03:夕暮れの遭遇
それから程なくして、新入隊員たちは解散を命じられた。訓練兵の扱いゆえに、有事の場合を除き、その拘束時間は夕刻の5つの鐘がなるときまでとされているからだ。
もっとも、あの後教官は適当に話を引き伸ばし、鐘がなるよりも早くに解散を命じたわけなのだが。
人気のなくなった訓練場に、新入隊員のうちの女性3人だけが残っていた。教官はすぐ戻ると言い残して何処かに行ってしまった。おまけに、「訓練場30周は自分の見ている前でやれ」と言い残していったものだから、いない間に走るわけにもいかなくなってしまったのである。
「なんか疲れたね」
「うん。体力的にもだけど、結構精神的にもねー」
「あたし、ここでやっていけるのかなぁ?」
「少なくとも私は辞めらんないもん。頑張るしかないよー。イルゼは実家に帰るって選択肢もあるでしょーに」
「無理だよ。だってお父さんと大喧嘩して出てきたのに、今更帰れないって」
のんびりした口調のモニカがぼんやりと、「イルゼも大変だねぇ」と呟いて押し黙った。モニカと飽きずに喋り倒していたイルゼは深い溜息をつき、エリノアへと視線を転じる。
士官学校時代からの友人でもある3人にしかこの場にいないこともあって、口調も話の内容もひどく砕けたものだった。
「ねぇエリノア、今日この後どうするー? 美味しいお店見つけたんだけど」
「ごめん。片付けも時間かかりそうだし、今日はパス。また今度連れてってよ」
「モニカは?」
「お金がない。せめてお給金出るまで待って」
放課後の女学生の様な会話をする3人は、何も他愛のないお喋りがしたくて態々訓練場に残ったわけではない。その証拠に胸の前で開いたてのひらの上には魔力の渦がわだかまっていた。絶えず喋りながらではあるが、意識を散逸させながらも手の上に魔力構造を維持し続けるという訓練を行っていたのだ。勿論、魔法が暴走する危険も踏まえ、攻撃性の魔法ではなくランプ程度の明かりを生み出す魔法を用いるに止まっている。どれ程易しい魔法であろうと、手の上に魔力構造を長時間維持し続けるのは簡単なことではない。
だが、難しいということを逆手に取り、魔力構造を安定させ続ける訓練に利用しているのだ。こうすれば魔法を発動するタイミングも自在に操れるようになるし、魔法のアレンジも加え易くなる。無意識下での魔力構造に向ける集中力も鍛えられた。
「何よ二人とも。付き合い悪いじゃん」
「だってねー、入隊したらバイト辞めなきゃいけなくなったのよー。入隊のときに貰った支度金なんて必要経費除いて全部仕送りしちゃったんだもんー。パン買うお金すらあったかどうか」
「分かった分かった、あたしが奢ってあげるって。エリノアも片付け終わるまでくらい待ってるよ?」
「私にはまだ訓練場30周も残ってるの、忘れてるでしょう……」
呻くように答えを返したエリノアのてのひらの上では、次第に魔力の渦が光を纏い始めている。魔法が暴走し始めている証拠だった。それ以上維持するのを諦めたエリノアは、魔力構造を解くように念じる。するとたちまち、魔力の渦が綺麗に解けて空気の中に消えていった。
「なんだい? デートのお約束?」
ふいに背後からかけられた声に、3人はびくりと身を竦ませた。その弾みで、モニカとイルゼのてのひらから魔力が逆巻く風を伴って膨らむ。
魔法の暴走だ。
「ヤバイね、こりゃ」
「二人とも早く解きなさいよっ」
「あー、ごめん。上手く解けないかもー」
一様に焦った表情を浮かべる少女達3人に対し、声をかけた男は苦笑を浮かべて、すっと指を伸ばした。向ける先は、モニカとイルゼのてのひらの上で暴れる魔力の塊だ。
「ごめんごめん。練習中だったのに邪魔しちゃったみたいだね?」
男が伸ばした指先をくいっと軽く曲げると、逆巻く風と共に荒れ狂う魔力はたちまち萎んでしまった。最後に、ぼふっと空気の抜けるような音を立てて完全に魔法が掻き消える。
他人の生み出した発動前の魔法をいとも容易く解くという離れ業。それをやってのけた男を唖然とした表情で見遣って、イルゼは更に瞠目した。
「すっごー……って、えっ、シュミット侯爵さまっ!?」
「誰、それ」
「知らないって、モニカそれすんごく失礼だよ!? イケメンでまだ20代で独身の貴族なのよ!?」
「そういうことを言うイルゼの方が失礼だと思うけどー……」
ぼんやりと呆れた口調でモニカが返す。だが、イルゼの言葉に気分を害した様子もない件の男――シュミット侯爵はにこにこと笑みを浮かべたまま口を開いた。
「如何にも、僕は20代独身のヴィクトール・フュルスト・フォン・シュミットだよ。入隊式のときにも参列していたのだけど、これを機に名前と顔を覚えて貰えると嬉しいね」
そこまで言われてモニカの顔がさっと青褪めた。
ヴィクトール・フュルスト・フォン・シュミット。
王国軍魔導研究部門統括、及び王国軍第3大隊隊長の任に就く、大将の階級をもつ者だ。大隊長の名前くらいは入隊式でも紹介されている。
そして――
「義兄さん……」
そしてヴィクトールはエリノアの義理の兄でもあり、孤児であったエリノアの身元引受人でもあった。