儀式=ふるくふるい約束の形
玉座の前に、どう見ても石に突き刺さった剣にしか見えないものが、運ばれてくる。
大神官様が祝詞を唱え始める。
それを聞くに、その剣は誓いの剣と呼ばれる、沙漠で大事にされている剣であるようだ。
最初に結婚という形を成した男女が、その剣に誓った事が始まりだと、祝詞の中身で知る。
「では、双方。剣を握り婚姻の約定を誓いなさい」
大神官様が促し、ご令嬢がうれしそうな顔で手を伸ばす。
お兄さんも手を伸ばす。
いや、だ。
いやだ、いやだ、何で嫌なんだ、どうして?
心のなかで叫んだ、おれの馬鹿な部分をねじ伏せて、おれは儀式を見届けるために目を開けていた。
無意識のうちに握りしめた手、たぶん爪が皮膚を突き破って肉に刺さった。
痛いから気付いた。でもそんなのだって、見届ける障害にしてはいけない。
おれは傍にいるだけ、傍にいたいだけ。
お兄さんと形のあるものになりたいわけじゃない。
それは決して嘘じゃない。おれは傍で守りたいのだ。
愛した相手は一人だけ。お兄さんじゃない。
確かに心臓の隣を許しても、決定的に向かう心の方向が違う。
心臓はただいつも通りの鼓動を刻み、いよいよ二人が剣を掴むと思った時の事だ。
動体視力に自信があるこの両目が、剣から稲光が空へほとばしったのを確認した。
その勢いは、並の雷とは大違いだった。
お兄さんも、ご令嬢も、それの圧力で弾き飛ばされる。
「お兄さん!」
おれはお兄さんに、一目散に駆け寄った。まさかこんな事が起きるとは、思ってなかったんだ。
「大丈夫?」
「誓いの剣に、雷が落ちたように見えたが」
「おれには、剣から稲妻が吹きあがったように見えましたよ」
「どういうことなの」
座り込み、誰かに支えられたご令嬢が呟く。
大神官様が、面白そうに目を瞬かせた。
「おや、おや。剣は誓いを拒否したようです。どうやらほかに誓った相手がいるのでしょう。それもとても古い誓いの力を使って」
「砂の大神官どの、どういう事が言いたいんだ」
お兄さんの問いかけに、大神官様が答えた。
「どちらかが、すでに誰かと婚姻を結んでいると言っているのですよ」
「はあっ?!」
「えっ!?」
流石のお兄さんも仰天したらしい。ご令嬢は真っ蒼な顔になって叫ぶ。
「ありえませんわ! そんな事!」
「あなたの記憶力よりも、剣に注がれた祈りの数の方が正確ですよ。この剣は誓われ、祈られた特別な物なのですから」
大神官様がいい、どうしてかこっちを見た。
「あなたは、覚えがありませんか? 名前を呼び、共に眠り、服を交換するというとても古い儀式を。結婚式などと言う、ちゃちな儀式を飛び越えた、己の魂を贈るものを」
言われて蘇った物がある。最初に寂しんぼうを見た時だ。
お兄さんとはその時、名前を呼んだわけじゃなかった。でも、子犬という呼びかけそれが、お兄さんと呼ぶそれが、お互いしか示さなかったのは事実だ。
一緒に寝るのはよくある事だった。でもその日は、お兄さんが寒くて、おれのいい上着を持って行ってしまったのだ。
おれはしょうがないから、お兄さんの上着を羽織ってギルドの一階まで下りて行って、マイクおじさんに突っ込まれた。
……あれの事、なのか?
違う気がするけれども。いや、絶対に違うと思う。
多分大神官様のいう儀式は、もっと深いものがある。言葉にしてないだけで。
「覚えがあるようですね。その顔を見ると、それが儀式になりうると知らなかったのでしょう。仕方のない事です、あまりにも古い愛のかわし方だ」
ここにいる皆が、何も言えない、ひそひそ声すら出てこない。
「知らなくとも、約定はその時に成立してしまっていますね。重婚の誓いなど、この剣は認めない」
大神官様が、厳格な言葉で、この婚約の契約式は成立しないと断言した。
「なんてこと」
凄まじい形相で、ご令嬢がこっちを見る。
そして彼女がおれを確認して、目を見開く。
そして眦を吊り上げた。あ、近付いてくる。取り巻きらしい女性を伴って。
「……よくまあ、のこのことこんな場所に現れましたね」
彼女の空気は普通じゃない。すごく怒っている。苛立っている。
人に感情を読ませない教育をされていそうな、えらい人の娘が、こんな顔している。
嫉妬なのか。そんな感じの空気だけど。
「泥棒猫がここに忍び込むなんて! お前はあの爆発で死んだはずじゃない! 家を壊したというのに!」
「盾師舐めんなよ、お嬢さん。あの程度の爆発で、死ぬなんて笑止千万ってやつだろ」
とっさに思った事を言うと、それは彼女の怒りをあおるだけだったらしい。
「なんですって! 燃え尽きるほどの火薬だったのに!」
これを聞いた大神官様の、視線がいぶかる物になる。
ちょうどいい、ここでぶっちゃけてしまえ。
家を燃やして、お兄さんにすさまじい賠償金を背負わせたこのご令嬢に、優しくする理由はかけらもない。
「大体、あんた砂の神殿の貴重な文献大量に燃やして、よくここにいられるな。賠償とか全部お兄さんにひっ被せたのか? 公国って恥知らずなんだな」
「な、な、なにを!」
声がひっくり返る。想定外が過ぎたのか。
「おう、言質はとったって何でここで気付かないの? 砂の神殿の大神官様、告発しましょう。そこのご令嬢が、隠者の住処を爆破し、神殿が解読のために渡していた文書を燃やした張本人です」
「……盾師。あなたはまさかこれを予見してここに?」
ここでやっと、話に参加できる程度に、頭が追い付いたらしい。
大神官様が、慎重に口を開く。
「そんな未来予知なんて出来たら、もっと楽に生きてるさ」
肩をすくめたおれ。呆気に取られているご令嬢。周囲は面白がってみている。
でも、焼失したものの重大さを知っている大神官様は、真顔になる。
「あなたが家を壊した、燃やしたという発言を聞き逃すわけにはいきませんね」
「大神官様、何かの勘違いですわ! そこの泥棒猫のいう事に耳を貸しては」
「あなたが言ったのですよ。……公国公爵家次女リャリエリーラ。砂の神殿が持っていた“太古の文書”を焼いたのがあなたならば……砂の神殿はあなたの婚約に祝福を与えるわけにはいきません。砂の神殿の関係者が執り行う、婚姻の契約が最も重要にして拘束力の強い物とは皆、ご存知でしょうが……のちに賠償金の文書を送らせていただきましょう。ああ……死んだからなくなるものではありませんよ? それに、家が追い出したとしたならば、余計にどちらにも恐ろしい事が起きるでしょう」
大神官様が、踵を返す。静かに怒り狂う彼を、誰も止められない。
おれだって声をかけたくないな、と思ったくらいだったのだから。
そして、凍った空気のなか、彼女に追いうちのようにかけられた声。
「リャリエリーラ、一体何をしたのだ? 今聞いただけでも、お前は相当な事をしたらしいが……そこの狗の家を爆破したのか? なぜ、そんな事を」
お兄さんの問いかけだった。