真実=被害者だらけの現実
書き直し終わりました! 色々違います、ご注意ください!
お嬢さんの一声で数多の近衛兵に襲い掛かられてきて、これどうすっかな、なんて割と真面目に考えた。
だってそうだろう、おれは今、使い慣れた攻防一体の盾を持たない状態で、つまり何かするには素手である。
そして相手は全員、おれを殺さんと殺気立ってるわけだ。
これで相手の命をとらないまま、迎撃できっかな、と思うのに何も不思議なんてないだろ。
おれのやり方は、割と盾ありきの戦い方なんだ。師匠が言っていたように、素手で何でもできる盾師というカテゴリじゃない。
多分そこに至るには、もっともっと修行が必要だと思う。
うん百年もそれでやってきていた師匠とは違うのだ。その師匠だって反抗期の頃は盾を持っていたんだから。
おれは別に、盾がなきゃなんにもできない、わけじゃない。
言い訳はしてない。素手でも少しは相手を迎え撃つ心得はある。修行中の師匠の理不尽を防ぐために、とっさの防御は必要だったから。
でもさあ、この状況で殺意満々の相手の命を、全部残しておくっていうのが、出来るかできないかって言ったら難しいわけよ。
手加減が出来るかできないかって言ったらすごく難しい。盾持ってる時と感覚全然違うし。
誰かひとりでも殺せば、おれは一層不利な状況に追い込まれる。
つまりいま、おれは圧倒的に不利な状態と考えてくれればいいだろう。
「この、くそっ、当たらない!」
近衛兵の空を凪ぐ剣、そりゃそうだわ、おれだって当たらないようにしてんだぜ。切られたら痛いんだ。
相手の動きを見切ってそして、出来る限り少ない動きでそれをさける。
そう言った事は師匠相手にさんざんやらされてきていて、相手が師匠だと三回に一回は急所直撃、目を回す。
でも今の相手たちは師匠じゃないから、おれだって延々と避け続ける事が出来るだけだ。
速度が違う。
勢いが違う。
急所を狙う鋭さが、決定的に違う。
それは絶対に殺しにかかっている、と言いたくなる師匠と違う、これ位の技量の相手なら、しばらく避けていても体力はもつ。
おまけにお兄さんから預かりっぱなしで、今現在着ているとんでもない防御力の上着のおかげで、剣先はかすりもしないんだ。
反撃しないのかって?できない。さらに言えば攻撃はもってのほかだから回避行動しかとれない。
軽く殴ったら相手の内臓、破裂させたら……笑えない。おれの馬鹿力はそれだけの事が出来てしまう。
手加減とか、人間相手にうまくいく自信がない……なんて言ったら師匠にまた、眦を吊り上げた顔で訓練のやり直しだと怒鳴られんだろう。
それでも、師匠。
やっぱり殺意に満ちた相手を気絶だけで済ますのって、大変なんですよ。本能的に戦闘不能にしたくなるんですよ。
師匠みたいになれないし、なれっこないのだって知ってますから。
自分がどうすりゃいいのか、おれは心底わからない。
あなたは心底すごい盾師だ。
どれくらい経っただろう。おれは周囲を見回して、攻撃を避けられ続けて空振り続きで、心身ともに疲労困憊になってきたらしい相手方を見る。
「おれとあんたらじゃあ、話にならないぜ」
修羅場とかをくぐってきた回数ってやつが、絶対に違うと思うんだ。
あんたら一人で武器もなしに、フィールドに放り出された事ないだろ。それも上級魔物がうろうろする所なんてさあ。
「うるさい、怪物が!」
怪物って言ったってオーガとの混血だから、方向性違うんだけどな。
おれは頭をかく。話聞かねえ奴ってホント、話聞かないから困るんだよな。それで怒るんだ。
「だったら怪物が大人しいうちに、なんで落ち着いて話を進められないんだよ」
呆れた声が思わず出ちまう。
公爵令嬢の声を聞いて、一斉に襲い掛かってきてますけどね。あんたら、もうちょっと考えられなかったのか。
仮に怪物だったとしてどうして、こんなにおとなしいのか考えられなかったのか。
誰一人殺していないっていうこの現実を、お前たちはどういう風に見てるんだよ。都合よく見てないか。
そんな事を思った瞬間に、おれは慣れ親しんだ殺意が迫って来るのに気付いた。
振り返る。
人垣が割れて、一人の男が、歩いてきている。
わずかなざわめき、そして軽蔑に似た畏怖。その男は確かに、恐れられるだろう眼光を放っている。
懐かしい顔が、一層やせこけた頬でおれの方を向いていた。一瞬もそらされない視線が、強い。
その顔を見て、その目の中の、普通じゃないどろりと濁った輝きを見て、おれは師匠が言っていたことを思い出す。
おれの前持ってた盾は魔王の遺物だった。そして魔王の遺物は、普通の奴に破滅をもたらすって。
おれの仲間は周囲を巻き込んで破滅するって。師匠はおれに告げたのだ。
実はちょっと軽く考えてた。さっき聞いた話の中の仲間が、こんな姿になっているとは聞かなかったから。
内臓しか食べないっては聞いたけど、命は残るだろうと思ってたんだ。名誉的に破滅すんだろうと、思ったんだ。
でも目の前の懐かしい仲間は、じきに死ぬ顔をしている。にじむ生気が、すごく薄い。
きっと体の中もずたずただ。そんな事がどうしてか伝わってくる。
おれは膝をつく近衛兵を眺めた後、もう一度仲間を見た。正確には、死に際のような有様の姿のアリーズを。
ミシェルやマーサの姿は見当たらない。
もしかしたら彼女たちは、破滅が迫っていると気付き、こいつに皆押し付けて逃げ出したのかもしれない。
自分の命を守る、それは冒険者にとって一番の事だから、その事を悪いと断言はできない。
それでもさ、おれを棄てて、それから面倒な事になったからアリーズを棄ててって、ちょっとなんだよそれ、って思う。
そうやってすぐに要らなくなるんだったら、最初から仲間にならないでくんないかな。
おれの勇者様と一緒にいられたっていうのに。
その心もちが、ああ、いわゆる嫉妬なのだとおれはやっと合点する。
おれは捨てられた。あいつらは残った。それなのにあいつらはアリーズを棄てた。
ふざけんなって、思うおれは、彼女たちに焼きもちを焼いていたのだろう。
もしくは心の中で、もっと何か別の感情を持っていたかもしれない。
今それに向き合ってはならない。向き合う時間がない。
アリーズは数回せき込んだ。せき込み方が痛々しい音を響かせて、ああ、やっぱりもうじき死んでしまうんだな、とおれに思わせた。
……お前はそう言う風に破滅していくのか。
体を病か呪いに侵されて、蝕まれて滅んでいくのか。
