温度=それに焦がれた
睨みながらいつのまにやら、眠ってしまっていたらしい。
おれは覚えている通りの姿勢のまま、のろのろと瞼を持ち上げた。
変な体勢で寝たせいか、それともなにか変なくせでもあるのか、ぎしぎしと体が軋んだ。
「うう」
口からこぼれたうめき声、師匠は近くの寝台で眠っているのか、動かないでいるだけなのか。
あいにくその区別がついた事が無いおれは、そっちを見てから声をかけた。
「お師匠様、起きていらっしゃいますか」
「……あー」
今日は眠っていたらしい。非常に悪人のような声で、地鳴りに似た響きの返事が返ってくる。
この時の師匠は、小さな子供に会いたくないのだそうな。何でも一発で泣かれるからうっとうしいとか。
身を起こした師匠は、すぐさま手元の盾を引き寄せる。一番初めにするのがそれの確認なのは、身に沁み込んだ習慣だろう。
おれもそれをちょっと受け継いだから、目が覚めて一番に確認するのは自分の盾だったのだが……あいにく師匠に壊されてしまった。語弊があるかもしれないが。
「外の空気が嫌に冷たいじゃねえか、窓を開けたまま寝たのか、お前は」
息を吐きだして、少し身震いした師匠が問いかけてくる。
開けたまま眠ってしまったのは事実なので、頷く。
「外を見ながら眠ってしまったらしいです」
「それで体の調子を崩したらどうする、馬鹿が」
「その時は自己責任と自業自得で終わります」
「巻き添え食らわせんじゃねえぞ」
欠伸をした師匠が立ち上がり、窓の方に眼を向ける。
そして窓際にいたおれを押しやり、窓の外に身を乗り出した。
「なんだ? ずいぶんな騒ぎが起きてるらしいな」
「へっ」
窓に近かったのはおれなのに、全くそれに気付かなかった。
驚いて変な声を出しながら、並んで窓の外に身を乗り出す。
たしかに通りは大騒ぎをしている。
なんだか騎士とか兵士とか言われそうな服装の人々が、何かを探し回っているらしい。
「聞き耳立てろ、お前の方が聞こえる」
師匠が言うので、おれはじっと耳を澄ませた。
「見つかったか!?」
「いいや、見つからない!」
「遠くへ行くはずがないのに!」
「今日は婚約披露だぞ! なんであの方がどこかに雲隠れするんだ!?」
「誰かにさらわれたのかもしれない」
「だがあの状態のカルロス様をどうやってだ? 触れたものは皆凍ったんだぞ!」
カルロス。聞いた事のあるその名前は、たしか隠者の家を爆破したお嬢さんが、お兄さんに呼び掛けていた名前だ。
その後も通りの声を拾っていく。
「だめだ、どこも誰も、あの方を見つけ出していない! いったいぜんたいどういう事なんだ」
「私たちに聞くな! リャリエリーラ様に知られたら殺されてしまうかもしれない!」
「南の門の方にはすでに人をやった、後は北門と東門だ!」
「城下の出入り口全てに人をやれば、出て行った時にわかるはずだな」
「あの方がすでに外に出ていない事を祈ろう……」
彼等が周りの人々に、お兄さんだと思われる特徴の人の事を聞きまわっている。
おれはそこで、いったん聞くのをやめた。
「で?」
「お兄さんが行方不明らしいです。で、本日婚約披露とかいうものだったそうで」
「婚約披露と言えば、公国では一大行事だな。婚約披露まで行った二人が、結婚しないなんてありえないのが公国だ」
「じゃあお兄さんは、結婚が嫌で?」
「それ以外に情報はないのか」
「さらわれたのだとしたら、どうやってかという事を喋ってましたね、お兄さんがなんでもかんでも凍らせているそうです。……まだ制御がうまくいかないのかな」
後半の独り言は実に、あり得る事のような気がした。
お兄さんは十年かけて、あの寂しんぼうと並んで生きる事が出来るようになった。
その経過の記憶がない今のお兄さんが、寂しんぼうを制御できない可能性も大きい。
「寂しんぼうが乗っ取っているわけじゃなさそうだし……」
「何だその寂しんぼうってのは」
「お兄さんに引っ付いている、一人が嫌な色んな存在の集合体みたいなものです」
「隠者は怪物でも身内に飼っていたのか?」
「お兄さんが引き受けた特別な力ってやつですよ。……さて、おれも探しに行かなきゃならないな」
おれは窓枠に手をかける。師匠が面白そうな声で問いかけてきた。
「何で探す?」
「だって、探したいから」
おれの理由はすんなりと出てきたのだ。探したいから探すのだ。
たったこれだけの理由で何がいけない?
