30.強歩大会
十二月中旬。開清高校は毎年この時期に、三学年共通で強歩大会を開く。強歩大会ってのは、要するに長距離歩行祭のことだ。
三十キロもある距離の内、二十キロまでは学年ごと、クラスごとでみんなに合わせて歩くんだが、残りの十キロだけは個人が好きに歩いていい。走ってもいいし、友達や恋人といっしょに歩いてもいい。
運動部によっては、残りの十キロを賭けの対象にしてタイムを競う人たちもいるぐらいだ。
おれは前の世界で一年生のときと二年生のときに、体力があまりなかったため歩いていたが、三年生のころは美咲に誘われて、はじめて走るのを決意した。聞くところ、彼女は毎年きちんと走っていたらしい。
この世界で、一年生からそうするとは思ってもみなかったことだった。
男と女でグループ分けがされているため、琴音や美咲と話すことはまだできない。かといって、吉田や三道、沢野とも名字順が離れていて、あいつらと話すこともない。
どうも、暇だ。
寒いし、そのうち足も痛くなるし、なにより一日がつぶされる。
さすがに八時間ちょいも歩いたり走ったりすると、家に帰っても疲れているからすぐに寝ちまう。一日でもゲームから遠ざかるのは、あんまり好ましくない。
リフレッシュにしてはきついイベントだ。
おもしろくもない住宅街を歩き回ってる途中で、おれは開会式を思い出す。強歩大会は先生たちがいつも以上に真剣な表情をしているのは、たぶんどの生徒も気づくだろう。内容が内容なだけに、だれもが真剣にならざるおえない。命がかかっているからな。
それに体育の授業も強歩大会用の、トレーニングをするものに変わる。もはや体育祭よりしっかりとした下準備があるんだ。
前の世界じゃ、なに考えて歩いてたんだっけなあ。
やっぱゲームのことばっかだったかな。いや、どっちかといえばいろんな妄想をしてたような気がする。
頭のなかで物語を作って、そのなかでキャラクターを動かして……。それが糧となって、おれは前の世界でプロゲーマーを引退したあと、小説家になったんだ。まあ、デビューできた理由は完全にゲームのブログで培った文章構成力と、実体験をもとにしたライトノベルのおかげだけど、糧となったのはたしかだろう。
ああ、前の世界が恋しいなあ……。
美咲のやつ、大丈夫かな。
やばい、マイナスな気分になる。まずい、これからまだ七時間はあるってのに……。
止まらない。
「ねえねえ一条くん」
だれだよ、なんだっけ名前。宇佐見さんだっけ。
きょうは三つ編みが印象的だけど、いつもの髪形は覚えてないな。たぶん三つ編みではなかったと思う。そういや、興味のない人のことってあんまり記憶にないけど、みんなそうか?
「なに?」
本当はもっと素っ気ない口ぶりでいたかったけれど、すこしだけ力をこめて、それらしい愛嬌のある物言いに変える。
「鈴森さんとどうやって仲良くなったの? 中学の頃とは別人でさあ」
別人ねえ、性格なんか変わってないと思うけど。勝手に勘違いしてたやつらが、彼女の心象を勝手に変えて、勝手に彼女が心変わりしたと思っている。
人間って勝手だ。
「おれから友達になって。って言った」
「へー! だいたーん!」
大胆。そうだな、あのときのおれは大胆だった。よくもまあ、屋上になんてわざわざ行ったもんだ。
この九ヶ月、いろいろあったな。入学式、体育祭、部活、テスト、新人戦。中身は薄っぺらいけど、たしかにつむいだ思い出の一つひとつだ。
もうすぐ、おれにとってはじめての冬の新人戦がやってくる。それも過ぎれば、またテストがあって、二年生だ。
前の世界の二年生は、あんまり記憶がないな。あの頃は、おれがゲームでチーム活動を本気でやっていた時期だからか。学校の思い出も、友達の雑談ばかりで、イベントみたいなことは起きてない。
なんだかなあ。
「一条くん、鈴森さんとなんで仲良くなろうと思ったの?」
お前らなんかより、よっぽどおもしろい人だと思ったから。なんて、言ってみたい。
なんでだろうなあ。おもしろいやつだって知ってたのは大きかったけど、それが一番の理由かな。他クラスのやつと関わるのは、クラス替えが変わる可能性を考慮すると無理だから、おなじクラスで元友達だった琴音と関わったのは、自然といえば自然だが労力が大きい。
うん、性的に魅力を覚えていた、とかがそれらしい理由だよな。正直、男と女の友達関係ってそんなもんじゃね?
