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月の雫  作者: 空雛あさき
第1章 不穏の影
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06:夕餉への誘い(1)

「さて、エリノア」

 鈍色の建物の奥に消えていったヴィクトールの背を見つめていたダニエルが口を開いた。

「何でしょうか」

 義兄が今日は遅くなるとは言え、帰宅することを聞いたエリノアは、ほんのり夢見心地の面持ちで、ヴィクトールが去っていった方を眺めていた。答える声もどこかふわふわとしたままだ。けれど、続くダニエルの突拍子もない言葉にエリノアは現実に引き戻された。

「飯を食いに行くぞ、ついて来い」

 は、とエリノアの間抜けな呟きが零れた。

「何故、食事の話になるんですか。あと訓練場30周って話はどこに行ったんですか」

「走るって話? そんなもんどーでもイイって」

 くしゃくしゃになった紙煙草を胸のポケットから取り出し、ダニエルは口に咥える。昔からの癖で突っ込みをいれたエリノアに、ダニエルは気を悪くした様子もなく、ただ「気になるなら明日にでもやりゃあイイだろーが」と面倒そうに手を振った。貴方が指示したんじゃないですか、とエリノアが口を挟むよりも先に、「それよりも」とふと何かを企んだ笑みが無精髭の生えたダニエルの顔に浮かんだ。

「実はアイツも来るんだよな。それでも来ないのか。そうかそうか、来たくないってー言うんならしょうがねェよなぁ。無理強いさせるわけにゃいかねェもんな」

 にやにやと笑みを浮かべ眺めるダニエルの表情は、エリノアが首を縦に振ることを確信しているものだった。無論、ダニエルが言う「アイツ」とは誰のことなのかも、聞かずとも分かる。そして悔しいことにエリノアの答えは決まっていた。

「行きます。行かせて下さい」

 負けたようで釈然としない。そう思いながら。




 太陽がすっかり沈み、藍色と煌めく星に空が彩られた頃。エリノア達は街中の、賑やかな酒場の一角にいた。ダニエルの行きつけの酒場であるその場所は、空席が見当たらないほどの盛況ぶりだ。ウェイトレスの少女二人が世話しなく店内を駆け回っているにも関わらず、店員を呼ぶ客の声は止まない。

 エリノア達3人は壁際に置かれた木の丸テーブルを囲んでいた。一人は当然エリノア、そしてダニエル。最後の一人が呆れたように口を開いた。

「キミは物好きだな。こんなおっさんと夕食を共にしたいなど」

 テーブルの上にはほとんど空になった皿が置かれていた。おっさんの一言に、麦酒の入ったグラスを呷ったダニエルが眉根を寄せた。

「うう、一人でご飯を食べるのが寂しかった……ということにしておいて下さい」

 バッサリとした口調で嘆息混じりに吐き出された言葉。エリノアはがっくりと肩を落とした。他に巧い言い訳が咄嗟に思いつかなかった。本当の理由を知られたくはない。上目遣いでこっそりと、そう告げた端整な顔立ちの青年を窺った。

 首の後ろで一つに纏めた、くすんだ銀灰色の髪は肩を越す程長い。呆れた色しか見えない凪いだ海のような青灰色の瞳は、既にエリノアと青年を夕飯に誘ったダニエルへと向けられていた。なんだよ、と不服そうにダニエルがこぼす。

「今更だろーがよ。士官学校に在学してた時だって偶に一緒に飯食ってた仲じゃねェか。そもそも学校に入る前からそうだったし、コイツがもっと小さい時から飯食ってんだろ」

「まあ、それはそうなんですけどね……最初のとき以外は、半ばダニエルさんに無理矢理連れ出されてたような気もしますけど」

 コイツと目配せされたエリノアは、生真面目な榛色の瞳を伏せた。


 エリノアがヴィクトールに引き取られて間もない頃、外出した彼を追ってエリノアは屋敷を抜け出したことがあった。道々が整備された王都とは言え、住んで間もない街の道を小さな子供がそれを覚えているわけがない。当然のように、エリノアは街の一角で迷子になった。ヴィクトールの背を追っていた筈なのに、気づけばその後ろ姿は何処にも見えず、振り返れば辿った道さえ分からぬ始末。日も暮れ始め、途方にくれていたところに通りがかったのが、当時既に軍人だったダニエルと、ダニエルを師としながら士官学校に通っていた青年――レオナルトだった。今ではレオナルトもまたラグジエント王国軍に所属する軍人である。

