59.追憶
唯花「匠。彼の家に取り付けた盗聴器は外しなさい」
匠は驚いた表情で、理由を聞いてきました。
唯花「別に、なんということもありません。知りたい情報は得たので」
匠「……! 彼と直接、お話を?」
唯花「そうですよ。案外、すんなりと話してくれました」
匠「それは、なによりでございます……。して、どんな内容でしたか」
内緒です。
匠「……はぁ、内緒……ですか」
唯花「秘密です」
要件を伝えて、私は彼に下がるように言った。
結局の所、彼は私になにも教えてはくれませんでした。回答は、なかったのです。
答えのない問題集では達成感しか得られません。やり切っていても、そこに意味はないのです。
ただ、おおよその予測はつきます。それは、聞く人によっては馬鹿にされても仕様がないものですがね。
彼は意図的に、その回答が浮かび上がるようにしていた、と私は思います。救難信号ですよ、あれは。耐え難い苦痛から逃れるには、誰かの共感が必要なのです。
――――こんなこと、彼と出会うまでは考えもしなかった。まだまだ子供ですね。
しかし、彼は共感を避けている。
彼の周りから、彼の仲間が消えるのを怖がっている。彼の仲間が、彼自身がいなくなったあとの未来を恐れている。
匠が言っていた、殺人衝動は……大方、彼をその境地に陥らせた者への憤慨でしょう。
私には、なにもできない。
それが……当たり前なのに、悔しい。
ふふっ、彼のことを好いているのでしょうね。私は。まだ出会ってほとんど月日は経っていないのに、不思議なものです。
魅力的な要素は、たくさん挙げられますがね。
一樹「おっ、まただ」
楓「あん? ああ、影の女王様じゃないですかぁー!」
それやめい。と、彼は日向 楓の後頭部をはたく。
すぐに彼は教室前部の扉までやってくると、私へ話しかけてくれます。
一樹「どうかした、またなんか聞きたくなった?」
どうして、こんな優しい声色で話しかけられるのでしょうね。あまりさせたくない話を引き出したのに……本当に感服いたします。
唯花「その、お昼を一緒に、どうかなと」
一樹「お昼? いいけど、楓たちも一緒だよ?」
唯花「ええ、構いません」
彼女は、どう発言するか分かりませんが。
私の隣のクラス、1-8組へお邪魔させてもらうと、室内はあまりにぎやかではありませんでした。
どちらかといえば、真面目な議論ばかりをしている雰囲気ですね。これは、一条 一樹の影響でしょうか……。Not Aloneの談義を真剣にしている人たちばかりです。
次のテストの結果は、かなりへんぴなものになりそうです。
楓「は?」
一樹「だから、一緒に食べようって」
楓「なんで?」
まずは、手始めにやることがありますね。
唯花「日向、楓。中学生のときは、その……。すみませんでした」
楓「おおう……ちゃんと謝るじゃない……」
目上以外の人に頭を下げたのなんて、いつぶりでしょうか。
もしかしたら、初めてかもしれませんね。
楓「ま、許さんけど」
一樹「なにがあったんだ、お前ら」
彼は自分が座っていたであろう席を私に譲ってくれると、すぐそばの生徒たちのもとへ椅子を借りに行きました。
どこまでも気が利く人ですね。
唯花「私が、勝つために彼女のチームから二人も引き抜いたのです」
楓「そのせいで最終試験では余り物で強制的に五人集められて、当然のように特進コースには行けなかったわ! サンキュー、クソ野郎」
一樹「へー、特進とかもあんのか」
やはり、知らないのですね。
楓「なんで知らんの? 特進に入るとカリキュラムも独自のやつに変わって、しょうもない授業の量とか減んのよ。授業料も減るし、ガチで良いことづくめなんだから」
一樹「でも俺らのほうが強いじゃん」
楓「たしかに。論破すんな」
小気味よいリズムで話しますね。
羨ましい限りです。
一樹「結構どうでもよくね? なんでそんなユイカちゃんのこと目の敵にしてんの?」
楓「はー!? お前さ。ずっと同じチームで半年ぐらい頑張ってきてたのにさ、そのチームがいきなり消えたらどう思う? しかもその二人は、引き抜かれただけですぐにポイよ? 当然だけど即興チームが強いわけないから、引き抜くだけ引き抜いてすぐふっ飛ばしたの!」
一樹「引き抜かれるチームが悪くね? お前の魅力が足りなかったんだよ。もっと露出しろ」
彼は持ってきた椅子に座りながら、日向 楓の頭を撫でていました。
楓「マジ、ほんと……。あんときはさぁ、今までの努力をなかったことにされたみたいでさー。マジで……!」
エレナ「まあまあ、そう怒らずとも」
彩子「私もあまり好かんがな。卑怯な手に出る奴は嫌いだ」
……でしょうね。
怒った顔、というよりは不快そうな顔……ですね。
一樹「それで、なんでユイカちゃんはここに来たの、ごめんなさいをして、その次は?」
本命のお話に移りましょうか。
私がなにを思ってここへやってきたのか、説明しなければ。
唯花「単刀直入に言うと、あなたのお手伝いがしたいのです」
一樹「……ほー?」
まだ、一言も発していない鳴宮 美咲が、そこでようやく喋りました。
こんな声をしているのですね。
美咲「……お茶買ってくる」
マイペースですね。
唯花「私はこの学校で情報網を広げています。練習試合の結果から、そこで使った作戦の内容……3dNやSpeedStarのでさえも分かります」
一樹「へー。それで俺を勝たせてどうしたいの」