おれが愛した日向の笑顔が、目の裏でおれに向かう。歳の割にあどけない笑い方が、おれの耳に蘇る。
その面影は、今の頬骨の浮き上がった顔から思い浮かぶ事はないだろう顔だ。
今のアリーズは、いろんな意味で濁り切った顔と、目をしている。
……なあ、おれらはあの頃に二度と戻れないで、こうして決着をつけなきゃならないのか。
心の中で呼びかけてしまう。このままおれたちは終わらなきゃならないのかってさ。
でも、相手の瞳の中に、懐かしさなんて何もない。
あるのは殺意だ、狂気だ、そして憎悪だ。
お前が、おれがオーガ混じりだと知ってからいつも投げつけていた瞳だ。
それまでは、人格が変わったけど、割とまともだった。
「お前が背中にいるなら安心だ」
そうやってちょっと大人びた顔で笑ったアリーズ。お前成長したな、と思ったんだ。
でもかっこつけすぎだぜ、と茶化すと、背伸びしたいんだと真面目に言われたっけな。
その声は今でも、おれが大事に抱えてる宝箱の中に入っている。
オーガ混じりだって、話すまでのつかの間の楽しい時間の事だ。
あの言葉を聞いた後からお前は、親の仇よりもっと憎い、そんな声でおれにぶつかるようになった。
「こんな所まで来たか、オーガ混じり。にくい、けがらわしい……」
アリーズが、空気に一音一音、刻み付けるように言う。
知っていたか、お前のそれさ、お前が思っている以上におれにとって痛いんだ。
仲間としての楽しかったころが、頼もしかったころが、笑いあったころが、今の投げつけられる言葉をよけいに鋭い刃にする。
投げられた言葉の矢じりが、おれのまだやわっこい所に突き刺さんだ。
それに気付きもしないでお前は、口を開いておれに言葉を突き立てる。
「こんな所まで来て、何をしに来た……殺されに来たか。ドブネズミのように潜り込んで」
「ちがうなあ、それは」
聖剣を構えるアリーズ。体幹が少しおかしいのが見える。
本当なら、聖剣だって握っていられない位の、衰弱なんだろう。
治療院に入っていないのが不思議なほど、体は無茶をしている。
「お前の方こそ、そんなに弱って、おれを切れるって本気で思ってる?」
「お前ごときを切れないなど、あるわけがない」
『たてしを切る? できっこないってば!』
耳にまた蘇る、昔のお前の声と今のお前の声は、大違いだ。
そして。
「これはきっと、おれへの罰なんだな」
つい小さく呟いてしまう。碌に物を知らなかったおれが、お前をそう言う風に狂わせてしまった。
持っていた盾が、呪われた魔王の遺物が、お前を侵し、豹変させると知らないで、一緒にいたせい。
そして、こうして対峙する事になったのも、おれが最初を間違えたせいだ。
おれがお前と出会わなかったら……お前はあの時死んでいたけれど、でも、こうして苦しめるくらいだったら会わない方が、いいや……
「ごめんなあ、アリーズ」
これしか言葉が出て来なくなっていた。
この言葉に何も答えないで、アリーズの腰が落とされる。来る、とそれだけはわかる。
アリーズが踏み込む。おれとの間が一気に詰められる。振りぬかれる刃、それが光を反射しているのか発光してんのか、ひどく澄んだいろだ。
これに切られたら、一刀両断されかねないとどこかでわかる鋭さなのだ。
おれは腕を交差させて、お兄さんの外套の頑丈さを頼みに、それを受け止めた。
外套の防御術が発動したんだろう。アリーズの剣がぶつかって止まる。
おれでも結構な衝撃に感じるくらいの、剛力。
お前はそこまで、がんばった。
そこまで、技を、体を鍛えた。勇者らしい強さを手に入れようとしたんだろう。なのに。
「おれがお前の近くにいたから、お前をそんな風にしちまった」
師匠から本当のことを聞いた今、おれはお前を憎いと思えない。
腹が立たない。……怒れない。だっておれが引き寄せた。
お前に、その運命を、押し付けた。
「なにをいいだす……?」
アリーズが怪訝な声を上げ、そして軽く飛び退り、また剣を構える。
「どうあれ、どうでも、お前を殺す以外に何がある、オーガ混じり」
呪われし混血、とアリーズが呟くのが聞こえて。
そこから怒涛の攻撃が始まった。
おれはそれを受け止める。何度だって受け止める。
お前をおかしくしたのが、おれの盾だったならば。柔らかい顔でふんにゃり笑うお前を失った理由が、おれの持っていた物の招き寄せた結末なら。
おれは全てを受け止めるさ。
おれはお前を愛していた。何かしらの形で。たぶん、いいや……
いまでも、ずっと。
「命を支払おう」
アリーズが小さな声で誰かに言う。いつまでも斬れない事に、しびれを切らしたんだ。
アリーズの力が増すのが分かる。手に持つ聖剣の輝きが、いっそう増す。
聖剣に命を支払ったのだと、それだけで通じる。
そしてそれのせいで、一層お前の体をめぐる命が薄くなっていくのも、わかっちまったんだ。
おれを殺すために、また大事な物を支払っちまうのか。
そうしてどんどん壊れていくのが、お前の結末なのか。おれの盾がもたらしたお前の破滅。
ぼたっと涙が落ちた。わけわかんねえよ、でも涙が出てくるんだ。
お前がそれでいいと言うなら、おれは。
いくらだって付き合うさ、お前が壊れ逝く前に、おれだけは殺そうと思うなら……
「何を脱いでいるんです! それを脱げば勇者の攻撃を受け止めきれるわけがない!」
おれはお兄さんから借りたままの、砂荒神の聖衣を脱いで放り棄てる。
それを見た砂の神殿の関係者が、悲鳴を上げるのが聞こえた。
うん、死ぬかもな。いや、きっと死ぬよ。アリーズは強いんだ。
防御するものが何もない状態だったら、いくらおれでも殺されるだろう。
命を無駄にするなって、思うかもしれない。でも。
でもアリーズはもう、体、保たない。これが終わったら死ぬような顔をしてんだ。
死相が浮かんでんだよ。こいつおれを切り殺せなくても、この場できっと死んじまう。
こいつ寂しがりだからさ、死んだら一人で寂しくて、死んだら行く世界に行けなくて泣くんだ。道、わかんなくなっちまうんだ。
そしてずっと一人になる。永劫、ひとりぼっちでしくしく泣くんだ。
だから。
「本気で来いよ、アリーズ……おれの勇者」
お前を独りぼっちにはさせない。おれは……遠い昔に約束したことを果たす。
おれは静かに呼びかける。口の中に、丸薬を放り込む。
これで、多少切られても命をつなげる。お前が死ぬまで、生きながらえられる。
おれは……お前が死ぬとき一緒に死ぬよ。お前癇癪起こしそうだけど、一人で泣くよりましだろ?
