03:響く剣戟、谺する雄叫
力の加減が利かない中で、何人同胞を斬ったのか。
命を落とす程の傷ではないだろうが、暫くは戦力にならない者も多いだろう。これからもし戦争になるとするならば――そうでなくとも、この行動は間違いなく祖国に対し弓引く行為だろう。
目の前の剣を跳ね上げて、体を押し込み、上げた肘で相手の顎を強打する。脳震盪を起こしたであろうその者には目もくれず、別方向から切りかかる敵の剣を受け流して、蹴り飛ばす。
そんな今のレオナルトに、深く自問自答する余裕はない。
手加減出来ない程に人の数が多く、手練れも多い。レオナルト自身の体の不調も災いしている。
同胞を切り伏せることを仕方ないことだと捉えるのは、果たして欺瞞だろうか。
「くっ……」
血脂に汚れ切れ味の鈍った剣を捨て、地面の上で気を失っている兵から代わりの新しい剣を奪い取り、再び馬に飛び乗る。
流石のレオナルトとて、戦争をしようとしている軍隊――その一部とはいえ、全て戦闘不能にさせることができるとは思っていない。
ゆえに、レオナルトが標的とするのは唯一人。
鍵を握る者を討ち果たせば、状況はきっと変わる筈なのだと信じて、走る。
馬で駆け抜け、人を振り切り、立ち塞がる者を切り伏せ、辿り着いた先でようやく見つけたその姿。
月明かりに眩く煌めく白金の髪、凍るような碧玉の瞳。完成された美貌をもつといっても差し支えない、魔導部門統括にして、大隊長の一人。
――見つけた。
「ヴィクトール……!」
叫びには憤慨の色が多分に満ちていた。
その感情の理由は一つに留まらない。
自分が裏切られたことや、彼の道具にされようとしていたことはその内に含まれない。それは何処かで予想していたことであり、関わると決めたときから覚悟があったから。
けれど、人の命を軽く扱うことも、平和への道を閉ざそうとしていることも――彼の義妹であり大切にしていた筈のエリノアさえも道具として扱おうとしていたことも。
そのどれもが、レオナルトには到底許せるものではなかった。
切っ先を白金の髪の青年、その首へと真っ直ぐに向けたまま、馬から飛び降りる。
周囲に指示を出していたヴィクトールは驚いた表情すら見せず、口の端を軽く上げて、片腕で抜いた剣でレオナルトの剣を押し止めた。傍にいた数人の部下達が逼迫した声を上げ、剣を抜く。
「シュミット大将!!」
「僕達のことは構わなくていい。先程の指示通りに頼むよ」
「はっ」
簡易な敬礼をして身を翻す部下達の姿をちらりと見送って、ヴィクトールは微笑みを湛えた顔をようやくレオナルトへと真っ直ぐに向けた。
「よく戻ってきたね。捕まればどうなるか予想はついているだろうに……君はもう少し利口だと思っていたんだけどね?」
理由を分かっていながら敢えて問うような口調で、ヴィクトールは微かに首を傾げた。そして、力が拮抗する位置をずらし、ヴィクトールは押し込む力を利用してレオナルトの重心を崩させる。その勢いのまま碧眼の青年はレオナルトの剣を跳ね上げた。
「買い被りすぎだ。俺は――」
剣を引き、態勢を立て直して、敢えての問いに答えてやる。
「お前を止めに来た」
ギィンと再び剣がぶつかり合う。
面白い言葉でも聞いたかのように、演技染みた仕草でヴィクトールの眉が跳ねた。
「君と目的は同じだと思っていたんだけど、それは僕の思い過ごしだったのかな」
「ドラゴンを戦争に持ち込もうとするお前が今更何を言う……!」
一合、二合と鋼の刃が幾度もぶつかり合う音に、とうとう操り手のいない馬は嘶き駆けて逃げ出す。馬なしではこの陣地を突破して脱出することは出来ないだろう。それでもレオナルトは構わなかった。
逃げる心算は、最初から想定していない。
決死の表情を見せるレオナルトに、ヴィクトールは目を細めて哂う。
「今更も何も、互いに望むのはこの国の平和だろう? 手段が如何なものであれ、達成されれば民は健やかに生きられる」
根幹からして目的がずれていたのか。そう今更気付いたところで意味は無いかもしれない。レオナルトの目的はリムデルヴァと和平を結び平穏を得ることだったが、ヴィクトールの願いは『ラグジエント王国の安寧』だ。
