嫌いがどうでもいいって言い方できるのはさすがですね」
一樹「面白い考え方じゃないだろうな。彩子さんみたいな、人が嫌がることはやめましょう、可能性がちょっとでもあるならやめましょう、ってのが立派な考え方だよ」
そうだ。そう、立派だ。立派でしかない。
一樹のそれを聞いてからでは、なんとちっぽけな視野だろう、と思ってしまう。
一樹「今、この環境は恵まれている。多くのプレイヤー人口に支えられ、プロゲーマーを作る学校なんてものがあって、給料をもらってゲームができることが普通なこの環境は、すごく幸運だ」
楓「なに当たり前のこと言ってんのよ」
一樹「全部のゲームが、こういうわけじゃないだろ? 自分の愛したゲームが、やっぱりどうしても人口が少なくてプロ化が難しいとか、運営がサービスを中止してしまうとか、そういう人たちはどこかにいるはずなんだ。スポーツだってそうだろ。やっぱ、そう思うと環境を自分たちから壊していくような行為は、良くないよね」
廊下を渡ってそろそろ下駄箱へ到着する辺りで、楓は真剣そうな口ぶりで言った。
楓「世界で全然勝ててない日本が恵まれてると思う?」
一樹「ああ、思う。この世界で、日本は恵まれてる方だ。そりゃ、上を見上げればいくらでも比較はできるだろうさ」
台詞を切って、それから彼は少し間を置いて答える。
一樹「けど、スタートラインにすら立てないような環境じゃない。給料がもらえないとか、esportsに対しての認知が低すぎるとか、そうじゃないだけ素敵だ」
楓「……そうね。それもそうだ」
長らく話した一樹の言葉からは、ずっしりと、彼の思いが心へ響いた。
これは意見じゃない、経験なんだろう。
私にはそう思える。
彼の過去を詮索しないと決めた私の意思が、少しだけ揺らいだ。
エレナ「話は変わりますが、中間考査ってユイカちゃん入れるんですか?」
一樹「テストの点数がゼロになるから参加させるよ」
エレナ「誰と交代するんです?」
対象は私だった。それは私がチームで一番弱いという証だろう。悔しいよりも情けないという気持ちが上回る。自分では気にしていない体をなしていたが、一樹にはどうも見透かされているようで理由を説明してくれた。
一樹「チームの特色としてスナイパーの美咲と指揮官の俺は絶対外せない。で、ユイカのUNTとかいうのを活かすなら最後まで生き残ってるほうがいい。つまり先頭を詰めがちな楓と交代も無理。残ってるのはエレナか彩子さんで、まあ彩子さんの方が役割が近い、かなって」
役割という言葉でそれらしく見繕っているだけで、真意はどうだろうか。嘘をついていないようにも思えるが、もっともらしいことを信じ切っているともいえる。いわゆる、妄信だ。
一樹「嫌か? 彩子さん」
彩子「構わない。私も、お前の立場ならそうするはずだ」
一樹「違う。正しいかどうかの話じゃない、自分がいいと思うのかどうかを言ってくれ」
――――。
ああ、きっと。ユイカもこんな気持ちだったんだろうな。
心の琴線に触れられると沸き立つ。言いようのない、もどかしい感情が、体中を這いずり回る。
核心に触れられるというのは、こういう感覚なのか。
彩子「……嬉しくは、ないよ」
一樹「そうか。今回のテストは入れるけど、次からは難しいってユイカとしっかり話そう」
友人としてか、それともチームのリーダーとしてか……それは分からない。
ただ、彼は人付き合いにおいて重要なことが分かっていると思った。
他人同士が仲良くするだけならこんなにも簡単なのに。
目標を持って、一集団として動くだけでこれほど変わるもんだな。学べたよ、お前のおかげで。
エレナ「なんか私、面倒な話をぶち込みました?」
彩子「……いいや、全然。むしろ感謝を伝えたいぐらいだ。ありがとう、エレナ」