お前にだったらこの命、どんな道でも付き合おう。それが地獄につながるかどうかなんて、知らない。そうでも隣で手を握ってやる。
……お兄さんはさ、命かけて一緒にいようとしてくれる、甲斐甲斐しい従者さんがいるから大丈夫。
側にいるための魔道具で、手が焼けて融けても、一緒にいようとしてくれるような人がそばにいてくれれば、寂しんぼうはもう寂しくない。
傍においてくださいって言ったけど、おれいなくても、お兄さんには側にいてくれる人がいるんだよ。だからもう、優先しなくていいんだ。
でもお前はさあ、一人なんだよ、これからもこの後も。
ミシェルもマーサも後から入った仲間もいないんだぜ、たぶんこれが真実なんだ。
アリーズは、お兄さんより独りぼっち。
おれはアリーズと見つめあう。
「……」
アリーズは数秒目を瞬かせた後、また迫ってきた。
アリーズの剣戟は鋭くて重たくて、避けきれない時があって、おれの血しぶきが飛ぶ。
痛いな。
でもお前の体だって軋んで悲鳴を上げている。
ぶつかればわかる。体のどこかで剣を受け止めれば軋む振動が伝わる。剣の平を弾けば倒れ込みそうになるその体を見て、弱ってないって誰が思うんだ。
その剣の軌道をずらしているから、なおさらわかる。伝わってくるものがある。
やせこけた体が、本当なら持てない重さの剣に悲鳴を上げている。
おれに刃が届かないせいで、アリーズは聖剣にどんどん、命を支払っていく。
おまえさあ、心底死んでもいいって思ってんだな。
そんな事を思いながらも、おれは出来る限り避けて行く、でも結構体がずたずたになっていく。おれを仕留めそこなうたびに、命を支払っていくアリーズの剣の速度は、ものすごい。勘で逃げてるようなもんだ、もう目視なんてできてない。
アリーズの体がそれに耐えてるという事は、こいつがそれだけ修行を重ねて、……努力を積み重ねてきた結果だって分かる。ただの体で、いくら命を支払ったって、これだけの負荷に耐えきれるわけがないんだから。
アリーズの剣の速度は、こいつが血を吐くような努力をした結果だ。
「ふっ」
そんな事実に笑い声がこぼれた。
師匠にしごかれた時だって、こんなに怪我しなかったな。
『相方、おれを使いやがれ、死んじまうだろうがぁ!』
本気の本の姿の、呪いの本が悲鳴を上げた。勝手に何か術を使おうとするけれど、お前に助けてもらう選択肢はない。……巻き込んじまったら可哀そうだ。
おれはこいつを巻き添えにしないために、放り投げた。回避行動が止まる。
それが、向こうの超接近を許してしまった。アリーズの顔が、驚くほど近い。
どっちの目玉の中にも、相手の目玉しか映ってない。
あおいろのなかで、おれは驚くほどきれいな顔で笑っていた。
そしてアリーズは、息をのんだようなあおいろの瞳を、おれだけに注ぐ。刹那の静寂。
それから、少し遅れて体に衝撃が走る。
あ、貫かれた。
体の中に、冷たい金属が通されたのが分かった。おれの背中の筋肉まで貫通して、あばらが何本もおかしくなる。痛みがひどく遠いほど、これは致命的な傷になったのだろう。
経験からそんな事だけはわかる。この傷で、命が助かる事はまずない。
喉から出てくるものに我慢できなくて、でもこらえる。
ここでアリーズの顔を血まみれにしてなるものか。
アリーズが動けないでいた。おれに剣を突き刺したまま、硬直していた。眼が、信じられないと言う色で揺れていた。お前、泣きそうな面だ。迷子みたいな顔してるぜ。
口が、動揺しきった音を紡いだ。
「なぜ、避けなかった」
避けられなかったんだよ、あの距離じゃあ。いくらおれが動けても、あの体勢で回避行動はとれなかった。
たったそれだけなんだよ、アリーズ。
「ん……、ははっなんでお前、急所外しちまったんだよ……」
心臓の鼓動もわかる距離で、おれは血でぬめる手で、アリーズの細く細くなってしまった体を抱きしめた。
ああ、お前の昔と変わらない、……同じ匂いだ。
匂いまで変わってたらどうしようって、ちょっと思った。でも匂いは変わらない。ぬくい匂いだ。
「悲鳴が」
アリーズはおれに抱きつかれたまま、言う。たどたどしい声で、何とか言いたい事を言おうとする声で。
「うん」
「お前を殺せない、と頭の中に悲鳴が聞こえた……」
「ははっ、馬鹿野郎、それはお前の心の声だろ」
お前ちょっとは正気が戻ってきたのか?
