瞳術=心正しいという束縛
この膠着状態どうすっかな、と思ったその時だ。
「子犬、あまりこの女を見てはいけない。心の中に術を埋め込まれるぞ」
ひょいとお兄さんが、おれの眼を覆ったわけだ。そこで視界は遮断される。
「隠者殿……それはなんだい」
なんか得体のしれない物に対する声で、ララさんがおれを示して言っているようだ。
「生き物だが」
「……いや、そんなのを聞いてるわけじゃなくってね……関係性ってものを聞いたわけでね……なんでそんなにその子とあんたの間に、因果が絡みついているんだい」
お兄さんの返答はおれでも、ずれてんなって思ったからララさんも同じように思ったらしい。ちょっと疲れた声で言い返した。
因果って何だろう。絡んでいるってなにも絡んでいないのに。
ララさんの眼に、おれとお兄さんはどんな風に見えているんだろう。
眼と言えばルヴィーもなかなかの眼を持っているらしいから、彼女に会った時に聞くのも手だろうか。
しかし疲れたララさんの声に、お兄さんは軽い調子で返す。
「ララの眼ではそう見えるのか。別段私たちは変な事はしていないし、疚しい事もしていない。忠実な番犬とその主にして、相棒でもあるだけだ。何か問題が? そうだ、この子が所有している咒の品物が、いささかそちらに不都合なことをしてしまったようだ。そこに対しては謝罪しよう。この子は仲間が無理やり押しつけたものを、持っていなくてはいけない身の上でな。道具整理をしたら何かが複合してしまったらしい。あとでララの呪術師たちには、魂に効く粥でも処方しよう」
数秒、相手の言いたい事を理解するための沈黙が流れた。
「私としてはそれ以上に、絡みついて切れなくなった因果の方が気になるんだがね。まあいい、あんたが処方する粥は一流だ、今日中に作っておくれよ。そうだ、凍った床を元通りにした時に、軽い修正でもかけただろう。劣化したところが直っていてそこはいいけど。あんた自分の都合のいい呪い以外を凍らせるっていう、そこの所どうにかしておくれよ」
「別に選んで凍らせているわけでもないんだが、相性でもあるのだろうと思うんだが」
この会話から、お兄さんが呪いを選んで凍らせているらしいって事はわかった。
お兄さん凍らせる事に関して、かなり凄腕らしい。
寒空の祝福がかかわっているのだろうか。
凍れる生贄という立場だからできるんだろうか。
分からない。推測は確信までは至らない。
「あんたそういう部分本当に、俗世間から離れた感じがして隠者って感じだわね。いつも通り。……でも変わったね」
何をお兄さんに見たのか、ララさんが感慨深げに言う。変わった、お兄さんが変わった。
おれと出会ってからのお兄さんはどこも、変わってはいないのに。
「少なくとも、女の子を腕の中に囲うような奴じゃなかったのにね」
「冷えた子犬を温めているだけだ。私の大事な大事な子犬だ。温めるのも当たり前だろう」
お兄さんがおれをより一層抱えたらしい。体に回る腕が少ししつこくなる。
「その自信に足元をすくわれないようにね。説教が必要かと思ったら原状復帰はさせているから、説教の時間があまりなくて済んだ。これから私は東区のボスたちと会合があるんだよ。あんたが東区入りするからね。今まで拮抗していた四区のバランスが崩れないように、話し合いだよ。全く。公国の方には遠慮なく抗議をしておくように、ジョバンニに言っておいたからあんたも、躊躇するんじゃないよ」
「燃やされた借り物の書物があってな、神殿の方に事の次第を説明する手紙を送る所だ」
「うげぇ、砂の神殿のかしら。あそこは太古の書物が残っているってのに……公国も終わりだわね。一国が傾く書物を燃やしたんじゃない事を祈るよ」
「ちなみに躊躇なく家を爆破されてな。守りも何もくそもないわけだ」
ララさんが蛙がつぶれたような音を上げた。
なんか非常にヤバイ物を聞いたっていう音だった。
「あんた相当怒ってるね」
「当たり前だろう、せっかく貸してもらったものが灰になったのだから。灰になった物を元通りにする術など存在しない。解読途中の物も多かったのだから」
ぱちぱち、とお兄さんの怒りに呼応したように、周囲の水分が凍る音がした。
お兄さん自体は温かいのだけれども。
そして言いたい事を言ったララさんは去って行った。
そこまで言ってようやく、お兄さんはおれから手を離したのだ。
気のせいかもしれないけれど、ララさんをかなり警戒しているんじゃないか。
これまでお兄さんが、ここまでおれを抱えて見ないようにした御仁はいない。
皇帝の眼にすらおれを見せたのに、ララさんが見ないように……いやおれがララさんを見ないように、かな?
目を覆うなんてなかった気がするのに。
「……ララの奴、拘束の瞳の精度が上がったな」
ぼそりとお兄さんが、面倒くさそうに言った。拘束の瞳って何だろう。
「お兄さん、それって何」
「ああ、子犬にはきっと通用しない術だ。知ればきっと通じてしまうが……私が教えなくても誰かが教えるだろう事を考えると、私が教えた方がいい」
それは無知の防御にまつわる事かもしれない。
でも、知らないでいきなり、お兄さんのいない場所で説明されるよりも、聞いた方が対策を考えやすいかもしれない。
お兄さんもそんな思いで、説明してくれるんだろう。
「拘束の瞳とは、瞳術の一つとも体質ともいえる。相手の心の無意識の部分に、制御をかけてしまう力だ。例えば、ある特定の人物だけは殺せないようにする、この術だけは使えないようにする、そう言った力だ。ただしこれは水の神殿の、“義の宝珠”と呼ばれる魔道具に認められなければならない。その宝珠は、試練を受ける生き物の心の正しさを常に測っている。心正しくなければ、その力を分け与えない宝珠なのだ」
「だからララさんは、義のララって言われているの」
「そうだ。たとえ口でどんな事を言っても、心が正しくあるからこそ、ララはその力をいまだ宿している。あの力を十年以上宿すのは大変なのだがな」
だよなあ、簡単に暗示をかけられる力みたいだものな。
普通は力に呑まれておかしくなりそうだ。
伝説の何とかとか、そう言うのを手に入れておかしくなって、指名手配になる冒険者や、魔王の遺物を入手して力に溺れて、やっぱり指名手配になるやつらも多いのだから、ララさんがそんなすごい力を維持し続けるのは、すごい事だ。
でも。
どうしておれを、隠したんだろう。
「お兄さん、どうしておれを隠したの」
「あれが私に対して、街の安全のために制御の暗示をかけようとしていたからな。それの余波を食らってはいけないと思ったのさ」
「余波なんてあるの」
「あるとも。それに酔うと動けなくなるからな」
体験した事があるように、お兄さんが笑った。




