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【二巻発売中!】追放された勇者の盾は、隠者の犬になりました。  作者: 家具付
いかにして盾師と隠者は、己の真理を貫くか
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化物=そうでも変わらない心はそこに。

お兄さんはそのまましばらく、おれを抱え込んでいた。

いったいいつまで抱え込んでいるのだろう、と思った後に、そうだ、と気付く。

このお人は、おれ以外の人に触れなかったんだろう、という現実に。

たしか、お兄さんに宿る寂しんぼうは、触るものを全部凍らせるだけの、強さだ。

さらに今、お兄さんはその力を制御できていないだろう。

目の前の氷の柱の山を見る限り、その推測は事実に違いない。

だって前のお兄さんだったら、こんな事しなかった。やたらめったら凍る力を使う事もなければ、吐き出す事もなかった。

おれが行方知れずになった時くらいだ、凍る力を制御できなかったのは。

なのに、今はこうして、氷を山のように発生させている。

な? 寂しんぼうを制御できてない。

それでずっと、誰にも触れないで、誰も近くに行けないで、傍にいられないでいたんだったらそれは。

お兄さんにとって、他人の体温欠乏症、みたいな気分になるだろう。

隣に誰かいるだけで、その温かさってやつはあるんだから。

抱え込んでいるお兄さんは、そのまま身じろぎもしない。

ひたっすらに、おれが高くした体温で、暖をとっているようだ。

しっかしまあ……


「お兄さん、冷え切って冷え切って、心の奥まで凍っているみたいに冷たい体ですね」


おれはとても冷たい。呪い本の力で体温をぎりぎりまで高くしているから、余計にお兄さんの体温の低さを感じる。

よくこれで生きているものだ、と思う位にお兄さんの体の表面、冷たい。


「暖かい物は皆、凍り付いて壊れてしまったんだ。暖炉の炎に手を突っ込んでも、温度を感じないほど。冷えているんだ」


火に手を突っ込んでも、熱くないってそれどんだけとんでもないんだ。

とても体感したくない事に違いない。

真冬の極寒地だって、焚火は温かいぞ。


「お前は心底温かい……」


とうとう体だけで物足りなくなったのか、お兄さんはおれの頬に自分の頬まであてがいだす。

お兄さんが触っていない所の方が、はるかに少ない状態だ、おれ何やってんの。

一瞬だけそんな突っ込みが、心によぎった。

よぎった後に、しょうがないだろ、これだけ寒がってるんだから、と納得する。

そのまま好きなようにさせていたんだけど、お兄さんが問いかけてきた。


「お前は、人間なのか」


「……」


びっくりした。

うわ、ここでこれ来るの。この質問来ちゃうの。

……その答えを言えない気がした。公国はオーガ混じりを差別している。すごく蔑んでいる。

そんな国の、階級的にはかなり上の身分だろうお兄さんが、オーガ混じりを差別していないとは思えなかった。

記憶があった頃のお兄さんは、そんな事をしなかった。

おれを否定したりしなかった。アシュレと言う街の近くで、種族の差など大した事はないという世界で生きていたからだろう。

でも、この状態のお兄さんはどうだろう。隠者としての記憶も、あの寂しんぼうと折り合いをつけた記憶も、俺との出会いも、何も……何も覚えていない、この人は。

どう、なんだ。

おれが混ざっていると言ったとしてさ。

もしもお兄さんに、蔑んだ眼を向けられたら、おれはきっとすごく、死にたくなるかもしれない。

言えない。黙るしかない。答えられない。答えたくない……それしか、おれは出来ない。

お兄さんには、蔑んだ目を向けられたくない。お兄さんだけには。

おれの一番の人に、その目を向けられる事は、たぶん耐えられない。


「……人間の匂いが、何もしないんだ」


黙ったきりのおれの反応を、どう思ったんだろう。お兄さんが耳元で言う。

言われた中身にぎょっとした。なんでそんなに鼻が利くのさ。

人間は結構、鼻が悪い。それは他の種族と比較したらもう、どうしようもない位だ。

それなのにお兄さんは、お兄さんが感じている事実を囁く。

人間として、ぶっちぎりに規格外な感覚の事を喋る。


「人間の、特有の匂いが欠片もしないのに、見た目はまるきり人間だ、体のどこを見ても、他の種族の特徴がない。……お前は」


お兄さんの顔が見えないまま、おれは言葉の続きを聞かされた。


人を騙す、化け物なのか。


言われて、心臓が止まるかと思った。それ位に、ひどい言葉を聞いた。

おれは、前に自分を怪物だと言った事がある。でもその時と今とでは、状況も違う。

おれを何も知らない、おれと笑った記憶も忘れたお兄さんが、それを言うのか。

化け物、と。いうのか。

否定も肯定も何もできない、何も言えない位に、衝撃だった。

頭の中身が止まったっきり、反応が出来ない。指一本も動かせない。

ただお兄さんの生きている音を聞いていた。


「なあ」


お兄さんが悪びれる事もなく……悪い事を言ったという事も思っていないに違いない声で、言い出した。


「もしそうだったならば、騙すのは俺だけにしてくれないか」


呆気にとられるなんてものじゃなかった。

動かなかった心が、唖然としすぎて動き出したくらいに、変だった。

更には。

俺は騙されて幸せだ、とぶっちぎりで妙な事を言いだす。


「お前が騙していようが何だろうが、温めてくれているのは現実だ。だから。俺が叶えられる願いだったら、力の限り叶えよう。……この温度に触れられるとわかっただけで、一つだけでも凍らせないで生きていけると知った事で、俺は正気で生きられる」


