他方=とある聖騎士の誓い
思い出すのはあの時の事、絶望のただなか、たった一つ希望になりえたその存在の事。
叫ぶ声。
「この手を取れ!」
答えられないでいる俺に、その声が再び叫ぶのだ。
「この手を取ってくれ! 俺の手を取れ、剣士!」
その手を取れば一生その手から、逃れられないと知っていた。その手はおそらく、見えない糸を持っていた。
豪雨のフィールドで、文字通り体力も気力も消耗する無慈悲の中、で。
その手は必死に伸ばされていた。伸ばされていたのだ。
しかしそれをとらなかったのは己のプライドで。
こんなのに、と思ってしまったせいで。
とれないまま。
……強制帰還の魔道具を使い、そいつを引きずりそいつの仲間たちが町へ戻る。
それを、致死の傷をおった状態で倒れ伏して、見ていた。
ばかなやつ、と思ったのだ。
ばかなやつだ。
かちあったミッションのために必要な、貴重な魔物を奪い合うために、人間同士で争った結果、こちら側が全滅していくだけだというのに。
そんなもの、ミッションが重複すれば当たり前、フィールドでの殺人に関して言えば、ギルドは介入しないというのに。
手を取り、共に帰ろうと仲間を無視して必死に言い募ったあの愚かな盾師。
意識が溶けていくようだ。きっと死ぬのだろう。それでいい。
自分が弱かった、それだけの事。
閉じた目の中にまだ、どうしてか焼き付くあの手と瞳。強い光を見せる、そのくせお人よしの塊の瞳。偽善者の眼。
忌々しい、と思ったのだが。
また声が耳の中に残る。
「この手を取れ!」
その手の中にあったのは、仲間として縛るためのタブレット。あいつは自分を助けるために、仲間の制止を振り切り、仲間として連れて帰ろうとしたのだ。
強制帰還の魔道具が、使用者の仲間しか帰還させないと知っていたから。
「ぐぅっ……」
その声が何度もわんわんと響き、なぜか体に這いずる力を与え始める。
あの偽善者、切り殺してやりたい。そのために生き延びなければ。
この雨で血は流れ、魔物もそこまで嗅ぎ付けない。雨が降っている間に移動する、それが要だ。
死んだ仲間たちの事を思えば、こいつらも外道だったからここで死ぬのも仕方がないと思って、亡骸なんぞに未練はなかった。生きていれば多少は違っていたが。
あちらのリーダーが完膚なきまでに殺した。実力が違い過ぎていた結果だ。
生死の境で手加減などできるわけがない。結果殺しあったのだ。
彼は這いずる、少しずつ、雨をしのげる場所へと。
そしてようやっと近くの木のうろに入り、目を閉ざした。
しかし、命はすぐに尽きるだろうと彼は思っていた。回復用のポーションは底を尽き、剣士である彼は回復の呪文など知らない。薬草なども枯渇した。
それでも彼は生をあきらめなかった。あの盾師を殺してやる、それだけを糧にして、体温を下げ、深く眠る。冬眠する生き物が、息をひそめるように。
あくる日。
彼は呆然とした。するしかなかった。己が見ているのは住居の天井、近くに座るあの盾師。
「おきた、あ、よかった」
盾師は笑った。屈託のない底抜けの笑顔。馬鹿の笑顔だった。
「一応仲間に回復してもらったけど、体変なところある? 急場だったし、完全な回復じゃないし」
「なぜ俺を助けた」
「おれは最初からあの争いに反対だった、それだけ。おれは盾師で皆を守るためにいるから、一緒に戦ったけど、あんなので争いあうなんておかしいと思って、最初から止めてたんだぜ」
知っている。あちらのリーダーが、やっと見つけた貴重な魔物を取られまいと、頭に血が上っているときに。
一匹いるって事はまだまだいるはずだから、ほかをあたろうぜ、と袖を引っ張っていたのを知っている。
こちらのリーダーも血が上り、言い争いになり、斬りあい殺しあいになった時に。
なあ話し合おうぜ、リーダー! 人間同士で争っている間に、殺した魔物の状態も悪くなるだろ!? と叫んでいたのも知っている。
そのくせ、盾師として仲間をかばいまくり、自身は傷だらけになって。
それでも、戦わないことを訴えていた愚かな盾師。
「だから、生き残り位は連れ帰りたかったんだ」
助けると言わないあたりに、押し付けのなさを感じた。助けるなんて言う上からの視線はどこにもないのだ。
愚かな、愚かな盾師だった。
にやっと笑った盾師、その時扉が叩かれて、現れたのはあちらのチームの治癒師だった。
「目を覚ましたの。愚図、あなたの分の報酬はこれでなしよ。それと治療用の品物の代金もあるからあなたはマイナスね」
「おう、わかってら。また今月も頑張る」
治癒師の言葉に瞠目する。そこに仲間意識はない。仲間の頼みを聞くという姿勢ではなく、あくまでも他者からの依頼という姿勢。あのミッションの報酬は四人で割っても素晴らしい金額だったというのに、それを支払われず、治療用の品まで請求される。
そのいびつさを、盾師は気にしていない。
