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2.はじめまして、これからもよろしく


 体の重さが違う、やけに軽い。目を開き、おれは自分の体を見る。しかし、自分の体に注目するよりも先に目に映った景色に動揺した。そこは実家だった。しかも、家具の配置が高校生時代のもので、美咲と住んでいた家のベッドじゃない。間違いなく、実家のおれの部屋だった。


 意識が途切れかけるふわりとした感覚、そして急激な眠気。たしかに、おれは美咲といっしょに寝ていたはずだった。


 机の上にはガラケーがある。実家でおれがいつも定位置に置いていた場所だ。時間を確認すると、日付は四月の九日――月曜日だ。部屋にあるカレンダーを見ると、今日が入学式と書かれていた。いまの時刻は六時半、高校生の頃は七時四十分に出ていたのまだ覚えている。


 夢にしてはやけに意識がはっきりしている。まるで現実だ。


 目は覚めている。なんの気なくパソコンを起動してみる。ゲーマーとして体に染みついた動作は手慣れていて、椅子に座ると”ギッ”ときしむ音がした。

 中身はやはり昔のだ。これを夢と思うには、無理がある。脳の奥底で眠っていた、とうてい取り出すのが不可能な記憶だ。


 顔に手をあてて、ぬぐった。


 混乱している頭で最初に浮かんだのは、美咲のことだった。彼女がどこにいるのかを探すべく、おれは椅子から立ち上がると、手にとったガラケーを操作し、美咲の番号を打ち込む。

 電話をかけるギリギリで、おれはボタンを押さずに思いとどまった。


 もし、仮にここが過去の世界だとしたら、おれと美咲の関係はどうなっているのか。高校で出会う以前の状況だとしたら、いま電話をかけるのはとても不自然だ。


 どうすればいい。そう悩みつつ、部屋を出ようと、戸を開けた。ちょうど母さんが階下を通り、目が合う。


「朝ごはん食べる?」


 久しぶりの母さんの声だ。美咲との結婚式から会ってない気がする。


「ああ、うん」


 のどにからまったタンが、声を出しづらくしていた。

 階段をおりて向かった居間には、トーストといちごジャムがあった。台所では火をつかう音が鳴っていて、まだ追加の皿がくると思う。


「あんた準備したん。今日もゲームやっとってなんもしとらんでしょ」

「してないけど……。制服着て、なんか書類持ってくぐらいじゃないの」


 危ない。入学式と書かれたカレンダーがなければ分からなかった。

 朝食を食べはじめたのをきっかけに、おれの脳は次第に冷静になっていく。


 まず、この世界は過去に戻ったのか、それともパラレルワールドなのか。その差は大きい。前者ならどうとでもなる。これからおれがなにをしようと、すべておれの責任だ。

 ただ、後者はまずい。もし、そうだとしたら、前の世界はどうなってるのか。時間軸は進んでいるのか止まっているのか。例えば、おれがこの世界で十年過ごしたとして、元の世界に戻ったら、何年の月日がたっているのか。それとも、一秒もたっていない状態で、おれの夢オチエンドで済むのか。


 時間軸が進むのなら、美咲が心配だ。

 あいつの焦るすがたが、簡単に想像できる。自分なりに思いあたる場所を歩き回って、肩で息をしながら心臓を激しく鳴らし、Twitterでおれの情報をたずねて、そっからLINEでたくさんの連絡がくるだろう。

 一日たって警察にかけこんで……涙ぐらい出すんだろうか、あいつは。


 無機質な表情をしてるが、あいつは感情が希薄なわけじゃない。人並みにあって、表現するのが苦手なだけだ。

 本当に嬉しかったとき、悲しかったとき、苦しかったとき、あいつは人が大騒ぎするようなぐらいになってようやく表情を出せる。

 いま、どんな顔をしてるんだろうか。


 彼女にとっておれはどう映っているのか。おれが消えたとき、彼女はどうなるのか。おれという存在は、どこまで彼女の世界を形作っているのか。

 すごく、心配だ。

 過去に戻れた感激なんかよりも、ずっと、心配が勝つ。


「母さん風呂まだわいてる?」

「んー、ちょっと温めるだけだと思うけど」


朝食を食べ終えると、食パンの乗っていた皿と、ヨーグルトの容器を流し台まで持っていく。テレビを見ている母さんは、後ろをちらりと振り返ると、とくになにも言うことなくまたテレビの方を向く。

