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月の雫  作者: 空雛あさき
第5章 零れ落ちる月暈の雫
39/44

02:月夜の逃亡者

 体が重い。

 それ以上に頭も重く、気持ちが悪い。

 意識を取り戻したエリノアが、薄らと目を開けながら感じたのは、まずそれだった。頭の中をかき混ぜられるような感触が残っている。嗅がされた薬か何かのせいだろうか。

 あの後も幾度か意識が浮上しかけたような気はするのだが、その度に再び深い夢の中へと押し戻されたような気もする。かといって、何か夢を見ていたのだとしても、その夢の記憶は残っていない。

 軟禁され、そこで義兄(あに)と話した後から記憶がなかった。

 今は何時(いつ)で、何処(どこ)なのだろう。時間感覚も何もあったものではない。おまけに視界は黒に塗り潰されていた。音は聞こえるが、何かを隔てた先から届くような聞こえ方だ。真っ暗な場所にでも閉じ込められているのだろうか。

 少なくともナヴェイン砦ではないだろう。何処からか流れ込んでくる隙間風には、野営独特の匂いが混じっている気がしたからだ。野営地でなくとも、砦ではなく外であることに間違いあるまい。砦と、野営地や外では明確に匂いが異なるのだ。

 暗闇の中で幾度か瞬いた後、エリノアはようやく呻き声だけを微かに洩らした。手足の感覚も失せているのか、自分が今どんな状態にあるのかもはっきりしない。

 その時、ごっ、と低く鈍い音が聞こえた。

 この音で目が覚めたのだろうか。音の出所はすぐ傍のようにも感じるが、この場の広さが判別できない。再び響く音から少しでも距離を取るべく後退ろうとして、そのための空間が殆んどないこと、そして手足が拘束されていることにようやくエリノアは気付いた。ご丁寧に猿轡までつけられている。

 そうしたのは恐らく義兄、ということになるのだろうか。

 エリノアに薬を嗅がせたのは間違いなく義兄だ。それはこの目でしかと見たのだから。

 そして気を失う前の会話から素直に推察するならば、義兄の行動は誰かに強制されてということではなく、自らの意志による行動だという可能性は高い。

(義兄さんが、どうしてこんなことを……)

 気を失う前に交わされた会話。矛盾だらけの結論。

 理由を話すでもなく、強制的にエリノアの『協力』を得ようとしたヴィクトールの意図。

 ぼんやりとしたままの頭で思考を巡らせる。

(そうまでして、閉じ込めてまで、私に何をさせたかったの?)

 答えが出そうにない思考を断ち切ったのは、外から聞こえた聞き覚えのある声だった。

「頼むから、声はあげんじゃねぇぞ」

 エリノアは息を呑んだ。

 何故こんなところにいるのだろう、と。

「下がっとけよ。

 刺し込む四点、阻害の壁堰、硬樹の覆い、鎮めた侭に割いて砕き、塵芥に成せ――<硬砕塵(ハル・スヴォルタ)>」

 四箇所に差し込まれた釘から浮かんだ細い光の筋が、四点で作られる矩形を繋ぐように奔る。

 次の瞬間、ざあと砂が零れ落ちる音と共に視界が開け、眼前に星が鏤められた夜空が広がった。エリノアを閉じ込めていた木製の檻のような箱の壁が、一枚だけ、砂になって崩れ落ちたのだ。

 遠くのざわめきが耳につくけれど、それよりもエリノアの意識を奪ったのは、夜空に浮かんだ煌々と光を放つ月。

 その月明かりを遮るように、横たわるエリノアの前に立ち顔を覗き込んだのはダニエルだった。一瞬だけ浮かんだ安堵の顔はすぐに厳しい表情に変わる。

「……っ!!」

 歓喜の叫びは幸いにも猿轡によって阻まれた。ダニエルは口元に指を当てて黙るように指示すると、持っていた小型のナイフでエリノアの手足を拘束していた縄と猿轡の布を切り外す。