 瞳を潤ませ右往左往する少女を心配して声をかけた二人は、結局同じように狼狽することとなった。二人が子供の扱いに慣れていなかったことと、エリノアが屋敷の番地も覚えていなかったのが原因だ。暫くして保護者の名前を訊き出したものの、当のヴィクトールは家を空けることが少なくなかった。恐らく軍事施設に赴いたとなれば当日中に帰宅出来ないであろうことも容易に想像ができる。二人には、不安に押し潰されそうになっていた少女を、彼女が頼りとするヴィクトールがいない家に帰すことは躊躇いがあった。このまま家に帰すか、それともヴィクトールがいる軍の施設まで連れて行くかを思案していたところに、腹の鳴る音が響いたのだ。音の主は、瞳に涙を滲ませながらも必死に泣くまいとするエリノアの腹だった。

 呆気にとられたダニエルは、けれど笑ってエリノアの頭を優しく撫でてくれたのだ。

「俺達と旨い飯でも食いに行こうぜ。腹が膨れりゃ、兄ちゃんが帰ってくるまで家で待っていられるだろ」

 朗らかな笑顔で告げられた言葉に、幼いエリノアは迷いもせずに、うんと頷いた。

 その後連れて来られたのがこの店だった。古くて綺麗とは言いがたい店ではあったが、確かにその料理はたまらなく美味しく感じた。腹が満たされると同時に、涙が零れた。誰か他の者と一緒に食事を摂ったのは、エリノアにとって王都に来てから初めてのことだったのだ。ほっとして気が緩んだのだろう。ぼろぼろ泣きじゃくる子供の相手は大変だっただろうが、そこから先のことはエリノアはあまり覚えていない。

 恥かしくて忘れようと思っていたらいつの間にか忘れてしまったのかもしれない。後に聞いたところに寄れば、泣き疲れて眠ってしまったエリノアを二人は家まで送り届けてくれたらしい。以降、二人は何かにつけてヴィクトールがいないときに限ってエリノアを連れ出し食事を共にするようになった。ダニエルがレオナルトとエリノアを連れ出していた、という方が正しいかもしれない。一人で食事をする寂しさに辟易していたエリノアは喜んで誘いに乗っていた。

 二人と外へ食事に行くことをヴィクトールはあまりいい顔をしなかったが、口を出すこともなかった。それはダニエルが説き伏せたからなのだが、エリノア自身はその事実を知る由もないまま現在に至る。


「感謝はしてますけどねえ……勉強も見てくれたし」

 家にはあまり居られないヴィクトールの代わりに勉強や魔法の基礎、果ては応用まで叩き込んでくれたのがダニエルとレオナルトなのだ。言葉どおり、感謝はしている。非常に感謝しているが、それをあまり言葉にしないのはダニエルが調子に乗るからだ。

「おう、もっと感謝しろよエリノア」

 ほら、こんな風に。だから言うの嫌なんですよとエリノアはむくれた。つい幼い子供のように振舞ってしまうことがあるのも、幼少の頃から共にいることが多い所為もある。上司であるとは言えこういった場では軽々しい口調になることも、そして互いにそれを気にしないことも理由は同じところにあった。

「その割に、一人で女の子と何を話していいか分からんとか言って俺も連れ出して。結構小心者だよな、あんた」

 聞き役に徹することが多いレオナルトも、ぶっきらぼうな口調のまま遠慮なくダニエルをばっさり切り捨てた。

 へえ、と弱みになりそうな部分を見つけたエリノアが僅かに目を細める。けれどダニエルはたじろぐどころか、飄々と受け流した。それどころかふんぞり返る姿勢だ。

「お前なー、可愛い女の子と一緒にご飯食べられるって役得だと思わねぇのか」

 可愛い女の子、という言葉にレオナルトがちらりとエリノアを見る。が、すぐに何事もなかったかのように視線を手の中のグラスへと戻してしまった。

 青灰色の瞳とかち合った一瞬、エリノアの心臓がとくん、と跳ねた。

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