「ま、大丈夫。食べられるし、寝られるところもあるし」
よく見れば、治療が必要なのは盾師も同様のはずだった。おびただしい傷はまだ軽く血をにじませていたりしている。時代遅れな包帯で覆われた姿。
それでも盾師は笑っている。彼の治療ができてよかったと笑う。
「俺の手当てができて、よかったと言えるのか」
「言えるぜ」
瞬間の迷いもない言葉が、あまりにもきっぱりとしていた。
「だってあんた、最後はおれの手を取ったんだから!」
「とった覚えがない」
「だよな、あんた意識殆どなかったし。おれ一人で、もう一回あのフィールドにすぐに行ったんだ、あんた探しに」
ぎょっとしたのは顔に出ただろうか。彼は確かにぎょっとした。
豪雨のフィールド、通称を多雨はソロで気軽に行ける場所などではない。
彼のチームが敗北したこのチームであれ、チームだからこそ行けたはずの場所だ。
そこに一人で。なんて馬鹿だ。
確かに迷宮と違い、行けずに弾かれる事はないだろう。
だからと言って一人で? なんて命知らずな。
「そしたらあんた、直ぐに見つかった。木のうろの中で冬眠しててさ。ポーション飲ませたらおれの手、掴んできたんだ。すごい力で。だからあんたはおれの手を取ったってわけ」
差し出された手を掴む相手を、振り解くなんて奴じゃないし、と盾師は言う。
「それで担いできて、マーサに治療してもらって、おれの部屋に入れておいた」
椅子に手を置いて子供のような仕草で、しかし盾師は一人では絶対にできない事を簡単に言う。
こいつは一体何なんだ、こいつの称号は何なんだ。
彼は色々信じられない生き物を見る目だったが、それに盾師は気付く事もなかった。
そしてたった一つ事実があった。
「……俺はお前に借りができてしまった」
「借り? なんで? おれがしたくてした事で、勝手にした事で、あんたが借りなんて思うところ何処」
こいつうっかり騙されて大変な目にあう、そんなお人よしなのか。
彼が内心で思うあいだ、盾師は憤慨した顔で言う。
「あんたは借りなんてないの! おれが取り立てるつもりみたいな事いうのやめろよ! そういう、貸し借り嫌いなんだ!」
「……はあ」
こいつ底なしだ、底なしの馬鹿だ。救えない方だ。
呆れていると、どんどんと扉が叩かれ、怒鳴り声がした。
「食事の用意をしろ、愚図!」
それは、ほかのメンバーには柔らかい声で話す、暁夜の閃光のチームリーダー、勇者アリーズの怒鳴り声だった。
「はいよー」
それに対して軽い声で返す盾師。盾師は傷などものともしない動きで立ち上がり、んじゃ、という。
「あんたの分は後でここに持ってくるから、待っててくれよ?」
浮かんだ笑顔は人を安心させることを知る、そんな表情だった。
階下へ降りる音。その後に、木造建築だからこそよく響く打撃の音や殴打の音。
「遅いって言っているだろう! 自分の拾い物ばかり気にして、お前はこのチームに所属している心構えがなってない!」
「悪かったって。すぐできるからカリカリするなよ」
「その口が悪びれてないって言ってんの!」
何かが吹き飛ぶ音、家が揺れる。
近隣に聞えないのはおそらく、このあたりのどこの建物も使用する防音の魔道具の結果だろう。
そして先ほどの甲高い女の声は、武闘家のミシェルと言ったか。
「……あいつはなぜ、こんな目にあってもここにいる」
それとも、これ位のコミュニケーションは暁夜の閃光には普通なのか。
盾師だから加減されていないだけで、あのチームは全員が荒っぽい事をするのか。
分からなかった。ただ盾師の妙なやさしさで、己が生かされていることを彼は知っていた。
そして彼は傷が回復した後、暁夜の閃光に加入したい事をアリーズに告げた。
「いいとも。君はギルドでもとても優秀と評価が高いし、チームランクも高い。あの役立たずとは大違いだ」
役立たず? お前たちは俺たちとの殺し合いの中、守り続けたあの体を役立たずというのか。
それとも照れ隠しなのか。悪口になってしまうだけなのか。
彼の考えは否定された。近くで聞いていたミシェルが嬉しそうに言ったからだ。
「アリーズの勇者としての正義に、感化されたんでしょ。あなたの入っていたチーム、悪名高いチームだったし」
正義に感化。されたというのならば……
「似たような物か」
あの盾師の優しさと、相手のチームすら救おうとする馬鹿さに感化されたのだ。
そして盾師には言わないが、盾師には恩がありすぎた。返すならば近くにいるべきと、心が判断した。
あちこちのフィールドに入ったり、迷宮に降りたりすれば、余計に盾師の強さが気になった。
決して前面に出たりしないので、誰もが見過ごすが。
盾師は強かった。このチームで最も強いのは盾師だった。
勇者の盾になり、魔術師の詠唱時間を稼ぎ、治癒師を守り、前方以外のすべての方角の魔物を屠る。
身軽な手足とそのくせ踏ん張りの利く体力と根性。
これほど目の前の敵だけに集中できる相手はいない。