いやあ、でもなあ。その仮説は否定できなくとも、もっと単純な人として好きだから。とかのほうが正解な気もする。
「直感で、いい人だろうなー。って思った」
「えー、すごい。中学のときはめっちゃヤンキーだったけどね。授業とか全然参加してないし」
いまの彼女は週五のペースが授業に参加している。来ないときはだいたい図書館か屋上だ。昔は、半分も出席していなかったというから驚きだ。
高校を出て一般道路を何キロか歩くと、それから住宅街を通って、今度は河川敷へと向かう。ここは風から守ってくれる壁がないから、寒い。
帰りたい。
ゲームしたい、寝たい、元の世界に帰りたい。
美咲に、会いたい……。
きょうはもうダメだ。完全にマイナスになってる。
それからずっと歩き、足も棒になってきた辺りでようやく休憩に入る。五時間も歩いて、河川敷にある広い原っぱで昼飯を食べたら、あとは自由行動だ。
ちなみに琴音はサボっている。ちゃっかりしてんだよな。前の世界だと、たぶん高校三年間すべて休みつづけたんじゃないかあいつ。
「ごはん、たべよう」
「来たか」
まずは美咲がおれを見つけて、それからみんなを探す。やがて、いつものメンバーがそろう。
このグループも、あと三ヶ月とちょっとで解散か。
前の世界と同様に、二年生になればほとんどしゃべることもなくなるんだろうな。
関係が希薄になったわけじゃない、けれど、やっぱり別のクラスになると会話の回数は激減する。
友人としての関係は変わらないのに、久々に会えば、前とおなじ空気なのに、なぜか頻度は落ちる。
これを、『まだ友達だ』と言ってしまうのは、間違ってんのかな。
「いちじょー、聞いたか。二十人ぐらい足の裏がやられてダウンだってよ」
「結構な人数だな」
「水ぶくれだけは運要素が高いよなー」
この強歩大会、リタイアをすると送迎バスに乗せられて、一足先に集合地点にいくことになる。それはそれは、生徒から好ましく思われていない。
ださいとか、甘えてるとか、そういうくだらない感情は抜きで、この行事を踏破できなかったということは、なんとなくみんな心にくるものがあるんだ。
やりたくない、だるい、面倒くさい行事だと思っていても、どこかでクリアしたい課題だと思わせる、そういう魅力がある。受験とどこか似た雰囲気を持っているから、先生側も長年の伝統を崩さずにいるんだろうな。
元の世界に帰ったら、久々に母校にでも行ってみようかなあ。
「吉田はまだ大丈夫か」
「まーな。テニス部だってこれぐらいは」
おれらのグループはわりと健康的だな。本来、おれが一番へばるはずだけど、今回は美咲のおかげで体力もあるし。
次は美咲と歩くのか。いや、走るのか。二時間ぐらい走る自信なんてないし、途中で歩くことになるだろうな。
「それじゃ、またね一条」
「三道はサッカー部でガチ競争だろ、がんばれよ」
「マジめんどいよ」
運動部のなかでも、サッカーやバスケの部員は大変そうだ。たしかノルマが決められていて、それのタイム以内におわらないと怒られるとか、練習量増やされるとか。
おれと美咲は、わりとお気楽だ。
先生の合図を皮切りに、足を動かす。さっきまで擦り切れそうだった足の裏の皮が、またも衝撃に耐えかねて痛みだす。
どこまで走れっかな。
隣に美咲はいても、雑談が盛り上がるわけでもなかった。
そういや、なに話そうとしてたんだっけ。なにかしゃべろうと思っていたのに、忘れちまった。
「足、大丈夫」
「まあまあ痛い。人のペースに合わせて歩くってのはしんどいな」
「走れなさそうだったら言って」
はい。と返し、おれたちは走る。学校の外周を回ったのとおなじ速度で、ただ走る。
河川敷は走りやすいけれど、そのかわり暇だ。景色も変わらないし、寒い。
「一樹は、クリスマスの予定、ある」
「ん、ないけど」
向こうの世界で、一人でおれや自分の誕生日を過ごしていたり、クリスマスを過ごしているって考えると、気が気でいられない。
すくなくとも、あと二、三年は世界で優勝なんてできない。
長いな……。それに、もし優勝しても元の世界に帰れなかったらって考えると、お腹の下がきゅっと締まって、冷え込む。
異世界転生でチート生活をするラノベのやつらは、なんであんなにも幸せそうにいられるんだろうな。
どんな生活を送ろうと、友達の一人ぐらいはいるだろうし、家族だっているだろ。
なんで、あんなにも未練なく異世界にいられるんだ。
そんなに、現実ってひどいもんだったか?
