33.新人戦 参
だいぶ時間が空きました。一応、最後までのプロットが最近できましたが完成させられるでしょうか……。
約五年。長い間隔を空けた、ひさしい大会という大舞台に対して緊張は覚えなかった。
一樹の性格がそうさせたのは一つ要因ではあるが、それよりも歴戦のゲーマーであったことが大きなものだ。
日本を圧倒的強さで勝ち抜き、世界の舞台へ上がり、何度も挑戦し――――挫折した。
それが転生者、一条一樹だった。
ピリついた空気感に飲まれていた一樹以外の九人、そのなかでも美咲と琴音は比較的マシな方だった。二人は自分なりのペースで普段を過ごしていることからか、緊張による支障はあまりなかった。
試合が始まり、どこかふわふわとしていたチームは一樹の一喝によって引き締まる。
「集中しろ」
乱暴な物言いが、団結よりも圧政を彼らに感じさせる。
しかし、その抑圧が確かな強さを生んでいる。
開清がAT側、そして千里ヶ浜はDF側ではじまった。
inferno。イタリア市街を模したそのマップは、大会採用マップのなかでもチームの戦術力がもっとも問われる場所と言われている。
infernoの大きな特徴は、基本的には守り側が優勢な地形であること。そして、攻め側だけがAサイトからBサイトまでの移動距離が短いこと。
これはつまり、A攻めと思いきや本命はB攻め。またはその逆といった、いわゆるフェイクが強いマップである理由になっている。
フェイク――――互いの読み合いが勝負の命運を分けるこの戦場は、指揮官の技量が他のマップよりも発揮される。
一樹が、アジア最強の指揮官と呼ばれたゆえんの地である。
開清高校は単純なラッシュを行わなかった。最初にはじめたのはモグラからのセンター威圧とバナナのチェック。その状態を成功させたのは、一樹たちのひたすらに極めてきた操作技術である。
作戦の概要は至極単純かつ明快。本命がAかB、どちらと気付かれないように動きながら、準備を進めるということ。
美咲がモグラに入ってセンターの警戒、そして今田にハシゴを使ったバナナのチェックをさせる。この両者ともに、かなりの操作技術が必要となる。
モグラに入ったものは肩から上だけが相手に見えるため、被弾箇所は少ない。しかし、逆に言えば頭は狙われやすくなる。その状態でセンターの警戒を可能にさせるのは美咲のやった『小ジャンプ』であった。
Not Aloneには多くの操作技術がある、その一つが小ジャンプだ。
しゃがみキーを長く押せば、その名前の通りしゃがみ込む。しかし、短く切るように押せば、しゃがんでからその反動で飛び跳ねるように戻り、小さなジャンプが一瞬だけできる。
つまり、横に動きながらしゃがみキーを短く連打すれば、頭を撃ち抜かれることは早々にない。
NAでは敵を撃ち倒すには止まっていなければならない。そのためにストッピングという技術がある。
横移動だけ止まっていればいいというものでもなく、ジャンプをしているのなら着地するまでは動いている扱いになる。
小ジャンプをすると敵の攻撃を躱せる一方で、倒すことはできないのだ。
敵を殺す天性の才能を持つ美咲へ、一樹は情報収集のためだけの動きをさせる。
たとえ十中八九、美咲が撃ち合いに勝てるとしても……一パーセントでも可能性があるのなら、彼は彼女へ油断を許さない。
そしてもう一つ、ハシゴを使ったバナナのチェック。ハシゴを上り下りしながらバナナを見ると、普通の横移動だけではなく上下の移動によって敵の狙いを定まらせない。
どれもこれも、その時代には存在しなかった完全な『情報取りのためだけの技術』だ。
「なんかすっげえ気持ち悪い動きしてるやついんだけど」
「なにが?」
「いや、ハシゴからこっち見てくる」
「当てろよ」
言われたとおり、Bを守っている山田がZからハシゴに向かって打ち込む。
「当たらねえ……。すっげえ早いし上下に動くからマジで当てづらい」
「前に詰めるか?」
それを静止する海野。
「待って。初動でセンターは一人見えてただけだった。つまり裏セン側に三人ってこと。なら詰めないでA側に寄ってきて、早く」