敵意を剥き出しにしている隣国など消してしまえばいい、ということか。
ギリ、と食い縛った歯が軋む。
「その為の『大量破壊兵器』か。そのせいで幾ら犠牲者が出ても、問題ないと?」
「平和の礎のために、必要な犠牲というものはあるだろう?」
彼の言うその『犠牲』とやらには、自分やエリノア、リムデルヴァの軍に留まらず、自軍の一部さえも含むことをレオナルトは薄らと察していた。
「戯言を……!! そんなことに民を、彼女を、巻き込むな!!」
「巻き込む? 違うさ」
吐き棄てるレオナルトへ、剣を弾き返し、当然のようにヴィクトールは言う。
刀身の根元、鍔の上で交差し咬み合った刃が火花を散らし、至近距離で二人は睨み合う。
「エリノアに限って言うならば」
刃が削り合い、ギ、と耳障りな金属音を立てる。
「最初からあれは――僕の『駒』だ」
目を細めて妖しく笑うヴィクトールに、レオナルトは息を呑んだ。
刃を押し返し一歩退いたレオナルトに対し、ヴィクトールは一歩前に出る。
「『駒』だと……」
汗が頬を伝うレオナルトと、余裕と涼しい表情のヴィクトールは対照的だった。
細腕のどこにそんな膂力が秘められているのかと思う程の力でもって、ヴィクトールは剣を受け、捌いてくる。
レオナルトは確実に圧されつつあった。
相手から無闇に攻めてくる心算がないからこそ、今までもっていたともいえる。
ヴィクトールには魔法があるというのも要因の一つだ。レオナルトが使えるのは幾つかの簡易な魔法で、威力も弱ければ発動までにも時間が掛かるという点で、魔法のスペシャリストとも言えるヴィクトールには遥かに及ばない。ヴィクトールが、剣を打ち合ってから今に至るまで一度も魔法を放とうとしないのは、余裕ゆえにか、それとも別の理由があるのかはわからない。
剣技の方はというと、レオナルトは実戦経験は豊富であるし、剣闘大会で優勝経験もある。苦手だと思ったことはない。しかし、実はヴィクトールとてその大会での優勝経験がある。尚且つ、彼が築いた最年少優勝者の記録は未だ破られていない。
たった一度の参加経験しかないにも関わらず、だ。
それ以降学校の実技のとき、実戦で剣を抜かざるを得ないとき――それ以外でヴィクトールが人前で剣を振るったことはそう多くない筈だ。意図的に抜かないようにしていたのだろう。レオナルトの目に触れる機会が殆んどなかったということだけではあるまい。
ゆえにヴィクトールの『現在の』剣の腕を知る者は然程多くはない。
レオナルトもヴィクトールと斬り合ったことはなかった。太刀筋も今初めて目にしているという状況だ。過日の襲撃者への対応ですら、剣は相手を抑えるためにしか使わず、ほぼ魔法で対応していた筈だ。
腕が押し返され、歯噛みする。こめかみから汗が滑り落ちる。
――強い。
押し負けているのは、体調がいつも通りではないというだけではない。力も、技術も、そもそもヴィクトールの方が上なのだ。
「個人的にはね、君が戻ってきてくれて助かったんだよ」
「お前を……殺しに来たのにか」
微笑を崩さないヴィクトールに、レオナルトは鋭い視線を向ける。
きっと彼は殺されるまで止まらない。生きていさえすれば完遂させようとするだろう。
それを確信させるだけの執念を覗き見た気がしたのだ。
再び高い音が響いて、レオナルトの剣が弾かれる。
「そうは言うけれどね、君が僕を殺せると思うのかな?」
身を退き、距離を取る。レオナルトは両手で剣を構え直し、ヴィクトールは左手に持ち替え少し切っ先を下げた状態で睨み合った。
「殺してみせるさ。そのために此処に戻ってきたのだからな」
その答えを聞いて、ヴィクトールの口元に刻まれた笑みが深くなる。
しかし、再び彼が口を開いたとき。
そこから紡がれた言葉は、レオナルトに向ける如何なる感情の発露でもなく。
「宴は始まる、手鳴り鈴は高らか」
魔法の、詠唱。
「ちっ……」
