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3.観察

 入学式。高校一年生たちがつどっている体育館で、生徒はぴかぴかの制服をきっちりと着こなし、背筋をのばしている。そして、その参列のなかから美咲は、機敏で、けれども柔和な歩きかたで、そこから抜け出すと壇上にまで登り、そっとマイクに手を当てて電源が入っているか確認する。


 美咲の表情に緊張の色はない。ただ氷のように固く、冷たい表情の彼女は、そっと口を開き、新入生総代として答辞を読みあげる。


「あたたかな春の光と、風に舞う桜の花びらとともに、私たち新入生は、この開清高等学校の一年生として、入学式を迎えることができました」


 彼女の答辞は、お世辞にも耳に心地のよい、くちの上手な人のするスピーチではない。文章の内容に気取った内容もなければ、声に抑揚もない。

 けれど、おれは、吸い込まれるように彼女へ釘付けとなる。


 一度たりとも原稿を見ずに読む、彼女の真剣なまなざしと表情が、おれをそうさせる。


 ふんわりとした髪型で、ゆるやかな癖っ毛はやわらかそうで、大きな瞳に、小さな顔。つんと立った鼻が、子犬のような愛くるしさを思わせる。身長は百六十センチほどで、胸も尻も小さい華奢な体は、力を込めて抱きしめれば折れてしまいそうだ。否応なく発せられる雰囲気が、彼女の存在を学校中に知らしめている気がする。


 美しさと、はかなさを体現した美少女の、真剣な答辞は、たとえ口八丁でなくとも、感情がそこへ込められているのが、少なくともおれには、わかった。


 がんばれ。と、声にならないきれぎれとした言葉が、口の端からもれる。


「――ここに誓います。平成十八年、四月九日。新入生、代表 鳴宮 美咲」


 彼女のがんばりと、あの宣言を、目に焼き付けたのはここに何人いるだろう。無骨で、不器用で、けれども、精一杯の努力が振り絞られたこの答辞を、記憶に残すのはいったい何人いるんだろう。


 お疲れさま、美咲。とても上手だった。

 おれの知るお前も、こんなふうにがんばっていたのかな。あのときは、入学式なんて面倒なものは、早く終わってしまえ。なんて、思っていたよ。


 美咲は、キチッとした顔つきのまま、壇上から降りると、途端にぼんやりとしたように見える顔で、列へと戻ろうとする。

 気の抜けたところが、すごくかわいらしかった。


 美咲は、この学校で、ずっと腫れぼったいなにかとして、五年間も触れられることがなかった。成績優秀で、容姿端麗な少女は、どうしようもないほどのコミュ障で、頑固者で、努力家で、真面目で、思いやりがあって……。いいところも、悪いところも、たくさんある。そんな普通の彼女は、その取っつきづらさから、だれからも興味を持たれずに、中学一年生から、高校二年生まで時を過ごすのだ。


 そんなさびしいことが、かなしいことが、あっていいわけがない。


 だから、今度は、おれが美咲へ手をさしのべようと思う。

 あのとき、入野に教わったからな。

 ”面白いやつがいるのに、友だちにならないって馬鹿じゃね”

 ああ、そう思うよ入野。けど、大人になってから気がついたことがあるんだよ。


 勝手に面白くないと決めつけて、友だちにならないってのが馬鹿だと思う。


 *


 先生がやってくるまでの間は待機だ。この暇な時間を利用して、コミュ力が高いやつはすぐに友達を作る。昔は絶対できなかった。いまとなっては、ゲームで世界を目標とする過程のおかげか、人見知りも直った。


 周囲にはケータイをさわるやつ、机に伏せるやつ。中学の仲からとしゃべるやつ、初対面の人としゃべるやつ、割合で言えば、初対面の人と話すやつ側は、少ない。


 美咲はどうかと首を動かすと、やはり浮いていた。そのしゃべり方と、変わらない表情、面妖な雰囲気と奥ゆかしい容姿。どうしても、声はかけづらい。



 ずっとさびしかったと、彼女は言っていた。中学も、高校二年間も、一人きりだったと。それがなんだか悲しくて、それを知った卒業式のとき、涙がこぼれた。


 だれからも知られない、覚えられない人生に、意味はないと思う。



 ――おれは、出会ったばかりのころは、美咲に好感をもっていなかった。だれからも距離を置かれていたし、実際、コミュニケーションは取りづらい人だった。それに彼女の雰囲気に飲まれていた。物語のヒロインみたいな風貌をしている人に、一般人がしゃべりかけて友達になるなんて、どうしても気後れしてしまう。


 けど、そんなのは恥ずかしがり屋というか、嫌われることに怯えてたり、相手を楽しませないといけない、なんて思ってしまう、いわば経験不足から来るものだ。

 人間は、そう簡単にだれかを嫌いになったりなんてしない。嫌いになったと思い込んだり、嫌われた、と勝手に思ったりするだけだ。

 だから、臆病になんて、ならなくていいと思う。


「美咲。おしゃべりしよう」


 おれは席を離れ、彼女のもとまで近づく。


「うん」


 むかしの美咲も、おれとおなじく人見知りだった。おれとおなじで、世界をめざすその過程が、人見知りをなくしていた。


「新入生総代、やってたね。頭いいの」

「さあ、自分じゃわからない」


 はっきりとものを言う口調だ。その声色は落ち着いている。


「どこの中学出身?」

「中高一貫だから。開清中」


 彼女の表情は変わらない。けれど、彼女が少しとまどっているのは分かる。昔は見抜けなかったな。美咲との会話に最初は困っていたのを思い出す。他愛もない、普通のおしゃべり。おれと美咲は初対面で、友達ですらない。