というのもつかの間。
「はあ!? 窓部屋、T字めっちゃ多い!」
千里ヶ浜高校の指揮官、海野は叫んだ。ロングからT字を見ていた彼女は、その物量差に思わず大声で叫んだ。
開清チームは窓部屋に二人とT字に一人、そして遅れてCATから一人が出てくる。
海野たちは一番最初にセンターを一度だけ見てから、すぐにロングとショートに引っ込んでしまった。それが穴となった。
infernoというマップは基本的には守りのほうが強い。その理由は、守り側のほうがどちらが本命なのか気づきやすいからである。センターを見ればA側なのか、バナナを見ればB側なのか、窓部屋から裏センの人数を確認するなど、初動の情報チェックが簡単かつ強いのである。
だからこそ攻め側はフェイクが重要になってくるわけだが……。
2006年、この時代にその知識を持っているものは、日本には一樹と一部の上位層の人間しか知らない。
「ナイス」
ファーストラウンドをたやすく取り、一樹が感情のこもっていない声でそう言う。
「……いい感じ」
「鳴宮、次MP5落とす。ディーグルと交換」
美咲はDEを買った。次の二ラウンド目、琴音は自分が武器を買って美咲に渡すから、とそれまで彼女が使っていたDEをねだる。
この行為がもたらす恩恵は美咲が使用するお金の量が減ることである。
それはつまり、後に世界最強のスナイパーと称される彼女が、L96を買う資金を貯められるということ。
計算し尽くす一樹が相手では、知識の足りない海野たちが勝ちの芽を摘み取れるはずもなかった。
これが、勝負の世界だった。
*
流れは常に開清高校側にあり、千里ヶ浜高校チームの動きは、すべての一樹の手のひらで動かされる。
この時代にはまだ存在しない、圧倒的な知略による勝負。一場面ごとの読み合いだけで戦ってきた千里ヶ浜にとって、試合を通じたすべてのラウンドを活かした読み合いを知る由がない。
ひたすらに、暴力的にラウンドを取られつづける。
頼みの綱であったtedのスナイパーも、全ステータスを上回るfloraこと美咲によって完全に突破される。
チームの頼みの綱、それの上位互換があらわれたとき、そのチームはどうなるのか。
答えは、言うまでもない。
「ted。L96落とす……」
「任せろ……」
台詞はいつもどおりでも、口ぶりは重い。
dust2と同様に、infernoにもセンターが存在する。三度目の正直と言わんばかりのスナイパー同士の勝負の行方は、分かりきっていた。
”集中しろ。絶対に負けられねえ。思い出せ、あのときの感覚を……”
tedは息を止めた。
千里ヶ浜高校は海にとても近い学校で、tedたちは部活の練習が終わると、海でよく遊んでいた。
周囲の大人たちには内緒でモリ突きをしては、海辺で魚を焼いて食べていた。
素潜りがとても得意だった。
その感覚が、彼の反応速度を早めていた。
微細な気配で動く魚を仕留めるがごとく、彼のL96は間違いなく日本高校生最強であったし、社会人を含めてもそれは優秀な強さだった。
”ダイブ、ダイブ……。出てきたら撃つ、出てきたら撃つ。撃つ、撃つ。クリック、クリック”
深い水の底へと沈んでいくように、彼は息を止めたまま画面の中央だけを見て集中する。
次第に彼の顔は画面へと接近し、ひたいが当たりそうだった。
”殺す。殺す。撃つ、撃つ”
一時的なロボットと化した彼と、対面するのは美咲だ。
「flora、マネー計算的にはL96が買えてもおかしくねえ、ピーク忘れんなよ」
その忠告がなければ、tedが勝ってもおかしくはなかったのかもしれない。
だが、それも虚しく。
一樹がすべての可能性を考慮する。
「わかった」
ピークとは、相手に先に銃を撃たせる技術のことだ。
壁が存在している。そこから自分がのぞき見をする。このとき、人間の目がついてる位置を考えると、人間の『腕』や『肩』、『こめかみ』や『耳』、これらは確実に相手にも見えている。『自分が相手を見ているとき、相手も自分が見えている』
これの意味することは、壁から出てきて相手を確認するとき、相手のほうが先に見えるということだ。