舌打ちして、距離を詰めるべくレオナルトは前に跳ぶ。だがヴィクトールもその行動は容易に予想がついたのだろう。後ろに跳びながらレオナルトの剣を己の刃で滑らせ、剣の軌道と体勢を崩す。
その間に、空いた右のてのひら上に魔導構造を組み立て、魔力を収束させていく。
「見開く双眼、聞きし耳殻、命に随順し、主の下に来たりて、舞い踊れ」
レオナルトが前のめりになった体勢を、地面を蹴って押し戻し振り向く。
そのとき、既に魔法は完成していた。
「――<魔獣招呼>」
振り被った剣は、ヴィクトールから放射状にぶわり広がった強風――最早暴風とも言える程の強烈な風に煽られ、足さえ掬われたたらを踏む。
剣呑に目を眇めたヴィクトールを嘲笑うかのように、ざあ、と風が逆巻いていた。
喧騒の最中、ひと際大きな破壊音の後、咆哮が月夜を震わせるように響く。
空気を押し、風を生み出しながら力強く羽ばたく音がレオナルトの背後から近づき、そして頭上を越え、ヴィクトールの元へと飛んでいく。
数瞬月明かりを遮った影は、巨大な漆黒。夜の空よりも遥かに黒で塗り潰された、硬い鱗に覆われた巨躯。
檻を地力で破ってきたのか、そう出来るように拘束を緩めてあったのか。どちらにせよ、ドラゴンが人の監視と拘束から逃れ、今、空に悠然と羽ばたいていることは紛れもない事実だ。
それも、恐らくはヴィクトールの魔法によって「呼ばれ」た結果として。
「本当にお前は……ドラゴンを操る術を完成させていたのか」
「完成じゃないさ。全くもって実用的ではないとも」
自身の背後に滞空した侭のドラゴンの姿にちらりと視線をやり、ヴィクトールは肩を竦めた。
準備には多大な時間が掛かる上に、使用する薬品や魔導具は大層高価なものが多い。希少な材料も含むため、金を出しさえすれば必ずそれらが全て揃うということですらない。
それにも関わらず、操ることができる時間は限られているというのが現状だ。戦に用いるにはとても足りるような時間の長さではない。
ましてやその魔法を扱えるのはヴィクトールだけ。兵器はある程度誰でも使えるべきであり、もう少し汎用的な魔法で用いることが出来るべきだと考えるヴィクトールにとって、この状態は望ましいものではなかった。
だが、その背景をレオナルトに説明する必要もない。
だからね、とヴィクトールは喜びに瞳を細める。
「欲しかったのはこんな中途半端で使い難いモノじゃないよ」
ドラゴンの真紅の瞳は虚ろで、何処も見てはいない。
呼ばれるが侭に馳せ参じ、言われるが侭に滞空し、沈黙を貫く。
その何処にもドラゴンの意思は介在しない。
「僕はね、ドラゴンの力を充分に発揮しつつ、意思を操作し易い『兵器』が欲しかったんだ」
ヴィクトールにとって、ドラゴンは大量破壊兵器そのものではなかった。それとてあくまで材料にしか過ぎないのだ。
「そのためにはね、君の存在が必要なんだよ」
悠然と笑ったヴィクトールは、一歩踏み出し、右手に握り直した剣を構え、左手を添える。
ドラゴンにこの戦いに手出しをさせる心算はないらしい。だからといってレオナルトに有利になる訳でもない。
「だから少しの間、大人しくしていて欲しいんだ」
「断る」
ヴィクトールの要望にレオナルトは一言で切り捨て、両手で剣を構え、やや身を低くする。
「ならば、仕方ないね」
微かな呼気と共にヴィクトールが地面を蹴る。迎え撃つレオナルトは、迫り来る刃を引くように受け止めた。そのまま力を受け流し、刃の軌道を逸らせばヴィクトールはバランスを崩す筈だったが、刃は流されるままにして体勢だけを流れるように整え前方へ――レオナルトの背後へと回り込む。
予想外に流された力を無理矢理転用し体を反転させたレオナルトは、襲い来るであろう相手の剣を受け止める為に構えの姿勢を取った。が、その刀身が掬うように跳ね上げられ、剣が宙に舞う。
相手の剣から少しでも逃れるべく、レオナルトが距離を取ろうと僅かに顎を引いた瞬間。既に懐に潜り込んでいたヴィクトールの碧の双眸と目が合う。
月の光を映したその冷たい瞳に、レオナルトは狂気を孕んだ笑みを垣間見た気がした。