「……お兄さん、」


それ以上言葉は出てこなかった。

あなたは記憶がなくても、知識がなくても、おれを知らなくても、……ねえ、あなたは同じなんですね、そこにあなたは生きているんですね。


言われた言葉の中に、お兄さんの心があった。お兄さんがそこに存在していた。

目が、熱い。じわっと何か出てきた。そしてぼたぼたとこぼれだした。

うれしいんだ。

記憶が戻らないから、おれのお兄さんは死んじゃったんだと、どこかで思っていたのかもしれない。

目の前のお兄さんの言葉とかに、おれが知る人の姿を見出せないでいたからかもしれない。

もしかして、おれが知っていたお兄さんを、何もかも失ったこの人は、もう別の人になったのだと、勝手に思っていたんだろうか。

自分で何を思っていたのか、よく分からないんだけどさ。

その言葉の中に、確かにお兄さんが“在った”。

おれを化け物扱いしようが、なんだろうが。

おれが大事なお兄さんは、そこにいた。

相手が化け物でも、騙していたとしても、事実己を救ってくれた事に感謝して、願いを叶えようとするその心は、間違いなくお兄さんのものだった。


「……涙に触っても凍らないのか。お前は」


お兄さんが抱きしめる体勢のまま、手探りでおれの眼からこぼれた水に触った。触っても、凍らないから驚いている。


「何から何まで規格外だ、すごいな、化け物」


驚いた後に感心していた。

おれはその言葉を聞いても、やっぱりオーガ混じりと言えなかった。

正体不明の化け物の方が、対応がましなんじゃないかと思ってしまったのだ。

化け物のままでいいや、と思っちゃったのだ。


「もう一度問いかけるぞ」


お兄さんの声が体中に響いている。その問いかけを聞いている。


「お前は。俺に何を望む?」


「なんでもいいの」


「俺が叶えられる物だったら。人殺しとかはできないぞ」


「そんな物望まない」


「化け物なのに?」


とても不思議そうだった。生贄とか欲しいのかと思った、と言われたから、鼻で笑って答えた。


「もしも、怪物だとしてもさ。一個だけ、一個だけ」


おれは涙がこぼれたまま、その願いを言った。


「おれが傍にいても、許すこと」


息をのむ音が聞こえてきた。いいや、言いたい事を言ってしまえ。


「おれは、あなたの、狗なんだ。あなたの傍にいたいだけなんだ。それを、叶えて」


おれが傍にいたいだけ。おれが守っていたいだけ。そんな自分勝手で自己中心的な、願い。

それを、叶えてよ。

報酬とかなんにもいらない。いや、ちょっとは褒めてほしいけど。

お兄さんの中に、おれに求愛した事が失われているんだから、それっぽっちでちょうどいいのだ。

お兄さんがどんどん愛情を注ぎこんでくれたから、それをただ口を開けて飲み込んでいただけで。

おれから、欲しい欲しいとねだれるのは、この程度なんだ。


「本当に、それだけなのか」


「……たぶん。傍にいたいだけ、うん、たまには褒めてほしい、ちょっとは笑いかけてほしい、うん」


何をねだっているんだおれは。

言い出しながら混乱してきたのに、お兄さんは抱きしめたまま、おれが知らないくらい明るい声で、でもよく知っている波長で笑った。


「お前は、欲がないなあ。叶えてやるとも。これからお前は、一生俺の物だ」


「……物じゃなくていいんですけど」


「狗なんだろう?」


「狗ですけどね?」


「ならば俺の物で、一体どこが間違っているんだ」


この人真剣におれに聞いてるぞ……これ本気全開で言ってる。

それに対するちゃんとした答えを持っていなくて、おれはうなった。


「わからない」


「それならいいだろう」


言いくるめられている気がするんだけど、何も言えなかった。

お兄さんが、おれの頬を袖で拭う。


「行くぞ、狗」


「……名前を聞いたりしないんすね」


「あるのか?」


「アラズ」


「非ず?」


「そういう名前なんですよ」


あなたが求愛の証にくれた。守りとして贈ってくれた。


「名前を付けたのは、相当な力を制御する御仁だったんだな」


あなたですよ、と言えないでいればお兄さんは、心底感心した声でいった。


「非ずは全てを否定する。何もかもを拒否し消し飛ばせる言霊だ。護符としてこれ以上の名前はきっと誰も思いつかないだろうな」


そこでおれは、自分の名前にそんな祈りが込められていたことを知った。


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