52.二回目の世界で、お前は最初になにをした?
最低だ。
お前がしてきたことは、他人の人生をめちゃくちゃにした挙げ句、飽きたら切り捨てる暴力者の子供みたいだ。
最低だ。
お前は他人を踏みにじった。自分を好きになってくれた人を、友人を何人も裏切った。誰もがお前を頼りに突き進み、時間を使ってくれた。彼らの思いはどこへ行く、どこへ熱情を向ける。思いはいつか風化するのか? いいや、しない。
お前が、ずっと後悔してきたことだろう。
お前は、美咲に、琴音に、エレナに、優也に。母さんに、父さんに、花恵さんに、学校のみんなに、NAプレイヤーに、世界に、影響を与え続けた。
そのあとがどうなるのかも考えずに。お前がいなければ、世界は美しく回り続けたはずだった。
お前は、最低だ。
”死にたい”
もう、いやだ。いやだ。死にたい、殺してくれ。
すべてを、自分のすべてを、奪われた気分だ。
存在を消されるということの辛さは、こんなにも苦しいものだったのか?
俺の努力は、俺の感情は、俺の思いは、俺の……どこへ行った。
エゴイズムと利他主義が混じり合う。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
何を考えているのかがわからなくなってきた。
もういやだ、もういやだ。
最初からはいやだ。はじめからなんて、嫌だ。
肺が、胸が、心臓が、痛い。
痛い、痛い……。
負けるのは嫌だ。
自分の存在を否定されるんだ。
負けに価値はない。
勝てなきゃ、意味がない。
負けたら、すべて初めからなんだ。
負けたら、帰れないんだ。
負けたら――――。
インターホンが、鳴った。
――――だれだ。
いや、関係ない……出たくない、外界と干渉したくないんだ。新聞か、NHKか、牛乳屋か、宗教か。
どれでもいい、関わらないでくれ。
もう、だれにも知られたくない。
自分という存在を。
だれとも、会いたくない。
来ないでくれ……たのむから……。
楓「いちじょーいつきくーん」
扉につけられた投函口を開いているようだ。
聞き覚えのない声だった。
ほんとうに、だれだよ……。
楓「いるでしょー。電気メーター動いてんの分かってんだぞー!」
電気メーター……? そんなん見てるやついんのかよ……。
悪知恵が働いてやがる、ガキのする真似じゃねえぞ。
エレナ「ほら、楓。もう諦めましょう?」
――――聞き覚えのある声だ。
その瞬間、息が止められたような気がした。
首を両手で締められるような、そんな感覚だ。身体の抵抗力が落ちていく、大気にすら勝てない気がした。
ごめん、勝てなくてごめん。なにもできなかった。無能で、才能がなくて、優秀じゃなくて。
俺が、悪かった……。
楓「ぜっったい帰ってやんないんだから! こうなった私は面倒くさいわよ、手強いんだから!」
彩子「自分で言うことじゃないだろ!」
楓「オラァ! 一樹ぃ! 出てこいやぁ、借金返せー!」
……うるせえな。
殺してえ。
気に入らないやつ全員殺して、死刑になりたい。
死ねば楽になれそうだ。
死ねば、なにも考えなくて済む。
死ねば、それでいいじゃんか。誰にも迷惑かけねえよ。
親ぐらいじゃねえの、知らねえけど。
全体の何%か存在する、不運な親になってしまったと思ってほしい。
なにも、気にかけなくていい。
俺の存在など、ないも同然だろ。
……いや、どうなった。
前の世界の俺は、おそらく既にいたはずの俺の意識と入れ替わった。
この世界の俺は、そうなのか?
待て、思い込みで考えるな。短慮なのがおれの悪いところだ。
そもそも俺という存在は――――。
楓「死んでるかもしれんってことで大家さんに鍵貰ってくるわ。おおごとにしたくないなら出てきなさーい」
……エレナを越える強引さだな。
この世界のエレナが、どうかは知らないが。
おれは寝っ転がっていたソファから起き上がると、玄関へ向かう。
そりゃまあ、この世界を誰が望んだのかは知らないが……。Roseに能力を与えたやつが、このまま奴と再戦しないのを望まないことぐらい分かってる。
でも、やりたくねえ。
ぜったいにやりたくねえ。
こんな、つよくてニューゲームを甘受できないよ。
一樹「……なに」
楓「おす、転入生。……すんごい暗い顔してるわね」
そら、地獄のような体験をしたからな。
悔恨の念にかられながら死んで生き返ったようなもんだ。
続くはずだった幸せを途中で消し飛ばされた。続くはずだった戦いを赤子の手をひねるがごとく握りつぶされた。
それまでの過程は、子供が砂浜に精一杯、建てた砂城のように……一瞬で波に巻き込まれていった。
追憶に浸っていた。
ずっと、ずっと……。
楓「あんた、なんで学校来ないの?」
彼女の後ろに、黒髪の長い人がいた。
見たことがない。
一樹「……行きたくないから」
楓「なんで?」
彩子「おい……不躾だぞ」
その人は目の前の髪を結んだ子を睨んでいる。お冠みたいだな。
一樹「誰とも関わりたくないんだ」
そう言って、俺は扉を閉めようとした。
楓「あだだー、挟まっちゃった~」
この女、足をドアに引っ掛けやがった……。
エレナ「もう楓ー? 帰りますよー」
……ッ。
楓「ん、あんた今……目をそらしたわね。エレナと知り合いなの?」
妙なところで勘がいいやつだ……。
いや、俺が単純に芝居下手なだけだろうな。琴音にもバレてたぐらいだし。
一樹「別に」
楓「あんた、親は家にいんの?」
一樹「関係ないだろ」
幸いかどうか知らんが、親はいない。
どうやら俺の転移生活はまったくの別物になったらしい。
そもそも一軒家だった家は高級マンションになった。メッセージアプリの履歴を見たり、実際に親と電話で会話をしてみると、俺は一人暮らしの状況みたいだ。
海外で両親は仕事をしているみたいだが、こんなわけのわからんラノベみたいな設定が欲しかったわけじゃねえ。
俺は、俺の望むあの世界にいられればそれでいいんだよ。
お前らRoseや、その周辺の野郎が希望する世界なんざどうだっていいんだ。
楓「おじゃましまーす」
こ、こいつマジかよ。
冗談じゃねえぞ……!
とは言っても、乱暴に無理やりドアなんか閉めたら……。
楓「可愛い女の子に暴力触れるタイプじゃなかったみたいね。あんた普通だわ」
一樹「ああ、そりゃどうも……!」
引く気はない。
ドアへ均一に力を入れつつ、彼女の額へ左手を押し付け下がらせる。
楓「お、セクハラする気?」
一樹「お前が先にハラスメントしてんだが?」
互いにジリジリと攻め合い、彼女が優勢になりはじめたときだった。
彩子「楓、いい加減にしろ」
ピシャリと鞭を打たれたのか、彼女は一気に力を抜く。
俺はすかさずドアを閉めた。
これでいい。誰にも知られず、死んでいく。素敵なことじゃないか。
誰にも……。
誰にも、知られず。
どこかで、聞いたようなフレーズだ。
どこだっけか。
……。
ああ、そうか。
美咲だ――――。




