10.体育祭
高校一年生の体育祭はどんなのだったか、もう覚えちゃいない。あんまり面白かった記憶は、なかったような気がする。
クラスの団結なんて、そうそうあるもんじゃない。それも、うちの高校は五月に始まる。仲がいい面子なんてまだできかけている途中で、こういうイベントをしても盛り上がりに欠ける気がする。それこそ、中学から仲がいいやつと集まるやつらもいる。編入組は、人の輪に入り込むことができるやつじゃなければ、この一回目の体育祭はあまり楽しめる行事ではないと思う。
学生のときは意識してなかったことが、大人になってから視野が広くなって、状況の把握ができるようになった。
客観的に物事を見る能力が、大人になるにつれて、いや――おれの場合はゲームがうまくなっていく道のりで、それが手に入った。
「一樹。そろそろ出番よ」
「おっけ。これ終わったらもうめぼしい競技はないよな」
「うん。あと大縄と、部活対抗リレーと、クラス対抗リレー」
おれはスウェーデンリレーのアンカーとなり、走る。確か、結果は二位だったような気がする。
結果の見えてる試合ってのは、単純に面白みがない。前の世界と比べて、変わったことといえば、美咲と琴音と仲良くなったぐらいのもの。筋トレしたり、体力をつけていたりしたわけでもないから、結果はたぶん変わらない。
「じゃあの」
昔のおれは、ただゲームが好きで、ただゲームをやりつづけたくて、そんで、気づけばゲームで勝つことの楽しさを知って――――。
練習、練習、練習。実戦、実戦、実戦、勝つためにやるんじゃなくて、ただ楽しいからやっていて、一種の天才状態に陥っていた。
その熱を、世界の壁にぶち当たって失った途端に、努力はできなくなっていた。
そして、あのとき……。思いの強さが結果に関係しないことがわかった。
創作物なら、思いの強さが結果に結びつく。そりゃそうだ、負ける主人公の姿なんてだれが見たいと思う。
世界はそんなに甘くはない。
おれが勝ちつづけたのは、圧倒的な努力量があったからだ。その努力を、努力と思わない天才に一時的になっていたから、あの強さにのぼりつめられた。
だから、今回のリレーの結果は変わらないだろうし、おれはゲームでもう一度、あの領域に到達しなくちゃならない。
”出場者は入場口までお越しください!”
放送部の音声が、拡声器を通してやってくる。おれは教室から運動場まで持ってきている椅子から立ち上がり、向かった。
「がんばって」
「ういす」
美咲の応援メッセージを最初に、クラスの仲がいいやつからも続々と告げられる。吉田、三道、沢野、それだけじゃない、何人からかそれは飛んでくる。
ああ、思い出した。
一年のときはこんなに友達はいなかった。
もともと内向的だったおれは、こんなに応援されるほど友だちがいなかった。
でも、この世界では違う。
なんでかな、体を全力で動かしたい気分だ。
「位置について。よーい!」
三年生担当の先生が、号砲を鳴らす。それを皮切りに、一斉にみなが走り出す。
男女混合のスウェーデンリレーは、走者ごとに50mから200mまで、50mずつ増えていく。
まるで水の波紋のように、走る軌跡は広がっていく。
「女の200mは琴音か」
「いっけえ!」
別のクラスの150m男子走者がここまで来た。そして、バトンを受け取って別のクラスの女の走者は駆けていく。おれのクラスのやつも追いついてきた。
「がんばって! 鈴森さん!」
「任せろ」
かっけえなあ、琴音のやつ。
一応、ひそかに一部の女子から人気は高かったんだよな。ぶっきらぼうすぎて、よく勘違いされてたけど。
三位だったおれらのクラスは、琴音のおかげで二位へと上がる。砂ぼこりが琴音のかかと辺りを舞っている。さっすがに、50m走で学年女子一位は伊達じゃない。
琴音は、普段なんでもダルそうにしてるけど、行事ごとには全力を尽くす。
そういうお堅いところが好きだ。
