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66.気がかり

 あの二人が夜にどんな話をしていたのかは、私たちには分からない。さして聞く気もないが、仲が悪くなったではなさそうなのが幸いだ。

 一樹にはどうやら話せない過去があるようで、まだ十六歳というのにどんな経験を経たのか……。まったく想像につかない。


 あれから夜が明けて、いの一番に早起きをしている一樹が、私たちの朝食を作ってくれていた。食費や家賃、光熱費といったものは私たちが親から渡されている小遣いで賄っている。だが所詮は高校生だ。私たち四人にかかっている生活費を支払えるような小遣いが渡されてなどいない。支給額は一番多いのがエレナの月一万円で、少ないのが美咲の月三千円だ。


 これでは支出の方が多くなるだろう。いくらゲーミングハウス代わりに一樹の家を使っているとはいえ、すべての小遣いを渡せるほどの胆力は皆持ち合わせていない。

 無論、私もだ。


彩子「また朝ごはんを作ってくれたのか、ありがとう」


 キッチンで立っている一樹に礼を言って、私は最初に食卓へついた。


彩子「なにかオススメのバイトはあるか。学生でも働けて、どちらかというと時給よりシフトが自由そうなのを優先したい」


 ああ、働く気だったんだ。と、一樹は言った。


彩子「当たり前だろう。ん? その言い方だともしかして一樹がバイトするつもりだったのか」

一樹「逆にお前らが働くと思ってなかったよ」


 時折、彼の自己犠牲の精神は驚くべきものがある。そして行動力も。自分を物のように扱っているがための行動力なのか、元来から彼の持つ才か……。どちらにせよ、周囲を慮る行動をよく取りがちだが、受けている身は気分が悪い。


 口に含んだトーストを飲み込み、私は言った。


彩子「なぜ、そこまで投げやりなんだ」

一樹「いや、親に頼るわけにもいかないし当然だよ」

彩子「違う、自分自身に対して投げやりという意味だ」


 そう言った私は、ハッと気づいた。

 楓との喧嘩はこれが理由だろう、と。


彩子「楓も言っていたが、もっと甘えていいからな。同年齢だから恥ずかしいかもしれないが……」

一樹「いや、別にそういう感情はない。……まあ、バイトしてくれるならありがたいよ。嬉しい」

彩子「自分たちのせいで増えた支出以外にも、私は少し多めに渡したいと思う」


 彼は嫌がった。まだ四日目とはいえ、家事のほとんどは完全に任せっきりだ。洗濯した衣類だけは各自で畳んでいるが、楓に至っては下着以外は私か一樹に畳んでもらっている。チームで共同生活をしていて、こういう関係はよくない。

 それを受け入れられるのが、彼の変わったところ……いや、異常性だ。


 少なくとも、私は同じ十六歳の高校一年生がこんな真似をできるとは思えない。

 炊事洗濯掃除のどれも完璧だ。ベテランの主婦ぐらいできてしまう。楓が二日目のときに自分の下着を洗濯機から持ち出すのを忘れていた際には、一樹が普通に女性用下着を畳んでいたことは特に印象的だった。


 親御さんは海外にいるようだが、母親の下着を畳む機会なんか子供にあるか? 不思議でしょうがない。


彩子「いいんだ。普段、世話になっているから。私も一応、最低限の家事はできるつもりだが、一樹ほど料理は上手くないし、他のこなす速度も早くないからな……」

一樹「彩子さん得意そうなのにね」

彩子「同年代よりはできるはずだぞ、たぶん。お前が上手過ぎるだけだ」


 一人暮らしをして、長いのか尋ねた。高校生からはじめたけど、と言われてもこれまた謎が深まる。


彩子「家事をする機会は多かったのか」

一樹「そうだね。四人がやってきた家事の時間を全部合わせても俺より短いと思う」


 ネグレクトか? 親が自分たちの家事をすべて彼に委ね、仕事や遊びにうつつを抜かしている……のかもしれない。

 彼の過去を聞き出すつもりはないが、さすがに色々と勘ぐってしまうのは仕様がないことだよな。


美咲「……お、はよう」


 一人増えた、食卓の上にある時計を見るとちょうど七時だ。

 うーん、それにしても……。やはり緊張しているのか、どうかもわからん。なぜ一樹は美咲とコミュニケーションが取れるんだ?


