来訪=すでに厄介ごとの匂いしかしない
物陰からやかん片手に現れたお兄さんを見て、騎士が言う。
「おお、沙漠の賢者殿ではありませんか」
「人間違いもいい所だろう。私は物陰に隠れるもの。賢く導くものではない」
まずはお茶を、とおれに目配せをするお兄さん。おれは彼らの目の前で、毒も薬も入れない事を示すためにお茶を入れた。もちろん薄荷のお茶である。
角砂糖の瓶をだして、一人格下の立派じゃない椅子にすわる。立派じゃないというのは、簡単に言えば丸椅子でちょっと年季が入ってぼろいかんじだ。
お兄さんはこれが好きだが、おれにくれた。背丈的にお兄さんは具合が悪くなっていたらしい。
しかし子供の頃からの物らしく、捨てられなかったから座る人間が出来て喜んでいたっけな。
それはさておき、お兄さんは椅子に座って、騎士を向かい合う。
「手紙も送ったわけだが、私は賢者のような崇高な人間ではない。“選ばれしもののたいまつ”などという聖具に火をともす資格も実力もない」
“選ばれしもののたいまつ”って聖具だったんだ……てっきり普通に火をともす魔道具だとばっかり思ってた。
「しかしあなた以外に、あれをともせる方はいらっしゃらないと団長がおっしゃいました」
「きちんとした賢者に依頼すれば、たいまつも明かりをともすだろう。あのたいまつは正しい手順を知っていれば僧侶でも火をともせる」
「しかし! 今代では沙漠の賢者殿を置いて火をともせるものなどいないと言われているのですよ、帝国では」
「そこからが間違いだ。私は賢者ではない。隠者だ。職業を見てもらえば一発だろうが」
お兄さんが首から下げている印を見せる。これは神殿とかで送られる、職業を示すものだ。
隠者はとても簡素な、小枝を十時に組み合わせて円形の中に入れるという物だそうだ。
偽造したらただでは済まないので、これを偽装する人もいないという。
それを見せられた騎士が、お茶を飲み噎せた後、言う。
「何と言う事だ……」
「賢者が欲しいのならば、沙漠の神殿にもいる。紹介状でもしたためておこうか」
「しかし、もう、時間がないのです」
騎士の声は引きつっていた。時間がないっていったいどういう事だろう。
おれはお兄さんに視線をやると、お兄さんは考えていた。
「時間がないというのはなぜだ? 誰かを人質に取られたわけでもないだろう」
騎士が黙る。黙った感じが、なんか的をつかれた感じだった。
もしかして。
「そうなのか?」
「帝王の三女の姫君が、隣国との境界線でさらわれ……」
「誰にだ? そこからが問題だろう」
「闇の教団にです」
「ああ。ついにか。もともとあそこは帝王の血族を教祖の縁者に迎え入れたがっていた」
闇の教団。なんか聞き覚えがあるようなないような。
「お兄さん、ナニソレ」
「夜の女神を崇拝する教団でな。あちこちの豪族と婚姻関係を結び、勢力を拡大している教団だ。目的はわからないが、長年帝王の血族を迎えたがって突っぱねられていた」
「教団は来月婚儀を行うと。婚儀を行われれば、帝王には手出しができなくなります。三女の姫は、婚約者との結婚が再来月に決まりかけていたのですが」
「そこを中心に厳重に抗議すればいいだろうが」
おれがぼそりというと、騎士は首を横に振った。
「三女の姫が、教祖の従兄弟と思いあっている、離れ離れにさせたくないという態度を取られ」
「事実なのかどうなのか、大事なのそこじゃないのか」
思いあっている人を離れ離れにさせれば、恨みが募るのは普通じゃないのか。
おれの疑問をお兄さんは苦笑い。
騎士は愕然。
「たとえ思いあっていても、先約があったのだからそちらに対しての義理が」
「はあ」
面倒くさいな、帝王のお姫様。
おれは何も言わずに、お茶を飲む事にした。もう何も言うまい。言えない。
だっておれの知っている世界とはあまりにも、違うのだから。
「そのため軍隊は使えない。そして正規の騎士たちを潜入させる事は難しい。そのために、“選ばれしもののたいまつ”で姫を救出する冒険者を選ばなければならないのだです」
深く溜息をつく騎士。でもたぶんお兄さんは了承しないだろう。
この人は自分がやらないと決めた事は、絶対にしない人だから。
ちらっとお兄さんを見たんだけれども……あれ?
