6.ひがみ、ねたみ
おれと琴音は、高校三年生でおなじクラスだった。それまであまり授業に参加していなかった彼女は、三年生からほぼ毎日出るようになった。
いっしょのクラスになる、それまでの彼女への印象は、一匹狼、もしくはプライドが高い。そして聞いたことのあるうわさ話には、援交をしているとか、テストで不正行為をしているとか、万引きをしているとか悪いものばかりで、そしてどれもが、信ずるに値しないような話だった。
彼女としゃべるようになってからわかったが、根も葉もないうわさだ。親友といえるほど深い関係にはなれなかったけれど、話してみればいいやつだった。
人嫌いで、距離を取りたがるくせに、実はおせっかい焼きだったり、冗談が好きだったり、笑ったときの顔がとてもかわいかったりする。
そんな彼女は、三年生までだれからも、そんな内面を知られていなかった。
美咲とは、違う。
あいつが、人と距離を取りたくてもやり方のわからないコミュ障なら、彼女は自分から距離をおいているだけで、意思の伝達に問題はない人だ。やろうと思えば、人と仲良くなることぐらい、簡単にできるだろう。
なぜなら、彼女は優秀だから。
しかし、そんなのはおれの勝手な推測にすぎない。
もしかしたら、彼女の冷たい態度や、集団から離れようとする性格は、本当は本人のコンプレックスなのかもしれない。――――いや、やっぱりただの人見知りをこじらせただけかも。
「一樹。ごはん、食べよう」
美咲は両手にナフキンでつつまれた弁当箱を抱えて、おれのもとまでやってきた。
それの返答を悩み、肯定はしなかった。
「先に食べてて。ちょっと行きたいところがあるから。もしかしたら、授業まで戻ってこないかも」
「わかった」
物分かりのいいやつだけど、ちょっとだけ寂しそうなのが伝わる。美咲はぽてぽてと沢野や吉田の方へと歩いていくと、お弁当を胸元で抱えたまま、彼らに見せる。それができるだけでも、すごい成長だよ。
よし、行くか。と、おれは席から立ち上がり、教室を出る。どうせ、屋上だろ。中学からサボるときはそこか図書室だ、って言ってたもんな。おれは小走りで中央階段を登る。一年生は三階の教室だから、すぐだ。
屋上のドアノブを回し、押してみる。鍵は開いていた。鍵を借りてる用務員のおっさんとのルールで、屋上を使うときは鍵を閉めない。まあ、そもそも普段は閉まってるから、入ってくるやつなんていない。だから、あいつはひとりでこの屋上をずっと使っている。
少し薄暗かった屋上までの踊り場に、開けたドアからの光が入る。
外へ出ると、水色の空が、まぶしいぐらいに明るい。
チカチカする視界のさなか、光量の調整が終わる前に、彼女の存在に気づく。やっぱり、ここだったか。
橙色の、ショートカットの髪型が特徴の彼女。軽薄そうな見た目よりも、気の強そうな感じが出ている。身長は160cmよりかは低く、おれの首ぐらいの高さだ。スタイルもよく、しなやかな肢体を持つ。頭もよければ、運動もできる。やはり彼女も、美咲とおなじく、人間としてのスペックが一般人離れしている。
ドアの音に気づいたのか、おれの顔を見て、彼女はいぶかしげに目を細めている。
「だれだっけ。一条とか言ったか」
顔は覚えていても、名前はわからない。そんな関係は、集団生活をしていれば当たり前に起こりうること。しかし、どうやら彼女の場合は違うようだ。
おれの名前を覚えているとは、思わなかった。
まだ授業に参加したのは、二週間と三日もたってるのにもかかわらず、十回ほどしかない。そのわずかな時間で、一度もしゃべったことのない人の名前を覚えている。それに、ちょっとだけ恐ろしさを覚える。
「そうだけど。琴音さ、いっしょにお昼ご飯食べないか」
彼女の返答はない。なにも考えていないような顔つきで、しばらく時間がたつ。
フェンスに手をかけていたが、それから手を外すと、距離をつめてくる。断るつもりだろうか。
「なんて言った?」
聞こえてないんかい。
おれも彼女に近づき、もういちどおなじ台詞を、吐き捨てるように言う。
「だから、いっしょにお昼ご飯を食べないかって」
「なんで?」
な、なんでって言われてもなあ。
「友だちになりたいから……?」
「なんで疑問系なんだ」
琴音は顔を少しだけ下に向け、右目を軽く閉じ、左の眉は持ち上げながら、こちらを見ている。
「嫌だったか」
「別に、嫌じゃないけど。興味ないね」
そう言うと、さっきまでいた位置まで戻る。こんどは、フェンスには手をかけていなかった。
手強いな。
「どうすれば、興味を持ってくれるんだ」
こころもち声を強めて、素直に聞いてみるが、琴音がこっちを向くことはなかった。
しつこいかな、まだつづけるのか、やめるのか、どちらにせよ、今日は琴音といっしょに昼飯を食べることはなさそうだ。
まあ、また今度でいいか。
「また、くるよ」
おれの呼びかけに、返事はない。
深呼吸し、まばたきを強く一回、弱く二回すると、おれは屋上の扉を開けて、戻った。
*
「いちじょー弁当の色濃いな」
