契約=朝晩の食事と昼寝付きの番犬
天国らしい。ここは。だって暖かい。すごく暖かい。肌にかかるのはおれが使った事もなさそうな柔らかく、しなやかなリンネルの肌触り。おれはリンネルも使えなかった。おれはパーティメンバーに役立たず扱いされていたから、皆の使い古しのぺらぺら毛布一枚しか、持ってなかった。
それでも、暖炉の灰の中寝転がっていれば、冬は越せたんだ。温かくて。
でも、この暖かさはそんな物じゃない。きちんと暖かい布団がある暖かさだ、大変な贅沢だ、おれにとって。
寝返りを打てば、柔らかい感触、ああ、ここはきっと死ぬ前にあるという天国の時間なんだ。
おれは自分では、悪い事はしなかったと思っているから。
きっと悪い事を本当にしていなかったから、天国にはいけなくても、魂の消滅の前に、温かい夢を見せてもらえたのだ。
「ああ、しあわせ」
なんて言っていれば。頭をなでる温かくて大きな手の感触。それから子供に語り掛けるような、子守唄のメロディが聞こえてきた。
おれは子供じゃないけれど。
子守歌まで歌ってもらえるくらいには、がんばっていい人生を送ってきたんだな。
ねむれねむれ、さいわいのこども。ねむれねむれ、安らかに、痛みも苦しみもひと時忘れて、いまはやすらかに……
おれはその、優しい声に導かれるように、また意識が遠のいていった。
「しかしまあ、これだけの傷を治すのは骨が折れる」
誰かが呆れたように言うのが、ちらりと聞こえた気がした。
夢なのに、怪我の事を言うなんて、変だなととろける意識の中で思ったおれがいた。
そして次に目が覚めた時、それは食べ物のいい匂いがしてきたから目を覚ました、というなんとも野性的な理由の目ざめだった。
だってお腹空いたのだもの。
パチッと目が覚めた、と思えば近くで、一人の人間が焼き餃子を食べていた。
焼き餃子とかって、粉の皮を分厚く作ればそれだけで、炭水化物も野菜も肉も食べられてしまう、べんりな食べ物なのだ。
そのため、軽食屋では大人気の食べ物だ。特に手っ取り早く用意できる上げ餃子とか、肉の味を誤魔化せるから、怪しいのから美味しいのまで、街にたくさんある。
おれはその、誰だか知らない相手の食べている、その焼き餃子に視線が吸い寄せられてしまっていて、口の中によだれが溜まっていった。
いや、追い出されたあの日、あれは実は夕食の前だったんだ。
腹が減っていて、おれも体に力が入らなかったのかもしれない。
そして、何日眠っていたか知らないが……
ここが夢じゃなくて現実だという事は、もう、明白すぎたのだ。
だって腹が減る夢なんて、普通見たりしないし、最後の幸せな夢の中でお腹がすくなんて、みすまっち。つまり変。
そういうわけで、おれはまだまだ生き延びていて、そしてこうして起き上がっているのである。
「お腹が空いたのか」
焼き餃子を食べていたそいつが、声をかけてきた。
そこで俺は相手が男性である事、おれよりも身長が高そうなこと、そして一見して何者か見分けられない人種だという事、まで観察できた。
男性はおれの眼が焼き餃子に食いついているのを見て、溜息をついた。
「分け与えられないぞ」
「なんで」
「傷を治すために何日も何日も眠っていた相手が、いきなりこんなものを食べてしまえば、胃袋がひっくり返ってとても苦しいから、だ」
「何日も眠っていたってどういう事なのさ」
「言葉通りのことしか言っていないつもり、なんだが。治っていない怪我が多すぎて、しばらく深く眠っていたんだ。月日にして四日ばかり。こんこんと眠り続けていたから、いろいろ心配になったわけだが、こうして食欲があって元気に起き上がるなら、そこまで心配しなくてもいいものなのだろうな」
彼は頬杖をついて、おれを上から下まで眺めて、そう説明した。
傷。怪我。
ああ、最後にミシェルが、武装靴でさんざんに蹴りまわしたからできた傷の類か。
痛かったし、いろんな怪我に慣れているおれの動きが鈍くなる位だ。
普通の人間だったら重傷か致命傷だろう。
敵の攻撃を八割受けて、パーティメンバーを守る事が役割の楯師だったから生きているだけで。
「だが最初は粥から始めよう。粥ならすぐに出来上がる」
言った彼が立ち上がろうともしないで、ひょいと指先を台所に向けた。
すると驚く事なかれ、調理機材がひとりでに、粥の材料を測ったり水を入れたり火が付いたりし始めたのだ。
「お兄さん、大魔術師の称号とかお持ちで?」
ぽっかーんとしながら問いかけると、彼は真っ黒な瞳を瞬かせて、問い返してきた。
「どうして大魔術師という職業が出て来るんだ」
「だって……こんな風に物を意のままに動かすなんて、魔術師にはできない芸当だからさ。魔術師の上の階級、大魔術師くらいになればできるかな、と思って」
「大魔術師の試験を受けた事はないから、違うだろうな」
彼は焼き餃子を食べていた手を止めて、食器を卓において、おれの前に椅子を持ってきて座った。
それから無造作におれの手を掴むと、“検査”の術をかけたのだろう。肌に何かが回る感じがした。
お兄さんの“検査”は肉体的な怪我とかを見るものだったらしく、お兄さんの基準に引っかからない位に、おれは回復していたようだ。
お兄さんが、形の見事な唇を緩める。
「あれだけの物が治っている。たった四日で。治癒師を頼れないからもっと時間がかかると思っていたが、違ったようで何よりだ」
「お兄さん、失礼じゃないならおひとつ確認しても?」
お兄さんがおれを見ている間、部屋を見て気付いたのだ。
ここは一人きりで暮らすようにできている家、だと。
そして、パーティメンバーを組んで、ギルドで仕事を受ける人間の家としては不十分だと。
仮にソロで動く人ならば、それ相応の物があちこちに転がっていなければいけないのに、この家はただの、村の人間の家のような内装なのだ。
お兄さんの職業っていったい何?