 どんな話題を切りだそうか。おれはこいつと、どんな話をしてたっけな。


「美咲は、どんな部活に入りたい?」

「……いちおう、決まってる」


 彼女は少しだけ視線を下げた。なにか、変わった部活に入ろうとしてるんだろうか。


「へえ。なにに――って、あー先生きたか。じゃあ」

「うん。またね」


 ほんのちょっぴりと頬を橙色に染めて、彼女は手をふりふりと手首から先だけ動かしている。

 もし、話しかけられてさ、嬉しいとか気になるとか、そんなふうに思ってくれていたら冥利に尽きるよ。


 *


 それから、先生が来てから必要な書類をもらったり、校内施設の説明を受けると、大イベントがやってきた。


「それじゃあ、自己紹介。してもらおうかな!」


 やなぎ先生の発言に、教室の空気はどんよりと、そして少しだけピリつく。初老のやなぎ先生は、白髪染めとして濃い灰色の髪色をしている。おだやかな性格で、それでいて口が悪い。おれが高校三年生のときに、別の高校へと行ってしまい、恩はあまり感じてなかったが、どこか物悲しかったのを覚えている。


 先生はにこにこと笑っていて、楽しみにしているように見える。自己紹介をただの作業と思わないのが、この先生が人から好かれているところなんだろうな。

 自己紹介は先頭から順にはじまった。おれは二番目に挨拶をすることになる。名字のあいうえお順が早いのが子供のときは嫌だったな。


 緊張は、あまりしていない。昔は心臓の音が聞こえるぐらいには、注目を浴びるのが苦手だった。


「一条一樹です。出身中学は――」


 趣味をゲームとだけ答えた。前の世界では、どんなふうに趣味のことを言ったっけな。人からダサいって思われると考えて、言ってなかったような気がする。どうだったかな。


「沢野英二です。出身中学は開清中で、趣味は――」


 あまり自己紹介は聞いていなかったけれど、やっぱり、昔は友だちだったのに学年が変わるごとに話すことが減ったやつらの自己紹介は、ちょっと気になった。


 沢野は、ケニア人があだ名になるほど唇が厚く、肌がとても日焼けしていた。肌の黒さをいじられると不機嫌そうな顔をするけど、実はあんまり嫌がってはいなくて、すぐに笑い返す。気さくで、周りの空気をよんで行動できるやつだ。


 他の席をぐるりと見渡すと、いつも四人で行動しているのを思い出した。おれ、沢野、三道と吉田。――なんだか不思議だなあ。前の世界で友だちだったやつは、たぶん今回も友だちになると思う。けど、たまたま機会がなかっただけで、ほんとうは親友になれるようなやつが、このクラスに、いや、この学校にはきっと何人もいる。


 それが、ちょっとだけもったいない気がする。


 前と同じような生活でいいんだろうか。おれは、この新しい生活をどう使う? 前の世界に戻る方法の開拓なんて絶対無理だ。運良く目が覚めるの祈るしかない。勉強なんかしてみるか? いいや、たぶんしない。運動だって、好きだけどそれで飯を食うかって言ったらそんなことはないだろうし、そこまでハマりもしない。


 美咲とは絶対に結婚するだろう。愛する女性で、なんど生まれ変わろうと彼女に出会いたい。けれど、例えば友だちはどうだ。部活は、趣味は。


 いくつもの選択肢があるなかで、おれはまた同じ人生を歩むのか?


「鈴森琴音。出身中学は開清中」


 二言で彼女の自己紹介はおわった。やなぎ先生はなにかを言おうとして、開きかけたくちを閉じた。


 彼女のつやつやな橙色の髪は、ひときわ目につく。髪色は自由でも、この学校に染めている人は、こいつとあと二人ぐらいしかいない。しかも、ここまで明るく、目立ってる色なのは琴音だけだ。目立つのが嫌いなくせに、染めている。まるで、自分が不良だと誇示したいかのように。

 中学から高校二年生まで、こいつは授業を半分以上休んでいたらしい。ただし、テストの成績は常に一位だ。いわゆる天才タイプの不良ちゃんは、しゃべってみれば、さほど悪いやつじゃなかったように覚えている。


 ああ、高校生だったとき、琴音のことを勝手に決めつけて、関わろうとしていなかったな。これはダメだ。よくない。

 それに、もしかしたら、琴音も本当は美咲のように、だれかと友だちになりたがろうと思っているかもしれない。彼女も、何年以上も一人きりに近い存在だろう。一匹狼タイプと言えば、それは間違いじゃないだろうけれど、それすらも、勝手な決めつけじゃないか?


 それから自己紹介はつづき、やがて美咲の番へ。


「鳴宮美咲。出身中学は開清中です。趣味は、ゲームと読書です」


 おれはその自己紹介を意外に思った。美咲が自分の趣味を正直に答えているのが不思議だった。お嬢様のミサキチさんは、わりと世間から否定されがちなゲームについては、趣味と公言することはないと思うし、実際なかったはずだ。


 過去に飛んできたのか、それとも転生か。

 それは、どうやら悪い方に転がったようだ。

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