「一条!」
言葉は返せなかった。思ったよりも緊張してる。おれは近づく琴音に合わせて徐々に走り出り、スピードにのってきた辺りでバトンを受け取った。
琴音の器用さがなけりゃ、こんな合わせはできねえ。
おれは、そんなに言うほど早いわけじゃない。学年で比べれば二十位とか、そんなもん。クラスで大体二番とか、そんぐらいだ。やっぱ陸上部のガチ勢とかには勝てない。
あのときの結果は、まあ妥当に二位で終わった。
なんだろうな、客観的に分析して、客観的に負けたことを、仕様がないことだと諦める。
悪いことじゃない、現実把握がよくできてるだけだ。正しいことしてるだけで、なにも悪いことなんてない。
でもなんだろうな、そういう冷めた目線を、いまはしたくない。
いまは――いまだけは、意地でも勝ちたい。
理由は、美咲か。それともおれ自身の性格か。はたまた両方か。
「は、はっやぁ!?」
「いっけええ! 一条!」
「頑張れー! 一樹くん!」
大学生のときに、陸部出身のプロゲーマーがいて、教えてもらったな。
こんな感じ、初速と最高速で足の動かし方を変える。
もっと、跳ねるように、前へ、前へ。
もっと、もっと早く。
「あいつあんだけ早かったけ?」
「50m確か六秒後半とかじゃなかった?」
走って70mあたり、おれは自分のクラスのボヤキごとや声援を聞きながら、さらに加速する。
はは、おかしいな。おれの記憶じゃ、一年のときはずっと目の前にある陸部のやつが追いつけなくて、後半になればなるほど距離を離されてたはずなのに……。
追いつきそうだ。
ここまで来たら、欲張りたくなるよな。
日本で優勝したときもそうさ、そこまでいっちまえば、次は世界が欲しくなるもんだ。
そうして、おれや美咲は走りつづけたんだ。
他のクラスのやつらが、やけに喚いている。別のクラス応援してどうすんだよって、突っ込みたくもなったが、おれも知らんやつらの白熱した戦いは、見ていて勝手に盛り上がっちゃうタイプだ。
すっげえやつには、不思議とだれもが惹かれんだよ。
おれが、世界のゲーマーや、美咲に魅了されたように。
残り40m。マジで陸上部のやつは早い。結構がんばったと思ったんだけどな。距離が縮まらねえ。
「はっ、はっ、はっ」
きっちい。200mってすげー長い。
あと一歩なのに、スピードが落ちそうだ。いや、もう落ちてんのか?
真っ白な、ゴールテープが見える。それと同時に、その奥にいる美咲の姿も見える。
めずらしい、いつもは自分のクラスの位置でずっと座ってんのに、今日はお出迎えか。
「がんばれ」
ああ、蚊の泣きそうな声だな。聞こえたよ、バッチリさ。
お前に言われたら、速度を落とすわけにはいかねえよ。
陸部のやつとの距離が縮まる。真横までたどり着くと、そいつがギョッとしたのが分かった。
わりぃな、おれのが早いみたいだ。
「はは。帰宅部舐めんな」
ゴールテープを切り、少しばかり走ったあと、おれはコースの内側へそれて倒れ込んだ。
心臓がいってえ。200mを帰宅部に走らせるかね。くっそ、マジで疲れた。このあとまだクラス対抗あるってガチかよ。
「やったな一条」
「わりい琴音。いま疲れすぎでしゃべらんねー」
喉もいってえ。水が飲みてえ、だりい。
「はは。お前思ったより早いんだな」
疲れすぎて声も出せねえ。
腕を使って、弾むようになんとか体を起こすと、美咲や沢野たちがいた。
「おい! 一位だぞ!」
黒い肌が、太陽に照らされている。ケニア人が過ぎるぞ。
「お前ら邪魔だから、これから退場あんだよ。どけどけ」
琴音はみんなを追い返すと、おれの袖をつかんで、すでに出来上がっている退場列へと案内してくれた。
はあ、よかった。マジで、勝てるもんなんだな。
はは。へー、勝てるんだ……。
思いが、結果を変えるって?
どうかな。自分が物語の主人公なら、きっとそうなんじゃないか。一条一樹よ。