それともおれに、いまさらでも未練を持ってくれたのか。
アリーズがおれを抱きとめる。それでも、片手が剣から離れない。離せないのか、もしかして。
「どうしてだ、私はオーガが憎いはずだ」
声が困惑に揺れた。どうしてだ、なぜ殺せないと思ったのだ、とおれを抱き留めて、ぶつぶつ言いはじめる。
「憎くて憎くて、どうしようもないほど殺したくて、どうしてだ、どうしてお前を殺したくないと、思う、手が鈍る、お前を殺さないでと声がする」
「……仲間だったからじゃねえの」
せき込んで、せりあがってきた血を吐けば、それがアリーズに飛び散る。
ああ、汚しちまった。
でも流石オーガ混じり、こんな致命傷一歩手前でも、まだ喋れんだ。
おれは自分の頑丈さに感心する。痛みはやっぱり完全に麻痺しているからか、感じない。
アリーズの体温と鼓動だけを感じている。
おれの大事なやつのすべてを、感じている。
「憎かったはずだ、殺したいと、切望したはずだった、そのためなら何だってどうでもいいはずだった、そうでなければならないと、ならないと……どうして殺してはならないという声がする、お前だけはだめだと声がする!」
アリーズが混乱した声で言う。まるでその思考が、誰か外野に植え付けられていたかの様だ。ああ、きっとおれというオーガ混じりを殺すから、いつからか押し付けられたそう言う物が、少しずつほころび始めたんだ。
こいつはおれを殺す事に、疑問を抱いたのだ、ここでようやく。
「だって自分の命だって失って構わない筈だった」
勇者様の声が呆然とした音のまま続けられていく。そうだな、お前は刺し違えてでも殺そうとしていた。殺意があった。憎悪があっていろんなひどい感情があった。
それはおれと殺しあう姿勢から感じ取れた。お前は命を失ってでも、おれを殺そうとしてたんだ。
「そうだな……おれを切ったから、ちょっとは周りが見えるようになったんじゃねえの」
条件が満たされた時、制御が弱まる術があると俺は知っている。
アリーズにかけられていたのは、きっとそう言う物だと思う。
ここまでくれば、オーガへの憎悪がアリーズの持っていた物じゃない事くらい気付くさ。それがおれの持っていた盾にもたらされたものなのか、もっと外部からもたらされたものなのかはわからない。
今聞くアリーズの声は、本当に、憑き物が落ちたような色の声をしていたんだ。
「なんで、なんで、なんで……」
アリーズが小さな声でわめくように言う、なんで。
それは聞いた事のある言い方だった。昔とおんなじ、駄々っ子に似た喋り方。
「なんでたてしを、殺さなきゃならない」
きっとそれは、やっと絞りだせた声だったんだろう。
おれは遠のく意識の中、あたたかい水が頬にかかるのを感じていた。
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「驚いた」
ララは苦々しい声でそう呟いた。ドリオンの配下の数名が、とある調書をまとめてきたのだ。
帝国の勇者だったアリーズの人格などに対する調査だ。
きっかけは、ララが引き取った勇者の仲間、シャリアとの会話だ。
「お前は変だと思わなかったのかい」
「何をでしょう」
お使いも終わらせて、たまにはいい物でもあげようかと、ララの私室に招いた時の事だ。
シャリアは以前の性格などまったく感じられないほど、まっすぐな少女に矯正できたので、問いかけたのだ。
この娘は、素質はまともだったのにどうして、アリーズたちといただけであんなにもろくでもない風になったのか。
「盾師にたいする仕打ちの事だよ。いくらなんでもおかしいと思わなかったのかい。それとも、最初からアリーズはあんな風な扱いをしていたのかい」
「……」
シャリアは視線を巡らせた。ララの瞳がかすかに光る。彼女の良く見える瞳には、少女に何か暗示に似たものがかけられていた痕跡を映す。
だがそれが決定的に何かは読めなかったので、問うのだ。
「私が仲間に入った最初は……普通だったんです。よくじゃれている、言葉遊びが好きな勇者と真に受ける盾師と。仲良しでした」
「だったらどうして、あんな目に合わせるようになったんだい。それもギルドに通報されるような不名誉な仕打ちを」
「……」
シャリアが思い出そうと顔にしわを寄せる。ややあってから、彼女はそう言えば、と言った。
「そう言えば……お姉ちゃんが、オーガ混じりって自分の事を喋ったんです。頑丈なのだからだよって。そうしたら……」
彼女はうまい言葉が見つからなかったのだろう。だが慎重に喋る。足りない説明がないように、丁寧に。
「アリーズはいきなり、すごい殺意を噴き上げて、それからすごい憎くてたまらないっていう目になって、ひどい言葉をどんどんぶつけていって……」
お前は汚らわしいオーガの血が混ざっていたのか、そんな事を言わないでいたのか、私たちを騙してせせら笑っていたのだろう、何ておぞましい、お前のような奴は迷惑だ……
「だんだん、頭がぼうっとしてきて……お姉ちゃんが憎くてたまらなくなって、騙されたって思って苛々して来て。そういえば、どうして、そんな風に思うようになったんだろう……」
気付いたらああなったのだ。気付けば憎かった。道具以下のように思っていた。
「……アリーズはオーガが親の仇か何かだったのかい、それとも一族郎党皆殺しにされているのかい」
「そう言った話は聞かなかったような」
あやしい。
「……法的な問題が大きいと判断して、ジョバンニに殆ど任せるべきじゃなかったね、これはおそらく私の側の案件だった」
ララが苦い声で言った。これは数多の術を見破る、ララが担当するべき案件だったのだ。法的な物だとジョバンニに大半を任せるべきではなかった。彼女は自分の失態に苦い気持ちを抱く。
「何かが決定的におかしいよ。この話。シャリア、出来る限り時系列をまとめて文章にしてくれないかい、その出来事を順番に。後からそれに対して質問もするから、忘れないようにしておくれ」
ララはこの時、義のララとして勇者アリーズの素行調査などに乗り出す準備を始めた。
そして手始めに、帝国の支部の配下を動かし、アリーズの幼少期からアシュレに来るまでの素行を調査させた。
その結果が来たのは数日前、さらに新たに調査書が来ている。彼女の配下は優秀だ。
「まさかアリーズが、育児放棄と虐待を受けていたとはね」
人間を憎むようになるならまだわかる。そんな事が書き連ねられた、最初の調査書は、気分の悪くなることも書かれていた。
アリーズは帝都で、不気味な子供だと扱われていたらしい。色々な物を予見し、それが恐ろしいほど当たる子供。誰も知らない失せ物を当てる子供。嵐の前触れを告げる。
時に呪いに歌いかけ消失させ、死にかけた獣に手を差し伸べ生きる力を与える。
報告書で読むだけでも、空恐ろしいほどの力を宿していたとわかるアリーズは、家族から不気味がられ、放置され続けたらしい。
喋れるようになってから、母親はアリーズ以外の兄弟にしか眼を向けなくなり、父親は事あるごとに彼を酒瓶で殴りつけ、普段はアリーズの忠告を無視し、自分に都合が悪いときのみなぜ言わなかったと八つ当たりで蹴り飛ばす。
食事も碌に与えられなかったという情報まで入ってきた。
ときに金がなければ、暴力の対象として一時的に売ったりもしていたという。
「よくまあそれで、あの年まで生きられたものだ」
それでも生き続け、アリーズは職業診断のために神殿に向かい、勇者だと告げられた。
その頃の性格を知る知り合いは、口をそろえてこういう。
「『あんな目に合っているのに、邪気のない明るい青年で、ちょっと頭が抜けてる。悪と言う物に染まらなかった事も、残酷な性格に育たなかった事も奇跡のような気性のいい青年』ねえ……」
姉弟にすら顧みられず、時に奴隷のように扱われても、笑顔を絶やさなかった青年。時折誰もいない場所に話しかけ、歌いかけ、鏡に話しかけ、知っている人間はこう続けるのだ。
「『心が成長を止めてしまったのかもしれない。あまりにも子供っぽい部分も目立つ』……確かにそれは、マイクたちの話にあるアリーズのとの共通点だわね」