お兄さんは考えるそぶりを見せていた。
考えてあげるんだ、人間違いだって追い出す予定だったのに。
「来月まであと二週間か」
お兄さんは、おれがどう見ても日付なんてわかりっこない物を見て、呟く。カレンダーというらしい。色々デザインがあるから、おれは訳が分からない。
「今から決まらなければ、間に合わないのは確かだろうな。当日の警備はかなりの物だろう」
「はい。事実潜入予定だったメンバーはあれを見て、本職の盗賊でもなければ歯が立たないと」
「扉か?」
「ええ、結界の張られた扉ですよ。何しろ普通には開かない」
「その扉を開ければいいのだろう」
「まあそうなんですが」
お兄さんがおれをちらっと見る。うん、おれみたいにそう言うのが通用しない非常識、らしい奴の手を借りた方が早いといいたいんだろう。
それを絶対に言わなさそうだけれど。
「子犬、お使いを頼む」
「お使い? どこに?」
「砂の神殿にだ。ここからさほど遠くはない。そこで今から手紙を書くから、砂の賢者に帝国まで足を運んでもらいたいと口頭で告げてくれ。“選ばれしもののたいまつ”をともさなければならないと。人間違いで私の所に人が来てしまっていると」
「はあい」
「そんな! 時間がないのですよ!?」
「急がば回れ。隠者にたいまつをつけさせたら、おそらく大多数の賢者を敵に回す。まさか五大賢者を敵に回してまで、帝国は私を守ってくれるのかな?」
騎士が何も言えない状態になると、お兄さんは紙を取り出してさらさらと何かをしたため、くるりと巻いて封をして、おれの道具袋に入れた。
「子犬、オアシスから見える一番近い神殿が砂の神殿、だ。走って行っておいで」
「お兄さん、この前おれが沙漠でお兄さんを置いて走り回ったの、恨んでません?」
「いいや? 焦熱地獄の沙漠を走り回れる子犬ならば、確実に一番速いと、知っているだけさ」
「そっか」
おれは頷いて。さっそく出ていくために立ち上がる。デュエルシールドは装備済み、水はこの前精製してもらった水玉がある。水玉ってのは水を固めて腐らないようにした、携帯用の水である。普通の瓶に入れて運ぶよりも簡単だけれども、その分お値段は高い。
お兄さんが作ってくれたから、お金は使ってないけれども。
「じゃあいってきまーす」
おれはそんな声を出した後に、そのまま出て行こうとして。
「待て子犬、忘れ物だ」
「へ?」
お兄さんが頭からかぶっていた布をすっぽり被せられて、きょとんとした。
「これは見る人が見れば私の物だとわかる。子犬がお使いだとすぐに分かるように被せておこう」
布を取り払ったお兄さんは、この前よりも髪の毛が伸びていた。
「お兄さん、今度髪の毛を切りましょうね」
「子犬が切ってくれるのか?」
「髪を切るのは割とうまいんですよ」
「そうか、なら頼もう。騎士殿、明日明後日には返答か本人が来るだろうから、ここで体を休めていなさい。見ればかなり消耗している。ここまで来るのはさぞ大変だっただろう」
「最速で行って来いと言われまして……炎天下の中死ぬような思いでここまで来ました」
「ではそこで今は休んでいなさい。無理をすれば今からでも倒れるだろうから」
お兄さんは騎士にそう言い、おれに手を振る。
おれは頭を一回下げて、外に出た。
「さて、呪い本、今から砂だらけの場所突っ走るけど、外がいい?」
『当たり前だろー』
おれは軽い柔軟体操をしてから、一気に走り出した。