なぜなら、『自分の目の位置よりもはみ出ている部分』が、『相手に見えてしまう』のだから。
それは単純に言ってしまえば、あとから出る人間のほうが不利ということである。待ち伏せのほうが有利なのは、現実世界の戦争でもおなじことだ。
しかし、これはゲーム。
そしてピークという技術が生まれた。
ピーク――――『自分が相手を確認することなく』、相手に先に撃たせる高等技術。
美咲はキーボードを叩き、バナナ側のモグラへとキャラを操作する。
そして横移動。センターを見る。T字に待ち構えているのはted。
しかし、ここでピークの登場だ。
美咲は自身のキャラの右腕だけを見せてすぐに壁へ隠れる。このとき、美咲はT字を確認していない。ただ、敵がいるという予想でこの動きを行う。
結果は……。
「モグラ一人! 外したっ……」
tedはL96を外して壁へと隠れる。コッキングが終わると、もういちど勝負へ出ようとした。
「ted、勝負すんの?」
「ああ、今なら勝てる気がする」
”ダイブ、ダイブ……。潜れ。集中、集中だ……”
そして、彼は後出しでセンターに躍り出る。
待っているのは、世界最速の反応速度を持つ女。鳴宮美咲とも知らず。
「……はあ?」
なにが起きたのか、彼には分からなかった。
それもそのはず、彼はセンターを見ることすらなく死んだのだった。
ピークの理論とおなじことであった。
人間の目の位置を考えると、どうしても腕や肩は相手に先に見えてしまう。だからこそピークという技術がある。
なら、tedはピークをしていれば死ななかったのか? その技術を知らない彼が悪かったのか?
そうではない。
鳴宮美咲は、相手の腕が見えた瞬間に反応ができた。
反応速度、0.14秒の世界。
ピークという、未来の技術を完全無力化するほどの、圧倒的速さ。
プログラム化された動作への反応速度は、一般人で0,18秒から0.22秒程度。
六年後、彼女が世界最強と呼ばれた理由の一つだ。
「ナイス、A側ラッシュするぞ。ロング側三人、ショートはかなり遅めに、FBはおれの合図で二個連続で入れろ」
一樹の指示が飛ぶ。
死んだtedの持っていたL96を海野が拾い、今度は勝負せずに前線を引いていく。
四人対五人と化した状態でもう一度L96同士の勝負を挑めなかった。
T字が勝負しに来ないのを見て、一樹はぼやく。
「だったら最初からセンター勝負なんかすんなよ」
「なんで?」
と琴音がたずねる。
「負けてるときにアグレッシブに動くから、その勝負が失敗するとなにもできなくなる。これから残った四人のプレイヤーは、漠然とした不安感のなか積極的なプレイもできずに負ける」
「それは決めつけじゃない?」
「チームのエースが死んだときってのは、それほどまでにでかいんだよ。あいつらには、もう希望がない」
どこか納得しない琴音に、一樹が畳み掛ける。
「他人に自分の行動が依存してない人間はそんなにいねえ。お前は少数派だ」
「ふーん……。そっか」
そのラウンドも、一樹が言ったとおりになった。
チームのエースであるtedこと河口がやられてしまった以上、彼らにはいわゆる”攻め手”と”守り手”の中心人物が消えた。これは作戦のかなめと呼べる存在が消えてしまったことを意味する。
つまり、彼らが築き上げてきた『作戦の実行』は可能でも、成功率が落ちてしまうと思ってしまった海野はどうにも踏ん切りがつかなかったのだ。
だからこそ、一樹はこう表した。
――――希望と。
千里ヶ浜の選手たち一人ひとりの能力値は、確かに才能あるプレイヤーとは言えない。けれど、河口という男がいなければ作戦の成功率がそれほど下がるのかと言えば、やるのが無駄になってしまうような大きい値ではない。
だが、彼らは実際に試さなかったし、仮に実行したとしても彼らのメンタルでは成功しない可能性が高かった。
自分たちの感情のコントロールは、勝負事において必要なのだ。
本来あったはずのチャンスを逃してしまうから。
*
