他方(4)=凍り付くような現場
異常な沈黙があたりを支配していた。
倒れ伏すその姿は、常に余裕をたたえた笑顔の男だったはずだった。
その男は今、惨いとしか言えないほどの暴力を受けた姿で、息絶えている。
聖職者は必死に治癒を施そうとするが、治癒が効果を発揮するのは生きている者のみ。
死者の体の欠損を、蘇生させる術ではない。
そして、この世に死んだものを蘇らせる術は存在しないのだ。
「沙漠の隠者が殺された……」
真っ青な顔の誰かが言う。生徒たちをなんとか死なせないで救出できたこの現状で、誰も喜んでいないのだ。
生徒たちは助かった、と喜色をあらわにしているのだが、冒険者や聖職者の空気に訳が分からないでいる。
「沙漠の聖者が殺された」
「凍てる選別者が弑逆された」
「うそだろう?」
「抵抗の跡もない」
「じゃあなぶり殺しなのかよ」
「おかしいだろ! なんで抵抗しなかったんだ!?」
誰かが混乱した声で叫んだ。その声にひどく落ち着いた声が答えた。
「身動き一つとれなかったからだろう。高度な結界を張る時の制約の中に、動きを封じるものがあったんじゃないか」
はっとした顔で誰もが、声の主である男を見る。淡い砂のような髪色の男は、左右の色が違う瞳でその死体を見下ろしている。
「きっとこの男は、生徒を守るためになにか、特殊な結界を張ったのだろう。そうじゃなかったら今頃、生徒は皆食いちぎられて死んでいる」
確かに、と誰もが納得する。生徒たちは生きている。救助者たちが駆けつけた時、ほとんど抵抗できないほど、噛みつかれたり切り裂かれたりしていたけれども、全員が生きていた。
それは山から護衛者たちが、排除された時刻を考えると、あり得ないほど幸運な事だった。
あれだけ激しい攻撃を与えられて、まだ生きているという事が。
しかし、もしも。
この死体が、命を懸けて、生徒たちを守る結界を張っていたならば。
ある程度の時間、耐えていたとするならば。
生徒たちが生きているのは、おかしな事ではなかった。
「皮肉な物だな、守った相手の愚かさで死んだんだろう。……術を解除して己の身を守るよりも、救助隊がくるまで結界を張り、生徒を生かすことを選んだらしい」
死体は身動き一つしない、当たり前だ。
男は周囲を見回した。そして淡々とした落ち着いた声で言う。
「この男は死んだ、沙漠の聖者は殺された。アシュレの学園の生徒たちが殺した。この代償は高くつくぞ、見ものだな」
「……」
そこでふらりと、一つの姿が動く。盾をしまった盾師だ。その衣装は男の血でもう、二度と着る事などできない位に、赤く染まっていた。
「運ぼう」
盾師は返り血がひどく目立つ白い頬で、白い頭髪にまで血をこびりつかせて、そして、ためらいなく男の姿を抱えた。
大事な物を、そう、とても神聖で大切な物を抱えるように。
「ここに埋めたらいけない、お兄さんをここに埋めるなんてできない。……もっといい所に埋めてあげなきゃ」
一番悲しいのは盾師だったに違いない。心が引き裂かれる思いだったのもおそらく。
だが最も気丈だったのも、盾師一人だった。
「痛かっただろうな、お兄さん」
殴打の痕の残る肌に、頬を当てて盾師が呟く。
「痛かったんだろうな……おれが代われたらよかったのに」
誰も何も言う事が出来ない中、傍らの男だけが頷く。
「それはもう痛かっただろうな。心臓を吹っ飛ばされても、頚椎を切断されても、術を維持し続けて、生徒を守った対価がこれとは」
「……。山を下りよう、もうこの山に用はない」
盾師は自分の外套を広げた。
そしてそこに男の亡骸を入れて、包んだ。
「少しだけここにいてください」
包んで、自分の道具袋の中にいれた。
入れたのちに、隣の男を見上げて言う。
「わるい、ちょっと一緒にいてくれ、一人は、だめだ」
「ああ、いるさ。あの現場を見てしまったからな」
男はその肩を叩き、柔らかい声でそう言った。
何かとんでもない間違いを、自分たちはしたらしい。
その氷点下のような空気を感じ取り、その男を殺した生徒たちは、やっと気づいた。




