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1.ハッピーエンドの定義

 モニターに映るゲームの映像を見ていると、美咲はぷいっと振り返った。表情の変化に乏しい彼女は、こちらを見ると、なにか用かと言いたげな視線を送る。おれは微笑んで、”特に用はないよ”と、言葉をかわさずにつたえると、彼女はゲームへもどった。

 言葉を交えないおれたちの通じ合いは、美咲のゲーム生放送を見ている視聴者たちからは、よく茶化される。やれ、ラブラブだの、みせつけるなだの、冷やかすコメントが配信上の画面に流れている。


 彼女がゲームの区切りをつけたのを確認すると、作ったココアを持っていく。美咲は小さな声でお礼を言い、しずしずとカップに口をつけた。

 一方で、おれは彼女の姿を後ろからぼーっと見ていた。すると、彼女はカップから口を外して正対すると、おれの様子をうかがうようだった。


「……どうかした」


 配信のコメントでは”旦那さ~ん”や、”みってる~?”といった、おれの反応を待つものが流れている。それには応対することなく、美咲に歩み寄ると、彼女の頭をやわらかい手つきで触れた。彼女はいつものように真顔でおれの目を見つめていた。


「なに食う」

「さかな」

「じゃあ買い物行ってくる。七時ぐらいにできると思う」


 彼女はこくんとうなずくと、パソコンの画面、右下を見た。


 夕飯の時間を先に決めておかないと、彼女はゲームを終えるタイミングが調節しづらい。もし料理ができあがる直前にゲームをはじめてしまえば、夕飯といえど抜けることは難しいはずだ。

 対戦ゲームでは他人に迷惑がかかるから途中に離席はできない。彼女がプロゲーマーであることもその離席できない理由を後押ししている。素行が一般人よりも注目されているんだ。


 だから、おれは彼女に夕飯の時間を事前に伝える。

 冷めたご飯を、彼女にわざわざ食べさせる理由もない。

 

 ゲーマー夫婦ならではの、円満な家庭をめざす知識の一つだ。


「じゃあね」

「うん」


 買い出しに出かけるため、自室に入って、準備を整えることにした。

 財布、エコバッグ、防寒具。場所を決めてある持ち物を、流れるように身に着けていく。


 ふと、考えてしまう。

 おれの人生は、このまま終わる気がする、と。

 これから、おれは生きているのか、それとも死んでいるのかわからない生活を送る。なにひとつとして変化のない、だれもが想像する社会人の生活をして、美咲といっしょに時を過ごし、そして――――やがては、幸せに死ぬ。


 過去に戻りたい。 


 おれの人生は、なにを目的としていた。プロチームは解散。皆、だれしもが就職、もしくはモチベーションを失って、ゲーマーすらやめている。それは、おれも例外じゃない。ゲームこそすれど、勝ちを求めて練習をすることは、なくなった。


 物語は、そろそろ終わる。


 日本大会で優勝して、世界大会八位が最高記録。これで、おれの、おれたちの物語は終わる。


 あとは、小説のあとがきに、ありったけの思いを込めた、嫁とのハッピーエンドを書き記すだけ。

 それでいいのか。

 愛した人と自分、二人の夢を果たせないまま、思いは風化していく。

 つい最近まで、四年前まであった、あの最高の情熱は、気づけば灯火となって、消えてゆく。

 きっと、おれたちの物語は、このまま平穏に、そして退屈に終わりをむかえる。


 後悔は、していない。

 けれど、なにかが引っかかっている。

 学校生活のすべてをゲームを注ぎ込んだことか、それとも世界で優勝ができなかったことか、もしくは……夢をあきらめてしまった、自分の弱さか。

 わからない。いや、わからないように自分でしている。それがなにかを気づきたくないから。 

 あれから四年、おれはまだ、”言い表せないなにか”から逃げている。



 *



 ベッドのなか、自分の左腕をぎゅっと抱きかかえている嫁の頭を、右腕で触れた。彼女の反応はないが、まだ寝ていないと思う。ぼんやりとした時間を二人で過ごす。眠る前の小さな余興だ。

 幸せな日々、いまの生活にはすべて満足している。楽しい仕事に、二人で住むにはじゅうぶんな大きさの家、そして自慢の嫁。おれの人生は、人よりもうまくいっていると、評価されるだろう。


 けれど、それは他人のものさしによるものだ。


「どうかした」

「なんでもねえ」


 彼女はおれの左腕から体に腕を回すと、またもぎゅっと力をこめた。

 ただゲームが好きで、ゲームをずっとやってきただけの人生だった。それが、たまたま成功した。

 彼女はもぞもぞと動くと、ちらりとこちらを見て、すぐに目を閉じた。おれは美咲をかかえると、仰向けになる。彼女は胸元で戸惑いつつ顔をちらりと向ける。それを、おれは優しく抱きしめた。


「おやすみ」


 二人で息をあわせ、そう言った。美咲はおれの心音を聞いているのか、胸元に耳をあてている。そんな彼女の後頭部から背中へかけて、何回も、何回もすべらせるようになでた。



 静かな空間。時計の音すら聞こえない、限りなく空白に近いなにか。彼女の寝息と、自分の息遣いだけがきこえる。

なにもないときにこそ、人はその空白を埋めるがごとく、考え込んでしまう。


 自分の失敗が、頭によぎる。


 いままでの人生での、大きな間違いは、いつだって思い出せる。


 はじめてバレンタインデーのチョコをもらって、ついていたメッセージから告白があってうれしかったけれど、友だちに冷やかされたり、返事をするのが恥ずかしくて、無視してしまったこと。不登校になった友だちを、助けられなかったこと。謝るべきときに、素直に謝れなかったこと。小学校から好きだった子が、中学校で友だちと付き合いはじめて、告白しそびれたこと。友人を面白くイジるつもりが、不快にさせてしまったこと。


 ゲームなら、ケンカや、意見の食い違いによるチームの解散。寝不足で身体を壊したこと、大会当日にパソコンのトラブルで出られなくて、みんなに迷惑をかけたこと。

 美咲に、世界で優勝させてあげられなかったこと。

 

 マイナスな気持ちは、一度そうなってしまえば、寝て起きるまでずっとマイナスだ。昔からこの性格は変わらない。


 もし、昔に戻ってやり直せるなら、おれは一体なにをしている。ゲームにささげてきた自分の人生を、自分が肯定できないんだ。

 人生をリセットできるなら、次もゲームをするだろうか。


 この人生を後悔しているわけじゃない。美咲と出会えたこと。ゲームで出会った友人や、作った思い出、おれという人間そのものの成長。

 これらは、すべてゲームのおかげだ。だから、後悔はしていない。


 でも、でもだ。ゲームをしていない人生のほうが、楽しかったかもしれない、と思うこともある。

 美咲をもっと幸せにして、おれ自身も、より幸せになれたかもしれないと、思うときがある。


 おれの人生は、このまま終わる気がする。

 おれたちの物語は、このまま平穏に、そして退屈に終わりをむかえる。

 あとは小説のあとがきに、ハッピーエンドを書き記すだけ。


 それで、いいのだろうか。

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