朝風呂派の父さんがいるおかげで、我が家は早起きをすると、温まっている風呂に入ることができる。


 脱衣所へと向かい、先に風呂の電源をつけ、たし湯と追い炊きにチェックをいれる。そこから服をぬいで浴室へと入った。


 桶で風呂釜からお湯をすくって、頭にかける。シャンプーをかちっかちっと、二回押して手のひらにのせると、頭頂部へと塗るようにつける。頭を洗っていると、高校生だったころの記憶が、ぼんやりと浮かんできた。


 体育祭、文化祭、強歩大会、修学旅行、球技大会……。行事ぐらいは覚えてるが、どんな中身があったのかは、美咲関連じゃなきゃ思い出せない。

 ずっと、ゲームをしてきた。ろくな高校生活を送ってない。もちろん、友だちぐらいいる。親友と呼べるほどの仲のやつだっているさ。けれど、おれの高校生活は人よりも希薄だ。なんとなく、自信はなくてもそう思う。

 おれの生活は、なによりもゲームの活動で埋まっていた。チームに入って活動して、挫折して……別のチームに入っては活動して、やがて結果を出した。


 気づけば美咲といっしょにゲームをやってて、本気で日本一を取ろうと思っていたら、あいつが”世界で一番になりたい”なんて言い出して、当然、他の"日本一をめざしている敵チーム"が、"世界をめざすおれら"に敵うわけもなくて。


 ゲームの思い出は、高校生活の記憶よりも確かだ。


 おれは、それに後悔はしてない。


 いろんなやつらと出会って、ネットだけの関係で、それまで一度も顔を合わせたこともなかったのに、いざ現実で会ってみれば、友人と会うのとおなじ気持ちだった。


 ずっと、おれの生活はゲームと、美咲だった。


 頭を洗い終えると、風呂釜からまたお湯をすくって、流す。眠気はもとからなかったが、気持ちが晴れるような感覚になる。窓からさす、まだ黒っぽい青色が、早朝の空を思いおこす。

 今度はタオルを濡らし、身体を洗いはじめる。左腕からスタートして、終点は右足だ。


 もし、もしだ。


 本当に、ここが過去に戻ってきたか、別世界だったとして、おれはなにをすべきだ?

 おれはなにをしにここにきている?

 夢ならそれでいい。というか、そうならすぐに覚めてほしい。


 美咲が心配でたまらない。あいつなら、乗り越えるだろうか。乗り越えた先で、おれをただ待っていそうな、そんな予感もする。

 けれど、もし帰る方法があるなら、放っておけない。


 頭を整理して、身体を洗い終えたおれは、桶で全身を流すと浴槽へつかり、おおきく息をはく。窓を開けて、外の空気を入れてみると、少し肌寒い。それから逃げるようにまたお湯につかると、両手ですくって顔へかけ、ゴシゴシとこすった。



 *


   

 桜の花びらが落ちる。秒速5センチメートルよりもずっと早く、それはおれのスニーカーの上に乗った。風がそよぎ、まだ肌寒いと感じる。家の鍵を閉めて、玄関から自転車をおいてある庭へと向かう。財布から鍵を取り出し、手のひらで軽くもてあそぶと、ロックを外した。かしゃんと心地よい音が響き、サドルへと尻をのせる。