そして気が利く。魔物を遠ざける音調で鼻歌を歌い、草をむしる。蔓を切りとり袋に詰めたと思えば、食べられる魔物を捕まえていたりする。
食事も夜の見張り番も、盾師が一人で請け負っていた。
食事は手の込んだものではないが、携帯食ばかり口にしている普通のチームと比べれば明らかに、豪華だった。毎回違う物を作るのだから。
スープと一概にくくっても、毎日違う。似た味と思っても何か変化があって、飽きさせない。
手伝いとして、草のとげをむしったりしていると、けらけらと盾師は笑った。
「皆おれに任せるのに、毒でも仕込んでると思ってんの?」
「いや、参考に」
「へえ。あ、それその方向に千切ると悪い味が出るの、逆に千切って」
「ああ」
彼は剣士であり、剣術に秀でている。到達者まであと少しという、腕の良さも自負していた。
だがこの盾師を前にすると、そんな自負もくそくらえのような気分にさせられた。
「山育ちだからさあ、詳しいのよ、こういうの。おれが毎日違うもの食べたいし、毎日同じ料理だと体の調子狂うんだぜ。親父は体の天秤が狂うって言った」
けろっとした顔で言うくせに、先ほど思い切り魔物の斬撃を受け、盾ごと転がったはずだ。
その時の擦り傷は蒸留酒で洗われておしまいという、ずさんな手当だった。
「お前の傷はいいのか」
「ん。すぐ治っちまうから大丈夫だって。剣士さんは心配性だなあ」
照れくさそうに笑う顔。
剣士は何故かその時大きく、心臓が動かされた。
それからという物の、盾師への感情は降り積もるばかりになり、対応も徐々に変わっていった。より近く、より親密に、よりかいがいしく。
より心の内側に近い場所へ。
欲しいと思った相手への、本能的な行為だった。しかしほかのメンバーは、剣士が優秀であればあるほど、強いほど、それをよくない物と思ったらしかった。
ある時、盾師から遠ざかった場所で言われたのだ。
「あんた、あの役立たずに惚れているだろう、やめておけ、あいつはオーガの混血だ」
剛力と勇壮で知られたオーガを、怪物とみなす人間は多い。そして純血のオーガは恐れるが、混血は蔑みの対象としていたぶられるのもよくある話だった。
「……だからなんだ」
しかし剣士にとって、盾師は盾師以外の何物にもならなかった。オーガの血を引いているから、あの盾師への心臓の向かい方が変わるわけもなかった。
だが。
この日から余計に、チームのメンツは盾師に対する当たりを強めた。
おそらく、盾師は使いつぶす予定でも、剣士は仲間として長くやっていきたかったのだろう。
そのためには、剣士が気にしている盾師は邪魔だったのだ。
決定的だったのは迷宮でのとあるミッションで、盾師をわざと置いて行った事だ。盾師はその時、連日連夜の戦いによる負傷と見張り番での不眠により、ズタボロだった。
だが奴らは置いて行こうとし、剣士が乱戦の中それに気付き盾師を担いだからこそ、盾師ははぐれなかった。
「なんか助けられちまったな、ありがと」
「当たり前のことをしただけだ」
この盾師を守るためには、この盾師をこのチームから離さなければならない。
だがこの盾師に依存しているチームが、盾師を離すわけがない。
混血の負い目と、これ以上に悲惨な待遇かもしれないほかのチームへの不信からか、盾師は自分から抜ける意思は示さないのだ。
だから。
剣士は自分一人で、盾師と組もうと思った。そのためには、バディも承認される階級まで、己個人の実力を鍛えなければ。
そしてこのチームにいれば、それはなしえない。
一年、それだけでその実力を手に入れて、どうどうとお前をさらいに来る。
盾師に心の中で誓い、剣士は修行のため剣士たちの聖地へ行くことを告げた。
優秀な彼がさらに優秀になって戻って来る、と聞かされた暁夜の閃光のメンツはそれを快く了承した。
盾師は寂しくなるな、と言った後に告げた。
「それじゃあ、またいつか。おれは待ったりしないからな」
待つというほかのメンツと違う言葉。
後から聖地で、それって連れてってほしいっていう意思表示だったんじゃね、と修行相手たちに言われて、愕然としたのを剣士はいまだに覚えている。
しかし来てしまった以上実力は手に入れる。
己の力を限界以上までふるい続け、毎日血を吐きながら、しかし剣士はその資格を手に入れた。剣士として到達者になり、格闘家としても上級、聖騎士という上位職に食らいつき、今では誰もがその階級を知れば目の色を変える、そんな冒険者になった。
剣士は、信仰心を持っていなかった。
だが、信じるものがあった。信じているものが出来てしまった。
それに対する思いが、彼を祈るものとして神官職を到達者まで極めさせ、何の神も信じない聖騎士という、信じがたい存在が出来上がったのだ。
そして彼は、本当に一年でその街に帰ってきた。
盾師を迎えに来る、たったそれだけの思いで、様々な所からの希望を保留にして。