「立てるか? 馬は離れたところに置いてあるんだ。そこまでは走って行かなきゃならん」

 檻から出て地に足をつけたエリノアは一度よろめいたが、何とか体勢を立て直す。

 新鮮な夜の空気を吸って、息を深く吐いた。足が地についた感触は、ある。地面を何度か踏みつけて感覚を確かめ、頷いた。

「何とか、走る程度ならば」

 対ドラゴン戦の後の意識不明から目覚めたときよりはマシといった程度だが、それでも、充分動ける。恐らく数日程度まともに身動きしていなかったせいではないだろうか。ならば、少し経てばいつもの感を取り戻せる筈だ。

「よし、じゃあ行くぞ。ぐずぐずしてたら」

「あの、ダニー、待って。レオナルトも捕まってるんです」

 ナイフを鞘毎手渡し周囲を窺うダニエルに、エリノアが制止の声をかけた。だが、「知ってるさ」とダニエルが視線を向けずに返す。

「他の奴らが今アイツを助けに行ってる。上手く行けば途中で合流できる。今お前は自分のことだけ考えろ。合図が来たら動く。迎撃より逃走を優先しろ」

 侵入は既に露見しているらしい。ざわめきが止まないのはその為か。

 ダニエルに拠れば、陽動の為にドラゴンの方へと向かった者達もいるのだという。

 窺う視線の先で、きらりと三色の魔導の光が、低く空に向けて上がった。

「合図だ。付いて来い」

「はいっ」

 野営地の中を二人は疾駆する。

 既にある程度警戒態勢が敷かれた陣地は、どこもかしこも武装した兵で溢れていた。ダニエルは元から逃げ道の算段はつけていたのだろう。彼の後を追っていくと追っ手の数は陣の大きさに比して少ないようにも感じられた。

 それでも繰り出される槍を、剣を、斧を、身を捻りながら足を止めず躱していかねばならなかった。野営地の陣を抜けたところで降り注いだ矢が肩に突き刺さったが、それすらも顧みず走る。

 痛みはある。集中も鈍る。けれど、今、矢を抜けば足が止まる上に、血が流れる。血が流れて零れれば、その跡を追われる可能性が高い。逃げるならばこのままの方が良いのだ。

 魔法の痕跡を辿られない為にも、今この時点で魔法はまともに使うわけにはいかない。

 木々の中に紛れた頃、レオナルトと彼の救出に向かった数人が合流した。足は彼らの方が速かったらしい。ダニエルが手早く指示を出すと、レオナルトと同行してきた者達全員が散開し、森の闇に姿を消した。

 走る速度はその侭に、振り返らずにダニエルが口を開く。

「レオナルト。調子はどうだ」

「多少の戦闘ならば然程支障が出ない程度だ。詳細は後程で構わないか?」

 レオナルトの答えに、ダニエルが了承の声を返した。だが、支障がないとは言っていたものの、エリノアから見た様子ではレオナルトは相当憔悴しているように見えた。

 月夜のせいだろうか。顔が青白く見えた気がしたのだ。

(でも、今は考えている場合じゃない)

 エリノアはかぶりを振って、夜闇の先と足元の感覚に注意を向ける。張り出た木の根等の障害物も多く、足を取られないようにしなければならなかった。




 かなりの距離を走り抜け、ようやく辿り着いたのは、森を抜け細い道を進んだ先にある斜面に隠された小屋だった。

 追っ手がいないことを確認して小屋の中に転がり込んだ三人は、荒い息を吐いて座り込む。束の間、息が整うまでの時間、喘鳴の音だけが小屋の内に響く。最後に息を整えたエリノアは部屋の端に寄ると、肩の後ろに手を回した。そこには矢が突き刺さったままなのだ。抜いて治癒の魔法をかけるならば今のうちだろう。