全然興味がなさそうですね。
一応、私が言った情報網の話はよく驚かれるものなのですが……。
唯花「条件がありまして――――」
そう言った途端、日向 楓と橘 彩子の表情が変わりました。
唯花「私は、どうしても勝たなければなりません。そういう、事情があります」
一樹「談合しろって?」
唯花「……いいえ。あなたたちのチームに入れてはいただけませんか、サブメンバーとして」
日向 楓は、立ち上がりました。
楓「冗ッ談じゃないッ!! 舐めたこと言ってんじゃねえぞ!」
一樹「怒んなって」
教室中に響き渡る大声――――。
世界の時が止まったかのように、なにも聞こえなくなった。
身長の高い彼は、椅子に座ったまま彼女を抑え、代わりに橘 彩子が鋭い目つきで私を睨んでいました。
彩子「笑えんな。手柄を山分けしろ、と?」
一樹「事情は、話せる?」
唯花「……はい。私は御存知の通り如月家。幼少期から英才教育を施され、過程よりも結果を重んじる家に生まれてきました」
まあ、あなたは知らないでしょうが。
楓「だからなんだよ、てめえが勝手に頑張ればいい話だろーが!」
一樹「顔かわいいんだから、もうちょい言葉遣いなおせ」
エレナ「ひゅーひゅー!」
んんっ……予定していた雰囲気と大分違いますね……。
唯花「ですから、負けは許されません。絶対に……」
一樹「なんかあるの。お母さんが怖いとか、お父さんに殴られるとか」
唯花「……そうですね」
あまり、思い出したくはない。
最古の記憶は、三歳の頃。その歳には泣くことが許されていませんでした。
転んでも、おもちゃを買ってもらえなくても、叱責をされようとも、なにがあっても許されなかった。三歳の子供が泣くのを許されない環境は、普通なのでしょうか。匠から言われるまで、それが異常だと気づけなかった。
両親の間には、子供が全然できなかった。
私は望まれぬ一人娘だった。
性別がわかったとき、既に中絶をするには遅い段階だった。父は、それでも中絶をしてほしいと言っていたそうだ。母は、母親としての愛情が芽生えたのか、それを拒んだ。
なんとか生まれた私だったが、教育は厳しかった。それも、父より母のほうが冷酷だった。
人格否定は当たり前、口を開けば如月家の話ばかり。
あの人達は、私よりも家柄を見ている。
学校でもそうだ。如月家の名はずっとついてまわる。匠ぐらいだった、私を一人の人間として見てくれたのは。
一生徒へ媚びへつらう先生、妬む女生徒、嘲る男子生徒。
どこへ行っても、集団生活は嫌な思い出ばかりだ。
一樹「んー、別にいいけど。情報網、とかはいらんかな?」
楓「ちょ、おいっ! あんた正気か!?」
一樹「だっていらんくね? 真正面からでも勝てるだろ」
そっちじゃねえよ! と彼女は息を荒げた。
楓「なんで、お前は……!」
一樹「家柄とか知らねーよ、どうでもいい。別に出場させなくてもいいんでしょ?」
唯花「……いえ、できれば何試合かは」
彼は唇を丸め込んだ。
一樹「んー、それはどうだろうなー……。別に強けりゃいいけど」
楓「おい、聞け!」
一樹「なんじゃい」
楓「あんた、こいつが影でなんて言われてんのか――――」
そのとき、はじめて彼が怒ったのを見ました。
一樹「それは、真実か? その、周囲の人物が言っているなにか、ってのは」
語彙は、なんの変哲もないものだった。
ただ、彼の思いやりが、感情が、私に響く。
楓「……いや、まあ……知らないけど」
一樹「じゃあ、お前は本当かどうかもしらないのに、偏見で信じたんだな?」
楓「……うん。あ、信じてはないけど……」
彼は、彼女を座らせた。
一樹「憶測で人を傷つけるな。ユイカは物じゃねえ」
……ああ。
あなたに、会えて。
よかった。
一樹「人は、そう簡単に人を嫌いになんかならん。よく分かんねえこじつけで自分の感情を正当化するな。自分の感情が変わらないものだと思うな。喋ってみたり、一緒に飯食ったり、遊んだりしてから、正式に判断をしろ。勝負の世界であったことは、勝負の世界だ。ミスはすべて自分のものと受け入れろ、じゃなきゃまた同じミスをするだけだ」
しんっと、静まり返った教室で、彼の言葉だけが轟く。
一樹「なんで、そこまで人を嫌いになりたがる?」
楓「え、いや……だって……さ」
一樹「本当に嫌いなやつは、本当に嫌われるようなことをされてから作れ」
――――。
それは、あなただからこそ――――言える言葉なのでしょうね。
一樹「はい、ごめんなさいしろ。ユイカも、もう一回」
唯花「ごめんなさい」
楓「あぁー……うーざっ。はい、ごめんなさーい……ッ」
廊下で、こちらの様子を伺う鳴宮 美咲の姿が、あった。
私は、手で大丈夫ですよ、と合図をしてみる。伝わるでしょうか。
美咲「楓が怒られてる」
楓「ちがわい! 怒られてないわよ!」
美咲「ご飯、たべよ。如月さんも」
あなたの能天気さが、今は心地よいです。
いえ、実はわざとやっていたりして……。能天気と思ったのも、偏見ですね。
唯花「ユイカ、でいいですよ」
美咲「分かった」
一樹「まー詳しい話は業後にしようか。ユイカちゃんも、自分がもともといたチームによく話してきてね。ちゃんとだよ?」
そうですね。
傷つく人が、いるかもしれませんから。
もっと、よく考えます。
誰かのことを。
自分がされてきたのに、鈍感だったものですね。