何か言うかと思った師匠は、楽しそうな顔で言ってきた。
「ちびすけ、やみくもに探しても見つからないだろう」
「そりゃそうでしょうとも」
「んじゃあ、“探す時には”」
「“心理をたどれ”」
師匠が大昔に叩き込んだ、探し物を見つける方法である。覚えていたことに満足したのか、師匠はそれ以上言わず、おれの首根っこを掴んだ。
あ、嫌な予感がする。
「いってこーい」
実にあっけらかんとした声で、師匠はそのまま……おれを、ぶんなげた。
「言ってることとやってることの矛盾が著しい!」
投げられたままおれは、それに対する文句を叫びつつ、上空を飛んだ。
飛ばされながら体勢を立て直す。前にアンジューに言った通りの事をやったわけだ。
体勢を立て直して、落下する場所にいかに、何にも被害を与えずに着地するか動く。
ぐんにゃりとしなった体は、うまい具合に屋根に着地した。
「さてはて」
お兄さんが目指すとしたらそれは、どこだろう。
考えようとした時、おれの目に留まったのは凍った水たまりだった。
「……おかしい」
何気なく見過ごすかもしれない、ただの凍った水たまり、でもそれは間違いなく変だった。
「ここ日向だろ、なんでこんなおてんとうさまが上にある時間なのに、凍ったままなんだ?」
疑問を口に出しながら、周りを見回す。
壁に霜が張っている。
窓が白く凍っている。
しゃがんで瓦でできた屋根に触れると、それは凍っているように冷たくて、この日向ではありえない温度だった。
まさか。
お兄さんがこの近くにいるんじゃないか?
その可能性がとても高い気がしたから、おれはゆっくりと周囲を見回す事にした。
異常はない、変な物も見つからないと思っていた時。
「……あ」
一つの廃屋になっているらしい建物の、天辺。屋根のなくなったその建物の、一番に日のあたる暖かい場所に、一人の男がうずくまっていた。
そしてその周囲は、氷柱が生えまくっていて心底冷たそうだった。
顔は見えていない、でも直感でおれはその男に駆け寄った。
「お兄さん」
屋根を飛びわたってそこについてから、そうっと呼びかけてみた。
返事はきっとないだろう、お兄さんと呼ばれる事だって想像していないだろう、と思ったのはおれだったはずだ。
なのに。
「……この距離で、俺に平気で声をかけられるのか」
その人は振り返って、実に懐かしい声で、しかしとても信じられなさそうに喋った。
「平気で声をかけられるって、当たり前じゃないですか」
コートのフードを深くかぶったその人の顔は、間違いなくお兄さんだった。
ただ、ちょっとだけ表情が違っていた。いつもの不思議な笑顔はない。
荒んだ顔つき、とでもいうような顔だった。
「なぜだ? 誰もが恐れる、この何もかもを凍らせる呪いを持った俺を」
「だって」
おれは言われた意味が分からなかった。何もかもを凍らせる呪いって言われたからだ。
お兄さんが持っている物は、そんなちんけな物じゃない。
もっとすごくて、もっと厳しくて、もっと優しいものだ。
だから言い返してしまった。
「お兄さんがそんな物持っているわけがないから。それに、おれは知ってるんですよ」
「知っている……?」
「お兄さんが、おれを凍らせたりしないってさ」
言いながら近づいて、そんなに手を伸ばさなくても触れるくらいまで距離を詰める。
お兄さんはぎょっとした顔で、おれの動きを見ているばかりだ。
もっと驚くだろうな、と思いつつも、おれはその手を掴んで、自分の顔に押し当てた。
「ほら凍らないじゃないですか。……ってなんでこんな冷たいんです!? 呪い本起きろ、体温上げてくれ!」
押し当ててぎょっとしたのはおれだった。馬鹿みたいに冷たい手だったからだ。人間の手としてあるまじき冷たさなのだ。これは非常に危ない。
腰の袋で爆睡していたらしいアメフラシもどきを揺すり起こせば、そっちはのたのたと動いて言う。
『おうとも。相方のお願いじゃあ、聞かんわけにもいかないだろ』
だけどちょっと本気出す、と言ったアメフラシもどきの体が、ぶにゃぶにゃと形を変えて、なんだか懐かしい本の形に戻る。
「本気を出す時本に戻るって……」
『本“気”だからな』
なんだかよく分からない返しだが、ばらららっと頁がまくられていき、一つの術らしい部分が発光する。
そこから伸びてきた赤い光が、体に巻き付いてくるや否や、おれの体温は一気に上がったに違いない。
お兄さんはそのやりとりを見て呆気に取られていたけれども、不意に真顔になっておれを引き寄せた。
「おうわっ」
引き寄せて抱きかかえられて、お兄さんが離すまいと体をくっつけてくる。
どうしたんだと思ってたのだが、ぽつりとこぼされた言葉で納得した。
「暖かい……」