エレナ「どういたしましてー。なんでお礼を言われたのか分かりかねますがー」
とはいっても、これは遊びじゃない。
私たちは真剣にプロを目指しているし、なによりも世界を目指している。国内最強では物足りない、高みを見据えて行動しているんだ。
彩子「なあ、一樹。真剣に、嘘偽りなく答えてくれ」
玄関から靴を履き替えて外へ出ると、周囲にまだ帰宅途中の生徒や、足早に着替えている陸上部のユニフォームを来た生徒がいた。
話を聞かれても、いいだろう。
最後尾に立つ私が足を止めると、みんなは振り返った。私は一樹を注視して切り出した。
彩子「私は、チームをキックされる可能性はあるんだろうか」
私は後悔した。そんな話をする必要はないから。私は一生懸命、努力を続けて、それでもなお結果に結びつかなかったときにおのずとそれは現れる。そんな質問は無粋だ。これから先、私以外のメンバーにも不安を与える。なんの得も生まない会話だ。
――――彼の言葉が脳裏に蘇る。
正しいかどうかの話じゃない。自分がいいと思うのかどうかを言ってくれ。
一樹「そりゃあるよ。大怪我負ったり、病気になったり。もしかしたらゲームをプレイするのも嫌になっちゃうかもしれないし」
楓「なんの話よ、いきなり。それより夕飯のおかずの話がしたい」
一樹「怖いか、彩子さん。自分のせいで負けるかもしれない、とか……。自分が一番チームで弱いかもしれない、とか」
ああ、怖い。
チームだからこそ、その不安はずっとついてまわる。
自分のプレイスタイルには価値があると教師陣を含め皆から言われ続けてきた。個人成績も悪くない、むしろ上位だ。
だが、私は花形じゃない。試合を動かすようなビッグプレイができる選手だとは、残念ながら思えない。
一樹「どうでもいいよ、そんなの。なんちゃらのせいで、とかはどうでもいい。与えられた、もしくは自分の認識した役割をこなすだけだから。チームはそういうもんだ」
自分に与えられた役割、自分の思う役割。
それを、こなすだけ、か。
一樹「役割の認識が間違ってたら反省する。役割がこなせなかったら反省する。それだけだよ、なんでもできるようになんてならなくていい」
彩子「……だが、それでも。なんでもできるやつは、世の中にいるんだろう? やがては、そういう人物に入れ替わられるべきなのか、と……」
一樹「そりゃあ、まあね。世界は良くも悪くも残酷で、よくできている。日本一ならともかく、世界を取るとなったら話は違う。実際、世界で優勝したチームに弱いプレイヤーなんて誰もいない」
一樹は歩き出す。少し遅れて、私たちもついていく。
ほんのりと赤みがかった空と、頬を撫でる風。
校門から学校を出ると、彼は続けた。
一樹「FPSは五人強くないと勝てない。俺はそう思ってるし、実感してきた」
彩子「……そうか」
一樹「弱いやつとチームを組んで後悔する人は、世の中にたくさんいるだろう」
……まるで、自分のことのように話すじゃないか。
お前は、つまり。
おどけたような言い方で、一樹はつれづれと話し始める。
けれど、その口調はどこか朧げで、ふざけきれていないのだ。
一樹「ああ、ほんとうにクソったれだ。足を引っ張られるのは最悪だ。誰かの人生を誰かが何%かは背負ってる。どこまでもチームってのはクソだ」
エレナ「ちょ、ちょっと一樹さんっ!」
楓「言いすぎてんじゃないの」
楓が背後から彼の肩を握った。力強く握りしめているのが最後尾にいる私からでも分かった。楓はそのまま引っ張って、一樹の顔を見ようとしていた。
一樹は自分の片手で顔を隠し、表情を見せないようにしていた。
楓が無理やり一樹の手を剥がすと、彼の面持ちはすごくさびしそうだった。
一樹「だからって、諦められるか」
彼は、私に対して言っていたわけじゃない。
じゃあ誰に?
彼自身か?
