その後の話9
盾師はそこで視線を彼等に向けた。腕の中のかみおろしは、あれだけの扱いをされたというのに、怒りもしないのだ。
きっと怒る理由が見つからないのだろうな、と盾師は付き合いの長さから考えた。
マーレンと言う男に対して、アリーズは怒りを見つけ出せないのだろう。
それがいい事なのか悪い事なのかはさておき、とにかく見つけられないのだ。
瞬いた瞳のきらきらとした具合からして、アリーズが負の感情を彼等に向けていたが最後、彼等はひしゃげていたに違いない。
この眼の中に潜む数多の人でも魔物でもないものたちは、簡単にそう言った力をふるう。
たった一人、大事なアリーズのためにそんな事をしてしまうのだ。
それが神の寵愛や溺愛と言われるもので、一般的にそんな物を持っていた人間は、だいたい発狂している。
そうだ。
アリーズの友人たちは、それを簡単に行えてしまうのだ。
そして行えてしまうからこそ、アリーズが細心の注意を払って、彼等の逆鱗に触れないようにしている事も、盾師は知っている。
そのためにどれだけ、アリーズが周りの眼と言う物を振り払っているのかも知っている。
哀れでかなしい、勇者に祭り上げられたかみおろしは、無意識のうちにそれを行うのだ。
「本当にいいのかよ」
「よくなかったら、みんなここでひき肉になっていると思わないかなあ」
笑ったその顔は、どこまでも明るくて、盾師はどうしようもない気分に襲われてしまう。
「ひき肉以外に道はないのかよ……」
「後は黒焦げか砂漠でおぼれ死ぬとか色々あるよね、皆それは上手なんだ、皆に際限ってものはないらしいからね」
笑った彼は目を瞬かせて、白く強靭な盾師の腕の中から、マーレンを見やる。
「ねえ、もう体が重たくないでしょう、他に息が苦しかったりしないかな、長い間体にかかっていた苦しさとかを、一気になくすと、人によっては呼吸困難になるんだ、大丈夫?」
マーレンは言われた事に目を見開き、自分の体の具合を確認する。そして何もないと思ったのだろう、頷いた。
「ああ、特にはないけどな、お前は特に何か代償とかは存在しないのか? かみおろしって代償ありきの事をするって聞いていたぜ」
「代償があるのは、皆がやりたがらない事をわざわざ手間暇かけてやらせようとするからだよ、皆の中で、やってくれる誰かに頼まないから、代償を伴うだけ」
アリーズはそういうと、その何かが無数に泳ぎ回る瞳を閉ざす。
「ここで寝るか? ってもう寝てるか……こいつ人の腕の中で寝るの大好きだよな本当に」
「貸してくれ、ナナシ。抱き上げて動かすんだったら、俺の方が体格がいい分座りがいいんだ」
「ああ、やっと追いついた……マーレン、無事で何より! どうしたのです、ジーパもジャンディも。そんな風に顔を凍り付かせて、こちらの方を化け物のようにみて」
「だって化け物じゃないの! かみおろしって厳かな呪文を唱えて神様の力を借り受けるんでしょう、何で何の詠唱もなしにやってるの!?」
ジーパが喚くように言った物の、ジャンディは凍った顔のままずるずると座り込んだ。
「ジーパは何も見えていなかったのですね、あれだけの力の発露が見えないなんて、なんて幸運」
黒髪の美女はジャンディという名前だったようだ。盾師は座り込み、泣きじゃくる彼女を見た後、やっと追いついたと思ったらすぐさまアリーズを抱えあげた聖騎士を見やる。
「お前は見たか?」
「入口から青い光があふれんばかりにこぼれていたのは見えたが、盾師は見えていたか?」
「おれに魔法の素養は一つもないからな、見えてない。アリーズの友達の力って、見える人間と見えない人間の二択になる力だろう」
「アリーズが本気を出して神の力を誰もが見える力として振るった時は、おそらく世界最強の魔王になっているな」
「こいつそこまでの手間かけて遊ぶか?」
盾師の言葉に、聖騎士が苦笑いをした。
「お前の中ではそれが遊びになるのか……?」