実況席と観客席の盛り上がりに対して、二つのチームの選手たちは静かだった。敗北した千里ヶ浜高校はうなだれ、試合が終わったあとの握手を交わしてすぐにどこかへと消えていく。そして、勝利した開清高校は喜ぶ様子もなく観客席へ一礼すると、会場を抜ける。
「なんか、ベストフォーの自覚ないや」
帰り道に唐揚げ屋で買い食いをしながら琴音は言った。
「これから優勝するから、ベストフォーの自覚はなくていいよ」
「言うね、一条」
鼻をすんっと、ひくつかせる彼女は、彼の言う通りチームは優勝してしまうんだろうな。と、どこかふわふわとした実感を覚えていた。
「e-sports部……。楽しいんだけどさ」
「だけど?」
「私ってさ、なんかそういう勝負とかから逃げてきたからさ、なにかを真面目につづけるとかなかったから。こう、勝った負けたで、相手の表情を見るのってはじめてだったから」
彼女なりの、漠然とした不快感だった。
「嬉しさだけじゃない、別の感情が混じってる」
商店街を歩く五人は、駅をめざしている。
横並びに二人と三人。前の二人は一樹と琴音で、後ろは美咲たちだ。
「一条はそういう感情とかないの」
「ないよ。弱いやつが負けた、強いやつが勝った。それしかねえ」
そう吐露してから、一樹は青空を見上げる。そして、後ろの三人にも聞こえるように声を強めて言う。
「結局、おれも天才って言われる人間なんだろうな。上には上がいるだけで」
「……どういう意味?」
顔を下げ、舗装された地面を見る。
「おれの思考回路は、勝負事でトップ層に立つことができる人間のそれってこと」
「それは私の場合、なれないってことか?」
琴音の返答を聞き、考える。
「いいや、そういう意味じゃない。ただ、おれみたいな才能のない人間がここまで強くなれたのは、たまたまそういう思想の持ち主だったんだなってだけ」
「お前が。才能がない。なに言ってんの?」
「ずっとゲームをやってきた。だから、それだけの対価を得た。才能のあるやつは、それをもっと短い時間でできる」
「努力ができるのも才能とか言うらしいけど」
一樹はすこし疲れた表情を見せると、琴音の口元へ視線を飛ばす。
「惰性だよ、ただの」
「けど、同じことを飽きずにつづけるのはなかなかできないと思うよ。私は苦手だ」
美咲たちは二人の会話が気になり、距離を縮める。
「なんの話してんだ」
と、山下が言う。
「先輩方って、なんか極めたなって言えるものありますか?」
「極めた……? まだ十代だぜ、俺ら」
「なにかを極めた、って思えるには闘争心が必要。って話っすよ」
美咲がくちを開く。
「一樹は、いろいろと知ってるのね」
「……なんで?」
「なんだか、なにかを極めたことがあるみたいな言い方だから」
一樹の背筋が冷えつく。生唾を飲み込み、できる限り間を置かないようにすぐ言葉を返す。
「思考実験をよくやるんだよね。なんとなく、適当に思っただけ」
「そう」
美咲はすこし足を速めると、一樹の隣までたどり着く。
「エレナさんとの試合が、楽しみ」
「もう次か。夏の大会の雪辱を晴らしちまおう」
「がんばる」
琴音は、どこか遠い目で二人の会話を聞いていた。
”どうせ、勝つんだろうな。なんの苦もなく、一条の言うことだけを聞いて、勝っちゃうんだろうな”
勝っても、嬉しいという気持ちよりもなにかが彼女を苛ます。
”他のやつらが必死に努力してきたなか、こっちはインチキまがいの最強人間を引き連れて、勝っちゃうんだろうな”
「……琴音、体調でも悪いのか」
「え、いや。そんなことないけど」
”いいのかな、私みたいな初心者がいるチームが勝っちゃって”
いつもの真顔で、美咲は彼女を覗き込む。
”チームゲーって不公平だな。なんだかズルしてる気分だ。”
「なに考え込んでんだよ」
「……琴音」
一樹と美咲を見て、彼女はハッとする。
「いや、別に」
「なんでもなくはないだろ、言えよ。言いたくないことならいいけど」
「なんか、なんかな。いや、やっぱり言うのやめる」
それを聞いた二人が顔を見合わせる。
「聞いても意味ないっていうか、とにかく気にしないでくれ」
琴音は、ため息を吐いた。




