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白木丘女児童誘拐事件  作者: たしぎ はく
プロローグ
3/18

2

 読みは面白いほどに当たった。

 この能力があればこそ誘拐だけで生計が建てられるのか、それとも誘拐で生計を立てるためにこの能力を手に入れたのか、まあ順序はどちらでも良い。

 とにかく食い逃げはまんまと成功した。草野球のおっさんどもが雪崩れ込んできて、店員が接客に右往左往しているうちにあくまで自然の体を装って、至って普通に、歩いて店内から脱出したのである。

 食後の散歩に、歩いて拠点たるラブホテルまで帰ってきた。元より歩いて出てきたので、まあ当然のごとく歩いて帰るしかなかったわけだが。さすがに自転車なんてかさばる物をかっぱらったりはしない。

 とにかく小学校の下校時間の少し前までは昼寝をすることにして、そしてたったいま目が覚めたところだ。

 行為後洗濯もしていないようなシーツや枕なんかを使う気はないので、俺は床に寝袋を広げて寝ていた。寝袋から右手だけを出して現在時刻を確認する―-五時。

「五時……」

 呻くように呟く。南無三寝過ごした、と、走れメロスのメロスのセリフを引用してみるも、あまり笑えなかった。

 誘拐は明日にするか? 

 だがこの部屋にお世話になるのはできるだけ短い期間にしたい。他人の行為後のシーツや布団なんて気持ちが悪いし、なにより、発酵したのか独特の臭いが鼻につくのだ。熟睡することもままならない―-いやまあ、寝坊したのだが。

 部屋の窓から外を見ると、濃紫が空を支配し今にも茜が沈もうとしているところだった。

 これくらいの時間ならむしろ都合が良い。居残りやなんかでまだ帰宅の途についている小学生がいるかもしれない。

 のそのそと寝袋から這い出すと、無造作に服を脱ぎ捨て、ラックにかけてあったスーツに着替える。

 スーツは便利だった。お父さんの同僚なんだけどパターンも、君のお父さん(あるいはお母さん)が事故に遭ってパターンにも使えるオールマイティ性。ハイエースにスーツは異色だといえるが、それを補って余りある利便性を備えていたのだ。




 時刻はちょうど五時半だったと記憶している。

 ハイエースのライトが、道路の隅を歩く女子小学生の後姿をとらえた。真っ赤なランドセルに、短く切りそろえられた黒髪の上にのった黄色い帽子。

 歩く彼女の隣に車を止める。

「おい、お前―-」

 と。

 道路の右端を歩いていた女児童は、その呼びかけに対して足を止めた。

 言い方が少し横柄すぎたかもしれない。それくらいでちょうど良い。あまりやりすぎると今度はただの変質者だが、優しく出すぎても誘拐を疑われる。今回は遠い親戚のお兄さんパターンでいくことにした。

 名付けて「俺のこと覚えてねえの? まあ無理ないか、前に会ったのはまだお前が三か月の時だったからなあ作戦」である。

 イメージはちょっとやんちゃな親戚の兄ちゃん。女児童(左胸についている名札を見るに西野)のお父さんの家に用事があって向かっていたのだが、その途中で親戚の女の子を見つけたからついでに乗せてやるよ的なイメージで。

 あんまりかっちりディティールまで決めてしまうと、臨機応変に対処できなくなる。大体の軸だけ決めてしまえば、あとは会話しながら微修正していけば良い。


 女児童西野は足を止め、こちらを見た。

 不思議なことに、その目は閉じられていた。


「もしかして、お父さんですか。わざわざ迎えに来てくださったのですか?」


 目が―-見えない、のか。

 それならむしろ、好都合である。幸い向こうはお父さんであると勘違いしているようだし、親戚のお兄さん作戦からお父さん作戦に切り替えていけ。

「そうだ」

 少し声をしゃがれさせて返事をした。目が見えないのなら、声で正体がばれる可能性が高い。

 声をかけてお父さんと勘違いされたのだから、声それ自体は似ているところはあるのだろう。だが生憎、それだけで完全に西野を騙せると信じられるほど俺はおめでたい奴ではなかったので、その保険として風邪を引いたのだと言い訳できる声をとっさに作ったのだった。

 それに対して西野は、わあ、という声を漏らした。

「嬉しいです、お父さんがお迎えに来てくれるなんて!」

「そうか。とりあえずまあ、乗れよ」

 助手席を顎で示して――気付いた。


 西野は目が見えないのだ。


 本当は見えるのかもしれないが、声をかけてからずっと両目を瞑っているし、それを苦にした風もなくまっすぐ立っている。人間はバランスの多くを視覚に頼っているので、普通両目を塞いだ状態ではこのようにまっすぐ立ち続けることは難しいのだ。

 西野は盲目だ。断言しても大丈夫、なはず。

 面倒だと思いながら車を降り、西野の小さな小さな手を握った。

「え……お、父……さん?」

「どうした」

 返答は短くぶっきらぼうなものになる。

「お父、さんから手を握ってくれるなんて……初めてでしたから驚いてしまって……ごめんなさい」

 西野父はそんなことはしないタイプの人間だったらしい。ぬかった。

 いいから早く乗れ、とばかりに手を引き、助手席まで持ち上げて乗せる。驚くぐらい軽かった。名札によると五年三組―-五年生であることを考えても、異常に軽すぎる。多分三○キロもないんじゃないだろうか。身長も百四○センチメートル無いはずだ。腕や首なんかもモデルのように細い。この細さなら、片手で折ることができるだろう。可能か不可能かではなく、むしろ容易いとも言えた。

「今日は……なんだかお父さんが優しいので嬉しいです――昔みたいに」

「あ? なんか言ったか」 

「な、何も言ってません!」

 しまった言い方がキツくなったか、と俺は思ったが、西野は、えへへ、と思わず堪えきれなかったという風に笑みをこぼして見せたのだった。



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