 引き抜こうと細い木の(シャフト)にかけた手は、けれど他の手――レオナルトの手――によって優しく止められた。

「俺が代わりに抜こう」

「お願いします」

 一度息を吐いてエリノアが手を離し、レオナルトが代わりに矢を掴む。

 他者が抜いた方が、矢が傷に対し真っ直ぐに抜ける分、傷口も広がり難い。傷口は小さい方が治療も楽だし、傷の治りも早い。

「痛むぞ」

「大丈夫です」

 短い遣り取りの後、エリノアは軽く歯を食い縛る。エリノアの体を支えたレオナルトの手に力が篭る。矢を引き抜いたのはその次の瞬間。

 血が溢れ、どっと流れ出ていくを感じた。すぐさまダニエルが投げて寄越した止血布で、レオナルトが傷口を圧迫し包帯を巻いた。

「エリノア、回復は自分で出来るか」

 ダニエルに問われ、エリノアは矢傷を負った肩とは反対側のてのひらに、魔力構造を発生させた。魔力の波がぶれている感覚はあるが、形が崩れる程ではない。

 いけそうです、と答えそのままてのひらを肩の傷に翳す。詠唱を終えて治癒魔法をかければ、傷の部分に薄らと膜が貼ったような感覚を得た。すぐさま完全に傷を塞ぐような魔法はかなりの高等魔法で、エリノアには扱えず、ダニエルにも扱えない。今エリノアが使用した魔法は元々持っている体の治癒能力を賦活するものだ。

 ただ、いつもよりもその治癒力が損なわれているような気がしたのは気のせいだろうか。出血が緩やかになったとはいえ、うまく塞ぎきれていないような、薄い膜だけで誤魔化されているような、何とも言えない感覚なのだ。

 疲労によっても治りが遅くなることは大いに有り得る。対ドラゴン戦の名残だろうかとも思ったが、ナヴェイン砦についた頃にはほぼいつも通りに回復していた筈だ。

 懸念を誤魔化すように一息吐いて、エリノアは顔を上げた。

「ダニー、今日は何日ですか」

「……明日にはガノス砦に到着出来る距離だったと答えた方が理解は早いか?」

 お前が捕まってから四日目の夜だ、と煙草を取り出しながらダニエルは答える。

「そんな長く眠っていたなんて……」

「魔法によるモンじゃないかねぇ。ただでさえお前らの投獄は、ヴィクトールの中では予定通りのことだ」

「そんな、筈は」

「無いと言い切れるか?」

 咥えた煙草に火を灯さず、ダニエルは呆れたように半眼でエリノアを見た。

 それぞれが休息を得るように壁に寄り掛かったまま、沈黙が横たわる。

 エリノアにしろ、レオナルトにしろ、ヴィクトールに抱いた不審は少なからずある。寧ろ大いにあると言った方が正しいのか。

 口を噤んだエリノアを見て、レオナルトがそういえば、と口を開いた。

「気になることがある。当のヴィクトールから聞いた話だ」

「さっき言いかけたことか。何だ?」

 ダニエルに先を促され、レオナルトは続ける。

「ようやく『実験』が最終段階に入った、と。そう言っていた」

 エリノアは弾かれるようにレオナルトを見た。

「私にも言っていたことが。時は満ちた、平和の兆しが見えてきた、と。そしてそれを私にも手伝って貰うと言っていました」

 ヴィクトールが言っていたという『実験』という言葉が何を指すのか、エリノアには分からない。元々ヴィクトールは魔導研究部門の統括でもある。一般的に使われる『実験』ということであれば、そもそもそれはヴィクトールの通常業務でしかない。

