第二話 見えた希望
鐘の音が聴こえる。この地下の牢屋に於いて、唯一時間がわかるモノだ。
この鐘の音が、聴こえないように、朝は来ないでくれと祈ることは何度かあっても必要以上に耳に鳴り響く。
「朝だぞ~、起きてるかァ?」
バシャリと水をかけられる。肌寒い季節になっているから、水で濡れたままでいるのはかなり辛い。
「餌だぞォ~?喰えよ」
その言葉と同時に何かが投げつけられる。
ドチャドチャ、と気持ちの悪い音を奏でるのは水分を多く含む、個体だったものが、崩れ去る音なのだろう。
灯された光で何なのか確認すると、赤く丸いものだったのが形を保てずに潰れた姿をしていた。
当然、食べられる物ではないのだが、それでも、上の部分、まだましなところを手に取って齧る。
自分の糧として、生命を繋ぎとめるために一身に喰らいつく。
傍から見たら獣のようだがそんなのはどうでもいいとばかりに一身に………。
「お前はあっちのガキとは違ってずいぶんと苦い思いをしてんだろうなァ!どんな気分なんだ?」
この豚が言うあっちのガキとは先日ここに入れられた少年のことだろう。
その少年は俺と違い、昼間は此処ではない別の場所に連れられて、夜の間はこの場所で鎖に繋がれている。
だから今はここに居ない。
どんな気分かと聞かれても、何を意図した質問なのかよく分からない。
「知ってるかァ?あのガキはお前と違って朝昼晩と一日三食温かい飯にありついているんだぜ。そういうお前はどうなんだよォ!フヒヒッ、俺様に飯を用意してもらって光栄だろォ?」
ああ、吐き気がする。俺はなんて惨めなのだと、豚の餌を口にしないと生きていくことさえままならないなんて………。
「まただんまりかァ?つまらないおもちゃになったなァ」
唾を吐きつけて去っていく。
俺はあの豚のいってたことを思い出す。【どんな気分なんだ?】
少年と出会ってから何度か会話した。
内容は、今の俺にとってはどうでもいいようなこと。この屋敷についてだったり、それだけでなく、この屋敷の外の話だったり、そんな些細なこと。
どうせされるがまま、待つだけの人生だ。だから少年の話に付き合おうと思って色々聞いた。
その都度、少年は俺についても聞いてくるようになったが、答えられる筈もない。
それからは、少年が一方的に話すようになった。
合間合間で相槌を打ちながら申し訳ないという気持ちで笑ってる俺の姿は、少年にはどう映っていたのか、少し気になる。
話してくれた内容に心動かされることあった。
例えば、この屋敷の外には人や荷物を運ぶ箱、見たら時間が分かる板、他には人ならざる魔物と呼ばれる生物の存在、魔法と呼ばれる人間が起こしうる奇怪な現象。
少年はあの豚を産んだ豚のお気に入りというやつだそうだ。俺と随分待遇が違うのも、たぶんそのせいだろう。
それについて俺はどう思うのか。答えは見つからない。
今後は暫くこのことについて考えることがいい暇つぶしになるかもしれない。
そうこう考えているうちに、体が完全に冷えた。
水もかけられて体温が急激に下がった気がする。
藁の上に置いてある布を体に巻いて寒さを凌ぐ。
少し暖かくなってきた、身体の奥底から熱が湧き上がってくる。
濡れた服が乾くほどの熱が身体から出てると錯覚するほどに暑い。
けれど身体はもっと熱を求める。寒い、と熱を求め続ける。
身体を丸めて熱を逃がさないようにする。
寒い寒い寒い寒い寒い暑い暑い暑い暑い寒い暑い寒い暑い寒い―――
感覚がおかしくなる。これ以上は何も考えられない。
寒い寒い寒い暑い暑い暑い寒い暑い寒い暑い痛い痛い痛い暑い暑い暑い寒い寒い痛い痛い暑い暑い寒い暑い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い―――
光が見える。触れる。この感じはなんて表現するんだろう、分からない。一度、いや何度か感じたことのある感覚……どこで感じた……?………分からない。
この感覚だけは、放してしまわないように、失ってしまわないように、縋るように、力を籠める。
「ねぇ」
意識が覚醒する。嘘のように身体が軽い。ただ、怠さだけは残ってる。
「ねぇ」
痛みは引いてる。
あの豚にやられた痛みも、引いている、まるであの時のように―――
「ねぇってば!」
意識が吸い寄せられる。思考を捨てて振り向くが、何も見えない。
とりあえず少年に返答する。
「どうした?」
「どうしたじゃないよ!大丈夫なの!?」
「何が大丈夫って………?」
「何がって、急に光ったと思ったら何かが落ちた音が聴こえたから大丈夫って」
「光った?音?」
何の話か分からない。
音がしたというから、何かと思って、手元に探りを入れる。
「急に魘されてる君が光に包まれたと思ったら、ドサッて音がしたんだ」
「ドサッて………あぁ、これか」
手が何かに触れた。四角、厚みがあって、広がる。
これは……本?
「多分これは本だと思う」
「本?」
「暗くてよく見えないから何とも言えないが」
「そうなんだ」
でもどうして本なんてあるんだ?
状況的に考えると今現れたとしか思えない。でも、どうやって?
ふと、少年との会話を思い出す。
『火を作ったり、水を作ったり、空を飛んだり、魔法は色々なことが出来るんだよ』
これがそうなのか?突然、本が現れたりするのが魔法だって?
「さっきのって、魔法?」
少年が尋ねてくる。何も知らない俺よりも少年のほうがよく知っている。この少年が魔法だ言うのであればそうなんだろう。
「これが魔法なのか?」
「きっとそうだよ、君は魔法が使えるんだね!」
「………」
答えられない。俺が使ったかどうかは分からないからだ。
だけど、もしこれは俺がやったのだというのであれば、どのような感覚だったのかは覚えている。
目を閉じて、思い浮かべる。
さっき感じた淡い光。近づくにつれ熱を帯び、光量が増す。
「すごい………」
どうしたのかと、目を開ける。
「なんだこれは」
驚いたことに身体が淡く光っていた。
「これが……魔法……」
そうだ、本はッ!なんて書いてあるんだ!
光る腕で本を照らす。照らした本の一ページを開く。
「我々の……歩んだ軌跡を?……託す?}
「えっ?どうしたの」
意味が分からない。これはなんなんだ、託すって何を?
「いや、なんかこの本……あっ……」
光が消える。それと同時に先ほどよりもより一層怠さが増す。
「だめ……だ……」
そうしていつもより、一層深く眠りについた。