「お兄さん、一体どうやって生計を立てていらっしゃるご職業で?」
触り心地のよさそうな癖のある黒髪の、覗き込んだら深淵が見えてきそうな黒い瞳の、お兄さんは大した事でもなさそうに、こう答えた。
「隠者、だが」
隠者。心理を求め一人暮らす人。知識が豊富で助言を求める人たちも後を絶たない。
賢者とよく似ている説明になるかもしれないが、隠者と賢者の違いは、賢者の方が金持ちに雇われたりして、裕福で、弟子がいたりする事だろう。
隠者は本当に隠れて暮らしている。人に雇われたりしない。助言を与えるけれども、貧乏だし裕福とはいいがたい生活をする事も多い。
だって基本的に、隠者って沙漠とか森の奥深くとかに暮らしてんだもん。
しかしお兄さん、その年齢で隠者の称号を得るくらいに知識蓄えて、なんでもっと生きやすいだろう賢者に、ならなかったんだろう。
おれの顔から、疑問をありありと受け止めたのだろう。彼が笑った。
ちょっとシニカルな感じの笑みは、お兄さんの造作と相まっててとても似あう。悪い意味ではなくて、しっくりくる。
多分数多の女性が虜になる、何て予測できそうなイケメンなのである。
イケメンなんて言葉で、お兄さんをくくっちゃいけないくらい、お兄さん造作整い過ぎているわけだが。
おれこんな人、ハイエルフでも見た事ないんだけれど。
なんかあるのかね。
「ここは沙漠のなかのオアシスの近くの家だ。砂漠と言えども冷えるから、弾をとる方法は必要だな。しかしずいぶん、疑問が顔に出る傾向のある人間なんだな」
「……」
何を言い出すか、と身構えれば、お兄さんが言い出した。
「どうして賢者にならなかったのだ、という顔をしているだろう。賢者を目指して知識を蓄えたわけでもなければ、職業を選んだわけでもない。いろいろやった後に、職業を見極めてもらったら隠者、になっていただけだ」
「がちだった、がちすぎた」
この世界では、神殿に職業を見てもらって、自分の職業を決める場合がとても多いのだ。
神殿で見極めた職業というのは、それだけ到達者になれる可能性が高いし、経験値が上がりやすいので。
しかし、たまに、色々な経験を積んだ後にもう一回、神殿に見てもらった時に、職業が変わる事があるのだ。まれに。
魔術師極めすぎて、僧侶としての経験も持っていたら、賢者とかそんな感じで。
でもお兄さん、隠者になる方法って何なのよ、隠れ住んで助言を与えたり、真理を追究するのが基本な隠者に、後からなる方法ってあるのかい。
ちょっとそんな事を思ったわけだったんだが。
お兄さんがおれの前に、おかゆ、それも適温まで冷ましてくれている容器を置いた。
「あれだけの怪我を治したのだから、きっと体力も削られている。少しは食べたまえ」
おれはこの言葉に、じんときた。
だって追い出されたパーティで、怪我をした事を心配される事も、その後治るまでのフォローも何もなかったんだから。
おれ以外が元気だったら、おれがどんだけ重傷でも、立て続けに仕事を受け持ったりするわけだし。
あばらが三本折れているのに、低級竜の討伐依頼を受けたあの時は、本気であの世に行く覚悟決めた。
もう、追い出されたから関係ないけど。
でも。何でお兄さん、おれの事拾って面倒見てんだろう。
真理の追求のために、人間の中身を見なくちゃいけないのだろうか。
それは協力できないな、とおかゆをすすりながら思っていれば。
「番犬が一匹欲しいと思っていたところなのだ」
お兄さんがおれを見て言いだす。番犬? 犬はどこにもいないのに。
「人間の言葉を話せる、留守番役が欲しかったところなのだ。いかんせん、助言以外を求めてくる人間の多さに辟易していな。その点捨て犬を拾えたのは都合がいい」
それってお兄さんの格好良さにときめいちゃった人が、押しかけて来てるだけじゃなかろうか。
それにしても、このおかゆ温かい味がして、お腹に溜まって、手の先まで温まる感じがする。すごいほっとする味だ。
「朝晩の食事つき、昼寝もついている。仕事はこの家と私を守る、どうだ?」
おかゆに夢中になっていれば、お兄さんがおれを覗き込んできて、言い出した。
断るなんてこれっぱかりも思ってない声で。
そしておれも、断る理由が何にもないから、頷いた。
「いいよ。お兄さんの番犬になる」
家とお兄さんだけ守ればいいのならば、盾師のおれにとってとても、都合のいい条件だと思ったから、おれは相手の眼を見てしっかりと頷いたのだった。
人間扱いじゃないけど、犬だけど、前よりは天国のような条件だったのもあった。
お兄さん話わかりそうだし。
「それでは、傷が治ったら一度、迷宮に挑んでみよう。どれくらい力があるのか、見てみたい」
隠れ住んでて、冒険者ひしめく迷宮に入るんですか。
お兄さん、自分からホイホイしてないか?