そうまでして、作者は現実がひどいもんだ、って書きたかったのかな。
「あそびたい」
「クリスマスに?」
「うん。ごはんにも行きたい」
彼女の長く、ゆるやかなウェーブのついた髪が、リズムよくゆれる。肩甲骨辺りまで伸びるもさもさとした髪は、重たい印象を受けるがやはり絹のように光沢があって、あでやかだ。
裏の真意が見え隠れしている、どう断ろうか。
「大会も近いからなあ、それが終わってからでいいか」
「残念」
走りながらしゃべるのは、普通の倍ぐらい疲れるな。
「えと、一樹」
「なに」
やけに話しかけてくるな。そういえば、あんまり彼女の表情を、きょうは見ていない。
暗いような、ぼんやりした顔だ。表面上は、いつもどおりの鉄仮面っぷりだけど。
「好きな人とか、いる」
ああ、まだはっきりと覚えてる。
前の世界で、高校三年生の強歩大会で、おなじことを聞かれた。脳裏に一生こびりついて取れないだろう、美咲からの刻印だ。
さあ、予定通り決めていたことを言おう。
「いるよ」
「……そう」
これで、二回目だな。美咲から告白されるのは。
返す言葉も、変わっていない。
変わったのは、起こる出来事の順番だけ。
「私も、いるの」
「どんな人?」
「とても優しくて、正直な人」
入学式のとき、もう一度好きになってもらえたらな。と心をめぐらしていた。
なんて、浅はかな考えだったんだろう。
そういえば、琴音から聞かれたことがあったな。
ちょっと、流れを変えてみてもいいか。
「美咲は、その人のどこが好きなの」
「そうね……どこかしら。いろいろあるけれど、これってものは、ないかもしれない」
はは、まるっきりおれとおなじだ。
そうだよなあ、好きって、そういうもんだよな、美咲。
この世界に来たばかりのときは、好きになってもらえたら嬉しい、とだけ、なんの思考もなしに思っていた。
最近になって、それってすごく薄情なことだってわかった。
おれは元の世界に帰りたいとずっと頭に浮かべていて、そんなやつが、この世界の誰かと深い関係になんてなるべきじゃない。
なんなら、友達だって本来なら作るべきじゃないのかもしれない。
いや、これはマイナスな感情が生み出した幻影かな。
「いいね、それ」
「一樹は、その人のどこが好きなの」
琴音との会話が役に立つ。
「正直、よくわかんないんだよね」
「あなたも。どんな人なの」
そう言葉を吐き出す彼女は、どこか寂しげだった。
自分じゃない女の子を好いていると、思っているんでしょうね。
まあ、あなたであって、あなたじゃないわけですが。
「無表情で、なに考えてるのかわからなくて、マイペースで」
「変人ね」
そうだ、変人だ。
「けど、優しくて、気が利いて、理知的で、努力家で、ごくまれに見せる笑顔がすごく可愛くて」
「大切な人なのね」
あなたです。
「感情の表現が苦手で人と仲良くなるのに時間がかかるし、勘違いもされる。けれど、彼女の中身を知ると、すごく愛らしくて、ほっとけなくて」
「この学校の人かしら」
別の世界だから、ノーかな。
「いいや、この学校じゃない」
「どんな名前?」
「さあ、どんな名前だろうね」
嘘は、うまくつけたかな。
本当に、下手だからなあ、おれの嘘は。
「会ってみたい」
「いつか、会えるかもね」
瞳から、しずくが頬を伝っている。あたたかかったのに、冬の風がすぐに冷たくした。
口から漏れる白い息が、増えた。
「泣いてるの」
「あ、ああ。ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど……」
美咲からの告白を、断るつもりが、とんだ方向に転がったものだ。
なにしてんだか、おれは。
「なぜ、泣いてるの」
なんでかな。
感情が込みあげたのは、どのタイミングだったっけ。
ああ、そうだ。
いつか、会えるかもねってところだ。
そっかそっか、そりゃ心にくるよね。
「その人に、その人に、もう会えないかもしれないんだ」
「――――残念ね」
ああ、すごく、すごく残念だ。
勝っても、世界で勝っても会えなかったら、どうなっちまうんだろう。
この世界の美咲とよろしくって?
そんなの、できるわけない。
向こうの美咲は、きっと再婚なんてしない。おれがいなくなったら、死ぬまで待ってる。そういうやつだ、あの子は。
「一樹は……」
ぽつり、ぽつりと。
「一樹は、その人のことを、大切に思ってるのね」
「うん」
いまのあなたがそうであるように。
おれもあなたを愛している。
「そう、好きなのね、とても」
「ごめんね」
「気にしなくていいわ。……それよりも、これからもお友達でいてくれる」
それはもちろん、こちらこそお願いします。
そんな彼女の顔が見えると、いつもどおりの無表情に見えた。
そう、無表情に見えた……。真意に気づかないよう、逃げるようにわざとらしく前ばかりを向いて、そのことを、必死に意識しないようにする。
もうすぐ、高架下を通る。
まだ、十キロ以上はあるんだろうなぁ。