ララは調査書をめくっていく。
「帝都を出た後の消息は、アシュレに至るまで全くない……その間は盾師とずっと一緒だったという話をしていた……おかしいね、やっぱり。どこにもオーガへ憎悪を抱く要因がない」
だがシャリアはアリーズの、オーガへの憎悪を語った。誰しも目に見えるほどだったというそれ。
あきらかに、おかしい。何かが働かなければあり得ないものがある。
それまでの仲間を残酷に扱うようになるほどの、豹変の理由が、素行調査で見当たらない。
「アシュレに来た当初から……結構な数、二人だけでミッションをこなしているのね」
ぱらぱらと調査書をめくっていく。二人が親しく語らう事も書かれており、足りないものを埋めるようにアリーズは盾師に構っていたという。
それが変わったのはいつか。
マイクの報告書はそれがとても明確な日付で書かれていた。
「聖剣を持ったその日のうちに、アリーズの口調が変化。盾師との距離感も若干の変化。ここで神殿が付けた仲間がミシェルとマーサ。盾師が引っ張ってきたシャリア……」
そこから数週間は、四人でまともな生活をし、ミッションも連携をとっていたらしい。
機嫌のいいアリーズの事を、覚えているものも多い。シャリアもその当時は、楽しそうにお姉ちゃんと盾師にじゃれついていたいう目撃もあった。
「……やっぱり、“オーガ混じり”という単語で豹変する理由が一切ない。……でも聖剣を持ったその日のうちに、アリーズの口調が変化してるんだよね……たしか神殿が持ってきた聖剣だ。ん……神殿が仲間をその時に二人も紹介する……臭うね」
ララは配下を呼んだ。そして新たな命令を下す。
「ミシェルやマーサの事を調べておいで。情報が足りないんだ」
「はい、ララ殿」
「承知、ララ様。……そうだ、帝都の仲間が漏らしていた事なのですが……」
配下の一人が思い出すように言う。
「マーサは差別意識などの人格に問題があり、神殿で昇格が出来なかったという噂があるそうです」
「それも詳しく調べておいで」
何かある。神殿はアリーズに何かした。
それだけは、もうララでも読めるものだった。
「ララ姉貴」
配下が出て行ってから、執務室の扉が叩かれる。現れたのはドリオンだ。
彼はなんとも言い難い顔で、一つの書類を持ってきていた。
「新しい情報だ、公国でアリーズが目撃されている」
「じゃあ公国にも何人か連絡するかい、本人と多少接触すれば何かもっとわかるかもしれない」
「それが……公子の婚約式でオーガ混じりが侵入していたという事で戦闘があり……」
「あり?」
「オーガ混じりを殺して、その亡骸とともに失踪したと」
「なんだいそれは」
「俺もいいたい。オーガ混じりを聖剣で突き刺したというところまでは、目撃者の話が一致するんだが、その前後が問題なんだ」
「問題だって?」
一体いかような問題だ。ララが眉を動かすと、ドリオンが報告書とともに話し出す。
「突き刺した途端に、アリーズから何かが消え去ったと証言する聖職者が多数。突き刺すほんの一瞬の間に、オーガ混じりとアリーズの間にただならぬ仲を感じた配下複数。
突き刺した後に、アリーズは混乱状態に陥り、オーガ混じりが笑って抱きしめたという証言大多数。……どう考えてもこれは、アリーズとそのオーガ混じりがお互いに憎みあうはずのない仲だったという報告なんだ」
「貸しな」
ララも報告書に目を通す。数多の配下や知り合いからの証言は一致して、アリーズとオーガ混じりの強い結びつきを語っている。
「聖剣っていう物自体が妙に怪しいね」
「ララ姉貴もそう思うか。俺もだ」
「聖剣はどこの神殿が持ってきたんだっけ?」
ララが立ち上がった時だ。
「ララさん!」
扉を叩く余裕もなく、シャリアが慌てふためいた声とともに入ってきた。
「どうしたんだい、ノックはきちんとしなさいって教えたじゃないか」
「アリーズが!」
「は?」
ドリオンが怪訝な声をあげることに被せるように、シャリアが叫んだ。
「勇者アリーズ、今ギルドの受付に自力で転移してきました!!!!」
「はあっ!? ここは姉貴の結界の中だぞ!? 普通の能力でここに跳べるわけが」
「急いできてください!!!」
シャリアはそう言うと、身をひるがえして階下へ降りていった。
「行くしかないね」
ララは言いながら立ち上がり、ドリオンを引き連れて急ぎ階下へ降りていった。
+++++++++++++
少し時を巻き戻そう。
アシュレでも指折りの実力者をそろえるギルド、三柱のギルドは今日もにぎわっていた。
そこで聖騎士ディオクレティアヌスは、ドリオンから下った命への報告書をかき上げ、数日ぶりに休息している所だった。
「それにしても……お前もあの現場に居合わせたのは大変だっただろう」
受付の休憩時間なのだろう。マイクがいつも通り気遣う声で話しかけてくる。
ディオは頷いた。
「まあ、生徒たちの蛮行の目撃者としていろいろ聞かれてしまった。あれだけ、生徒が何も悪くないと言わせようとする姿勢は、どうかと思う中身だったな」
「だよなあ。隠者殿が死にかけるような攻撃をそれも複数で行っておいてな」
「……ただ問題は、その隠者殿が中途半端な記憶でここから連れ出されてしまった事ではないだろうか。大きな騒ぎはまだここまで届いていないが、やっぱり心配になる。……盾師が気にしていたから」
「お前もナナシが大事だよな。一遍振られてんだろ?」
「振られた事と思い続けることは方向性が違う。たとえ一緒に歩けないと言われても、思うのだけは別だ」
「あー、お前みたいな優良物件のいい男がなんでまた、他の女性に眼を向けないであいつ一筋のままでいるんだか。あっちこっちでお前を紹介しろと言われんだがな」
「無理だ、俺は思い続ける。女性たちに不快な思いをさせてしまうのは嫌だ」
「まったく。で、お前に新しいドリオンさんからの命令は?」
「とりあえず待機という事になっているんだ。マイクさん、今日は飲みに行きませんか」
「おお、ざるな俺に誘いをかけてくれる後輩っていうのは、いつでも気分がいいな!」
そんな会話をしていた時だ。不意に……不意にギルドの受付の周囲に、何かが漂ったのは。
「ん?」
それは鈍感な人間でもすぐに気付くほどの、異質な何かだった。
それはばりばりちりちりと、稲光に似た音ではじけ、冒険者たちが各々武器を構え始めた時にそれは起きた。
室内に特大の雷が落ちたような音がしたのだ。
だがその衝撃波はどこにも被害を与えず、瞬間的にすさまじい光がほとばしったような物だった。
なんだなんだ、と冒険者たちが困惑し、光りが消えた後、その中心部に誰かが座り込んでいた。
強い血の匂いが鼻を突く。
「……おい、まじかよ」
「ララさんの結界破りやがった」
「誰だそんなの」
「魔物じゃねえよな……?」
「というか、あいつ死人じゃねえか、あんなやつれ果てて」
「誰か顔見知りいるか?」
「わからねえ……」
眩しさでくらんだ目が回復した誰かが、しばらくしてから戦いたように言う。
「アリーズじゃねえの」
そう。そこに座り込んでいたのは、アシュレで誰からも嫌われるようになっていたアリーズ本人だった。
ディオが動いたのはそこから早かった。すぐさま剣を引き抜き、アリーズに突き付けたのだ。
経験の差が違っていたからだろう。アリーズが何か危害を加える前に、行動を制したのだ。
そしてディオは、間近で見る今の勇者の凄惨さに、驚きを隠せなかった。
死ぬのではないかと思うほど、やせこけた体。衣類こそまともなものだが、来ている鎧で骨が折れてしまいそうなほど骨が浮き上がっている。
頬骨がくっきりと見えるような顔の中で、瞳だけが恐ろしく澄み渡っている。
その澄み渡った、言葉をかけるのをためらうような透明なあおいろが今は、涙でぐちゃぐちゃだ。
鼻水もたらし、顔から出る物全部出しているようなすごい顔で、アリーズが口を開いた。
「たすけて、おねがい!!!!」
こいつ誰だ、と誰もが困惑する喋り方だった。アリーズはこんな風に話しただろうか、とディオでさえ記憶をあさるほど、その物言いは最近のアリーズらしくなかった。
こいつは、一体誰なんだ?