吉田はメガネを手の甲で位置を整えながらそう言った。ミートボールを箸で二つ刺し、口へと含む。
おれは弁当の内容などまったく意識していなかったが、確かに言われてみればそのとおりだった。野菜はじゃがいもが入ってる程度で、いわゆる緑黄色野菜はなかった。
「おいしそう」
美咲は弁当をのぞきこみつつ、口元に箸を添えてそう言った。
そういえば、美咲の弁当箱がまだ小さい。三年のいつ頃から美咲はでっかい弁当を持ってくるようになったんだっけか。
一つひとつが、すごく懐かしい思い出となって呼び覚まされる。
「そういや一条さ、彼女といっしょにe-sports部には入らんの?」
「まだ付き合ってるネタ続けてんのかよ。うるせえケニア人だ」
肌の黒い沢野は眉をひそめて、怪訝そうにしている顔を、わざとらしく見せる。その後、すぐに半笑いで話を戻した。
「鳴宮さんと仲がいいからさ、いっしょに入るんじゃないのかなと思ってた」
別に。とおれは否定し、話をそこで止めた。
美咲は気にもとめないように弁当をひたすら食べすすめ、それを見た沢野は美咲にたずねた。
「ねえねえ鳴宮さん。一条はなんで入らんの?」
美咲は咀嚼をしっかりと終えて、飲み込んだあとにしゃべった。
「あんまり真面目にはやりたくないからって」
「あー。うち結構ガチだもんな。全国四位だっけ」
納得する沢野の横で、三道は春巻きを口に運びながら、ただ話を傍観していた。それに対して、吉田が話題をふる。
「みどーはサッカー部の調子はどーだ」
「ん。まあまあだよ。普通、ふつう」
「サッカー部は結構ゆるいらしーな」
伸びた言い方で、吉田の返事はすぐにくる。だれよりも、それが早い。
気づけば、美咲の弁当箱はそろそろ空になりそうだった。本当はもっと早食いのはずなのに、いまはまだ、ごまかしている。いいとこのお嬢様は教育をきちんとされているというわけだ。おれはそこをわざわざ追求したりはしない。隠すのはいいことなときもある。
「そろそろ体育祭だな」
沢野は弁当箱を持って、米をかきこみながら言う。
うちの高校は五月の末にあって、どの競技に出場するのかを決めだす頃合いだ。
「いちじょーは足、早かったよなー」
「まあまあ」
「お前運動部でもねーのにすげーよな」
足の速さとか、長座体前屈とか、なんだろうな。持久走みたいな体力勝負じゃない限り運動部ってのはあんまり関係ないと思うんだよな。
「体力はないけどな」
「それはしゃーねーだろ」
運動の話になれば出てくるのは美咲だ。吉田は話の種をそのまま彼女へと移動させる。
「鳴宮さんマジすげーよな。e-sports部とか入ってんのに学年二位とかでしょ?」
「運動、好き。得意」
おれは思わずその片言に突っ込んだ。
「なんだそのしゃべり方は」
「私、早めに起きて走ったりしてるから」
みんなはそれに感嘆の声をあげた。
美咲は自制心が高いからか、むかしから面倒くさいと言われることも淡々とこなす。天才というか、脳構造が常人とは違うというか、面倒なこともつづけられる人はすげえ。嫌なこともつづけられる、もしくは、なんでも好きととらえてしまえる。それが、世の中の天才と呼ばれるやつらの正体だ。
おれは、そうじゃない。
「いちじょー、さっきまでどこ行ってたんだ」
鈴森 琴音。とおれが答えると、沢野は鼻の穴を広げて眉を持ち上げた。
「なんで?」
「友だちになりたいなあって思って」
美咲以外の三人は顔をわざとらしく見合わせる。だらしない口元に加えて、目尻も下がっている、不愉快な笑い方だった。
おれを馬鹿にしている。
その理由が、わからない。まるで彼女の話題が、禁忌に触れるかのような扱い。
「なんだよ、そういうのやめろ」
「いやあ、一条は知らねえかもしれないけどさ、中学から上がってきてる俺らはあいつのこと結構知ってっからさ」
三道はかばんからペットボトルのお茶を取り出すと、しゃべり終えてから飲みはじめた。
おれはあいつのこと、お前らよりは詳しいつもりなんだけどな……。
「あいつさ、すっげえ上から目線だし、なんか常にキレてんだぜ? それに、うわさじゃテストも先生から答えもらってるとか聞くし」
三道も、そんなふうに思っていたのか、なんとなく、悲しいな。
「じゃなきゃ授業あんだけ休んでて成績一位とかありえねえけどな」
沢野がつづける。
悪口か。うわさ話だけで、表面上の、なにも知らない人に対して、ここまで言えるものなんだな。
それが、一般的な高校生ってものなのかな。
「お前らな、本人から聞いたわけでもないんだから、そのうわさ話は信じるなよ」
「いや、信じてはいねえけどさ。じゃなきゃありえなくね? ってだけだよ」
それを信じてるっていうんじゃないのか……
今日の昼飯は、あまり美味しくないように感じる。どういうわけか、味気ない。
心がムカムカしたりはないけれど、ただただ悲しい。
誤解されているのに、どうしてあんなにも琴音は放置できるんだろう。自分がどういう評価を受けているのかは、知っているはずなのに。