彩子「おはよう」

一樹「おはよう。あんこがあるけど、塗る?」


 こくり。と彼女はうなずいた。


彩子「へえ、あんトーストなんてめずらしいものを。よく食べるのか?」


 ふるふる、と彼女は首を横にふる。

 よく、一樹はあんトーストなんて提案したな。


一樹「ちなみに小倉トーストって言う方が普通だぞ」

彩子「一樹は名古屋出身か?」


 いいや、違う。と彼は言った。

 なんとなく、嘘っぽかった。


美咲「……バターも、塗ったほうが、いい?」

一樹「うん、そっちのほうが塩気もあって美味しいと思うよ」


 随分と声色が優しい。一樹は美咲に対してだけ態度が異なっているようだ。

 しかし、美咲は一樹のことを知らないんだよな。いや、互いに知らないはずなんだが……。


一樹「二人起こしてくるね。パンが固くなっちゃう」

彩子「お母さんみたいだな……」


 少しだ、ほんの少しだけだが気まずいな。

 あ、コップにお茶が入っていない。どれ、私が美咲の分も入れよう。


美咲「……ありがとう」

彩子「なあ美咲、一樹と意思疎通って取れてるのか? いつも疑問なんだが実は一方通行だったりしてと思って」

美咲「取れてる」


 返し方が短い……。


彩子「自分で不思議に思ったりしないのか」

美咲「ふしぎ」


 どうやって一樹のやつ会話してるんだ?

 新しいAIロボットと言われても分からんぞ、これでは。


楓「おはー」

エレナ「おはようございます……」


 元気そうな楓と、眠たげなエレナ。後者はどうも低血圧らしく、朝に弱い。これからプロとして活動する上で、朝に弱いというのはデメリットにならないんだろうか。

 二人とも席について、楓はすぐさまパンを頬張る。エレナは私がコップに入れたお茶を飲むようだ。


一樹「お前ら髪の毛クシャクシャじゃん」

エレナ「そんなんどうでもいいです……」

楓「あとで直すわ」


 まさに寝起きという感じだ。

 一樹はまた廊下の方へ歩いていった。今度はなにを取りに行ったんだろう。


楓「テレビつけてよ」


 私は食卓の上にあったリモコンに手を伸ばし、代わりに電源を入れる。

 ニュース番組が程よい音量で流れるが、楓はそちらの方を向くわけでもなく朝食を食べるのに集中していた。


 私は食べ終わった自分の食器を片付け、洗い物を始めた。二枚の皿とコップ一つではすぐに洗い終える。


楓「……うん? あんたなんでそんな豪勢なのよ」

美咲「一樹に小倉トーストにしてもらった」

楓「へー。結構おいしそうじゃない」


 美咲がゆっくりと差し出したそれを「じゃあ、一口だけ」と楓は彼女から貰った。

 ダイニングキッチンから見る限り、エレナはトーストに手を付けず、サラダとベーコンから食べている。

 昨日と一昨日もそうだったが、朝はあまりいらないのかもしれないな。


一樹「あー……。エレナ、スープにするか」


 廊下から現れた彼が手にしていたのは、粉末スープの袋と、寝癖直しに使う霧吹きに入ったヘアウォーターだった。

 相変わらず気が利くやつだ。

 甲斐性を見せる一樹の提案を、ぼんやりとした様子の彼女が間延びした声で返答する。


エレナ「お願いしますー……」


 楓がなにやら言いたそうだ。なにか思い当たる節は……ああ、エレナだけ優遇されていると言いたいのか?

 それなら自分もスープを貰えばいいじゃないか。


 楓が小声でなにやら会話をはじめた。

 キッチンにいる私と一樹にとは届かないぐらいの小声だった。

 気になった私は、スープを作るためにお湯を沸かしている一樹を尻目に食卓へ移動することにした。


一樹「彩子さん洗ってくれたの。ありがとね」

彩子「気にするな、当然だ」


 椅子に座ると、どうやら違和感を覚えないか問いてるようだ。


楓「本当に?」

エレナ「一度も面識はないです」

楓「よそよそしいのは?」


 まあ、なんとなく感じますけど。と、エレナが答えた。


 やがて私たちは朝食を食べ終えると、朝の準備をして学校へ向かう。

 楓と一樹の喧嘩については、誰も話さなかった。




 今日は家に帰ってからテレビを見ていた。毎週木曜日は休日と一樹が決めたのだ。

 一樹が休日を設定するとは意外だ。もっと厳しく、ストイックに練習する毎日を送るかとチームを結成した当初は思っていたのだから。休むことがゲームのモチベーションを保つの大切、と彼が言ったのは驚いたと同時に納得した。