誰しも疑問を抱く中、アリーズらしき男が泣き叫んだ。
「たてしが、死んじゃう、たすけて、ぼくじゃあだめで、たすけて!!!!」
ディオはそこで、アリーズが死に物狂いで抱きかかえている盾師に気付いた。
彼の姿やらしからぬ言動で、意識するのが遅れてしまったのだが、その腕の中には急所近くを剣で貫通されて、意識を失っている盾師がいた。
そしてその剣はアリーズの持っていた物のはずだ。その剣を、アリーズは今も握っている。
ディオは湧き上がる怒りのまま怒鳴った。
「お前は今でもナナシを殺そうとしたのか!」
「いくらでも怒鳴っていい、怒っていい! 間に合わなくなっちゃう、剣が抜けなくて、腕がぬけなくて、おねがい、おねがい!!!」
殺意のこもる怒鳴り声を浴びながらも、座るのでやっとの体で、アリーズが叫ぶ。床に頭をこすりつけて、やはりぐちゃぐちゃの声で泣きわめくようにいう。
「たてしを助けて、ディオクレティアヌス!! 僕の腕なんかどうだっていいから!」
「誰か治癒師引きずってこい! 隠者の狗が死んだらまた大ごとだ!」
我に返ったマイクが叫び、受付嬢が走り出す。近くを通りかかったシャリアが目を見開き、彼女を見つけたマイクがまた叫ぶ。
「ララさん呼んで来いシャリア!」
「はい!!」
シャリアが身をひるがえして走っていく。治療用の物がどんどん持ち込まれる。その間に、ディオはアリーズの握る剣を何とか抜こうとした。
止血するにしても何にしても、この剣を抜かなければ始まらないのだ。
だが。
「誰か手を貸してくれ、抜けない!」
「たかだか一本の剣だろう!」
盾師の小柄な体に深く埋め込まれた剣は、全く動かないのだ。アリーズ本人も抜こうと足掻いているのだが、全く動かない。
「剣の柄を握ってぬいちまえ!」
手を貸し、しかし抜けない事に舌打ちした武闘家が怒鳴るが、それに被せてアリーズが叫んだ。
「この剣に触っちゃダメ!! 死んでもだめ!!!」
鬼気迫る声だった。その剣に何か、よくない物があるとありありと伝わる声だった。
「ディオ!」
アリーズが叫ぶ。己の腕をじっと見つめて。狂気の一歩手前の光を、瞳の中で揺らめかせて。
「これたぶん、僕の命とつながってるから動かせないんだ! 腕を切り落として、そうすれば抜けるかもしんない!」
ディオはその言葉に絶句した、こいつは今なんて言ったんだ?
勇者だろうが何だろうが、利き腕を切り落とすと言うのは致命的なものだ。
マイクのように速度重視の戦いをしていた戦士が、足を切り落とすのも致命的だが、腕はもっとそうであるはずだ。
その腕を切り落とせだと。本気で言っているのか。
ディオはアリーズの眼を見た。
迷いのない瞳がそこにあった。泣いてわめいてみっともなくなっても、それは誰かを救おうと死に物狂いになる気質が浮かんでいた。
腕を一本喪う事に、ためらいなどまるでない。
「だれかアリーズに猿轡はめろ、舌を噛んで死なれたら面倒だ!」
マイクが指示を飛ばす。こう言った物になれていたのは、やはり経験の差だろう。十年冒険者の第一線として動き、引退した後も数々の修羅場をくぐった男は違う。
アリーズが猿轡をはめられる。ディオは瞬間迷ったが、本人が早くしろと視線で言うので、剣を一閃させた。
何度行っても嫌な気分になる感触。そうしたとたん、剣はずるりと引き抜けた。
アリーズの言った事が、正解だったと言わんばかりの結果だ。
それを見届けたアリーズが、ふっと笑ってそのまま目を閉ざした。
「こいつどうする、捨て置くか?」
武闘家が呟く。アリーズはあまりにも悪名高い勇者であり、嫌われていた。
そのためこういう反応をされたのだが、それに待ったの声がかけられた。
「生かしな。そいつには聞かなきゃいけない真相ってものがあるんだよ!」
階段を駆け下りてきたのだろう。ララが鋭い声で命じたのだから。
そこで治療班が飛び込んできて、止血などを始めた。そして担架を使って、急ぎ治療室に盾師と勇者を運んでいった。
「ララさん、どういうことです、あいつはこのギルドの名を汚した」
誰かが言う。ララはその真実を見る瞳で、苦い声で言った。
「……どうもそれが、本人の意思じゃない物の結果らしいんだよ」
「は?」
「真実を知るためにも、あの男を生かして話を聞かなきゃならない。盾師もそうだよ。……マイク、ここに来るまでに聞こえていた、あのみっともない泣きわめきかたに、どうやら覚えがありそうな顔だね」
「……」
「覚えがあるんですか、マイクさん」
誰かが言う。マイクは視線をわずかにそらした後、静かに言った。
「聖剣を持って人格が変わる前のアリーズと、おんなじ喚きかたですよ、ララさん。あいつはいつもそうだった。泣いてわめいて混乱して、でも絶対に本当のことを間違えない。盾師のためにすべてをなげうつ」
封印の力が強い火ばさみで、腕ごと剣を封印袋に入れている回収班を見ながら、マイクはもう一度言った。
「あれは昔のアリーズそのまんまです、ララさん」
「……昔ってなんだ、マイクさん」
ディオの声に、マイクが言う。
「あいつはアシュレ出身じゃない。帝国から派遣されてきた勇者だってのは知ってるな? あいつは……ナナシと二人である日アシュレに現れた。その時から、聖剣を持つようになるまで、あんな風に喋ってあんな風に泣いて、怒って、でも絶対に」
「絶対に?」
「己が守るべき場所では、ナナシを守る姿勢で立ち続けていたやつなんだ。今の彼奴はまるで悪い夢から目が覚めたみたいに、あの頃とおんなじ色の眼をしやがった」
「眼の色?」
ディオはその、子供のように喋り泣きわめき、怒るアリーズを知らない。彼の知るアリーズはしっかりとした責任のある大人であり、自信に満ち溢れた勇者だった。