「だいたいにおいて、目立たないでも力を使える神々が、力を発揮する時なんて大概遊び半分って決まってんだよ。アリーズいわく、友達の力は見えなくても存在し続けているモノ、それをみえるようにするのは、面白がらなきゃやらない事だってな」
「アリーズの友達は本当に、なんでもありだな……」
言いつつ、むずがりはじめた腕の中の青年をゆすって、あやしだす聖騎士。
「こいつ夕べちゃんと寝てたのか? こいつこんな寝坊助じゃなかったはず」
「神々との交信で多少体力がもっていかれたのではないか?」
聖騎士と盾師の会話は、その他のメンツにとっては理解不能どころか、理解したくない中身だ。
今ジーパが暴力をふるった相手は、そんな事をしたが最後、命がなくなる程度ではまだ優しいような相手だと判明したのだから。
「……ところで、ジーパとか言ったか? あんた後で砂荒神に許しを乞うた方がいいぜ」
「はあ、なんでよ」
「砂荒神のおひざ元というか、目の前でありながら砂荒神の愛すべきかみおろしを蹴っ飛ばしたから。この領域で砂荒神怒らせたら、沙漠のフィールドでミッションは一つも達成できないと思え」
「そういう物だろうか」
「そういう物だよ、実際に何人それで砂の海に消えたと思ってる」
盾師は記憶を探る顔をとり、思い出したように言う。
「確か一番優しいやつで、首から上だけ砂の上に出る事になったやついただろう、乾いて死ぬ手前でアリーズへ詫びて、その声が聞こえたアリーズが、助けに行ったあれ。あれ優しい方だからな、砂荒神にとっては」
「ああ、アリーズが昼寝から飛び起きて、行かなきゃって叫んで転移術作動させたのは、あの時だったか」
「一つ聞いてもいいか? 砂荒神はアリーズを自分のかみおろしと認識しているのか?」
マーレンが問いかける。普通のかみおろしは、一人でひとはしらの神としか交信ができないとされているのだ。
そのため、数多の神と交信するために神殿がかみおろしを大量に抱えたがる話も、有名なものなのだ。
しかし盾師たちの言い方では、アリーズはかなりの数の神と一度に交信が可能といいたそうなのだ。
それはマーレンたちの常識からは大きく違っていた。
「アリーズが体におろせる神は、ひとはしらって決まってない。おれが知っている限り、最大で四十八柱の神を同時におろした」
「……アリーズは本物の人間だろうか」
「心臓の鼓動は人間のものに間違いないな」
マーニャの戦いたような声に、その本人を抱き上げている聖騎士が何か確かめながら言う
「心臓の鼓動で特定するのか、お前」
「居合術は自分の心音も意識するから、他人の心音もかなり意識するな」
とにかく寝かせよう、ここではない場所で、と盾師は聖騎士を先導する。
「ここ以外にどこがいいんだ?」
マーレンは問いかける。神殿側がここに案内したというのに、場所を変えるとはいかに、という意味なのだ。
「……血」
盾師は周囲を見回した後、鼻を鳴らして、床の一部分を示す。そこにはアリーズが受け身をとった際についたのだろう血痕が残っている。
「アリーズの血は呪血だ。こいつが悪夢をここで見て見ろ。血を通路にしてどんな魔物が来るかわかったもんじゃない」
「ギルドが一度、ヒュドラを呼び寄せかけたのはそれだったか……」
聖騎士が何とも言えない声で、そう言った。
「ヒュドラって、かなり北東の方にいる凶悪すぎる魔物じゃないか!」
「このあたりのダンジョンにも全く出現しないって話の魔物じゃないの、そんなものを呼び寄せるなんて、そのかみおろし、本当にかみおろしなの? 魔物の一種じゃないの」
「……純粋に過ぎるものっていうのは、何だって引き寄せるんだよ。余計な物が混ざっていない力は、正邪を軒並み引き付ける」
盾師は静かにそういい、呪いの本に声をかけた。
「呪い本、燃やしてくれ」
『いひひひひ、それをおいらに食わせてくれないだけ、相棒はまっとうな精神だ』
「これ以上呪いの本の力を強力にしたら、おれが死んだ後どうなるんだよ。お前の処分」
『そっちかあ……相棒すれてんなあ……』
言いつつ、呪いの本の目玉が瞬き、術が乱舞する。
呪血を吸い込んだ床の一部ごと、血は跡形もなく灰と化した。