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白木丘女児童誘拐事件  作者: たしぎ はく
プロローグ
2/18

1

 ラブホテル。

 駅前から一本、道を逸れた歓楽街にあり、駐車場は地下。普通は一人で入るものではないが、ここのホテルの受付は無人だ。自動販売機で部屋の鍵を買い、そして使ったあとは回収箱に放り込んでおけば良い。俺みたいな奴からすれば便利ではあるが、経営側としてはどうなんだろう。利用させてもらっている立場だからとやかく言う気もないが。

 とにかく、下手に町外れの廃墟や廃工場なんかに身を隠すよりはよっぽど良い。

 屋根があるし、音は漏れにくいようだし、車は隠せるし、行為中だと言い張れば、万が一部屋に誰かが来てもある程度の時間稼ぎくらいは可能である。身を隠すのにこれほどまでに適した物件はちょっと思いつかなかった。三○数件の誘拐をこなしているとはいえどうせ素人、独学だけで犯罪歴を更新し続ける人間の独断であるから、犯罪組織やなんかならばもっと良い物件を用意するかもしれなかったが。

 俺は携帯の充電器をコンセントに突き刺し、尻ポケットから出した財布を横に置いた。

 隣の部屋だろうか、女の嬌声がまるでくぐもることなく響いてくる―-壁には少しの防音機能も期待してはならないということだ。それにしても真昼間からお盛んなことで。これから小学生をこの場にお招きするというのに、なるほど教育に悪い。誘拐されるという人生一度あるかないかの経験をできるのだから、プラスとマイナスでとんとんか。

 そんなことを考えているうちになんだか楽しくなってきて、俺の口端は自然に吊り上っていた。鏡越しに目に入るそれを、不自然に消す。完璧すぎて胡散臭いほどの笑顔。不自然な、笑み。




 駅前の商店街はどうやら、年始のセールで捌くつもりだったのであろう、大量に仕入れたらしい品物の売れ残りを更に値下げして売る程度の商売根性は持っているらしかった。

 隙間風が襟から入り、裾に抜ける。思わず両襟を強く引っ張り合わせていた。マフラーを持ってくるべきだった。

 辺りを見回し、目当ての品物を見つける。

 婦人・紳士服のキシダ―-看板にそう書かれた店頭に、「大セール三○パーセント引き」と書かれたワゴンがあり、その中に、マフラーがあった。

 さりげなく、あくまでさりげなく商店街を歩き、左手はポケットから出した。両襟を合わせていた右手は、反対にポケットの中に入れる。

 そして歩く動作の中に、取るそして盗る動作を組み込んだ。左手を後ろに振る。振り子運動、体側を通過。その時ワゴンの直前を通り、横目で確認したマフラーを取り上げる。これは暖かそうだ。取る。巻く。左手は再度ポケットに入れる。

 そして歩き去る。

 キシダの店主は店舗の奥で店番をしていて、万引きに気付いた様子はなかった。これだけ寒いのだから、それは外に出たくないだろう。日本人の平和ボケに感謝である。

 当然、俺のこの行為を咎める者は誰もいなかった。





「腹が減った」

 八百屋の前を通りすぎるとき、行きがけの駄賃とばかりにリンゴを一つくすねておく。

 これはあまり美味しくないな。酸味が強すぎる。一口齧ったリンゴをミカンの籠にいれて返却しておいた。

 そのまましばらく歩くと、商店街の中程にチェーンではない個人経営のラーメン店を見つけたので、これ幸いと中に入る。もちろん―-財布なんてものは持ち合わせていなかった。

 あえてカウンター席をスルーして四人掛けの席に着く。店員さんには待ち合わせです、と適当に言っておいた。半チャーハンとラーメン、餃子を一人前ずつ注文する。

 注文を復唱した店員が厨房に消えたのを見計らい、店内を見回す振りをして監視カメラの位置を完全に把握。先程入店した時の一瞬で暗算したカメラの死角とすり合わせ、より正確な店内の死角を再計算しておく。

 厨房は左手にあり、右手には商店街に面した窓ガラス。窓ガラス側の机の影は、完全に店内の死角―-

「お待たせいたしました、こちら半チャーハンとラーメン、餃子になります」

 とりあえず食い逃げの算段は放り投げ、目の前の料理に集中することにする。

 不味い。

 チャーハンはベチャベチャと米同士が引っ付いてしまっている。これはフライパンで調理したのではなく、炊飯器で炊いたものだろう。それかフライパンに油を引いていないか何らかの間違いにより水を入れたか加熱が足りないかのどれかのはず。これなら自分で作ったほうが遥かにうまい。

 ラーメンの茹で具合はそこそこだった。別に美味くは無い、が、不味いわけでもない。果てしなく微妙。ゴムのような触感のメンマに苦戦しているうちに麺が伸びてしまって、自分内評価が微妙から不味いに格下げされた。インスタントラーメンのほうがいくらかマシだ。

 餃子は下味のつけ方から間違っているとしか思えない。タレも市販のポン酢。店主は本当にプロなのか、と疑問にすら感じる。

 元から食い逃げするつもりだったことを棚に上げて、この店には金を払う価値なんかない、と怒りをも覚える。これは金をとって許されるレベルではない。むしろ苦情を言ったうえで堂々と無銭飲食を告げても許さなければならないはずだ。

 まあそれはそれ、クソ不味い昼飯を腹に詰め込み、二度とこの店には足を運ぶまいと決意する。




 結局ラーメンのスープまで飲み干すと、箸を揃えて置き、手を合わせてごちそうさまと言った。生まれてこの方二五年、いただきますとごちそうさまを欠かしたことはない。どれだけ不味い飯であっても、食材は不味くない。料理が不味いなら、それは作った奴の責任だ。

 つまり俺がこの店で食い逃げをすることにはなんの不当性もない。むしろほかの客もそうすべきだ。これだけクソ不味い飯を提供するのにそれなりに賑わっている店内の客共を見ながらそう思う。

 俺がこの場において食い逃げをすることには正当性がある。むしろこのレベルで金をとろうとした店主が全面的に悪い。

 というわけで俺は、席を立つとカウンターの前を通り過ぎ、レジの前に店員が立つのを横目に入り口すぐ脇のトイレに入る。この店は料理のレベルはともかく、それなりに繁盛しているようだった。

 そして現在時刻は午前十一時である。つまりはこれから昼飯時になるにつれて、この店は忙しくなる。

 なぜならこの店が、商店街唯一の飲食店だから。商店街の店舗には意外と男性一人での経営の店が多かったから。それから商店街に入る直前のグラウンドでおそらく町内会だろう、おっさんどもが草野球をしていたから。

 よく見て考えれば、誰にでも思いつくようなことだ。一時間もしないうちに商店街の経営者や町内会のおじさんたちで溢れかえることになるだろう―-この店は。

 よくよく考えれば、この商店街唯一の飲食店だからこれだけクソ不味くても生き残れるのかもしれない、なんて今更ながらに気が付いた。



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