そして盾師を捨て駒のように扱っている男だったのだから。
そのためマイクのいう事が理解しがたかったが……ララが頭に手をやり、言った。
「やっぱりね。あの魂は呪われた何かに、何もかもを奪われていた魂そのものだった」
盾師の治療は簡単な物で、傷が剣による切り傷だけだったが救いだった。
大量の切り傷や、急所を貫通する傷は鋭利な刃物で切られていたからこそ、くっつけるのがたやすかったのだ。
だが問題は加害者であるアリーズで、まず体の衰弱がひどすぎて治癒の術がうまくかけられない。
腕を一本切り落とした事で、そこから炎症を起こし熱も出してしまって、さらに弱り果てた体は薬を受け付けない事も多かった。
何とか栄養になる水分を与える事で、やっと命をつなぐ状態になっていたのだ。
そんな状況が丸三日、そこでついに盾師は目を覚ました。
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まだ生きている、と言うのが信じられなかった。おれが生きてんならアリーズは生きてんのか?
なんだか見た事あるような天井は、アシュレのギルドの建物の中だとおれに知らせて来る。
なんでここにいんの、おれ。
寝台に寝ていたらしい体を起こすと、少し体の中が痛くなった。あ、治りかけだな……おれの中身。
それはいい。置いておこう。まずはアリーズの状況だ。
起き上がって立ち上がり、それだけでふらふらした体に鞭打って、おれは扉を開けようとした。
そこで扉が開いたから、開けなくて済んだんだけどさ。
「あなたもう立てるの!?」
ギルド直属の治癒師の紋章を持った女性が二人、おれを見て目を見開いている。
おれはつばを飲み込み、問いかけた。
「ありーずは……」
「だめよ、あなた血が足りなくて動けない筈なんだから!」
「アリーズは!? あいつは、あいつを先立たせてしまったのかおれは!」
彼女たちにつかみかかろうとして、膝から力が抜けて動けなくなる。
「くそっ、なあ、おれはまた間に合わなかったのか!」
「落ち着いてください、ね、人の話を聞いてください」
女性が言う。おれは彼女の襟をつかんだ。
「あいつのことを早く教えてくれ!」
「二人で同じ事言うのね……」
おれの言葉に、掴んでいない方の女性が呟く。
「アリーズの方も、あなたと同じで、目を覚ました途端に盾師を殺してしまったのかって叫びだして、鎮静剤を打つ事になったの。起きるたびにそれだから、もう大変で」
「今じゃディオさんが相手してるわ。体力があってケガさせない程度の手加減が出来るし。でもアリーズって、あんな強くてがむしゃらな人だったのね」
「生きてんのか!」
あいつはあんなに死にそうな顔してたのに、助かったのか。
彼女たちの言い方はまさにそれで、おれはほっとして涙が出そうになった。
「よかった……あいつ死んでなくてよかった」
「でも彼も、結構危ないのよ。大人しくしてくれないから」
「起きるたびに探しに行こうとするの。ジョバンニさんなんかもう、同じ病室でいいじゃないかって言いだしてるくらい」
「でも……アリーズってオーガ混じりって事であなたのこと、すごく軽蔑してたじゃない? 一緒の部屋って万が一の事があったらと思うと、出来なかったのよね」
あんな状態を見なかったら、私たちアリーズの事もっと軽蔑してたわよね……と顔を見合わせる二人。おれはそこでやっと、聞けた。
「公国にいたはずのおれがどうして、アシュレに戻ってきているんですか? 誰か回収しに来たんですか?」
「アリーズがララさんの術を捻じ曲げて、ここに転移してきたの。驚異の技よね、あれは」
「どうしてアリーズが、勇者を冠していたのか一端を見た気がしました」
「人間技じゃないわよ」
「勇者は人間を飛び越えるってあれ本当だったんですよね……結界が軒並み引き裂かれてずたずたになって、雷鳴みたいに彼、現れたんですから」
女性二人はそれを思い出して蒼褪める。
まあ、ララさんの結界は厳重なものだ。ギルドを守る幾重にも重なる結界は、一般的に破れない。
それを引きちぎっただろうアリーズに対して、恐れがあっても変じゃない。
「……あいつ友達多いからな……」
おれは彼女たちの言い方で、なんとなくアリーズの力だけじゃない何かを察した。
あいつのたくさんいる友人と言う名の……ぶっちゃけ超常的存在が、正気に返ったアリーズの願いを叶えたんだろうなあと。
おかしくなるまで、あいつの声聞きたさに、そう言った友人が夜中の窓辺に来ていたらしいし。
おれは窓辺で眠りこけてるあいつに、毛布を良く乗せたっけなあ。
「とにかく。ちゃんと立って歩けるようになるまでは、あなたは看病されてくださいね!」
びしっと指を突きつけていう女の子に、おれはもろ手を挙げて降参する事にした。
抵抗した方が話が面倒くさくなりそうだったから、である。
そして三日も経たずに立って歩けるどころか、全速力で走れるようになった結果、おれはアリーズの病室に呼ばれる事になっていた。
ララさんが事情聴取をしたいらしい。
なんでだ、と思いながらも、アリーズの豹変に関して、おれが知っていることを言わなきゃいけないと判断されたんだろうな、って感じた。
入れ替わり立ち代わりやって来る、お見舞い客の皆が、口をそろえて
「アリーズの人格が別人みたいになってた」
何て言ってたからだ。おれはそれが、おれの持っていた魔王の遺物の盾のせいだと知っている。
でもほかの皆は、それを知らない。おれがアリーズのためにその事実を言わないと、あいつは不名誉なままなのだ。
このアシュレでだって生きていけなくなっちまう。
病棟の扉を叩くと、入っておいでと声がかかる。そこを開けて、おれはアリーズはまだしばらく、ベッドの住人でいるしかないんだろうと判断した。