 けれど今言われている『実験』がそんなものでないことは、容易に想像がつく。

「本格的に不味いところまで来てるってことだな」

 難しい顔をして呟くダニエルに、レオナルトとエリノアは怪訝な視線を向ける。

 エリノアや、ましてやレオナルト以上に色々と情報を得ているらしい彼が言うならば、その想像はより確信に近づく。

 決定的だったのは、その後のダニエルの言葉だった。

「俺達の得た情報が間違いないなら、アイツは大量破壊兵器を作る心算だ。そこにブラックドラゴンやエリノア、レオナルトお前も絡んでくるということなんだろう」

 大量破壊兵器を、とレオナルトが唸るように呟く。

「でも、私もレオも、そんなものを作るために協力する気なんてありませんよ」

「協力の意思を必要としない、『協力』なんだろうさ。お前達が捕まってたのはその一環だろうな」

 ダニエルはそう吐き棄てる。

「そうか……だからか」

 だが、そこで得心したようにレオナルトが顔を上げた。

「もう一つ気になることがあった。恐らく、定期的に、俺は魔法をかけられていた。ただ何の魔法かは分からん」

「何か変わった点はあったか?」

「何かが劇的に変わった訳でもない。ただ体の調子は悪くなり続けている」

 うーん、とダニエルは唸る。毒素を送り込む魔法などもあるが、魔法によるものならば魔法による治療が一番効果的だ。ただ、それが何なのかを特定しないことには取り除くのが難しい。原因を調査する魔法もあるのだが――それもやはり、かなり難しく繊細な扱いが必要の魔法なのだ。必要な属性としてはエリノアは得意なのだが、如何せん魔力の波が乱れがちなエリノアには到底向かない種類の魔法と言っていい。ダニエルもまた治療は得手ではなく使えない。

 気にするな、とレオナルトは苦笑を浮かべた。

「調子が悪いくらいで大したことはない。充分動ける範囲だ」

 それよりも、と表情を改める。

「先程、『ヴィクトールは大量破壊兵器を作る心算だ』と言っていたな。俺は止めに行く」

「莫迦を言うな。今あそこに戻れば即処断かもしれないんだぞ」

 立ち上がるレオナルトをダニエルが睨みつける。だがレオナルトも退こうとはしない。

「此処で止めなければ、両軍勢に多大な被害が出るという事だろう。その後に和平への流れになど持っていけるものか」

「お前が何の為に動いていたか俺は知ってる。だから此処にも来た。対策も講じてある。お前が今更動く必要はもう無い」

 ダニエルは冷たく、けれど諭すように告げる。

 だが互いの睨み合いは止まない。月と星の光だけが差し込む小屋の中で、男二人が対峙する。

「ではドラゴンが未だあそこにいるのは何故だ。後手に回っているんだろう!? もし軍がドラゴンをある程度操れるならばもう時間はない」

「ドラゴンが放たれたところで幾らでも言い逃れは出来るじゃねぇか」

 冷たい回答だ。それが駆け引きの一環であろうことも分かるが――素直に受け入れるにはエリノアはまだ『駒』になり切れていないということだろうか。

 けれど自分は、人の、自分以外の命を『駒』とは見做せない。

「人が多く死ぬのは免れないだろう。お前はそれを見過ごせというんだろう。俺は看過できん。一人で構わん、行かせて貰う」

 レオナルトはちらりとエリノアを見るが、敢えて逸らすように視線をダニエルに戻す。

「俺の予想ではヴィクトールが破壊兵器辺りの開発を担っている筈だ。最悪でもあいつさえ止めることが出来れば何とかなる」

 ヴィクトールを、義兄を止める。それはつまり。

「外に馬がいたな。一頭貰う」

 簡単に出る(こたえ)