 ソファに座っているのは私と一樹。他のみんなは自室にいるか、同じくリビングの床で寝っ転がっている。

 

 今、テレビでは理想と現実をテーマにしたドキュメンタリーが放送されている。

 自分の好きな音楽だけを愛する売れないバンドマンが、仲間と自分に折り合いをつけて、音楽に寛容的になるというストーリーだった。結局、バンドマンは他者の音楽性を受け入れることで自身にあった固定観念を取り払い、新しい音楽を作ることで世間に売れたらしい。

 それを見て、床に寝そべったエレナがスマホを片手に言った。


エレナ「批判的過ぎるのってよくないですよねー」

彩子「まあ、うちは一樹がいるからゲームでの見解に喧嘩はほとんど起きないが、他のチームは大変だろうな」

エレナ「ゲームに限った話でもないですけど、自分の意見ばっか押し付ける人っていますからねえ」

一樹「……折り合い、か」


 隣に座っている一樹は、やけに寂しそうだった。


彩子「どうした」

一樹「理想は、求めるものじゃなくて折り合いをつけるもんなのかな」

エレナ「マジでどうしたんですか?」


 それから、すぐに一樹の表情は変貌した。一言で言い表すなら虚無だ。どこを見ているのかも分からない、私とは不安を抱いて、エレナへアイコンタクトを取る。彼女も同じ気持ちのようだった。


エレナ「……どうなんですかね。折り合いは、つけたら楽になれますが……全部自分との相談じゃないですか?」

彩子「自分が幸せになれれば、それでいいんじゃないか」


 私の発言は、後に軽率だったと判明する。


一樹「後出しじゃねえか、全部……」

エレナ「後出し?」

一樹「結果が出たから、折り合いをつけたって言っただけじゃねえか。新しい音楽が作れてなかったら、こいつは自分の出来事を美談として語ってなんざいねえ」


 言葉の一つひとつに気迫がない。やつれた語気で、どこまでも疲れ切った言い方だった。

 なのに、どうして……。こんなにも台詞が重いんだ……?

 エレナはスマホをスカートのポケットに入れると、ゆっくりと立ち上がった。


一樹「諦めた理想でも、満足できる現実だったから喜んでるんだろ。それが満足のできない現実だったらどうすりゃいい、それすらも見て見ぬ振りをして、いい人生だったと――――」

エレナ「どうしたんですか、一樹さん」


 そう言ってエレナはソファの後ろから一樹の首元へ手を回す。胸で首の後ろあたりを押して、自分の顔を彼の後頭部へ当てた、優しい抱擁だった。


エレナ「ちょっと疲れちゃいました? 彩子に言って夕飯は任せましょう。一緒にお昼寝でもします?」

一樹「……いや、いい。ごめん、変なこと言った」

エレナ「全然、変じゃないですよ。テレビや本でも、うまく行かなかった人のエピソードなんてわざわざ書きませんからねえ。みんな成功談ばっか語って、勝手ですよねえ……」


 ずっと、大人だ。私よりも、エレナのほうが。周囲から大人っぽいと言われてもそんなつもりは元々なかったが、これほど違うとはな。

 なにか言いたくても、なにも思いつかない。私には、なにが伝えられるだろうか。


 ……まるで、物語の脇役みたいだな。

 ああ、思い返せば私の人生は、他人と通じ合うことよりも、他人にとって都合の良い人物となれるのを優先としていたのかも。

 ――――そんなものか、私は。


 これが、折り合いというやつか。


 一樹は大きく息を吸い込み、深呼吸をすると私に頼み事をした。


一樹「彩子さん、頼んだ」

彩子「うむ、任せろ」

エレナ「では、お昼寝にレッツゴーです。……本当に一緒に寝るんですか? 自分で言っといてなんですけど」

一樹「寝るわけないだろ、一人で寝るよ。ありがとなエレナ、彩子さん」


 私たちは二人で手を振って、自室へと向かう一樹を見送った。

 おそらく、私だけ心に気がかりを残して。

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