ベッドで薄く目を開けているだけのアリーズ、椅子に座るララさんにドリオンさん、筆記のためかシャリアもいた。
難しい顔をしているディオやマイクおじさんまでそろっていて、きっと話を聞く人間が多い方がいいという判断だろう。
おれも椅子に腰かけて、そこからララさんの事情聴取が始まった。
彼女直々かよ、と思うかもしれない。だがアリーズの素行はギルドの信用にかかわる結構な問題だったから、嘘を見抜く瞳のララさんが行うものなんだろう。
「ナナシは、こっちの豹変の原因を知っているね?」
「はい、おれの持っていた盾のせいでした」
怪訝な顔になるララさんに、おれはいう。
「おれの……師匠から一人前になったことで渡された盾だったんですけど、それが魔王の遺物だったんです」
からん、とシャリアが驚いて筆記道具を落した。マイクおじさんがさらさらと何か書き留めている。
「それは本当か?」
「アリーズがおれからむしり取ったその盾を、魔王の遺物として公国に渡した事からも事実だと思うけど」
「確かに、公国は魔王の遺物を手に入れたとの報告が上がってたね。お前の持ち物だったのか」
「……で、その盾をおれからむしり取ると、取った奴は破滅するって師匠に言われたんです。……魔王の遺物って、近くにあるだけで精神とかに悪影響を及ぼしちゃうって聞いてたんで……アリーズ変わったのそのせいだと思うんですけど」
「ちがうよ」
おれの言葉で、難しい顔をしたララさんたちに、ひどく穏やかな声がかけられた。薄目を開けていたアリーズの言葉だった。
「僕が僕の体を動かせなくなったのは、神殿から聖剣を渡された時なんだから。その前までずっと盾師と一緒だったけど、悪影響なんてどこにもなかった」
「……は?」
驚いてしまうおれとは違い、ララさんたちはそうだろうと言う顔だ。
「盾師の報告よりも、そっちの方が正しそうだね、何しろ目撃者の言っている事と一致する」
「……え? だってお前、責任が増えたからしっかりするようにしたって言ったじゃないか」
「その発言自体が、聖剣による支配だったんだよ」
ララさんが苦い声で言い、アリーズに聞く。
「具体的にはどう変わったんだい」
「握った瞬間から、僕は体の中から、自分じゃないものが喋って行動を起こすのを見るしかなくなりました。体を取り戻そうとしても、全くできなかったんです。たてしが、オーガ混じりだと言ったとたん、その僕じゃない物が一気に、たてしに殺意とか悪意を向けるようになって、暴行を加えるようになって」
アリーズは顔をそらさないまま、静かに言う。
「何とかしなきゃ、と思って思って、でもできなくて、最後の最後、シャリアが転移術に失敗した時」
シャリアが息をのむ。
覚えているんだろう。おれが役立たずだとシャリアに、未修得の転移術をかけられたあの日の事だ。
「友達に助けてもらって、本当は体がひき肉になるはずの術を捻じ曲げてもらって、僕じゃない物が追いかけてこない場所に、たてしを飛ばす事ができて……その後ずっと、意識がぼやけて……公国で、意識がはっきりした時、僕の体はたてしを突き刺そうとしてたんです」
おれは言葉が出なかった。お前はそんな状態で、それでもおれを助けようとしてくれたのか。
「じゃあお前は、それまで自分がやったことを全く覚えていないのかい」
「いいえ。ただ見ている事しかできない状態でした。だから罰を受けても仕方がないと思ってます。どうであれ、やった事はやった事。自分の体の犯した罪ってものがある」
声は震えていた。でも曲げるつもりはないんだろう。
「アリーズのいう事を、ララ姉貴は真実だと思うか」
ドリオンさんがここで問いかけた。ララさんがちらっとそっちを見てから頷いた。
「帝都の大神殿の、地下の封印蔵から、とあるものが紛失したという知らせが、数日前に届いただろう、ドリオン」
「ああ、呪いの品だと言う話だ。見つけ次第厳重に封印してほしいとの」
「一致するんだよ、アリーズの持っていた剣と特徴がね。さらにそれを持った時に、どうなるか。症状がいちいち、アリーズの変貌と合致する」
「でも、あれ、神殿の人が僕のためって言って持ってきた剣で」
アリーズが怪訝な声で言う。持ってこられた剣が、盗難されたなんて信じられないだろう。
「そこから何か陰謀があったんだろうけれど、お前……」
ララさんが目を細める。奥の方まで見透かすような瞳をしてから、彼女が告げた。
「勇者じゃないね。お前は神と語らうもの、“かみおろし”だ」
その言葉にいち早く反応したのは、ドリオンさんだ。
「姉貴、それじゃおかしすぎる。かみおろしは、神殿が欲しがる職だ。呪いの品物を与えて殺そうとする相手ではない。もろ手を挙げて迎え入れる職のはずだろう」
「歳だよ」
「え?」
「普通かみおろしは、おさないうちに発見されて、神殿に囲い込まれる。世間知らずにするためにね。だがアリーズは職業判断の適齢期、十五を過ぎてからそれが発見された。つまり、神殿の都合がいいように、言いくるめられない歳なわけだ」
ララさんが皮肉に笑う。
「神殿によって対応は違うが、つまり。神殿の権力者に歯向かえるだけの常識を手に入れたかみおろしは、神殿の権力図を塗り替えられる。甘い蜜をむさぼっていたような輩が、恐ろしがるものさ。おまけにほかの神殿が手に入れられないように、あらゆる手段を尽くす」
ララさんが静かに言った。
「アリーズ、言いたくないけどね、お前は殺されるためだけに、アシュレまで送り込まれてきた被害者なんだよ」
更に言葉は続いた。
「そしてアシュレで死ななかったから、体を乗っ取り破滅させるような、呪いの品を渡されたんだ。盗難届によれば、その剣を握ったが最後、どんな人間も破滅するいわくの品らしいからね」