「何年ぶりだろ」


 ひさしぶりの道と、乗り物だ。


 家を出て、坂道が続く。登校のために下るときは、体が空を切る感覚に包まれる。今までに片手で数えるほどしか経験はないが、遊園地のジェットコースターにもそれは似ている。木々に囲まれた道をぐんぐんと進んでいくと、風が耳元で轟々とかき鳴らし、おれの聴覚は奪われた。

 小石や変わったゆがみもない、きれいな坂は、通学するおれたちのために整備されているんだろう。しかし、角度はわりと急だ。ブレーキを小刻みにかけて、速度を調節しながら、ゆっくり、ゆっくりと進んでいく。


 平らな道につくと、すぐに橋が見えてきた。


 川には桜の花びらがたくさん流れている。河川敷の坂を登った道路――――つまり、橋の両端を垂直に進んだ道路には、何本もの桜の木が生えている。その花びらが、風に舞って、川で舞踏会でも開くかのようにくるくると踊りながら流れていた。


 やがて、学校へとたどり着く。


 懐かしいな、十八歳から数えて、八年。もう、八年もたっていたのか。


 校門をくぐり、自転車を降りて、置き場へと向かう。記憶が、呼び覚まされる。


 校舎の前に掲示板がおいてあり、そこにそれぞれのクラスが書かれている。ああ、そういえば同じ中学だったやつも少しだけいたな、三人ぐらいだったか。高校に入ってからは、そんなに連絡取ってなかったな。


 ふと、鼻腔を嗅ぎ覚えのある匂いがくすぐった。


 よくある女の子の匂いとは異なる。


 おれは急いで振り返り、その正体を確かめた。


「……ごめんなさい。そのボード、みせて」


 声の持ち主は美咲だった。おれのよく知っている美咲よりも若い。もともと童顔だったが、やはり少しはふけるんだな、と思った。


「ああ、ごめん」


 おれは横によけて、クラス表を彼女へ見せた。

 美咲はスクールバッグを右腕にかけていて、小さな歩幅でボードに近づく。そして、覗き込むように首を前に出し、背筋を丸めていた。


 不思議な感覚だ。

 おれは彼女のことを一から十まで知っているのに、彼女は知らない。

 また、仲良くなれるだろうか。


 ふと、頭をよぎる。

 おれよりも彼女にふさわしい男がいたりするんじゃないかと、想いを込めるあまり、おれが彼女との関係を深めないほうがいいんじゃないかと、思考が走る。


 美咲がおれの方を、いぶかしげに見ている。気づけば、ずっと彼女を見ていた。これでは、不審に思われても仕方がない。


「なに」


 そっけなく言う彼女は、すごく無愛想に見える。けれど、それは見えるだけだ。

 中身にはちゃんと感情が入っているけれど、それは、すごく見えづらい。


 だから、こいつは、高校三年生でおれたちのグループに入るまで、一人きりだった。


 こいつは、これからおれが干渉しなけりゃ、あと二年間も一人きりでいることになる。現実だけじゃない、ネットを通じてすら、ろくにフレンドなんか作れない。

 中学一年生から、高校二年生まで、一人きり。


 さびしかったよな。


 なんで、昔のおれは、こいつに声をかけられなかったんだろうな。


 一年生だったときの教室で、一人で食べてるすがたが、すごくかわいそうで、かなしくて、さびしそうで。


 なのに、話しかけるのが恥ずかしいとか、そういう子供のような理由で。なんで、あと一歩の勇気が出せなかったんだろうな。


 ごめんな。

 あれからさ、成長したんだよ。ちょっとぐらいは、大人になった自信があるんだ。


「おれ、一条 一樹(いちじょう いつき)。なんて、名前なの」


 美咲は目を三回もまばたきすると、くぐもりながらも口を開いた。


鳴宮 美咲(なるみや みさき)……」


 また、友だちからはじめてくれるか。

 昔より、いい男になったと思うんだ。

 もう一度、好きになってくれるか。


「どのクラスだった?」

「――七組」


 ずっといっしょだ。


「お。おれも同じだ。いっしょに行こう」


 これまでも、これからも。

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