 だから、レオナルトはエリノアを見なかった――見れなかったのだろう。

 今もまた見ない侭、小屋の扉を押し開けて外へと出て行く。


「レオ……!」

 何と声をかければ良いのか。そこまで考えずにエリノアは名を呼び、レオナルトの背を追って小屋を飛び出していた。

 馬に取り付けられた馬具を確認していたレオナルトが、その声にぴくりと身動ぎする。

「レオ……」

 もう一度名を呼んで、拒絶するようなその背に近づく。

「俺は、お前の兄を殺すかもしれない」

 はっきりと告げられた言葉。

 背を向けたまま発せられた無感情な声は、想いのそのままのものではないのだろうことは理解できる。

 それをエリノアが受け止められるのかどうか。

 答えがこれでいいのか。

 後悔しないものなのか。

 ――分からない。

 伝えたい気持ちが正しいものなのか、上手くそれを言葉に出来るのかさえ、自信がない。

「っ……私はっ」

 けれど、言わなければならないと思う。

「私は、義兄さんに死んで欲しくない。だけど、レオにも死んで欲しくない」

 どちらも大事。かけがえのない人。

 だからこそ伝えなければいけない。

「私は、貴方と一緒に、生きたい。貴方の願いを、叶えたい」

 掠れた、声。

 背を向けたまま黙して聞いていたレオナルトが、静かに振り向いた。そのまま、仰ぎ見るようにレオナルトの顔を見たエリノアの顎に、青年の手が添えられる。少女の顔が月明かりからの陰が差したと思ったとき。

 唇が重なった。

 ほんの一瞬だけの、微かな口づけ。

 間近にあったはしばみの瞳と青灰色の瞳は、けれど青灰の色が遠退きすぐさま離れていってしまう。

 はしばみの瞳を瞠った少女から視線を逸らすと、レオナルトは身を翻し馬に跨った。そのままエリノアの横を通り過ぎ、そして一度だけ足を止める。

 エリィ、と名を呼ぶ声だけは優しくて。

 けれど続く言葉は突き放すように冷たくて。

「お前は絶対に来るな」

 ああ、と胸の内でエリノアは理解した。

 レオナルトがどんな覚悟でもって、あの場所へ戻るのかを。

 どんな想いでその言葉を告げたのかを。

 それだけを言い残し、馬の腹に蹴りを入れる。細道を駆けていくレオナルトの姿をエリノアは視線で追う。彼の後ろ姿はあっという間に夜の森に溶けて消えた。


「エリノ……」

「私も行きます」

 視線はレオナルトが見えなくなった方角へと向けられたまま。始終見ていたようなタイミングでかけてきたダニエルの声に、エリノアは毅然とした声で答えた心算だったのだが、自分の声は何故か震えて聞こえた。

「お前、さっき『絶対に来るな』ってレオナルトに言われたばかりじゃねぇか」

「レオの言うことなんか聞いてあげません」

 レオナルトが走り去ってから、止め処なく頬を雫が伝い滑り落ちていく。

 幾重にも雫が流れた跡を、頬に残す。

 置いていかれたとは思わない。

 けれど、ずるいとは思う。

「だって……だって、勝手に一人で死ぬ気で行く人の言うことなんか、聞いてあげられませんよ」

 自分の答えなど聞く気もなく、言わせることもなく。

 勝手に、一人で。


 雫は頬を伝い、顎まで滑り落ち、滴って軍服の襟を濡らしていく。

 それでもエリノアは滴を拭おうとはしなかった。少しだけ、零れ落ちる滴が止まるまで、想いをちゃんと受け止めて、自分の感情を整理して――いざという時の決断をして。

 それから追いかけたかった。

「今からじゃアイツには追いつけないぞ」

「それでも行きます」

 ダニエルの忠告があっても、意思を変える心算はない。それは彼にも伝わったのだろう、あからさまに深い嘆息をしたのが耳に届く。

 止められても行く心算だった。けれど、続いた言葉は予想外のもので。

「周囲の注意を引きつけるだけならやってやる」

 えっ、と驚いて弾かれたようにエリノアは振り向く。がしがしと焦茶色の頭を掻きながら、ダニエルは仕方なさそうに告げた。

「俺は余り奥まで踏み込めん。見捨てたいわけじゃないが、未だやる事があるんでね」

「構いません。それで充分です」

 エリノアは仄かに笑い、肩の傷を被った箇所に触れ、少しだけ目を伏せる。

 唇の感覚は、微かだけれどまだ残っている。

「私はレオを助けて、一緒に生きて帰ります」

 再び瞼を押し上げた時には、もう瞳の端から零れる滴は止まっていた。

 考えうる限りの状況に置ける、決断と答えを、用意した。

 後悔はするかもしれない。きっと、その時になってみなければ分からない。

 けれど、覚悟は決めた。


 二人もまた用意されていた馬に跨ると、その腹を蹴って軍の野営地へと駆け戻っていった。

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