一樹「環境が悪いか、仲間が悪いか、自分が悪いか。そんなの知らねえよ。自分がやりたいから、自分が欲しいものがそこにあるから、頑張ってるんだろ」
彼は、私を見据えていない。私の方を向いているようで、対峙しているのは別の誰かだ。
どんどん彼の語気が高まっていく。激しく、勢いづいていく。
彼は、誰に話しかけている。
一樹の声調は、前の夜更けに楓と言い争っていたときよりもずっと激しかった。
一樹「自分が世界一になりたいと思ったんだろ。そこを目指して戦い続けるしかないんだよ。 誰の方が向いてるとか、誰なら世界に行けたなんて言葉は意味ねえよ」
一樹「自分のために動けよ……! 自分がなりたいんだろ……! 誰かの、ためなんかじゃないだろ……」
彩子「……そう、だな。悪かった。自分が世界を取りたいという当たり前の前提を、忘れていた」
楓はゆっくりと握っていた手を離すと、一樹はまた歩き出した。
なんとなく気まずい空気のなか、今日は静かにこのまま帰宅をするんだろうと思っていると、彼女がめずらしく口を開く。
それは純粋な問いかけだった。
美咲「一樹は、なんで世界一になりたいと思ったの」
一樹「……ああ、好きな女の子がいてさ。ある大会で優勝したときに、すっげえ可愛い笑顔を見せてくれて。世界で優勝したら、また笑ってくれるかなって」
楓「なによ、その理由。しょうもな」
しょうもなくねーよ、と彼は楓の頭を小突いた。
エレナ「純情ですねえ……。どんな子なんですか? 学校にいます?」
一樹「いない。どんな子、か。そうだなぁ……」
無表情で、なに考えてるのかわからなくて、マイペースで。
優しくて、気が利いて、理知的で、努力家で、ごくまれに見せる笑顔がすごく可愛くて。
感情の表現が苦手で人と仲良くなるのに時間がかかるし、勘違いもされる。けれど、彼女の中身を知ると、すごく愛らしくて、ほっとけなくて……。
流暢に、彼は言ってのけた。一切、詰まることはない。彼がそれだけその人のことを好きなんだと簡単に分かった。
そんな特徴と、似た人物を知っている。
まだ、私は彼女のことをそこまで知らないだけかもしれないが。
美咲「変わった子ね」
一樹「ああ、ほんとうに。どこまでも、俺に力をくれる」
ちょっとした町外れにある私たちの学校は、学校帰りのこの時間では生徒以外の人通りがほとんどない。
ゆるやかな傾斜のついた坂道を下っていると、楓とエレナが、二人を先に行かせて私の方へ近づいていくる。
こそこそと、小さな声で会話を始めた。
楓「あれって突っ込んだほうがいいの?」
エレナ「絶対ダメです。無粋です」
私は一樹たちに聞かれないよう、彼女たちよりもさらに小さく喋る。
彩子「一樹は、どこから来たと思う?」
エレナ「んー、未来か近似した世界じゃないですか?」
楓「は? 意味分からん」
え、逆に気づいていなかったんですか。と、エレナは驚いた様子だった。
言われて思う。確かに一樹の数々合った不審な点は、エレナの考察ですべて説明がつく。
しかし、そんなことが現実に起こるだろうか。
エレナ「まあ、言葉の感じからして近似した世界、パラレルワールドかなんかだと思いますよ」
楓「どっから気づいてたのよ?」
エレナ「薄々、感じているものはありましたけど……。前のあなたとの喧嘩ですね。”この世界のエレナと美咲とは一切関わりがなかったよ”って台詞、覚えてますか」
ああ……。この世界、ね……。
エレナ「まっ、どうでもいいですよ。そんなの」
楓「どうでもはよくないでしょ……」
エレナ「いつか、あの人から。そのときに、いっぱい話せばいいと思いますよ」
やわらかく微笑んだ彼女がそう言った。
楓「あんたって意外と大人っぽいわね」
エレナ「全然意外じゃないんですけど」
一樹と美咲がこちらを振り返った。内緒話をしているのが気になったんだろう。
落ちかけた西日が、私たちに降り注いでいた。




